第5話-1 古本屋での真実

「じゃあヒカリちゃん、頼むね」


 スーツに着替えた店長が古本屋を出たあと、ヒカリは読書に没頭していた。

 店番を頼まれ、彼女の仕事場である古本屋の、奥のパソコンの置いてある『スタッフルーム』から、入口近くにある『お会計』のパネルが置かれた古びた木製のカウンターへ移動していたヒカリ。

 旧式のレジスタが馴染む空間に、ページをめくる音がつたう。

 ルーン文字を、ゆっくりと追う視線。

 レジスタの横に置いたスマホと、付けられた恩人から託された宝石。

 白から七色に淡く輝き始めたそれに、彼女は気づかない。

 見上げるほどの本棚が並ぶ薄暗い空間に、ヒカリの横から差し込む長いオレンジ色。

 帰宅時刻が迫っていることを知らせるその色を手元のページに見ながら、彼女は夢のような時間を静寂の中楽しむ。

 幼少期、田舎町で一緒に暮らしていた『おじいちゃん』から聞かされていた、トール王とその妃。

 自身と同じ名前だという王女に覚えた、憧れと親近感。

 母親からの誕生日プレゼントとして、彼女のために用意されたハードカバー『ひかりの本』と呼ばれるそれを読める者は、願い事が叶うという逸話の存在。


《その本に会える時、ヒカリが会いたいと思っている者に会えるかもなぁ》


 記憶の中の赤い髪の大きな影が、自身の頭を撫でながら優しく笑う。


《ルーン文字はお前を助けてくれる。 だから心配することはないぞヒカリ。 おまえはただ、待っていればいい。 おまえが望む者は、いつの間にかそばにいるはずだ》


――きっと、お父様に会えるよね? おじいちゃん


 未だ記憶の中で、自身を元気つけてくれる赤い瞳に、ヒカリは問いかけた。

 父親の手がかりになるのでは、と奇跡の出会いを期待し、そのために独学までしたルーン文字。

 中学2年生の独学では限界があったものの、ゆっくりながらもハードカバーの内容を読み解くことが出来ていた。

 残念ながら、手元のそれはヒカリの期待する内容ではなかったものの、神話とみられる逸話は、十分ヒカリを楽しませてくれている。

 それは、田舎町から王の住まう宮殿が見える、町外れの喫茶店に住みだしてから一年間、彼女の心の奥底に住み続けている不安をも忘れさせていた。

 翻訳しながら、ゆっくり読み進めるヒカリ。

 信用している恩人から聞いた逸話と、憧れの王女ゆかりのものという事実が、関わっているこの時間を、心地よいものに変える。

 それは、元々高い集中力を持つ彼女の心を捉えて離さず、静寂の中響くドアの軋む音や、近づいてくる気配に気付くことを、許さなかった。


「おい」


 突然頭上から降り注ぐ、重低音の不機嫌な声。

 神話の世界から一気に現実に引き戻す、聞き覚えのあるその声と、圧倒的な威圧感に、彼女から笑顔が消えた。

 あの非現実的な恐怖体験の再現に、呆然とするヒカリの手から、すぅっとハードカバーが上へスライドする。

 視線に飛び込んできた、あの時と同じ場違いなダークスーツ。

 恐る恐る見上げた視線の先には、あの時と同じ赤い髪と赤い瞳、不機嫌に動く眉。

 その大きな手には、今まで自身の手にあったハードカバー。


「えっ? えぇっ!?」


 ヒカリを上から威圧する、赤い瞳。

 大好きな恩人の面影に、不必要な凶暴さを添付したそれとの、したくなかった突然の再会に彼女は、戸惑いを隠すことはできなかった。


「おまえ、誰に断ってこの本読ん――」

「な、何でいるのっ!?」


 驚きのあまり、口から出た当然の疑問が、赤髪の問いを待たずに投げつけられる。


「それは、こっちのセリフだっ!」


 思いがけない再会は、二人に驚きと戸惑いを与え、お互いの言い分はいつもの静寂を破った。


▲▽▲


――何でこいつが、ここにいるんだよっ!?


 公爵からの『遣い』でやってきた、町外れの古本屋。

 別宅の雑居ビルから程近いこの場所に初めてやってきたライトは、そのレジカウンターで読書を楽しんでいる、ポニーテールの少女の姿に驚いた。


《分かっていると思うが、これ以上騒ぎを起こすことは許さん》


 公爵から釘を刺された上に、【神器ウエポン】を没収されたライトの胸元には、いつもの金色に輝くネクタイピンはない。

 そのため、【神器ウエポン】を介してYggdrasillユグドラシル systemシステムから提供される、【神技スキル】を発動できないため、この間のような『ガス爆発』で騒ぎになることはないものの、その公爵の行為はライトのプライドを踏みにじる行為であり、了承せざるを得ないライトの機嫌が良いはずもなかった。

 探し出し、30代の自身に対する、失礼すぎる呼称お爺ちゃん発言の訂正と、ヒカリの【リア・ファル】の所持理由を聞こうとしていたとは言え、思いがけない形での発見は、ライトを戸惑わせる。

 目の前まで来ている自身に気がつかず、読書に没頭しているポニーテール。

 それが手にしているハードカバーに、ライトは更に驚いた。


――本? 本って……、何で、こいつが読んでるんだよっ!?


『あの本が、見つかった』

『あの本?』

『シルヴァ様が、ヒカリさまのために用意された、あの本、、、だ』


 そのハードカバーは、遣いの内容を尋ねるライトに応える、公爵の言葉を思い出させた。

 シルヴァが亡くなったあの日、ヒカリと時同じくして姿を消した、ヒカリのために作られたルーン文字の童話。

 解読不能の文字の羅列に、目眩を覚えた印象的なハードカバー。

 神話だと聞かされたものの、読めなければ意味がない。

 問うライトに、それを用意したシルヴァは笑顔で答える。


《これはヒカリを守るもの。 そして、貴方とヒカリの願いを導いてくれるわ》


 未だ分からないその意味を問いたくとも、その相手はもういない。

 ライトの、短すぎた家族との時間。 


「おい」


 形を成して残っている数少ない繋がりを勝手に手にし、それを楽しむことを許させている者ではないポニーテールの行動は、彼にとって容認できるものではなかった。

 呆然とする彼女を、無意識に威圧しながら、その手からすぅっとハードカバーを引き抜く。


「おまえ、誰に断ってこの本読ん――」

「な、何でいるのっ!?」


 まるで、亡霊でも見るような瞳に、震える声。


《おじいちゃん?》


 久しぶりに聞くその声は、あの時の衝撃を、頼んでもいないのに勝手に脳内に再生する。

 反応し引きつってしまった表情は、彼の口角を強引に引き上げた。


「それはこっちのセリフだっ!」


 無理やり出した自身の声で、脳内の少女の言葉を必死にかき消す。


「これは、おまえが読んでいい代物じゃねぇんだっ! それを勝手に汚ねえ手で、触りやがってっ!」


 突然現れ、至福のひとときを取り上げられた挙句、侮辱する言葉に、ヒカリの頬は膨れた。


「き、汚くないもんっ! さっき、ちゃんと手、洗ったしっ!」


 手のひらを、依然上から威圧し続ける赤い瞳にかざし、失礼極まる言いがかりの撤回を求めるヒカリ。

 言葉をそのままの意味に取るポニーテールの仕草は、虫の居所が悪い今のライトを刺激するには十分だった。


「そういう意味じゃねえよっ! 大体、何でおまえがこれを持ってるんだっ?」


 ポニーテールの目の前で、ハードカバーをチラつかせながら説明を求める。

 手が届かないところから降りてきたそれに、思わず手を伸ばす彼女の仕草に、触れるスレスレでまたひょいと持ち上げる、意地悪な不機嫌なままの赤い瞳を、ヒカリは見据えた。


「ク、クライアント様から、ちゃんと許可得てるもんっ!」

「クライアントぉ?」

「店長が、そう言ってたもんっ!」

「誰だそりゃ!? オレは知らねぇぞっ!」


 信頼できる人からの許可に絶対の自信を持っているヒカリの力強い言葉に、それの持ち主であろう自身以外の、知らない人物の介入を知り驚くライト。


「この本はオレのもんだっ! 誰だ、そいつ――」

「この本は、トール王へいかの一人娘のひかり様のもの! 嘘つかないでっ!」


 上からの威圧に、臆せずヒカリは立ち向かう。


――そう言えばこの人……


 『ガス爆発』とされたあの出来事の時、自身の宝石に異常な興味を示した、赤い瞳を思い出したヒカリ。

 その時の彼に向けられた、黒ずくめの男の一人の言葉が頭をよぎる。


『おまえ、王族か貴族に雇われて探しに来たのか? その格好じゃあ、結構儲かるみたいだな』


――ひょっとして、誰かに雇われて、盗み、、に来たとかっ!?


 その容姿と言動から決して『正義の味方』に見えない赤い瞳の行動に、好意的になれないヒカリの警戒心が、一気に高まった。

 そしてそれは、彼女の正義感に火をつける。


「この本が、トール王へいかの王女様の物と知ってて狙ってる、、、、の!?」

「ね、狙ってるっ!? オレはこれを受け取りに来ただけ――。 あぁ! おまえ何しやがるっ!?」


 動揺した赤い瞳の隙をつき、立ち上がったヒカリはハードカバーを奪い取る。


「受け取りに来た、っておかしいもんっ! クライアント様からは、私が読み終わってから返してって言われてるしっ!」

「オレが、そんなこと言うわけねぇだろうっ!」

「だからこの本は、ひかり様の本――」

「その父親、、が取りに来たんだっ! 文句あるかっ!!!」

「えっ!?」


 驚きの声を上げたヒカリの表情が固まった。


「?」


 今まで自身を見据えていたポニーテールの瞳が、探るようなものに変わる。


「――あっ……」


 その表情と視線に、ライトはやっと自身の失言に気がついた。


「あっ、いや……」


 【リア・ファル】の吸収によって、容姿と人格が変わる王――

 前代未聞の特異体質の王の存在とその正体は、自国でも王族の一部とその関係者、旧知の仲である他国の王しか知らない事実。

 その持ち出し厳禁の個人情報を、見ず知らずの国民に自ら開示するなど言語道断である。

 ライトの脳裏をあっという間に支配する、白く光る眼鏡レンズ

 マル秘情報を外部に漏らしたことよりも、そのことを咎める高貴な威圧感がライトの表情を引きつらせた。


「馬鹿にしてるでしょ?」


 再び自身を見据えるポニーテールと、脳裏を支配中の眼鏡レンズが、ライトを追い詰める。


「私を子供だって、馬鹿にしてるんでしょ?」

「?」


 だがしかし、自ら開示してしまった極秘個人情報の追及を覚悟していた彼の予想に、反するポニーテールの言葉。

 戸惑う赤い瞳を見据えるヒカリの瞳に、力が入った。


おじさん、、、、が、トール王へいかワケがない、、、、、でしょ!?」


――!


 わざわざ問題発言撤回を要求せずとも自らそれを否定する、ライトにとってはありがたい展開も、喜べない引っかかる言い回しが、彼の眉を不機嫌に促す。


トール王へいかは、とても強くて身分関係なく気さくに接してくれる優しい方で、何よりも民の幸せを第一に考えていらっしゃる方って聞いてるもんっ!」


 身構えるライトに、真剣な眼差しから語られる、思いがけない別人格トール王の高評価。

 しかも、耳が痛くなる王の品格からの比較ではなく、別人格トール王にも反映されるライト自身、、、、、信念、、の高評価に、褒め慣れ皆無の彼の頬が赤くなった。

 今までの威圧的な態度から一転、頬を染め頭を掻きながら戸惑う仕草の赤い瞳。

 断りもなくやって来るなり、自身を罵倒し本を取り上げ、その理由を『自分が王女の父親でトール王である』と尊敬する王に対し、無礼千万の態度を取る赤い瞳に対し、警告のつもりで言った王の為人ひととなり

 それすら、王に成り代わるために利用しようとする、極悪人の小芝居にしか思えなかった赤い瞳の態度に、ヒカリの怒りは頂点に達した。


トール王へいかとおじさん、全っ然っ違うっ!」


 持ち上げてから、全力で叩き落とすポニーテールの言動。

 容姿はもちろんのこと、日頃の言動、行動こそが、トール王とライトの秘密に気が付くものが皆無である理由であり、それを逆手にとっての自由行動が時と場合によっては惨事に繋がることとなるのだが、その秘密を知る者たち以外に初めてされた比較とその者達を知らないであろう一国民の少女の言葉は、彼ら同様ライトに国王不適合者の烙印を押した。


「おまえ! 失礼すぎるだ――」

「それに、何でトール王へいかが、わざわざ町外れの古本屋こんなところに自分で取りに来るの? おかしいじゃないっ!」


――悪かったなっ! オレだってこんなガキの遣いみたいなこと、好きでやってるわけじゃねぇんだよっ!


 他の国では有り得ないであろう、特殊な二人の関係ならではの、『国王陛下、公爵に逆らえずお忍びでおつかい』など、ヒカリどころか国民が知る由もない。

 赤い瞳を極悪人と疑わないヒカリの、嘘を暴くため止めない追及の言葉は、図らずもライトに対する国王不適合者の烙印を押し続ける。


「この間だってそう! トール王へいかのお立場で、港町の倉庫あんなところに、いきなり現れるっておかしいじゃないっ!」

「あれは、あそこに娘がいるって知ったから、迎えに行っただけだっ!」

「娘? ひかり様はフレイヤ様の国に留学してるのよっ! そんなところにいるわけないじゃない!」

「!」


――な、なんなんだ、こいつ!?


 動揺する赤い瞳に、ヒカリの白い目が容赦なく向けられる。

 ポニーテールの追及に思わず乗ってしまい、『氷のトール』からの大目玉間違いなしの窮地をまたしても乗り切るも、それと引き替えに、実の娘からの自身に対する評価が下がっていることなど、ライトは知る由もない。


――まだ、嘘付き続ける気なのっ?


 一国の王としては信じがたい行動と、常識的な王女の動向の過ち。

 ヒカリの中の『常識』が、赤い瞳を犯罪者と任命する。


――私を馬鹿にするのはいい! でも陛下やひかり様を馬鹿にしたり傷つけることは、絶対に許せないっ!


 赤い瞳を見据えながら、ヒカリはレジスタの横に手を伸ばす。

 目の前の彼に気付かれないよう、注意しながら触れたスマホに視線を移した。

 と、飛び込んできた、宝石の光彩。


《……この中に『ひかり』って娘はいるか? 年齢としは14なんだが?》


 今度こそ、自分の意志で通報するために移した視線に映る、白かったはずの七色の輝きは、彼女の手を止め、脳裏にあの時の彼の言葉を再生させる。


《おかしいなぁ……、この中にいるのは、間違いないんだが……》


 緊迫するあの空間に突然現れ、人探しを始める赤い瞳。

 その態度には余裕すら感じられ、事実、銃を所持する本当の犯罪者すら、萎縮させていた。

 だがしかし、自身に声をかけたあとの彼の強引な対応の中から感じられる必死さに、嘘を感じなかったヒカリ。


――あれって、ホントに自分の娘のこと? 迎えに来たってよりは、探しに来たって感じだったけど……


 赤い瞳が王であると名乗っていることは認められないものの、あの時の行動まで嘘とは思えない。

 娘を探す父親――

 そう感じた途端、湧き出る当然の仮説。


――えっ? まさかそれって私のこと!?


 思いがけない父との再会の可能性に驚く。


《おまえ、オレに喧嘩売ってんのかっ!? ガキだと思って我慢してりゃ図に乗りやが――》


 だがしかし、すぐに再生された赤い瞳の凶暴なセリフが、その可能性に異議を唱える。


――私の顔見ても、全然分かっていなかったし、今だって……


 未だ上から見据える赤い瞳に、自身に対する『父としての愛情』を全く感じられないヒカリは、その可能性を否定した。


――それに、『お父様』は……


 ヒカリの脳裏に大好きな恩人から聞いた父親のイメージが浮かぶ。

 色のない部屋

 開けられた窓に揺れるカーテン

 花瓶に添えられた花

 大きなベッドの上から、カーテンの向こうの世界を見つめる、虚ろな瞳

 触れたら消えてしまいそうな、儚い父親の姿――

 そのイメージから対極の、目の前の元気過ぎるその姿は、彼女の心の中にある父親候補リストに書き込まれる前に消去された。


「あっ!」

「とにかくこれは返してもらうぞっ!」


 ヒカリの隙をつき、今度はライトがハードカバーを奪い取る。

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