第6話-1 灯台下暗し

 町外れの古本屋――

 そこの店長に通された『スタッフルーム』で、ライトはとうとうヒカリと十年振りに再会した。


――どーゆーことだよっ!?


 見つめる先には、ハードカバーを盾にしたままのヒカリ。


――おじいちゃんって、誰だよっ!?


 そう聞きたくとも動かない口。


――姉さんって、誰だよっ!?


 一人しかいないはずの、自身の娘ヒカリに存在する、覚えのない存在の『姉』。


「ライト様、コーヒーはいかがですか?」


 あれから二杯目のコーヒーを勧める店長を、ライトは見据えた。


――ってか、お前は誰だよっ!!


 終わりそうもないポニーテールとの口喧嘩に割って入り、その場を収めてくれた店長。

 助け舟を出してくれた彼に、恨みはない。

 だがしかし――


――こいつ、何処かで……何処かで見た覚えが……


 出てきそうで出てこない、店長のプロフィール。

 宮殿地下にある図書館で見かけた書物の、登場人物そっくりさんであることなど、ライトに思い出せるはずもない。

 じぃーと見据え続ける、ライトの赤い瞳に力が入る。

 モヤモヤした何かが、晴れそうで晴れない……。


『彼の素性は明かせませんが、それなりに地位があるお方です。 卑怯な真似をするようなことはしませんよ』


――ああぁぁぁ、思い出せねぇっ!


 自身は思い出せないというのに、相手は自身を知っているあの口ぶりがライトをより一層焦らせた。

 公爵が誘導したこの古本屋が今までの経験上、普通の、、、古本屋であるはずがない。

 公爵の息がかかった、まさに敵陣地アウェイ

 その中に、店長、、として存在する男。


――公爵あにきの部下か?


 そう思うも、思い当たる部下たちメンツに該当しない顔に、ライトはますます困惑した。


「申し訳ございません、ライト様」

「あぁっ?」


 困惑から来る苛立ちを露骨に出した返事に、同じく困惑した表情の店長がコーヒーが入ったポットを持ったまま頭を下げる。


「お気に召しませんか? コーヒー……」

「コーヒー?」


 そう言われ、ライトはまだ一口も手をつけていないコーヒーに、視線を落とした。


「悪いな、ただ飲む気がしないだけだ。 気にしないでくれ」


 香りも消え、冷め切ってしまったコーヒーを見ながら、彼は答えた。


「そうですか。 でしたら香りだけでもお楽しみください。 飲むだけではなく香りこれにもリラックス効果があるそうですから」

「リラックス?」


 不機嫌な表情を向けたライトに彼は、声を落としてその問いに答える。


「そんなに緊張されては、伝えたい万感の思いも空回りしかねません」

「!」


 まるで自身がここにいる理由を知っているかのような彼の口ぶりに、ライトは思わず睨みつけた。


「先程宮殿に伺った際、ライト様がこちらに向かわれたとハヴソール公からお聞きしたので、コーヒーを頂いてまいりました。 ライト様はこのスルーズヴァンガル王国では、ビルスキルニル宮殿と許された場所でしか淹れることができない、こちらのコーヒーしか召し上がらないとお聞きしましたので」


 ライトの睨みなど気にせず、持ってきた新しいカップにポットのコーヒーを注ぎなら、穏やかに話しかける店長。

 たしかに、香りはいつも宮殿で飲んでいるものと同じ。

 しかし、店長の気遣う言葉が図らずも、ライトの手をコーヒーから遠のかせる。


――やっぱり、公爵あにき部下いぬか……


 このコーヒーの香りが語る真実。

 これを淹れるのは、そこに住まう王族が所望した時のみ。

 公爵が持っていくよう指示したにしろ、この男の言う通り自身に気を利かせてコーヒーをリクエストしたにしろ、それは公爵が関わらなければできることではない。

 公爵の息が掛かった者だということが分かれば、店長の身元などそれ以上のことは問題ではない。

 公爵の誘導による『再再会』。

 自身の誕生日までの告白に執着している彼の、予告の無い強制執行の予感に、ライトの店長へ向けられる視線は、より探るようなものに変わる。

 その視線に気に止めず、冷めたコーヒーを下げる彼の背中を追っていたライトだったが、隙を感じさせない素振りにそれ以上の情報の収穫を期待できないと感じ、視線を正面に戻した。


――公爵あにきの言う通り、あの中学校に通っているようだが、一体何処に暮らしてるんだ?


 公爵が誘導した場所に、確実に会わせるかのようにいたヒカリ――

 この間見た中学生と、同じブレザーであることに気がつき、公爵の話が真実であることを知るも、それはヒカリが行方不明になってから今まで、公爵の力が及ぶ範囲で生きていたことをも教える。

 しかし、本来ならば大喜びの状況も、古本屋アウェイであることと、あまりの謎の山積に、そんな気持ちになれない。


――『おじいちゃん』って奴と暮らしてるのか? いや……『姉さん』って言ってたな……


 ライトは、やはり手を付ける気のないコーヒーに視線を移した。


――『姉さんが淹れたコーヒー』って言ってたな? このコーヒーを淹れられる場所に暮らしてるってことか?


 その可能性を、彼は必死に探す。


――店長あの男の言う通り、このコーヒーは王族しか飲めねぇ。 だからそいつらが住んでいる場所に専属のバリスタがついている……。 オレみたいにこんな町外れに別宅持ってる奴なんてこの国にはいねぇし、となれば、『姉さん』は王族専属のバリスタで、そいつと一緒に宮殿に住み込んでるってことか?


 宮殿に住まう使用人たちを思い浮かべ、該当する人物を捜そうとするも、宮殿よりも別宅での滞在時間が長い上に、そもそも使用人に興味を持たなかったライトに、検索できる使用人データは皆無。


『ヒカリさまが【破壊神ヘイムダル】に覚醒した場合、お前は止めることができたのか?』


 立ち上がることができなかった十年前、そしてなによりも今も続く【至高の恩寵】のひとつである【力の増強】を受けることができない王の下で、彼女の自由行動を許すとは思えない『氷のトール』の言葉が、それに対する予想映像とともにライトの脳裏を過ぎる。


――ま、まさか、公爵あにきのやつ、ヒカリを匿ってた場所って……


 ヒカリの探索に『無駄なこと』と協力をしなかった公爵。

 もしも、自身の予想があっているのなら、その言葉の意味が違ってくる。

 公爵の管理下のもと、ヒカリを匿っている

 それだけの意味ではない。

 もっと、簡単な意味。


――オレは、宮殿に住んでいるヒカリを、十年間探してたってことなのかぁ!?


 しかしこの十年間、それらしい少女を宮殿内で見たことはない。

 ライトの目の届かない、宮殿内の何処か……


――まさか、地下の牢獄に、幽閉されてたんじゃねぇだろうなっ!?


 毎日複数の兵士に監視されながら、牢獄の中一人佇むヒカリ。

 薄暗い牢獄で自由を奪われ、未来に失望した瞳が膝を抱える。

 脳裏をよぎるその悲しげな姿に、騒ぎを起こした内の数回、警察に連行され身元が分かるまでと留置所に閉じ込められた自身の経験から、その辛さを知るライトの表情が曇った。

 視線の先には、ハードカバーを読み続けるヒカリ。


――まさか、今は公爵あにきの監視下での自由行動ってところか?


 ハードカバーが邪魔をして、表情が見えない彼女の肩が震えていることに、ライトは気づいた。

 ハードカバーを持つ手も震え始め、それを必死に堪えているのが見て取れる。


――そ、そんなに恐ろしい目に合ってるのかっ!?


 どんどんネガティブな状況を予想してしまうライトが、堪らず声を掛けようとした時だった。

 ヒカリの口から、小さな声が漏れ聞こえる。

 何か言いたいことがあるのか、と耳に神経を集中させるライト。

 彼女の声と肩の震えるリズムが一緒だと気づいた瞬間、彼の耳に大音量の笑い声が突き刺さった。


「そんなこと……そんなこと言っちゃうんだぁ! あははは!」


 腹を抱えんばかりに、一人爆笑するヒカリ。

 目に涙を浮かべてまでの彼女の姿は、自身の妄想で勝手に心配していたライトを驚かせた。


「な、なんなんだよっ!」

「だって……、だってぇぇぇ!」


 呆然とするライトの前で、笑いが止まらないヒカリ。

 この世でもっともかかわり合いを持ちたくないと思っている相手から、事もあろうに同名と言う奇跡的な一致だけで娘候補にされてしまっているという誤解が、彼女をハードカバーの世界へ現実逃避させていた。


「だって……そんなこと言っちゃうってっ! これが解決方法っ!?」

「?」

「だって『ヘイムダル』が――」

「【破壊神ヘイムダル】!?」


 その【神】の御名みなを、笑いながら口にするヒカリにライトはギョッとした。


「ヘ、【破壊神ヘイムダル】って、おまえ……」


 ただならぬ彼の気配に、ヒカリの顔から笑みが消える。

 楽しかった現実逃避した世界から、強制帰還させられたヒカリ。

 もう何度目かの、自身を見上げるヒカリの怯え切った瞳。


――こいつ、自分の事、全然知らないのかっ!?


 驚きの中に、憂いが混じる赤い瞳。

 悲しげにも取れるその表情は、思わず立ち上がってしまったことによる上から目線と圧迫感、本人は自覚していない目つきの悪さが相俟って、残念ながらヒカリには届かない。


――えっ? えっ? 私、何か言っちゃった?


 ハードカバーの神話の登場人物の名前を言っただけでしかないヒカリは、必要以上の反応を示すライトに戸惑った。


「だって、このお話に出てくる神様の名前……」


 そこまで話すヒカリの顔から、血の気が引いていく。

 今話している相手は、恐ろしく短気で沸点が低く挙句に、いかずちを操る、超危険人物であることを彼女は思い出した。


「お話し? おまえ、この文字読めるのかっ!?」


 身を乗り出して質問してくるライトに、恐る恐る頷くヒカリ。

 残念ながらその口調は、彼女に意図しない恐怖心しか与えていない。


「よ、読めます……けど、……読めないんですか――って、そ、そんなことないですよねっ!」


 素直に答えるも、その後睨むように感じられた赤い瞳におののくヒカリの声が上ずった。


――読めるっ? これをかっ!? お抱えの学者たちあいつらでさえ、根を上げたんだぞっ?


 数人の大人が数ヶ月間夜通し解読に努めたものの、結局全ては出来なかったと聞いていたそれ。

 それを読むどころか、内容を理解し楽しんでいる、目の前のヒカリにライトは驚いた。

《これは『ヘイムダル白きアース』からの贈り物。 『選ばれしもの』に笑顔をくれるわ》

 ハードカバーを手にした、シルヴァの言葉が脳裏をよぎる。

 時を越えた答えは、ヒカリのリア・ファルの目覚めを待たずして、の正体をも知らせた。

 言葉を失い、佇むライト。

 しかしその姿は、散々彼に恐怖心を植えつけられてしまったヒカリには、自身を睨めつけての仁王立ちにしかほかならない。


――今の、バカにしたと思われた? な、なんかこの人、偉い人みたいだし……


 事ある事に威圧的に感じられる目の前の男の態度は、店長が言った『それなりに地位があるお方です』を後押しする。


――それとも、静かだったのに、大きな声を出しちゃったから?


 そう思うも、ひたすら大声で捲し立てていた男に、そう思われる筋合いはないと、ヒカリの頬が膨れかけた。


――笑っちゃいけなかったってこと? でも、ここは笑うところだよね?


 神話にも、こんなお笑い話があるのかと楽しんでいたヒカリ。

 既にその内容を知っていると思っていた、自称『ハードカバーの持ち主』の意外な反応にヒカリは首を傾げる。


――何でこの人、怒ってるんだろう?


 この世界で自身たちが住まう惑星ほしの名前になっている神々が登場する物語。

 その中には、このスルーズヴァンガル王国の継がれる称号君主号である『雷神トール』も登場していた。

 登場……というよりは、主役である。


――たしかに凄い設定だけどこれは大昔の人が書いたお話しだし、自分のものだってこの人言っているけど、どう考えてもホントの持ち主はトール王へいかの娘のヒカリさまだし。 もしも、このお話しで気分を害されたとしても、怒るのならトール王へいかであって、この人はなんの関係もないよね?


 大声を張り上げた挙句、未だ仁王立ちで上から見下ろす男を、ヒカリの瞳が恐る恐る探る。

 2m近くあろうかというほどの身長

 明らかに意識して鍛えているであろう身体

 粗暴な性格とは裏腹に着こなしている、洗練された印象を与えるベスト付三つ揃えのダークスーツ

 無言を貫く男から、絶えず伝わってくる威圧感

 初対面、、、での、あの出来事――


――ひょっとして、この人……


 ぽんっと浮かんだ、男の正体にヒカリはどんどん青ざめていく。


――この人、トール王へいか直属の親衛隊っ!?


 何よりもトール王へいかのために命を捧げよと教えられる、自身が通うビルスキルニル中学校親衛隊候補生学科。

 そのトール王へいかを『選んだ神』を敬うことは、彼らにとっては常識である。


――えぇー! だってトール王へいかの……。 自分の本だって言っててそれ読んで笑ったら『退学』ってひどすぎるっ!


 引け目からくる妄想が暴走し、勝手に『退学』という処罰が下るとパニックになるヒカリ。

 顔が分からない父の消息を知る数少ない手掛かりとして聞いている『親衛隊』への唯一の道筋を絶つことなど、あってはならないことだった。


――まさか、ひょっとしてこれって、親衛隊員としての抜き打ちの適性検査っ!?


 思い出される、中学校入試の面接。

 面接規則に則り、一礼し着席するヒカリに、間髪入れず口を開いた『話さずの公爵』。

 側近によって進められ、公爵は面接それを静観していると聞いていた、驚くヒカリを無視するように、志望動機から始まった公爵自らの面接。

 体格の良い軍服が取り囲む中、スーツを着こなすスラリとした印象の、眼鏡レンズを白く光らせ、自身を見据える彼から放たれるオーラ。

 のちに、彼に敬意を評し『高貴な威圧感』と呼ばれていることを知るそれに圧倒されながらの質疑応答が終わり、起立したヒカリが一礼した時だった。


『女性でありながら親衛隊に入隊したいなどと言う奇特な方は、建国以来私が伝え聞く限りでは初めてです。 入学出来る出来ないは別として、実に興味深い方だ』


 眼鏡レンズの奥に表情を隠し、淡々と語る公爵。

 驚きながら顔を上げたヒカリを、眼鏡の橋ブリッジをクイっと中指で上げると、改めて彼はヒカリを見据える。


『もしも入学できたのならそれは建国以来初めての事。 受け入れられない古い考えの民もいるでしょう。 油断されぬように』


 唯一表情を見て取れる公爵の口角が少し上がったように見えたあの時を、ヒカリは思い出した。

 面接の時、話してしまった【ハードカバー王女ひかりの本】への興味。

 本来ならば、ありえないそれの貸出。

 タイミングよく現れた、凶暴すぎる親衛隊員(?)


――親衛隊? ……ひょっとして公爵様の命令で動く隠密的な人?


 だがしかし、深夜にあの忘れ去られた港町の倉庫に現れた行動はまだしも、その後の隠密的なものを微塵も感じられない行動がヒカリを悩ませる。


「おい」


 上から聞こえる、もう何度目かの呼びかけ重低音

 考え込むあまり俯いてしまった頭を、慌ててヒカリは上げた。


「その本のことなんだが……」

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