第4話-1 ミーミルの泉
「ヒカリちゃん、進み具合はどうだい?」
その言葉とともに香ってくる大好きなそれに、彼女のマウスの動きが止まる。
バイト先の古本屋で、パソコンにかじりつき、入力作業に没頭していたヒカリ。
マウスの横に置かれたティーカップは、集中するあまり八の字になっていた眉の彼女の表情を明るくさせた。
「ありがとうございます、店長」
「ホットレモネード、ヒカリちゃん好きだったよね?」
「……はい」
マウスから離れた右手が、ティーカップに触れる。
琥珀色に浮かぶ、輪切りのレモン。
酸味を
「おいしいっ!」
「そうだろう? 実はこのレモンと蜂蜜、あのアルフヘイム王国から、取り寄せたんだよ」
にこにこ笑いながら店長も、座るヒカリの横で立ったまま、輪切りのレモンが浮かぶ自身のマグカップを口に運ぶ。
うん、旨いねぇ、と言いながらレモネードを飲む店長を見ながら、自身の嗜好など教えた覚えのないヒカリは首をかしげた。
「どう? 進んでる?」
余裕の表情を浮かべながら、ヒカリに尋ねる店長。
ティーカップに再び口をつけたヒカリは、ギクっと反応する。
「……やっぱりいつもとは違って……。 店長やっぱり……」
「何かな?」
「もう、入力終わったんですよね?」
「気にしなくていいよ。 ヒカリちゃんが勉学に勤しんでいる間、僕はここで入力作業ができるからね。 想定内だよ」
「入力が終わったら、
明るい声から繰り出される、納期ギリギリという崖っぷち宣言と、信用してます宣言が、静かにヒカリを追い詰めた。
「ごめんごめん、そんな顔しないでよ。 いい機会だから
謝りながらの更なるプレッシャ。
そしてなによりも、夢だったはずの『出会い』をしている予感が、より一層彼女にプレッシャを与えていた。
「店長、このクライアントさんって……」
「ごめんね、いくらヒカリちゃんでもこればかりは……守秘義務って奴でね」
――守秘義務って言ったって……これって……
ヒカリにとっては、守秘義務契約を自ら無効化する、ルーン文字で書かれたハードカバーの存在感。
――でも、だとしたら、
顔に出てしまった不安に、察した店長がにっこり笑った。
「ヒカリちゃんなら大丈夫」
「そ、そんなに期待と言うか……買いかぶり過ぎと言うか……」
「もしも誤入力があってシステムエラーが発生しても、逮捕連行されるのは、
「へっ!?」
思ってもみなかった、大きすぎる責任の取り方を、笑顔のまま話す店長。
それは、照れながら否定する赤面のヒカリに、思い違いの照れ笑いをさせる間を与えず、青ざめさせる。
「た、逮捕って……」
「これって
笑顔がとっくに消え、固まってしまったヒカリの姿に、店長は吹き出した。
「冗談だよ、ヒカリちゃん」
「……冗談って、どこから冗談なんですか?」
「ホントにヒカリちゃんも、からかい甲斐あるね」
口に手を当て笑う彼を見るヒカリの頬が、ぷぅっと膨らんだ。
ヒカリちゃんなら大丈夫だよね、と膨らんだ頬に再度笑いながら、他言無用の念押しをすると、彼は続けた。
「もしもこれが
憧れの人の
「フレイヤ様のことですか?」
心なしか瞳がキラキラしだした彼女に、店長は頷いた。
「そう。 フォールクヴァング王国の美しき女王フレイヤ様。
「えっ!? 魔物討伐!?」
古より伝わるルーン文字に精通していることは知っていたが、魔物討伐ができるほどの強さを持ち合わせているなどとは思っていなかったヒカリは、思わず声を上げた。
「そう、世界中の誰よりも美しく気高く、慈愛と、魔物に対し臆することなく立ち向かわれる強い心と力をお持ちの、クレバーなお方だよ」
「店長、お会いしたことあるんですかっ!」
店長の言い切るその口調にヒカリは身を乗り出す。
「し、仕事柄ね」
よりキラキラ感が増した瞳に、店長は苦笑した。
「いいなぁ、フレイヤ様は私の憧れの人なんですっ! 一度でいいからお会いしたいなぁ」
「へぇ、そうなんだ」
ヒカリの言葉に、嬉しそうに答える店長。
少し考える素振りを見せると、彼は話を続けた。
「この仕事を一生懸命していたらお会いできるかもね」
「えっ!?」
「二週間後の
「そ、そうなんですかっ!?」
同じ空気を吸える――
そう思っただけで、心が幸せになるヒカリ。
うっとりしている彼女に店長が申し訳なさそうに話しかけた。
「……ヒカリちゃん、話しかけた僕が悪いんだけど、作業急いだ方がいいと思うよ……」
その言葉に、時刻を確認したヒカリの悲鳴が、古本屋に響き渡る。
慌てて作業を再開しようとした彼女の視線の先に、キーボードの横に置いたルーン文字のハードカバーが映った。
――ひょっとしたら読めるかな、なんて思ったけど
夢にまで見た『出会い』を確信するも、それ以上のことは叶わないことを、ヒカリは自覚する。
ページは画像データ化され、本来必要のない
「――ひょっとすると、憧れの人は目の前にいるかもね」
少し離れたところから、レモネードの飲みながらヒカリを見守る店長の呟きなど、彼女に聞こえるはずもなかった。
▲▽▲
「はぁ? 『遣いに行け』だぁ?」
「そうだ、どうせ暇だろう」
トール王が治めるスルーズヴァンガル王国――
ビルスキルニル宮殿の執務室に、ライトは兄の公爵に呼び出されていた。
「『どうせ』は余計だろう」
「事実だろう?」
――オレを『暇』にしたのは誰だよっ!?
城下町を見渡せる自慢の大窓を背にし、机に両肘を立て指を組んで見据える公爵の言葉に、ライトはムッとした。
あの夜から二週間、進展を見せるかと思われたヒカリ捜索は、ここへ来て手詰まり状態となっていた。
フレイヤからの
「やり方が汚ねえぞっ! アプリを使えなくするなんてよっ!」
「汚いのはおまえのその口調だ。 それに私がそんなことをするはずはないだろう」
「よく言うぜ」
この10年間、出来る限りの手を尽くしての捜索が、日の目を見ることがなかった理由を知り、ライトは人間不信に陥りかけていた。
「――10年間、どこにヒカリを隠してたんだよっ!」
「何度同じ質問を私にするのだ、おまえは」
「何度質問しても、兄貴が答えねえからだろっ!」
先日とは違い、本来の落ち着き払った口調で話す公爵に対し、溢れ出る怒りが止まらないライトだけ、テンションが上がっていく。
「おかしいだろっ?」
「何がだ?」
「
執務室に響き渡る、ライトの怒号。
表情ひとつ変えず肘をつく目の前を、イラつく彼の大きく厚い掌が机を叩く。
「何でオレに、教えてくれなかったんだよっ!」
「今までおまえが、ヒカリさまの居場所を、私に聞かないからだ」
身を乗り出し、鼓膜を破るかの如く声を荒らげる彼に、公爵は淡々とその質問に答えた。
「兄貴が裏で手を回してるなんて、思うわけねえだろっ! 知ってたらこんな――」
「だから『無駄なことはするな』と忠告したのだ」
ひとりヒートアップする彼に、10年目にしてその意味をやっと理解した彼本人に、今更答え合わせをする公爵。
ぐうの音も出ない彼を前に、変わらず冷静な対応をしていた公爵の
「では聞くが、
――!
容赦なく『禁句』を放つ公爵。
それよりも『あの時』の記憶に、ライトは一瞬躊躇した。
「だ、だから言ってるだろっ! あんな【
「言うまでもないことだと思うが、これは我が国だけの問題ではない……。 世界中が地獄と化すかもしれなかったのだ」
「だから、それはっ――」
「おまえが信じなくとも、
「……」
真意を見抜かれ言葉に詰まるライトに、無言の公爵が見据えた。
「答えになってねえな……」
いつものお決まりの公爵の
「答える気がないんなら、オレは言うこと聞かねえぞ」
埒の明かない話し合いなど無意味、とばかりに踵を返そうとする彼を、公爵の咳払いがとめた。
「おまえも噂ぐらいは聞いているだろう。 ……ヒカリさまは、
前のめりだった姿勢から、背もたれに体を預けながらの公爵のその言葉に、ライトの眉が不機嫌に動いた。
「……ありえねえよな?」
「何のことだ?」
「いくら、
「……」
「百歩譲ってそうだとしても、ヒカリが
珍しく鋭い指摘をする彼に感心するも、その表情を
「ヒカリさまが、
「親衛隊!?」
「そうだ。 ヒカリさまの身体能力のテスト結果から、私が入学を許可した」
「はぁ? 王女が親衛隊なんて、聞いた事ねえぞっ!?」
「結成以来『女人禁制』の体制を敷いてきたが、時代も変わった」
「そういうことじゃな――」
「ご本人が希望されている上に、テストもパスしたのだ。 何の問題もない」
「テストをパス? あれをかっ!?」
あまりにも厳しい内容に、定員割れする年もあるほどのテストを、ヒカリが受けパスしたことにライトは驚く。
彼の脳裏に
問題発言に加え、想像よりも遥かに華奢なその姿は、再度ヒカリ候補から外させる。
そして、自身の行動は棚に上げての、娘の【リア・ファル】不携帯に首をかしげた。
――【リア・ファル】を預けられるほど、信用している相手ってことなのか? ……てか、
許しがたい失言があったとは言え、癖のある人物に嫌と言うほど接してきた彼が、窃盗など悪事に無縁なごく普通の少女と感じた、あの時のそれ。
そこから導き出した、何処かにいるはずの娘ヒカリの【リア・ファル】不携帯理由ではあったが、それでも理解できない少女たちの軽率な行動に、ライトは更に首をかしげた。
「さて、約束は守ってもらうぞ」
考え込むライトを、公爵は見据える。
胸元から取り出した一枚の紙を、未だ困惑気味のライトに渡した。
「取りに行ってもらいたいものがある。 場所と時刻は、そこに書いてある通りだ」
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