第4話-2 ミーミルの泉

「お疲れさまぁ~、ヒカリちゃん! マッチングもOKだったよ」


 データ納品日――

 バイト先の古本屋の奥に用意された『仕事場』で、パソコンの前に突っ伏すヒカリに、彼女の作成データの最終チェックを終えた店長は、上機嫌で労った。


「それにしても、この頃古本屋ここに来るの早かったね? おかげでバイト時間が増えて助かったけど」

「……午前授業だったんです……。 陛下の……誕生祝賀パーティーの……準備に先生たちも関わってるみたいで……」


 午前授業後、そのまま古本屋バイト先まで直行し、姉がわりのマリの手作りお弁当を頬張りながら始まる入力業務。

 店長が受けてくる作業依頼、古書のデータ化が殆どだったそれと違う、ルーン文字のデータ化は、知らなくない文字とは言えいつもと勝手が違い、ヒカリから処理スピードを奪い精神を疲弊させる。

 それでも二週間続いた作業を、なんとか終え力尽きたヒカリは、未だ頭を上げることが出来ずにいた。


「そうだったんだ。 僕はてっきり学校を無届け早退エスケープしてきたものかと――」


 上から聴こえてくる、聞き捨てならない店長の言葉。


「そ、そんなことしませんっ!」


 思わず顔を上げ反論するも、視線の先の、にこにこしながらこちらを見ている店長の顔に、ヒカリはまたかと頬を膨らませた。


「そうそう、さっき女の子が来てたよ。 えーと、サキちゃんだっけ? ヒカリちゃんのお友達。 学校で渡しそびれたからって」


 そう言いながら、彼は白い封筒をヒカリに差し出す。

 学校では散々お喋りに花を咲かせていたにも関わらず、肝心な事を伝え忘れる彼女らしい行動に、ヒカリは苦笑した。


「これ、『この間のお礼』とか言ってたなぁ」

「お礼?」


 考えながら、それを受け取るヒカリ。


――あっ……


 サキの声の『お礼』が、ぱんだの財布の映像とともに、あの記憶を連れてくる。

 彼女の脳裏に蘇ってしまった、忘れていたというよりは忘れたかったあの記憶。

 青ざめるヒカリの脳裏を、容赦なく過ぎっていく、おぞましいあの記憶。

 目の前の大きな背中から発せられる、金色のオーラ――

 轟く雷鳴――

 強くなる地響き――

 浮き上がる足元の小石――

 男の怒号とともに、金色の光と衝撃に包まれる倉庫――

 くせ毛の赤い髪に、燃えるような赤い瞳――


《オレのどこが、じーさんなんだよっ!?》


 あの非現実的空間をあっという間に恐怖の空間に変えた、ヒカリにとって大切な人激似の男の登場に、彼女はギョッとした。


――だから、『おじいちゃん』じゃないって言ったじゃないっ!


 自身の脳裏に、暴言を吐きながら居座る男に、思わず反論するヒカリ。

 許せない『高すぎるそっくりクオリティー』にもっと許せない『不必要な凶暴さ』が彼女の眉を不機嫌に動かす。

 思い出の中でしか会えない大切な人に上書きオーバーライトされそうになる受け入れられない人格を、彼女は全力で否定した。


「ヒカリちゃん、どうかした?」


 突然割り込んできた店長の声に、ヒカリは我に返る。

 驚いた表情で自身の手元に向けられる彼の視線の先を、ヒカリはつられて追った。


「封筒……これ以上握ると、ぐちゃぐちゃになっちゃうよ」

「あっ!」


 目まぐるしく表情が変わり挙句に、突然頭を横に振り出し、渡した封筒を必要以上の力で握り締め始めたヒカリを店長は止めていた。


「す、すみませんっ! だ、大丈夫ですっ!」


 彼にお礼を言いながら、手遅れギリギリの封筒を必死に元に戻し、ヒカリは封筒の中を確認する。

 封筒から頭を出す、二枚の紙。


「えっ! 嘘っ!?」


 嬉しそうに驚く彼女の表情に、店長はその手元のものを覗き込んだ。


「チケット?」

「はい、サキのお父さんが経営するスイーツ店の……、そう言えば、学校の近くにオープンするって言ってたっけ」

 『パンケーキセット無料券』と書かれた、ヒカリの心を捉えて離さないチケット2枚は、脳内を上書きオーバーライトする。

 大好きなスイーツを無料で味わえる悦びに浸る彼女から、店長はチケットをすぅっと抜き取った。


「あれ? この日、陛下の誕生祝賀パーティの日だね」

「えっ!?」


 驚いたヒカリは、自身の手元の残っているもう一枚のチケットを、慌てて凝視した。


「サキちゃんのお父さん、国じゅうがお祭り騒ぎになる、この日をオープンに選んだんだね。 ふーん、材料は全てアルフヘイム王国産かぁ……。 この国と取引するには、伝手つてを頼るか、実績を積むか……、おいそれと取引できる国ではないからね。 どちらにしても大変だっ――、どうしたの?」


 店長の指摘通り、但し書きを見つけ落胆するヒカリ。

 思わずついてしまったため息に、店長は驚く。


「その日は行けません……。 きっとその日は喫茶店で、姉さんのお手伝いすることになると思います」


 ちまた祝祭日おやすみは、お勤め日――

 張り切るデニムエプロンが、脳内のライバル店のパンケーキセットを、容赦なく蹴散らしていた。


「じゃあ、この券の使える日を変えてもらうとか」

「うーん、でも、失礼かなぁ……」

「折角頂いたのに行かないのも失礼なんじゃないかな? そういうこと聞ける感じのタイプじゃない人?」

「いえ、一度お会いしたことがあったんですけど、とっても優しい人で……。 サキとお父さん、とっても仲良しなんですよ」


 入学後、すぐに意気投合した自身を、友人として父親に紹介してくれたサキ。

 仲睦まじい父娘おやこの姿に羨望の眼差しを向けた、あの時の気持ちは今も変わらない。

 思い出したその光景に、自身たちを合わせてしまうヒカリ。


――お父様、いつ私を迎えに来てくれるんだろう……


 時折、隙を突いては表れる心のざわつきに、彼女の表情が陰った。


「――ヒカリちゃん……」


 黙ってしまったヒカリに、店長が心配そうに声をかける。


「えっ?」


 今までの明るい声ではない店長に、ヒカリは視線を移した。


「そんなにパンケーキが食べたいんなら、僕がおごろうか?」

「ち、ちがいますっ!」


 笑顔が消え本気で心配する表情に、明らかな誤解を与えていることに気が付き、全力でそれを否定する。


「そっか……こんなこと僕が言うと『セクハラ』になるのかなぁ……」

「い、いえ、だから、そんなことないですっ! 心配してくださってありがとうございますっ! サ、サキに聞いてみますっ!」


 初めて見る彼の真面目な顔に動揺しながら、とりあえずレモネードを飲み、笑ってこの場を乗り切ろうとするヒカリに、店長の表情が安堵に変わった。


「さてと。 ヒカリちゃんが頑張って作ってくれたデータ、納品してくるね」


 そう言いながら、出かける準備をし始める店長。

 データを入れたUSBメモリを、スーツに着替えた店長にヒカリは渡す。


「あっ、そうだっ! 店長これもっ!」


 そう言いながら、慌ててルーン文字のハードカバーを手にとった。

 差し出されたその本を見た彼が、不思議そうな顔をする。


「あっ、ヒカリちゃん、それもう読んだのかい?」

「えっ? いえ、そんなことは……、お客様のものを勝手に……」

「あれ、言わなかったっけ? ヒカリちゃんがその本に興味があることをクライアントに話したら、是非読んでください、って貸してくれたんだよ」


 思いがけない、有難い言葉にヒカリの表情が明るくなる。


「いいんですかぁ!」


 飾り気のない、素直な喜び方に、店長は苦笑した。


「もちろん。 期限はヒカリちゃんが読み終わったときでいいって。 僕に返してくれるといいから」


 受け取ったUSBメモリを胸元にしまうと、ハードカバーを大切そうに持ち、レジカウンターへ移るヒカリを、目で追い微笑む店長。

 店番頼むね、と言う彼の声も、古本屋に響くいつものドアの軋む音も、ルーン文字を目で追うヒカリの耳には入ってこない。

 夕暮れのオレンジ色を見ながら歩く店長と、すれ違う人々。

 頭ひとつ出た大きな影も、彼とすれ違う。

 それは、あの古本屋の前で立ち止まりと、確認するかのように見上げた。


「ここか? あの本、、、が、あるのは」


▲▽▲


 泉のほとりにたたずむ、白いドレスが揺れる――

 泉の周りには木々が、まるで泉を隠すかのように高くそびえ、緑色にこの世界を染めている。

 瑠璃色の泉は、自身の中にある『なにか』を守るかのようにどこまでも深い。

 緑色から漏れる優しい陽の光が、ドレス姿の金色の髪ブロンドを、撫でるように照らす。

 その光は、水面を離れてもなおその姿でこの世界を漂う、色を持たない小さな泡沫うたかたたちに輝きを与え、より一層幻想的な世界を作り出していた。


「ミーミル様、約束したものをお持ちしました」


 誰もいないはずの泉に、語りかけるドレスの声が、緑色の空間を伝っていく。

 しばらくして、泉に頭を垂れるドレスに伝う懐かしい気配に、彼女の口元が小さく緩んだ。

 泉から浮かび上がる、無数の小さな光が集まりだす。

 それはやがて泉の中央に、この泉の主の姿を作り出した。


「バルドルか、息災であったか? ……と聞くのもおかしな話か……」


 現れた男は、思わず発してしまった自身の言葉に頭をかく。

 その姿に、バルドルと呼ばれたドレスの女性は、優しく苦笑した。


「いえ、今の私にそのような言葉をかけてくださるのは、ミーミル様だけです」


 頭を垂れたままのバルドルの、落ち着きの中に嬉しさを含ませた声が、ミーミルに伝う。

 声の余韻が消えた後も、顔をこちらに見せることのない彼女に、半ば呆れた彼の声が返された。


「バルドル、いつまで頭を垂れてそのままでおる。 儂にそのような気遣いは無用じゃ」


 その言葉に、やっと彼女は頭を上げる。

 フレイヤに負けずとも劣らない、美しい顔が彼に笑顔を送った。


「それにしても、おまえの所のフレイヤは、何とかならんのか? 断りもなく儂に化けおって」


 迷惑そうなミーミルに、バルドルはクスッと笑う。


「お許し下さい、ミーミル様。 『ルーン文字の精製』のパートナーをとなれば、賢者の神であられるミーミル様以上の適任者はおられない、とあのようなことに――」


 穏やかに話す彼女に、ミーミルはため息をついた。


「あの者の幼い頃、ルーン文字を教えるためこの地に置いたことはあったが、まさか今頃化けて、ヒカリの補佐をするとは。 必要な【神技スキル】とは言え、見たものの姿、声をあそこまで正確にコピーできる力は、コピーされたやられた者にしか、その不快さは理解できぬことであろうな。 第一、上手く化けたところで、その者の能力や【神技スキル】までは真似出来ん。 儂に化ける意味などなかろうに」


 心なしか引きつって見える彼の表情に、最もその被害を被っている、ある男の姿を思い出し、バルドルは苦笑する。

 彼女のその姿に向けられるミーミルの表情が、憂いに満ちたものに変わった。


「このような遣いなど、フレイヤに任せれば良いものを……」


 自身を見つめる同情に満ちた彼の瞳に、バルドルは首を振る。


「いいえ、これが私の最後の使命ですから」


 そう言うと彼女は、『店長』がヒカリから受け取ったUSBメモリを、差し出した手のひらに出現させた。

 やがてそれは、自身にルーン文字を浮かび上がらせながら、金の腕輪に姿を変え、自らの意思のようにバルドルの手からゆっくり離れる。


「そうか……。 これはおぬしの【神器ウエポン】であったな……」


 目の前で浮かぶそれを、見つめるミーミル。


「これは、旧時代からの本来の姿に拘らず、姿を変えることが出来るものであったな……」


 金色の小さな光を落とし始めた腕輪は、やがてルーン文字を混じえたそれを、纏い始めた。


「あるものはあるじを飾る首飾りに、あるものは主のこだわりの被服に合わせた装身具ネクタイピンに、あるものは主の探究心を補佐する通信機器スマートフォンに……。 主の嗜好に合わせた形に姿を変えるものであったが、おぬしのそれは違うようじゃ」

「……同じです。 これは『神』を守るため『選ばれしものあるじ』を補佐するために生まれたもの。 そのためなら、姿を変えるなど造作もないことなのでしょう。 他の方々とは違って『神』を持たない私のこれは、私が守りたいと思っている者のために、姿を変えてくれたのです」


 愛おしそうに、ミーミルの前で輝くそれを見つめるバルドル。

 ほとりに佇む彼女の姿が、一瞬揺らいだのを見たミーミルは、すぅっと片手を上げた。

 彼から発せられた風が穏やかな水面を走り、生まれたばかりの泡沫たちをまとめると、浮かぶ金の腕輪に、それを纏わす。

 次々と弾ける泡沫たちから生まれる七色の光は、泉の深くまで伸びる光の柱を作り出し、見守るふたりの前で、そこで待つ『何か』の元へ、金の腕輪を導いた。

 泉の底へゆっくり向かう、【金の腕輪ドラウプニル】――


「本当に良かったのか? これが終わればおぬしは本当に、『生きる者の世界』から消えてしまうのじゃぞ」

「……」

「会いたくはないのか? せめておぬしの加護の有効期間まで、待てば良いではないか!」

「いいえ。 もう、私のすべき事は終わりました」

「……」

「私の想い、、は、すでに託して、、、います」


 彼女の脳裏に浮かぶ、白いまま、、、、のヒカリの【リア・ファル】――


「しかし――」


 真面目過ぎると言うミーミルに、バルドルは苦笑する。


「それに、私は、そんなに忠実な者ではありません」

「何を言っているのだ?」

「私も驚いているのです。 私はあの世界に『存在してはいけない者』。 だからこそ唯一教えられた、存在理由、、、、のために生きてきました。 しかし私は、存在理由それを果たすどころか、助けられてしまった……」

「……」

「持ってはいけない、大切な物、、、、を持ってしまった。 そのことがまたあの世界を歪めてしまったのです」

「それはおぬしのせいではない。 の一方的な逆恨みじゃ」


 自身を救うミーミルの言葉に、バルドルは静かに首を振った。


「そう思っているにも関わらず、私は、私の欲求を抑えることができませんでした。 私は『選ばれしもの』としては失格です。 守るべき『民』のためではなく、『私の守りたいもの』だけのために、今、私はここにいるのです」

「結果としてそれは『民』を守ることにもなる。 これ以上、自分を責めることはない!」


 あまり聞かれないミーミルの強い口調が、バルドルに伝った時だった。

 役目を終えた光の柱が消えたと同時に、泉が七色に輝き出す。

 その輝きは一気に増し、ふたりの視界を眩ましたかと思うと、一瞬にして消した。


「大丈夫です、きっとヒカリは、ライトを救ってくれる」

「……」

「ヒカリが、自分の望みを諦めない限り――」


 見えないはずのバルドルの背景の木々が、ミーミルの悲しげな瞳にうつる。

 光の粒子かけらを放ち、透け始めた自身の身体を確認すると、彼女は優しく微笑んだ。


「家族で食べるパンケーキ、どんな味なのかしら?」


 彼女の柔らかな声が、ミーミルに伝う。

 ゆっくりと消えていく、光の粒子かけら

 彼の視線の先の泉のほとりには、もう誰もいない。


「諦めない限り……か……」


 バルドルが残した言葉を、彼は呟いた。


「簡単に諦めてもらっては困る。 儂もヒカリあの娘に、アレを返さなくてはならないからのう」


 寂しげなミーミルの声が伝う、緑色の世界。

 来客を見送り、彼も光に姿を変え居るべき場所へ帰ったミーミルの泉に、いつもの静寂が戻った。

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