第3話-1 ノルンの予言
「殿下、トール陛下がお会いしたいと仰せです」
スルーズヴァンガル王国 ビルスキルニル宮殿 執務室――
あの「ガス爆発」から一夜明け、その後処理を終えた公爵の下に、
自慢の大窓から城下町を見ながら、公爵は背でその言葉を聞いていた。
「陛下が? 分かった、すぐに伺うと伝えてくれ」
眼下に広がる、いつもの平和な城下町。
――フレイヤ様からの、これ以上ない
胸元から取り出した自身のスマホのディスプレイの金色の点滅を一瞥すると、彼はそのアプリから、あのネットニュースに変えた。
走る白い反射から垣間見える彼の視線が、その画像に向けられる。
――まったく、いつまで私に事ある毎に、
流石に今回はないと思っていたにも関わらず、多分に漏れることがなかった、いつものお約束行動に、怒りを通り越し公爵は呆れた。
分かっているその内容を確認している彼に届く、一通のメール。
画像付きの報告書のそれは、ネットニュースとは掛け離れた真実が書かれており、無事に解決したことを伝えるものだった。
――フレイヤ様も無茶をなさる。 『感動的な再会を演出したい』と言われたからお任せしたが、まさか人身売買のバイヤーのアジトを再会の場に選ぶとは。 ライトを『ご自分を救ってくれた正義の味方』とヒカリさまに印象付けようと思われたようだが、あのライトがそう上手く動く奴ではないこともご存知だろうに……
先程から頻繁に届く、報告書の画像から知れた現場の惨劇と、彼女の無謀なセッティングに、公爵の口からまた自然とため息が漏れた。
――それにしても……
そしてその惨状は、公爵に当然の疑問を投げかける。
――何故、倉庫破壊なのだ? そんなことよりも、ヒカリさま奪還が先だろう……
空振りに終わるいつものヒカリ捜索の結末としてのそれならば、百歩譲って納得するところであるとしても、再会させるためのセッティングのこの結果に、公爵は戸惑いを隠せない。
その答えを探す彼の、続く沈黙。
彼の
――私たちの注意を引かせるための……、ヒカリさまと
無駄な行為だと捜索を反対していた自身に語っていた、ヒカリ奪還後の容認しかねる、ライトにとっては、夢のプランである、
ヒカリ奪還が成功していれば、間違えなく実行していたであろうこのプランも、彼女が無事自宅に戻っていることを確認済みの公爵は、彼が、命と同じくらい大切な【リア・ファル】を、自身の居場所を知られたくないという理由だけで、
――あの状況で、ヒカリさまに会えなかったというのか?
再会確実と倉庫へ出向くもヒカリは居らず、期待を裏切られ落胆するライトの目の前に居たのは、ライトが大嫌いな少女の人身売買を生業とするバイヤー。
八つ当たりの相手として非の打ち所のない、彼らに放たれる
再会が叶わなかったことには疑問が残るも、倉庫爆破の理由としては説得力ありすぎのこの説に公爵は唸った。
しかし――
――だとしたら、アレは一体何なのだ……
公爵の脳裏に、この執務室に訪ねてきたライトの姿が過ぎる。
出した答えに辻褄が合わない、
――
実行されることが確実だったプランの解けない繰り越し理由と、一緒に暮らし始めてから二十六年間経験したことのない、ライトらしからぬ対応に、公爵は安心どころか戸惑う。
――しかも、
今までにない行動パターンの理由を問いただそうにも、それを許さない今までにない不可解な仕草。
『氷のトール』の『高貴な威圧感』を封印させるほどのライトの
公爵の
本来ならばこの執務室で、ヒカリに対し今までの経緯とこれからの人生について、ライトを交えて話をしているはずだった、それとは全く違う今の自身。
彼の整った中指が、
――とにかく、
珍しく感じる焦りは、公爵を立ち尽くさせる。
彼の脳裏をよぎる、いくつかの『再会シュミレーション』。
「――! お待ちくださいっ!」
――?
ドアの向こうから、微かに聞こえる声。
思慮する彼の邪魔をするかのように、そのザワつきはどんどん近づいてきた。
ドアの向こうから、先ほどの近侍の緊張した声が響き、重厚な音を立ててドアが開く。
「殿下、陛下が――」
――!
ドアを開き控える近侍を横切り、執務室に入る気配。
振り向いた公爵に、その気配は彼に微笑みかけた。
公爵と向かい合う、くせ毛の金髪に瑠璃色の瞳。
胸元の金色の、
「陛下、わざわざこちらに来られなくとも、私から出向きましたのに」
「私に気遣いは不要ですよ、兄さん」
そう言うと、王と言われたその男はソファーに腰掛けた。
その様子を見ていた公爵が、遅れて向かいに座る。
女性の使用人が、二人にコーヒーを運び退出するのを見届けると、王はそれの香りを楽しみ一口味わった。
いつものお気に入りの香りと味に、彼から爽やかな笑顔が溢れる。
ふと感じた、向かいからの視線に彼は顔を上げた。
「陛下……」
コーヒーカップを手にしたままの瑠璃色の瞳の彼を見つめる、
いつもの沈黙とは違う、探るようなそれに、変わらぬ爽やかな笑みを湛える表情の奥底で、戸惑いが
《兄貴どうしたんだ? いつもなら嫌味の一つや二つ飛ばしてくるのに》
一言つぶやいたまま黙り込んでしまった公爵を見つめる、瑠璃色の瞳。
やらかしてしまった事態の収拾を、全て任せた上に、
覚悟を決めつつも、兄からの説教を軽減させるための姑息な、
その彼の目の前の
「陛下、ご気分は……ご加減は如何ですか?」
「えっ!?」
《はぁ!?》
身に覚えのない自身の体調不良の気遣いに驚く声が、彼の内の声と重なる。
《ご加減って? 雷撃フィニッシュはいつものことだし、怪我なんて心配されたことなんてあったか?》
戸惑う、内なる彼の脳裏に先ほどのドS女王の言葉が過ぎる。
《『心配そうな表情』ってこれなのかぁ?》
目の前にしても未だ信じられない公爵の態度に、疑問が尽きない、内なる彼。
「……大事ありませんが?」
「そう、……ですか……」
明らかに納得していない了解の言葉が、公爵の口から発せられる。
その後また暫く続く沈黙に、王は手元のコーヒーカップをソーサーに戻すと、すうっと立ち上がった。
「兄さん、昨夜の件でご気分を害されたのでしたら、申し訳ありません」
そう言いながら、頭を下げようとする王を、公爵は制する。
「……分かっていらっしゃるのなら、これからはこのような無茶は謹んでいただきたい」
「それは、
内なる下品な彼の意志が王の品位ある言葉となり、瑠璃色の瞳を見上げる公爵へ伝えられる。
「いくら兄さんでも、これだけは譲ることはできません」
「……」
穏やかながらも、言い切る瑠璃色の瞳。
それに対し、言葉を返すこともなく見上げたままの
《んっ? なんで返して来ねえんだ? ここは得意の『陛下お言葉ですが』の出番だろっ!》
「……」
だがしかし、彼の意に反して兄は依然無言のまま。
今まで経験したことのない公爵の態度に、それは嫌なザワつきに襲われるも、爽やかな笑顔を湛えた瑠璃色の瞳の彼の表情には表れない。
《……やっぱり、
いくら感情を揺さぶられることがあっても、その時の彼の
「兄さん、少々お待ちください」
兄のその態度に、理由がこれしか思いつかない彼は、胸元に隠れている宝石に手を当てると、すぅっと息を吸い込み意識を集中させた。
金色に輝き出す、王の身体。
その光は風となり、王の金色の髪をなびかせる。
ゆっくり浮かび上がる、小さな光の輝き。
彼の身体から放出される無数のそれは彼を包み込み、金色の髪と瞳を元の彼の色に戻し、胸元の
光の余韻の中、現れる赤い髪と瞳。
『氷のトール』と言われる彼すら魅了する、幻想的な美しい【
だが同時に、『神に選ばれしもの』として生まれてきた、弟の『過酷な運命』をも象徴するそれは、いつも彼の心を憂いに沈ませる。
――はぁ……、思いっきり息ができる……
【リア・ファル】の光と共に、ライトから消えてゆく圧迫感。
見た目の変化と、意思が品位ある言動と行動に変換され、場合によっては意思そのものを却下してしまう
すっきりした顔のライトが、ドスンとソファーに座った。
「……」
依然として無言のまま自身を見つめる
「兄貴こそ大丈夫か? なんか……変だぞ?」
――!
ライトのその言葉に、
その動きに、ライトはビクッと反応した。
「おまえに言われる筋合いは、ないっ!」
先ほどの、
心配する自身の気持ちをよそに、逆に心配してくる能天気な
「何故、【リア・ファル】を
声を荒げる公爵に、ライトは青くなる。
――な、なんだよっ? 全然元気じゃねえかっ!
不意打ちをくらい、戸惑うライトを見据える
「大体おまえは、国王としての自覚がなさすぎるっ!」
――!
この宮殿に来て以来、言われ続けたお決まりのセリフに、一度も納得したことのないライトはムッとした。
「自覚も何も、
「おまえを選んだのは誰でもない。 おまえを自分の分身として【リア・ファル】を託した、
口を尖らせ視線を逸らしながら呟くように話すライトに対し、当事者の目の前でその選定を完全否定する公爵。
彼の、
「あぁ、そうだろうなっ!
「今までの行いを見れば、当然のことだろうっ!」
――!!!
またもや公爵の口から放たれる、自身に対する否定的見解。
高貴な威圧感で口数少ない、いつものお説教と違う、今のそれ。
――と、当然……
本当の兄弟ではないとはいえ、
「あれだけ無駄だと言ったヒカリさまの捜索を、いつまで続けるのだっ! 挙句に、犯罪者とは言え
――!?
収まりそうにない公爵の怒りに、萎縮するライト。
そのごもっともな指摘に、ぐうの音も出ないものの、ドS女王から
その表情に、事態を未だ把握していないと思い込んだ公爵は、ため息をつく。
「【神】と呼ばれる【
低い声のまま語りだす公爵に、ライトの顔が引きつった。
――また、その話かよっ!?
事ある毎に語られる、公爵お決まりの【至高の恩寵】の説明に、それを知っているライトはゲンナリする。
「ひとつは、次期【選ばれしもの】が出現するまでの生命の保証――。 ひとつは、【選ばれしもの】の出生と共にそれが住まう宮殿に現れる【
いつものように淡々と語る公爵の口が、いつものようにここで一度止まった。
「ひとつは――」
「【リア・ファル】を吸収することによる【
また語り始める公爵の次を知っているライトは、それを先取りする。
「
「誤解されては困る。 おまえの言う無責任な仮説を支持したことは、一度もない」
直接的、間接的に聞こえてくる、ありがた迷惑の忠告や単なるやっかみとも取れるそれと、同種と弟に思われていると感じた公爵は、即刻反応する。
「私は体感したこと、または事実に基づいた分析結果しか信じないことは、おまえも知っているだろう。 こんなくだらないことを言うために、【至高の恩寵】を持ち出したわけではないっ!」
垣間見える公爵の、こちらを見据え続ける瞳に、ライトもそれに応じる。
「おまえの手元から離れている間の【リア・ファル】は無防備だ。 もしもおまえの存在を良しとしない者の手に渡ったらどうする? 【リア・ファル】の破損は【神】とおまえの『生命の保証』の契約は強制的に破棄され、そこに住まう私たちとの共存関係も崩壊する。 人と共存できない【神】はいずれ死に、私たちも運命を共にすることになるだろう。 それに、破損した時点でおまえの命がどうなるか――」
そこまで言うと、またも言葉が止まる。
自身を見据える赤い瞳を見ながら彼は、
「ヒカリさま探索のために、歴代最強と言われている
公爵の脳裏をよぎる、ライトに寄り添う一人の女性。
もうこの世にいないその姿は、ライトの心から消えることはない。
「おまえがそんな状態だから、
――!
「ご自身が治めるフォールクヴァング王国出身の
つい先程、わざわざ別宅の雑居ビルに不法侵入し、望まぬ『コピーライト』を見せつけられ精神的ダメージを負わされたばかりの、思い出したくもないドS女王を語りだす公爵。
できることなら関わり合いたくないが、自身のせいでそうならざるを得ない、と言わんばかりの口調に、ライトは違和感を覚えた。
「
――えっ!?
思いがけない形で、フレイヤの意味ありげな言葉の意味を知ることになったライト。
――アプリっ!? あれか? ギフトって、
何の告知もなく、知らぬ間にダウンロードされていたアプリ。
その価値を知った時、ヒカリ捜索に人生をかけていると言っても過言ではないライトに、その出処など問題になるはずもない。
「昨夜は【リア・ファル】の探知には絶好の新月だった。 あれから十年間、必死に探しているおまえに、花を持たせようとしていたにも関わらず――」
「えっ!? 花っ!?」
「目的を果たさず、
「どういうこと、って……、どういうことだよっ!?」
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