第8話-1 疑念
――どうしよう……
ビルスキルニル中学校 2年『使用人候補生学科』教室――
サキと机を並べ、持参したマリ手作りのお弁当を頬張りながら、ヒカリは威圧感満載の、あの赤髪の男のことを考えていた。
『親衛隊候補生学科』専攻のヒカリ。
本来ならば彼らと食事をするはずの彼女に対し、SHRと昼食は『使用人候補生学科』の女子生徒との交流の時間として、行動を共にして良いと許可したのは、誰ならぬ
ただ、教官からの指示通りの学校生活を、送っているに過ぎなかった。
――あれって、本人は否定していたけど、やっぱり……
『だから、あの店長も言ってただろう!
昨日の夕方、自身の遥か頭上から疑いを否定する赤い瞳。
だがしかし、その疑いは晴れない。
初対面から続いていた
何より、姉代りとして一緒に暮らすマリが、この件に対し否定も肯定もしないことだった。
『えっ!? ライトさんが整形!?』
唯一答えてくれた、赤い瞳と古くからの知り合いだと知り、驚きながらの彼の素性に対する質問も
『有り得ないっ、有り得ないっ! ライトさんに限ってっ!』
『たしかに『
笑いをこらえながらの回答は、ヒカリにとって、ただただ謎を深めるだけのものだった。
あの後、コーヒーをご馳走すると言うマリの誘いを断り、帰ってしまった赤い瞳。
お礼を言おうと後を追うも、家路を急ぐ雑踏に姿を見失ってしまっていた。
――ひょっとして、今頃……
脳裏をよぎる、あの白く光る
その前に跪き、一連の出来事を報告する赤い瞳。
聞き終わった
『やむを得まい』
そう言いながら、目の前の書類に軽く目を通すと、取り出したスタンプを叩きつける。
自身の写真付きのプロフィールに容赦なく押された、真っ赤な『退学』の二文字に、ヒカリの顔が真っ青になった。
「どうしたの? ヒカリ?」
お弁当のお肉にフォークを突き刺したまま、固まってしまった目の前の友人に、サキはたまらず声をかけた。
「サキぃ……やっぱり私、退学になっちゃうのかなぁ……」
「えっ? まだ、そのこと考えてたの?」
「だってぇ……」
サキの声に我に返ったヒカリは、そう言うと深いため息をつく。
とりあえずフォークを突き刺してしまった唐揚げを口元まで運ぶも、飲み込む気分になれず元に戻してしまった。
「そんなに似てるの? ヒカリのお爺ちゃんとその人」
両手で持ったサンドイッチに、上品な小さな一口。
のんびりしたリスのようにそれを食べながら、サキは不思議がる。
「えっ? う、うん」
「同じ顔の人って世界に何人かいるって言うけど、本当にいるのね」
わざわざ自宅から持参したティーカップで紅茶を一口含むと、サンドイッチを再び食べ始めたサキ。
何かに気がついたような表情をしたかと思うと、その動きが止まった。
「ねぇ、お爺ちゃんとそっくりな人って、何て言ったっけ……」
「ライト……さんのこと?」
サキは、うん、と頷く。
「この人って、ひょっとして、お爺ちゃんの双子の兄弟とか?」
「えっ!?」
考えもしなかったサキの大胆な推理に、ヒカリは驚いた。
「だって、ヒカリを探してたみたいなんでしょ? お爺ちゃんの遺言とかでヒカリのことをよろしく!とかってことはない?」
「それはないよ。 その遺言で姉さんとここに住んでるから。 それにこの人おじいちゃんよりもずーと若い感じだし。 若いって言っても……おじさん……かな?」
目の前の大きな背中から発せられる、金色のオーラ――
轟く雷鳴――
大きくなる地響き――
浮き上がる足元の小石――
赤髪の男の怒号とともに、金色の光と衝撃に包まれる倉庫――
思い出すたびに付随する、その驚愕の光景。
自身を青ざめさせるそれらを打ち消すように、その男の話し方や雰囲気だけに集中させる。
『オレのどこが、爺さんなんだよっ!?』
『おまえ、オレに喧嘩売ってんのかっ!? ガキだと思って我慢してりゃ図に乗りやが――』
『これは、おまえが読んでいい代物じゃねぇんだっ! それを勝手に汚ねえ手で触りやがってっ!』
『知るかそんなことっ! こっちが迷惑だっ! いい加減オレを爺さん呼ばわりするのをやめろっ!』
『前言撤回しろっ! じゃないと、この本貸さねぇぞっ!』
驚愕の光景に負けない、その男の暴言ライブラリー。
…
……
…………
「うん、有り得ない……」
似ても似つかないその性格のギャップに、ヒカリは首を横に振った。
「若い? お爺ちゃんとその人、同じくらいの
ヒカリの答えに、首を傾げるサキ。
「それは、『そっくり』じゃなくて『似てる』だよね?」
「?」
サキの言葉に、今度はヒカリが首を傾げた。
「じゃあ、その人がお爺ちゃんの兄弟じゃないんなら――」
そう言うと、サキの表情が明るくなる。
「大本命のヒカリのお父――」
「それは、絶対にないっ!」
暴言ライブラリーが、それを絶対に許さない。
ギョッとしたヒカリがサキが言い終わるのを待たずに、全力で否定した。
「なんで、そう言い切れるの?」
「だって、おじいちゃんから聞いたお父様の話と、全然違うんだもん!」
色のない部屋
開けられた窓に揺れるカーテン
花瓶に添えられた花
大きなベッドの上からカーテンの向こうの世界を見つめる、虚ろな瞳
触れたら消えてしまいそうな、儚い父親の姿――
おじいちゃんから聞いていた父のイメージを汚す、あの驚愕の光景と暴言ライブラリーの
「そんなに違うの?」
「全然っ! いっつも、怒ってるって感じだしっ!」
とうとう、ヒカリの脳内でループ再生が始まってしまった、暴言ライブラリー。
「怒ってる?」
「威圧的だし、上から目線だし。 私のこと嫌いみたい」
「嫌い? そうとは思えないけど」
「サキは、その人のこわ~いところを見ていないから、分からなんだよ」
――ホントにあの人一体何なのっ!? 何か私に恨みでもっ?
唐揚げに力強く突き刺さるフォーク。
八つ当たりされたそれを、不機嫌な表情のまま、ヒカリは口に運ぶ。
「見てないけど……。 嫌いな
その言葉に、止まらない暴言ライブラリーのインパクトに忘れていた、昨日の夕暮れを思い出す。
一転して優しく話す赤い瞳――
大音量のループ再生が止まった。
「そ、それは……親衛隊員失格で、とりあえず同情したというか……わ、私のことを監視してるのなら――」
「……」
慌てて答えるも、真面目な顔のサキに、ヒカリの言葉が止まる。
「たしかに、その人のスパイ疑惑は、否定できない」
脳裏に復活する『退学』の二文字。
きっぱり言い切るサキに、ヒカリは沈んだ。
「でもね、親衛隊員適合テストっていうか、
「?」
「公爵様って『氷のトール』って呼ばれてる方。 お兄様として参謀として
そう言うと、いつもの笑顔のサキに戻る。
「公爵様にはもちろんだけど、
「えっ!? 何が?」
「あの本を読んで笑ったことに決まってるでしょ? あとはヒカリのお父様が見つかれば……。 良かったねヒカリ、きっと望みは叶う!」
「えっ? えっ!? そ、それってどーゆー意味???」
「だから、余計なことは考えなくて良いってことっ!」
「それじゃあ、意味分かんないよぉ」
「いいの! 私の推理が正しければそのうち分かるから! そんなことより――」
「そ、そんなことってっ!?」
「お父様の手がかりってないの?」
リス食いを続けながら話をどんどん進め、自己満足中のサキ。
親友の分かり易い嘘を信じてしまう、おっとりお嬢様の中に隠れている、ヒカリに負けない探究心。
ヒカリしか知らないそれは、時に彼女の人格をも変える。
――もう、勿体つけずに教えてくれればいいのにぃ
自身と同じものを持つ親友の、
「小さい時に分かれたせいか、お父様の顔全然覚えていないし、おじいちゃんと姉さんは知っていると思うんだけど……。 おじいちゃんは『待っていればいい』って言うだけだったし、姉さんは『知らない』だし……」
「お父様のこと、教えてもらえてないの?」
核心部分を言わない周りの大人たちの反応に、サキ自身、聞いたことのある出来事を思い出す。
「ひょっとして、ヒカリには言えない秘密が、お父様にあるとか? 例えば――」
「例えば?」
答えようとしたサキの口が止まった。
目の前でそれを待っているヒカリ。
親友を想うと、とても口に出せない内容に、サキは思わず目を伏せた。
「……ごめん、今の忘れて」
「えぇー、何でっ!?」
「ヒカリの大好きなおじいちゃんが『待っていればいい』って言ったんでしょ? そう! 余計なことは考えずに待っていれば会えるわ! 会えるはずっ!」
――余計なことって、何っ!?
焚きつけておいての2度目のお預けに、とうとう頬袋が膨らむ。
その表情のまま唐揚げを頬張り、こちらを見据える不機嫌なヒカリに、余計なことを言ってしまった後悔が、サキのリス食いを少し早くさせた。
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