第6話-2 灯台下暗し

 穏やかな口調に、憂いに満ちた赤い瞳。

 長くない関わりとはいえ、喜怒哀楽の『怒』の感情のみで生きているのではと思わせる今までのそれに、一番似つかわしくない『哀』の感情を前面に押し出している彼の表情。


「……面白いのか?」


 人の心に平気で土足で立ち入るような振る舞いしか感じられなかった彼の、まるで気を使っているかのような優しい口調に、ヒカリはギョッとした。


――やっぱり、これ、抜き打ちテストだったんだぁ


 笑ってはいけない場面で、よりによって大爆笑。

 報告後下されるであろう、退学処分に同情からの気遣い。

 赤い瞳のその表情に、早とちりしたヒカリの表情が凍りつく。


「えっと……」

「本当に、面白かったのか?」


 意味が分かってしまった今は亡きシルヴァの言葉。


《『選ばれしもの』に、笑顔をくれるわ――》


 ライトの素直な気持ちが、優しい口調の語尾を強める。


――えっ!? 面白くなかったって言えば、見逃してくれるってこと?


 見下ろす憂いに満ちた赤い瞳の予想外のフリに、ヒカリは戸惑った。

 しばらく続く沈黙。

 ヒカリは開いていたハードカバーを閉じ、目の前に置くとすぅっと息を吸った。


「えっと……、気を使ってくださって、あ、ありがとうございます」

「はっ?」

「でも、やっぱり嘘はいけない……ですよね?」

「?」


 ヒカリの言っている意味が分からず、困惑するライトの前でもう一度すぅっと息を吸うと、彼女は声を絞り出す。


「と、とっても面白いですっ! まだ途中までしか読んでないけど――」


 どんどん語尾が小さくなるヒカリの声に、そうであって欲しくなかったライトの心が沈んだ。


「きっと陛下は私が笑ったこと、怒ると思うし、陛下の気持ちを考えると怒られて当然だけど……」

「んっ? 怒る?」


 思っても見ない彼女の言葉に反応してしまうライト。

 再び向けた視線の先のヒカリの必死な表情に、彼は驚いた。


「でも、陛下をバカにしたとかじゃないしっ!」

「!?」

「陛下をお慕いする気持ちは変わらないしっ!」

「!!」

「親衛隊の勉強は難しいけど、学校はとっても楽しいし! 友達もできたし! ……そ、そうじゃなくてっ!」

「?」

「私絶対に親衛隊に入らなくちゃいけないんですっ! 絶対に退学しちゃダメないんですっ!」

「!」

「でもっ! ……でもぉ~、だから……だからぁ……」

「?」

「ごっ、ごっ、ごっ――」

「???」

「ごめんなさぁ――いっ!」


 トール王自身に対する尊敬の念と、学校生活エンジョイ中報告の後の、号泣付きの謝罪。


――怒る? バカに?? 入らなくちゃいけないって何だっ!? ってか何で謝る? 泣きながら謝るってオレ何かしたか? 退学って何なんだっ!?


 展開について行けず、号泣するヒカリを前に狼狽えるライト。


「な、なんで謝るんだよっ!?」

「だって……だってぇぇぇ――。 ごめんなさぁ――いっ!」


 退学決定を覚悟した告白だったものの、諦めきれない素直な気持ちと笑ってしまったことに対する申し訳ない気持ちが、ヒカリを号泣させていることなど、ライトは知る由もない。


「どうされましたかっ? ライト様」


 ヒカリの号泣に、気を使って退席していた店長が姿を現す。

 こっちも聞きたいその理由に、困り果てたライトは頭を掻いた。

 依然、泣きながら謝り続ける彼女の姿。

 それに何かを察した店長は、ライトに近づくと穏やかに囁いた。


「今はまだ突然のことで、ヒカリちゃんも驚いているだけですよ」

「?」

「たしかにライト様は、下品で粗暴で父親としては刺激の強すぎる方とは存じますが――」


 聞き捨てならない店長の言葉に、ライトの眉がヒクっと動く。


「ライト様を、ご自身の父親、、認めたくない、、、、、、と、今はこのように全力で拒絶、、、、、されているようですが、ライト様と過ごす時間を設ければ、そのうちライト様の良いところを見つけられて、ヒカリちゃんも妥協、、されるのではないかと――」

「おいっ! ちょっと待て」

「流石はバルドル様、、、、、の御子! 全力で拒絶しながらも、ライト様を気遣われているとは――」

「違げーよっ!!!」


 悪意すら感じられる盛大な勘違いから自身を慰める店長の言葉を、全力で否定するライトの声が古本屋に響き渡った――


▲▽▲


「落ち着いたか?」

「……」


 トール王が治める、スルーズヴァンガル王国――

 日が沈み、街灯が灯り始めた町外れの通りを歩く二つの影。


「おまえの勝手な思い込みだろっ! いつまでピーピー泣いてんだよっ!」

「ご……ごめんなさい……」

「だから、謝るなっ!」


 どう見ても、違和感全開の凸凹コンビ。

 泣きじゃくる女子中学生を慰めながら歩く、強面のスーツ姿の大柄の男のそれは、人通りの少なくなった通りで目立たないはずはない。


――これ以上泣かれたら……


 通報される

 ↓

 連行される

 ↓

 聴取される

 ↓

 正体がバレる

 ↓

 公爵兄貴に一連のコレ↑がバレる


 予想されるいつものお約束フローチャートに、ライトの顔が引きつった。


「ホントに、本当に、私、退学にならないんですよねっ!?」


 自身のスーツにすがりながら、涙を溜めた瞳で必死に確認するヒカリのうわずった声が、辺りに響き渡る。

 本を理由にヒカリとの『再再会』をセッティングしてくれたにも関わらず、結局また告白を機会を失ってしまったライト。

 その上、あらぬ容疑で娘の目の前で連行されるなどということになったら……。

 お約束フローチャートに付け加えられる、それを呆然と見送るヒカリの姿と『氷のトール』降臨。


「だから、あの店長も言ってただろう! 抜き打ちそんなんで来たわけじゃねぇよ!」

「本当にっ!?」

「本当だってっ! だから放せっつーのっ!」


 通りすがりの訝しげな視線に、高まるフローチャート実行の確率。


――んな、卑怯な真似してどーするっ! 大体何が『店長』だっ! フレイヤめ、こんなところにまで潜り込みやがってっ!


 今は亡き自身の妻であるシルヴァを、実の姉のように慕っていたフレイヤ。


『流石はバルドル様、、、、、の御子! 全力で拒絶しながらもライト様を気遣われているとは――』


 公爵の部下であれば有り得ないであろう、自身の国を統治する王が忌み嫌い『シルヴァ』という名を与えてまで使わぬようにした『バルドル』の御名みなをわざわざ使い、しかも、トール王ではなく『バルドル様の御子』という言い回しが、その正体を教えた。

 耐えられず思わず放ったライトの言葉にヒカリは、店長から聞いた『地位の高い彼』に対して失礼な行動をしてしまっていることに気がついた。

 ふと感じた遠ざかる気配。

 自身が望んだとはいえ、スーツを通して伝わっていたヒカリの、消えてしまった感触の未練がライトの心をチクリと刺す。


「バイトって……。 いつからバイトやってるんだよ?」

「えっ?」


 店長フレイヤを信頼しているヒカリの態度が気になり質問するも、バイトもダメなんですか?、と言わんばかりに表情が歪む彼女に、慌ててライトは否定した。


「この町に来てすぐだから、一年前から……です」


 探るように見下ろす赤い瞳に、2、3歩下がった位置から答えるヒカリ。


――い、一年前っ!?


 感じる距離感に寂しさに沈んでいたライトを、その答えは更に彼を突き落とす。

 真の姿ではないとは言え、ヒカリと確実に信頼関係を築いているフレイヤ。


『だ・か・ら、無駄なことはおやめなさい、と言ったでしょ?』


 プライドを踏み躙る、脳内に再生される彼女の高笑いと知ってしまったその意味に、羨望の念を抱いてしまう悔しさがライトに唇を噛ませた。


「あのぉ……」

「んっ? 何だよ」

「さっき、店長が言ってたことですけど」

「?」

「あれって、ヒカリさまの後見人、、、とか……、そういう意味ですか?」

『ライト様は陛下からの信頼が厚く、場合によってはヒカリさまの父と名乗ることを許された方だったので、思わずあのようなことを言ってしまったと思いますよ――』


 ハードカバーの奪い合い時の失言をフォローする、一部始終聞いていた店長フレイヤ

 勘違いとは言え、パニックに陥っているヒカリに、告白は無理と判断した彼女の言葉は、ライトに、十年前の『日常』を思い出させる。


《らいとぉ――》


 宮殿内を歩くライトの向こう側から、走り寄ってくる幼女。

 慌てて止めようとする侍女の声など聞こえていない、笑顔で近づいてくる彼女をライトは膝をつき待つ。

《急に走られては危ないですよ、――ヒカリさま、、

 嬉しそうに飛びつく王女ヒカリを、親衛隊長ライトは、その大きな胸に迎え入れた。

 思い出す短すぎる娘とのそれは、懐かしさと愛おしさでライトの心を満たすも、自身を呼ぶその愛らしい声はやるせなさと無力さを突きつける。

 ふと感じる視線にライトは我に返った。

 あの時嬉しさに輝いていた瞳が、ライトを不思議そうに見つめている。


「昔の話だ」


 それに思わず顔をそらしてしまうライト。

 古本屋で、敵意むき出しだったにも関わらず、日も落ち、女の子の一人歩きは物騒だと家まで送ってくれると言った男の、定まらないその素振りはヒカリを戸惑わせた。

 暫く無言で歩く二人。

 続く沈黙に、声をかけるタイミングを図っていたライトの咳払いが、ヒカリの注意をひく。


「と、ところでだ」

「?」

「こ、こんなに遅くなったら、心配してるんじゃねぇのか? お、おまえの親……、とか?」


 聞きたかった、今までのヒカリの暮らしぶりにやっと触れられる嬉しさを悟られまいとする気持ちが、向けたいはずの彼女への視線を逸らさせる。。

 どことなくぎこちない口調に気が付くも、ヒカリはそれに答えた。


「それは大丈夫です。 姉さんには連絡してるので」

「姉さん? オレにそっくりな『おじいちゃん』じゃないのか?」

「……」


 返ってこない、ヒカリの答え。

 代わりに、自身の大きな背中にチクチク刺さる彼女の視線が、ライトを戸惑わせる。


「な、何だよ」

「まるで尋問みたいですね」

「は、はぁ?」


 疑念に満ちた低い声に慌てて振り返ったライトは、その光景に息を飲んだ。

 頬を膨らませ、自身を見据えるヒカリ。

 親バカという名のフィルターが、彼女を淡く輝かせる。


「だ、だってあの時だって、私の宝石に凄く興味持ってるみたいでしたしっ!」

「えっ!? あっ、いや……」


 自身をぼぉーと見とれているようなライトに一瞬躊躇するも、湧き上がる疑念を抑えることができないヒカリの言葉は、彼を我に返した。


「やっぱり、あーゆー宝石とかって、持ってちゃダメなんですか!」

「?」

「不真面目とか緊張感がないとか弛んでるとか、そう思われちゃってるとか?」

「??」

「……やっぱり、公爵様から頼まれて、私が親衛隊員に向いているかどうか調べ――ま、まさかっ!」

「???」

「私を油断させるために、おじいちゃんそっくりに顔を整形して、私に近づい――」

「んなこと、するわけねぇーだろっ!」


 ヒカリの勝手な思い込みからの、思いもよらない整形疑惑。

 しかも相手が『老け顔おじいちゃん』に納得できないライトの、頭上から繰り出される必死の完全否定に、ヒカリはたじろぐ。

 怯えて見えるその姿に、罪悪感がライトの表情を引きつらせた。


「な、なんでわざわざオレが、んなことで、老け顔、、、にしなくちゃいけねぇんだよ?」

「えっ? 老け……?」


 申し訳なさそうに感じる、少し優しくなった彼の口調に戸惑うも、思いもしない問いに、ヒカリは驚く。

 じぃーと、ライトを見つめるヒカリ。

 嬉しいその視線は、その気持ちと裏腹に彼女のそれから顔を背けさせた。


「と、ところで、おまえの家こっちでいいのか?」

「は、はい」

「き、奇遇だな。 オレもこっちで――」


 この喫茶店横の路地を入って、すぐの雑居ビル――

 そう言いかけた時だった。


「ここです」


 立ち止まった後ろの気配が、先を歩くライトを呼び止める。

 喫茶店の前に佇むヒカリの視線につられて見た光景に、一瞬呼吸が止まった。


――何なんだ、このふざけた店名はっ!?


 喫茶店のドアガラスにプリントされた、身に覚えのある、、、、、、、店名は、ライトの脳裏にある少女の姿を過ぎらせる。

 齢3歳ながらも、その高い【神技スキル】を買われ、シルヴァの付き人の一人としてフレイヤが治めるフォールクヴァング王国からこの国に来た、今は公爵の養女となり、彼の右腕としてなくてはならない存在――

 そう言えば、ここ最近、19歳になった彼女の姿を見ていないことに気がついた。


「あっ、『喫茶ふりっぐ』って変わった店名だね、ってよく言われます」


 店名を見たまま固まっているライトの姿に、ヒカリは口を開く。


「フリッグって言うのは、神話に出てくる神様の名前だそうで――」


 【バルドル】を名乗ることを許されたシルヴァ同様、【フリッグ】を名乗ることを許された、【神に選ばれしもの】の【補佐】することを役目として生まれてきた存在――


「この店名にしたのは、ある方、、、姉の存在、、、、知らせるため、、、、、、――らしいんですけど」

「えっ!?」

「コーヒー好きなその方なら、絶対に、、、気がつくはずだって。 大切なモノ、、、、、預かっている、、、、、、ことを伝えたいらしいんですけど、その方、まだ、、気が付いてくれないって」

「・・・・・・」

「早く気がついてくれるといいんですけど……。 その方、何処にいるんだろう……」


 真剣に悩む自覚のない『大切なモノ』の言葉が、今やっと気がついた『その方』の胸に突き刺さる。


「ね、姉さんの淹れるコーヒー、美味しいんですよっ! トール王へいかからのご命令で、この近く、、、、住む、、トール王へいかゆかりの方の朝食、、も用意してるくらいなんですからっ!」

「!!!」


 店名を見ながら固まってしまったライトの態度を、『若い女の淹れたコーヒーなんぞ』という、心無いそれと勘違いしたヒカリ。


「そこのビルに毎朝届けてるんですっ! 私も、、姉の代わりに届けた、、、ことあるんですよ」


 隣の雑居ビルを指さしながらの彼女の姉を庇う言葉は、ライトに驚愕の真実を教えた。


「――その家主とは、会ったことあるのかよ?」

「いえ。 お仕事、、、して、日中休まれてるみたいで。 どんなお仕事してるんだろう?」


 隣の喫茶店にいる娘を、夜な夜な見当違いの場所に出向き探していることが、仕事だと言えるはずもない。

 王族専属のバリスタは、その近くに居を構えその食を取り仕切る――

 ヒカリ捜索の生活で、雑居ビル別宅では、朝食のみだったライト。

 てっきり、宮殿から運ばれていたと思っていたそれに愕然とする。

 自身が寝ている寝室のすぐ隣のリビングで、朝食の用意をしているヒカリ――

 娘が用意してくれたかもしれない朝食を、その有り難みも知らず、寝ぼけながら食べていた過去の自身に腹が立つも、今更どうしようもない。


「おかえり、ヒカリ」


 カランと響くドアベルに乗る、明るく迎える声が、ヒカリ捜索を無駄な行為と認めて落ち込むライトに懐かしさを運んだ。


を、送っていただきありがとうございます」


 自身に頭を下げる気配に、頭を上げるライト。

 ローテールの頭を上げた女性の笑顔に、確かに感じる懐かしい面影。


お待ちしてました、、、、、、、、。 まずは……、ホットでよろしいですか?」


 優しく問いながら、シルヴァの付き人として家族でもあったその女性は、驚くライトを招き入れた。

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