第2話-2 コピーライト

 それは彼が、忘れることのできない少女の一言に悶えながらの入浴を終え、タオルで赤髪を拭きながらリビングへ入ってきた時だった。


「ごきげんよう」


 誰もいないはずのリビングに響く声。


――!!!


 持っているはずもない高級ブレンドティセーデルブレンドが香るそこで、それを楽しみながらこの部屋の主である赤髪の彼を待つ、不法侵入者の姿に彼は呆然とした。

 驚きのあまり声が出ない半裸の彼を、優雅に紅茶を楽しんでいるそれは、本来ならば見られないであろう爽やかな笑顔で出迎える。


「随分長い入浴でしたのね。 待ちくたびれましたわ」

「お、お、お、おま……」


 その姿と口調に動揺する赤髪の彼を前にそれは、おそらく見ることは、、、、、ないであろう、、、、、、『爽やかな笑顔』のまま、辺りを見回した。


「それにしても、噂にたがわぬ狭さとシンプルさですわね」


 物珍しそうに動く赤い瞳に、必要最低限の飾り気のない家具が映る。

 シンプルなダイニングテーブルの上の、それが持ち込んだソーサーにティーカップを戻すと、赤いくせ毛を手で弄びながら、長いダークスーツのスラックスを組み替えた。


「宮殿からこんなに離れたところだなんて。 あのハヴソール様がここをよくお許しになられたわね、ライト」


 自分なら絶対に無理、と言わんばかりの蔑む一瞥のあと、すぐに戻る爽やかな笑顔。

 再び紅茶を楽しみだしたそれを呆然と見ていた、赤髪の彼ライトの頭からタオルが落ちた。


「お、おまえ……何でここにいる?」


 その存在を拒絶するライトの身体に悪寒が走る。

 どんどん青ざめていく彼へ、恍惚こうこつの笑みを浮かべたそれは、その眼差しを向けた。


「何か、問題あるかしら?」

「大アリだろうっ!」 


 香るセーデルブレンドが、目の前のそれの正体を告げる。


オレのその姿と声で、女言葉口調そんな喋り方するんじゃねえっっっ! フレイヤっ!!!」


 拒絶反応じんましんが出始めたライトの、悲鳴に近い絶叫が雑居ビルに響き渡った。


▲▽▲


「勝手に他人宅ひとんちに入ってきやがって、挙句になんて格好してるんだよっ!」


 自宅だというのに、いつものダークスーツ姿で登場したライトを、長いブロンドの美女が出迎える。


「勝手ではなくってよ。 ハヴソール公爵……貴方のお兄様のお許しはいただきましたわ」


 艶麗な彼女と、バランスのとれないデザインのテーブル。

 真紅のマーメイドドレスの深いスリットを気にすることなく、彼女は足を組み替えた。


「それにこのドレス、貴方の髪と瞳の色に合わせましたのよ。 そんな言い方は――」

「それじゃねぇよっ! さっきの姿だよっ!!!」


 目の前で吼える自身に臆することもなく、持参したお気に入りの紅茶セーデルブレンドの香りを楽しみながら相手をしているフレイヤの態度は、ライトの怒りの火に油を注いだ。


「『神に選ばれし者のみに許された【神技スキル】は民のために使うもの』とかほざいてる割には、こんなところで化け使いやがってっ!」

「その通りですわ、【神技スキル】は民のために使うもの。 わたくしだって、こんなところで使うのは不本意ですわ」


 自身の首回りを飾る彼女の【神器ウエポン】、琥珀のネックレスブリーシンガメンを手で撫でながら、彼女は答える。


「ふん、何、格好つけて言ってやがる! どうせ先代フレイヤ若作りババアの受け売りだろっ!? それに何が、不本意ですわっ、だよっ! 気持ち悪く笑いやがって、楽しんでたじゃねえかっ!」


 目の前での仕打ちに、怒り心頭のライト。

 ヒカリと感動の再会を夢見て出向いたはずの倉庫で、結局感情と倉庫を爆発させてしまったいつものお約束行動に、ライトの脳裏をよぎる『氷のトールの高貴な威圧感』。

 ライトが宮殿に住まうようになった、八歳少年の頃から刷り込まれたそれはトラウマとなり、その威力は二十六年経った今でも未だ衰えを見せない。

 宮殿ではなく雑居ビルここで深夜の入浴の後、闇に紛れて宮殿に戻ろうとあれこれ思案しながらリビングに戻ってきたライトを待っていたものは――

 赤いくせ毛に、赤い瞳――

 深夜であるにも関わらず、しっかり着こなしたベスト付三つ揃えのダークスーツ――

 鏡でもない限り見られないその姿は、オリジナルであれば絶対にありえない妖艶なオーラを纏い、その姿に狼狽する彼に、恍惚こうこつの笑みを浮かべその眼差しを向ける。

 数分前の、その無駄に色っぽい自己像幻視ドッペルゲンガーもどきを図らずも思い出してしまい、またもやライトは背中を一気に走る強い悪寒に身震いした。


「ところで」


 ライトのクレームを無視し、フレイヤは話を続ける。


「今年の陛下、、は、ご自身のお誕生日の祝賀式典に出席されるのかしら?」



――!


 突然振られた話題に、ライトの彼女を見据えていた視線が一瞬泳いだ。


「オ、オレが知るかよっ!」


 ライトと旧知の仲であるフレイヤと二人しかいない雑居ビル3階の一室にも関わらず、長年刷り込まれた『トール王』と『ライト』の区別、、が、彼を反射的に否定の言葉を発せさせる。


「……貴方、、に直接聞くのが一番かと思って、わざわざ人払いまでしましたのに」


 フレイヤの少し不機嫌な声に、ライトの視線が動いた。

 赤い瞳に映るダイニングテーブルの上の、ソーサーとティーポット。

 いつも連れている数人の侍女の不在に、察したライトはため息をついた。


「あの香水の臭いと酒の臭い、それに顔みりゃ能面みたいな腹の中で何考えてるか分かんねー奴らばっかりじゃねえか。 あんなのに出て何が楽しいんだよっ?」


 うんざりした表情を隠さず、吐き捨てるライトの言葉にフレイヤの表情も曇る。


「それが、貴方のお仕事でしょう?」

「オレは、やる、なんて言った覚えねぇぞっ!」


 開き直ったとしか思えない彼の言葉に、フレイヤは呆れた。


「……貴方がそんな状態だから、民のために使うはずの【神技スキル】をこんなところで使わなくてはならないのです」

「な、何、オレのせいにしてるんだよっ!?」


 フレイヤの眉がピクンと動く。

 ティーカップをソーサーに戻すと、彼女は腕組みのライトを見据えた。


陛下の代役、、、、、、いつまで続けなくてはならないのかしら?」


 フレイヤの鋭い指摘にライトの勢いが止まる。


「……別にオレが頼んだわけじゃねぇし……」

「えぇ、公爵様、、、からですわ」


 彼女はため息をつくと自身の胸元から何かを取り出し、テーブルの上に置いた。


――!!!


 見覚えのある小さなジュエリーボックスに思わず歩み寄ると、慌ててその中を確認する。

 淡い金色の光を放つ、小さな宝石。


他人ひとの【リア・ファル】をどこに入れて持ち歩いてんだっ!」


 驚きのあまり一層青くなった彼の表情は彼女を笑顔にし、狼狽うろたえる仕草は彼女に悦びを与える。


「あら、陛下が、、、お勤めを果たせない、、、、、、、、今、わたくしここ、、が、一番安全な場所だと思いませんこと?」

「うるせえなっ! オレだって好きでくすぶってるわけじゃねえよっ!」


 恍惚こうこつの笑みを湛え、自身の痛いところウイークポイントを突いてくるフレイヤの言葉に、ライトは口をとがらせた。

 思い通りの彼の態度に、ふーん、と彼女は鼻を鳴らす。


「そんなに大切な【リア・ファル】を置いて宮殿を抜け出すなんて、どういうおつもり?」


 更に彼を追い込むフレイヤ。


「役に立たねえ、変身アイテム、、、、、、発信機、、、に成り下がった【リア・ファルコレ】を持って出歩く奴が、どこにいるんだよっ!?」


 ヒカリの捜索に手を貸すどころか反対している兄である公爵に、自身の行動を知られたくなかったライトの予想通りの言い分に彼女は苦笑した。


「そこまでしての深夜のお忍びは、何の為ですの?」

「そんなこと決まってるだろうっ! 大体お前たちが散々オレの邪魔を――」

「邪魔なんてしてませんわ、『無駄なことはお止めなさい』って言っているだけ」

「だから『無駄』ってなんだよっ!?」


 納得いかないライトのここぞとばかりに上げた声を聞きながら、フレイヤはティーカップを口元に運んだ。

 香るお気に入りの紅茶をゆっくりと口にしながら、チラリと見る彼の胸元に光るクリップの金色。

 ネクタイを飾るそれを、光が流れる。

 彼の【神器ウエポン】であるそれの美しさに、彼女は目を細めた。


「例えば、こんな深夜に誰もお願いしていない古い倉庫の解体を、貴方の聖なる【神器ウエポン】の【神技スキル】をしてまで行うこと、かしら」


――!


 ヒカリが消息を絶って以降、捜索できるようになった自身の行動を『無駄』と言い続けていた二人に納得いかないライトの声も、しでかしたばかりのいつものお約束行動が足を引っ張る。


――何でコイツ、もうその事知ってんだよっ!?


 成り行き上、派手な解体となってしまったものの現場検証が始まったばかりであろう今回のしくじり。

 いずれバレるとそれの直後に覚悟はしていたもの、嫌味たっぷりのその切り返しの早すぎる使用に、彼は狼狽うろたえた。


「折角のわたくしからのギフト、、、も有効活用できなければ、それも無駄、、ですわね……」


 分かりやすい彼の表情に刺激された彼女の特異な感情が、更に彼を追い詰める言葉を口にさせる。

 決定的なチャンスを逃したであろう彼のこれに対する反応の妄想は、彼女を悦びに浸らせ、語る彼女から恍惚こうこつの笑みを漏らした。

 うっとりと語る目の前のフレイヤに、ライトの眉がヒクっと動く。


「ギフト?」


 その言葉に、ドッペルゲンガーもどきの登場で飛んでしまっていた記憶が蘇る。

 帰宅後、見つけたその場で踏みつけた廃棄処分したバイク愛車に付けられた発信機。


「あれは、おまえの仕業か……」

「仕業?」

「オレのバイク愛車に、鈴つけやがってっ! 一体何考えてやがるっ!」


 落胆するどころか、また喧嘩を売り始めた彼の、期待はずれの反応に驚くも、彼らしい見当違いに呆れた彼女はため息を付いた。


「考えていることは、……出来の悪い弟の幸せじゃないかしら」

「弟っ!?」


 ここへ来る前に会ってきた公爵を思い出し彼の思いを代弁するも、それはライトを困惑させる。


「何、わけわかんねぇ事言ってんだよっ! おまえに弟? 大体お前の国お前んとこ、女しかいないだろうがっ!」

「……下品で粗暴な上、こんなおバカさんの補佐をしなくてはならない公爵様おにいさまには尊敬の念しかありませんわ」

「あ、兄貴!?」

「……あの方を出し抜こうなんて、一生かけても貴方には無理ですわね」


 以前上手くいった奇策も、二番煎じであればそれは所詮対策を講じやすい凡作に過ぎない。

 昨夜自身の動きを眼鏡レンズを光らせながら、つまずく先の杖仕込んだ発信機をスマホで確認している兄の姿が脳裏を過ぎるも、先ほどの一部始終を知っているはずにも関わらず、いつもなら直ぐに来る『帰還命令』が未だに来ない事実にライトの顔は引きつった。

 その表情に、彼の気持ちを察した彼女は言葉を続ける。


「そのことならご心配なく。 既にその件は私が公爵様とお話して、、、、、、、、、、解決済みですわ」



――!!!


 自身の慌てふためく仕草や表情に、恍惚こうこつの笑みを浮かべているドS対応が常である彼女の、今までにない『余計な親切行動』に、ライトは驚いた。


「な、何、余計なことしてんだよっ!」


 得体の知れない違和感が襲うライトに、フレイヤはいつになくしおらしく話しを続ける。


「貴方のこと、とても心配されてましたわ。 私との会話中もとても心配そうな表情で……」

「心配そう!? あ、あの兄貴がっ!?」


 その表情を思い浮かべようとするも脳裏をよぎるのは、自慢の大窓を背に眼鏡レンズを白く光らせながら、こちらを見据える兄の姿。

 リピートされ続けるその映像に、フレイヤの言うそれは出てこない。


「『氷のトール』だぞっ!? それにあの眼鏡レンズの下に隠れている表情なんて、分かるはずねぇだろっ!?」

「ひ、酷いですわ、あんなに貴方のことを心配されているお兄さまに対してっ! 貴方がすべきまつりごと一切を引き受けた挙句、貴方の尻拭いを強いられている毎日を送られているというのに……」


――ど、どうしたんだコイツ、いきなり兄貴の肩なんか持ちやがって! ありえねえだろう!?


 元々あった確執が、ある、、決定的な一件で、犬猿の仲となってしまった二人。

 国際レベルの問題に、二人それぞれの個人的な想いが加わり、それは年を追う毎に深刻度を増していた。

 それを間近で感じていたライトにとって、今のフレイヤの発言は違和感そのものでしかない。


「私、公爵様を誤解してましたわっ! あんな頼りがいのあるお兄様がいる国王は、貴方以外いなくってよ」

「はぁ!? 突然なんだよ、おま――」

「フォールクヴァング王国女王フレイヤを名乗ることを許された、このわたくしが言うのですっ! 間違いはありませんわっ!」

「なんだ、そりゃっ!?」


 あまりの変わりように狼狽うろたえるライトの前へ歩み寄るフレイヤ。


「な、なんだよっ?」


 いきなり目の前に立ったフレイヤにライトは驚く。

 【リア・ファル】を、大きな手ごと白くしなやかな手で包み込むと、彼に優しく微笑んだ。


「いつも優しく見守ってくださる公爵様おにいさまと、お話しを早くされた方がよろしくてよ」


 仲直りを勧める、フレイヤの甘い声と自身の瞳を見つめる潤んだ青い瞳。

 他の男ならば一瞬で心を奪われてしまうであろうそれも、自身をさげすむ言葉に恍惚こうこつの笑みの含んだ瞳を知っているライトにとっては、恐怖の対象でしかない。


――あいつは一体、何がしたかったんだ?


 微笑みながら退散するフレイヤを、呆然と見送るしかなかったライト。

 リビングの窓から差し込む朝日に、輝きを増す手元の【リア・ファル】を見ながら苦悶するも、このあと自身に降りかかる災難など知る由もなかった。

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