第7話-1 悪夢のフローチャート


 スルーズヴァンガル王国 町外れの雑居ビル――

 喫茶店自宅で用意した朝食を持参した『専属バリスタ喫茶店オーナー』を、『国王家主』が出迎える。

 ノックの後、勢いよく開いたドアの向こうに立っていたのは、シンプルなロングドレスのメイド服。

 19歳の割には大人びた美貌が、ローテールの頭を下げる。


「・・・・・・」


 珍しく出迎えた家主の、分かりやすく意気消沈していく気配に、頭を上げた彼女は苦笑した。


▲▽▲


「本当は雑居ビルこの場でお作りできればよろしかったのですが、『しきたり』ですので」


 そう言いながら、マリは真っ白なコーヒーカップにポットで持参したコーヒーを注ぐ。

 ダイニングに広がるトーストの香ばしい香りに加わるコーヒーの香り。

 瓶詰めのイチゴジャム。

 青く瑞々しい野菜サラダ。

 黄金色に輝くスクランブルエッグにかけられた、トマト色のケチャップ。

 ライトリクエストの、民と変わらない朝食――

 少し不機嫌なライトの前に並べられたいつもの朝食に、ソーサーに乗せられたコーヒーカップが加えられた。

 大きな手がトーストに伸びる。


「あっ、それは私が……」

「構わねぇーよ」


 そう言いながらライトは、いつものように瓶詰めのイチゴジャムをたっぷりトーストに乗せる、、、と、それに豪快にかぶりついた。

 もぐもぐ咀嚼するライトの横に控えるマリ。

 ライトのためだけの、オリジナルブレンド。

 その味は、香りとともにライトのイメージとは似つかわしくなく、甘く優しい。

 雑居ビルここに住み始めてからも、飲んでいるはずのブレンドコーヒー。

 同じ香り、同じ味のはずなのに、今日のそれは10年前の宮殿での日常を思い出させる。


『おとうさま、その、くろいおのみものは、なんですか?』


 片言で不思議そうにコーヒーを覗き込むヒカリの、その後の一口の味見の表情感想が、ライトの目を細めさせた。


「ところでだ、ひ――」

「ヒカリさまは、先程登校されました」

「えっ!?」


 容赦なく言い放ったマリの一言に、驚きと落胆の混じった声が、思わずライトから漏れる。


これは私の仕事、、、、、、、ですから。 ヒカリさまにお願いしたのは学校がお休みの時とか、私が買い出しで留守にしている時ぐらいです」

「・・・・・・」


 昨日別れ際に同じ事を言っていたヒカリの言葉に、ひょっとするとと脳裏をよぎった『ヒカリのメイド服姿』。

 『何を着ても似合う』という自覚のない親バカの妄想に酔いしれ、ひょっとすると朝食をヒカリと取れるかも知れないと期待を抱いてしまっていたライトは、出されたばかりのコーヒーをいきなり一気飲みした。

 ムッとしながら、マリを見据えるライト。

 誰でも分かるであろうライトの態度の意味に、マリは笑顔でふふっと笑う。


「なんだよ」

「ライト様、お変わりありませんね」

「おまえもだ、マリ」


 訝しげに自身を見つめるライトに、マリはまた笑った。


「まずはお召し上がりください。 お話しはそれからでもよろしいかと」


▲▽▲


「去年の春から、ヒカリさまと二人で、ここに住み始めました」


 朝食を取り終えたライトの前の食器を片付けながら、マリは話し始めた。

 汚れた食器を重ね、朝食を運んできたトレイに乗せる。

 喫茶店自宅へ持ち帰る準備を終えると、新しいカップにコーヒーを注ぎ始めた。


「それは、公爵兄貴からの命令か?」

「……はい」


 即答ではなく間を置いての返事に、ライトは察する。


「あのフレイヤが、黙っているわけねぇーよな」


 カップを目の前に置き律儀に一礼するマリの気配を横に感じながら、その出されたばかりのコーヒーに口をつけた。


「申し訳ございません」


 再度、頭を下げるマリ。

 その気配に、カップから口を離したライトがチラッと横目で彼女を見た。


「おまえが謝ることはねぇーだろう。 あの二人が相手じゃ誰も太刀打ち出来ねぇよ」

「……」

「それに、謝るのはオレの方だ」

「?」

「悪かったな……。 ヒカリの全てをおまえに押し付けて――」

「それは違います」

「?」

「キッカケはライト様のご想像の通りですが、ヒカリさまとの生活は私も望んだことですから」

「望んだ?」

「はい」


 中学生の保護者としては若すぎる彼女のその理由に、不思議がるライトに対しマリは笑顔で答えた。


「シルヴァ様が亡くなられた後、行き場のない私を拾ってくださった公爵様お義父様のご恩に報いる気持ちもありますが、それだけではありません」

「……」

ライトたち皆さまと一緒に暮らしたあの時が、やはり忘れられなくて」


 目を細めながら、嬉しそうに話すマリ。

 しかし、思い当たる他の選択肢の存在にライトは口を開いた。


「だったら、町外れの喫茶店こんなところじゃなくて、宮殿に戻せば良かっただろう? 挙句にオレは蚊帳の外だし」

「……」

「?」

「たしかに、『あの日』直後とは比較にならないほど、宮殿内の防御力が戻りつつある、今の状態では考慮に値するかもしれません。 特に――」

「?」

公爵様お義父様の忠告も聞かずに、絶対に報われる事のないヒカリさまの捜索を、夜な夜な心折られる事もなく続けられるほどの復活を、ライト様が遂げられておられましたし――」

「おい」


 イヤミの効いたその言葉に、ライトはムッとする。


「ですが」

「なんだよ」

「問題はそれだけではございません。 熟慮した結果、ヒカリさまのことをライト様にはお伝えせず、極秘裏に事を進めると公爵様お義父様から――」

「はぁ!? おかしいだろっ! それはっ!!!」

「それではお聞きしますが、もしもそのことをお伝えしたら、ライト様はどのような行動を取られていましたか?」

「そんなの決まってるだろっ! オレが父親だって名乗り出て、二人でゆっくり出身地の田舎トルドハイムで暮ら――」

「そんなことをしたら、ヒカリさまが戸惑われるだけです」

「なんでだよ」

「心穏やかに過ごされているヒカリさまの前に突然父親が名乗り出たら、育ての親、、、、との板挟みで、苦しまれるのは目に見えています」

「育ての親? ……例の『おじいちゃん』か……」

「はい」


 ライトは、自身と対比するヒカリの言葉を思い出していた。

 その言葉に込められた、感じずにはいられないその人物に対する信頼と愛情の深さが、マリの意見を否定させない。

 その者の素性を聞こうとするライトに、マリは首を振った。


「シルヴァ様が亡くなった『あの日』からこのスルーズヴァンガル王国の護りの低下は見過ごすことはできないほど深刻なものとなってしまいました。 【神に選ばれしもの】の【補佐】することを役目として生まれてきた、【バルドル】を名乗ることを許されたあの方が、【トール】を名乗ることを許されたライト様、そしてライト様の『トール星』の護りを一身に負われていたからです」

「……」

Yggdrasillユグドラシル systemシステムの、あの不吉な予言ノルンの予言も、もちろん貴方様の隣国に対するお気遣いもありますが、あの方の人気があったからこそ、目に見える形での問題視はありませんでした。 しかし『あの日』以降は……」


 辛い過去に、言葉が止まりかける。

 それでも伝えなくてはならない使命感が、必死のマリの口を開かせた。


「貴方様やあの方を敬う民が絶対的に多いこの国ですら、不吉な予言ノルンの予言を信じる者がいます。 それは王の住まう宮殿内でも油断ならぬこと。 この隙を突いて、もしもヒカリさまのお命を狙う者がいたら……。 それにヒカリさまに好奇の目を向ける、不心得者もいるかもしれません。 そう考えた公爵様お義父様かねてから親交のあった、あるお方、、、、にヒカリさまを託されました」


 初めて聞くヒカリ失踪の理由を、こみ上げてくる言い表せない感情を抑えるかのように、ライトはコーヒーを飲みながら聞いていた。


「その方は、公爵様お義父様やフレイヤ様とも親交があり、絶対の信頼を置いていたことはもちろんのこと、その方の治める部落は、宮殿や城下町である王都から遠く離れた場所に有り、何よりも子を育てる環境としても、申し分のない緑豊かな自然あふれる場所。 穏やかな環境で過ごされれば、【破壊神】の覚醒もないと考えられ――」

「遠く離れたって、どういうことだよ?」

「不測の事態に対する被害を、最小限に食い止めるための対処です」

「?」

「王都やその周辺に住まう民の被害を最小限にするため、【破壊神】との隔離距離を設けたということです」

「おい、ちょっと待て」

「何ですか?」

「ぶ、部落って……そいつ……いや、そいつらは、ノルンの予言ガセネタを……【破壊神ヘイムダル】の存在を、信じてるんだよな?」

「もしも【破壊神】が覚醒したのなら、我が身に変えてもこの国をお守りすると誓いを立てられた方々です」

「……」


 ライトがその者たちの素性を聞くも、『報酬すら断った、彼らからの唯一の条件』として首を振るマリ。

 ノルンの予言を信じる信じないは別問題として、世界を滅ぼすほどの巨大な力を持つ者が相手だということを知らない者は、この世界では皆無である。

 その無謀とも言える、見知らぬ彼らの覚悟の決断に、ライトは言葉を失った。


「ライト様、公爵様お義父様から『【破壊神】からの解放』をお聞きになられてますか?」


『タイムリミットも予言のひとつだ。 おまえの【恩寵の輝き】が【破壊神ヘイムダル】からヒカリさまを解放する。 それを逃せば【破壊神ヘイムダル】の覚醒を止める術はない』


「――あぁ……」


 信じていないとは言え、結局は『たかが機械の計算結果』に振り回されている自身に対する怒りが、その返事を不愉快な音にする。

 再びコーヒーを飲み始めたライトに、マリは構わず淡々と話を続けた。


「シルヴァ様が亡くなられた年から数えて10年後のライト様の誕生日、その日までに【恩寵の輝き】をヒカリさまへお見せできれば、ヒカリさまは【破壊神ヘイムダル】から解放される――というのが、ノルンの予言……Yggdrasillユグドラシル systemシステムの処理結果でした」

「……」

「ヒカリさまにはご自身の身分をお知らせすることなく、暮らしは王族としてではなく民とほぼ変わらないものでした。 自然の中で心穏やかにのびのびと育っていただきたい。 ノルンの予言不吉な予言しがらみに惑わされることがないよう、心乱されることがないようにと。 それがヒカリさまに宿っていると言われている、【破壊神ヘイムダル】の覚醒を抑えることにもなると考えられたからです」 

「……」

「しかしながら、ライト様は公爵様お義父様の忠告に耳を貸さないどころか、ヒカリさま奪還を強行されるご様子だったため、極秘裏に進めることになったのです」

「……」

「タイムリミットまであと1年となった去年、ヒカリさまが心身ともに成長されたことも受け、公爵様お義父様は王都へヒカリさまをお戻しになりました。 こちらの生活にヒカリさまが慣れるのを確認しつつ、ライト様と引き合わせ順を追ってご自身をお立場を理解していただき、ライト様の【恩寵の輝き】をもって、【破壊神】からの解放を行う予定を立てていたのです。 しかし――」

「?」

「しかし、ヒカリさまとの再会を楽しみにされていたライト様のお気持ちを考え、この私の監視の下、ライト様のご近所に住み、偶然を装う、、、、、ことによる再会、、をセッティングさせていただいたのですが――」

「えっ!?」


 淡々と話していたはずのマリの口調が、どんどん暗く沈んでいく。

 しかも、公爵の養女であり右腕として裏方に徹している彼女が、らしくなく自身の考えの下行動を起こしていたことを知り、ライトは驚いた。


「まさか、気がついて頂けなかったとは思ってもみませんでした」

「えっ!? おまえさっき公爵あにきからの命令って……」

「ヒカリさまのお世話全般を、私が担うという意味ではそうです。 ライト様の考えられている『感動の再会』のことは、周知の事実でしたし――」


 周知の事実――

 その言葉に、ライトの脳裏に湧き出る、フレイヤを始めとする、親交の深い他国の王の姿……


「周知の事実っ!? 公爵あにきの奴、喋ったのかっ!?」

「いいえ」

「じゃあ、何でっ!?」


 困惑するライトの姿に、呆れかえるマリ。

 分かり易すぎる自身の性格と行動パターンに全く自覚のない彼に、マリはため息をついた。


「とにかく『タイムリミット』まで時間がございません。 ライト様のお気持ちは痛いほど分かりますが、そんなことを言っている場合ではないのです。 ライト様が信じていないことは存じ上げていますが、来週の誕生日祝賀パーティーは公爵様お義父様に従っていただきたいのです。 いえ、従っていただきますっ!」

「はぁ!?」

「『はぁ!?』ではございませんっ! せめて今年こそはご参加くださいっ!」

「冗談じゃねぇぞっ! ましてや、今年はヒカリが晒し者に――」

「『冗談』ではございませんっ! このままでは、公爵様お義父様と『コピートール王フレイヤ様』が、ヒカリさまを王女として公表してしまいますっ!」

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