第93話 郊外にあるお城みたいな建物でちゅーしたいだけの人生だった

綾城を後ろに乗せて車は走る。


「ねぇ。どこへ行きたいって聞かないの?」


「どこでもいいって言われるのがおちだよ。今のお前ならね」


「そうね。ええ、どこでもいいわ。エディレウザに嫌われない場所ならどこでもいいの…」


 スオウと綾城の二人にはなにか因縁がある。以前綾城が言っていた罪とはスオウにしてしまった何かのことだろう。だから俺は車を走らせる。だけど目的地は定まっていない。とりあえず俺は高速に乗ることにした。全くと言っていい程当てのないドライブがはじまる。





 高速道路に乗ってから綾城は俯いていた顔を少し開けて窓の外を見ていた。そしてぽつりぽつりと口を開いた。


「エディレウザとはブラジルで出会ったの。まだあたしが小さかった頃のこと。知ってる?リオ・デ・ジャネイロ。ブラジルポルトガル語だとヒウ・ヂ・ヂャネイロって言うのよ。ああ、そう。綺麗な街だったわ。大きなイエス様が優しく美しい海を見守っていたの。ごめんなさい話がズレっちゃったわね。両親が旅行で連れて行ってくれたの。でもあたしは愚図だったから両親と街ではぐれちゃったの。それで迷い込んだのが、スラム街。ファベーラって現地じゃ言うんだって。ファベーラは本当に怖かった。雰囲気が違うの。それにぐちゃぐちゃに入り組んでいて。あたしはひたすら走ったの。怖くて怖くて走ったの。高いところへ行けば両親が見つけられるって思って走ったわ。だけどダメだった。その街の子供たちにあたしは囲まれちゃった。本当に怖かった。イカれてるわよ。子供なのに銃を持ってた。他所から来たあたしを彼らはからかってきたの。あたしの目の前で彼らは猫を射殺したわ。あたしは怖くて泣いちゃった。でも彼らはげらげらと笑ってた。あそこは地獄よ。子供たちはギャングの使いっぱしりをやっていたのね。だから大人たちも怖がってあたしを助けてくれなかった。だけどその時助けてくれたの。彼女が…。エディレウザが。ああ、今思い出しても本当に綺麗だったわ。同じ子供で、女の子なのに、銃を見せびらかす男の子たち相手に堂々と立ってたの。あのころはポルトガル語がわからなかったから何を言ったのかはわからない。でも彼女はあたしを守ってくれた。本当にすごかったのよ!あんたにもみせてあげたい!本当に一瞬だったの!エディレウザは目の前の男の子の銃を軽々と奪って近くの別の男の子の額に銃を突きつけたわ。それだけで誰も動けなくなった。そしてエディレウザは男の子の額から狙いを外して、代わりに空に向かって何度も銃を撃ったの。そして彼らはエディレウザを恐れて逃げて行った。そしてエディレウザはあたしの手を引っ張ってファベーラの外に出してくれたの。そして軍警察の交番にあたしを置いていって何も言わずに去っていった。本当にかっこよかったの…世界一素敵でかっこいい女の子だったわ」


 なんとも物騒な話が出てきたが、その気持ちには共感ができる。そんな風に助けてくれる人に憧れは強く抱くだろう。でも意外だ。俺が知るスオウは華憐で可愛らしくそれでいてどこか儚げな女の子だ。ヒメーナが持つエディレウザというかっこいい女の子のイメージと俺の知るスオウというかわいい女の子のイメージはどうしても重ならなかった。人間とはいろんな面を持っている。ある人から見る印象と別の人から見る印象は全く異なっても不思議ではないのだろう。


「あたしがまだ中学生の頃のこと。当時のあたしは深刻なアイデンティティクライシスにあった。どうしても自分の出自に対してのコンプレックスが消えない。自分の自意識と他者のあたしへの認識への食い違いにあたしはぐちゃぐちゃにひき潰されていたわ。そんな時だった。エディレウザと東京で再会したのよ…本当に驚いたわ。新宿の街ですれ違ったの。向こうはあたしに気づいていなかった。あたしはすぐに気がついて彼女を追いかけて声をかけた。あの時は名前を知らなかった。だけど必死に待って!待って!って叫んだのよ。追いついたときにエディレウザはあたしを不思議そうな顔で見てた。向こうは覚えてなかったのよ。あたしはずっと覚えていたのに!そこから親交がはじまったのよ。アイデンティティクライシス。っていうか中二病ね。ハーフ。嫌いな言葉だけどそうとしか形容できないあたしにとって日本では同じようなポジションにいたエディレウザに親近感を覚えた。彼女があたしのたった一人のお友達だった。だけど。だけどね。それじゃあ寂しさは埋まらなかったの。だからあたしはエディレウザにそれ以上を求めてしまったのよ」


 そして綾城は両手で顔を覆った。何かを恥じている。罪悪感に綾城は苛まれているように見えた。涙声で彼女は言う。


「許せないの…自分が許せないのぉ…あたしはエディレウザをひどく傷つけちゃったのよ。自分のエゴで彼女を傷つけた。正しい建前を飾って彼女の誇りを汚した。彼女が大事にしているものをあたしは侮辱してしまった。あたしは恥ずべき愚か者よ。ねぇ常盤…」


「なんだい?」


「あたしを汚してよ。痛くして。お願いだから強く強くあたしを辱めて穢してよ」


 それはきっと罰を受けたい気持ち故の願いなんだろうって思った。俺はすぐに近くの出口で高速道路から降りた。どこか知らない郊外に車はたどり着いた。そして大きな道路をしばらく走るとすぐに寂しい風景の中に無駄に煌びやかで下品なお城が見えてきた。田舎にはショッピングモールとラブホしかデートスポットがないなんていう言葉を思い出していた。俺はそのままそのお城の駐車場に車を止めて、綾城の手を引っ張ってそのお城の中へ連れ込んだ。いろんな部屋があった。その中に一つ面白そうな部屋を見つけてそこにチェックインする。部屋に入って綾城はすぐに泣きながら俺の首に絡みついてキスをしてきた。涙で濡れた彼女の瞳はいつもよりも輝いている。だけどそれは鈍い光で何よりも痛い。


「綾城。目を瞑ってよ。もっと深くつながりたいから」


 綾城は返事をしない。だけど言われたとおりに目を瞑ってくれた。俺は彼女の背に手を回して部屋の奥へと抱きながら連れていく。その間中ずっと舌を絡めていた。そして部屋の奥にたどり着いた。


「ねぇ。常盤。キスだけじゃあたしは汚せないわ。ねぇ早くぅ。お願いだから…」


 失敬な奴だと思う。俺に抱かれたら汚れるとか穢れるとか酷くない?俺はばい菌かなにかですか?むしろ綾城菌な綾城さんを抱いた俺の方が汚れちゃうんじゃないかな?つまり何が言いたいかっていうと。


「でも俺決めてんだ。お前を抱くときは、まずは涙を全部流してやろうって」


「それってどういうこと…きゃ!?」


 俺は綾城の体を抱きしめて横に倒れる。そこには当然ラブホらしくベットが…。なかった。落ちた先で体に浮遊感を感じた。そして目を開けると蒼く揺らぐ世界が見えた。ここはベットの上ではなく、プールの中だった。とても驚いている綾城の顔が見える。その顔には悲しみも後悔も何もない。やったぜ。彼女の顔から負の感情を消し去ってやった。だから俺は笑みを浮かべながら、水の中で彼女にキスをした。そして俺たちの体はそのままゆらゆらと沈んでいく。キスをしたままプールの底をゆらゆらと進んでいく。そしてそのうちにだんだんと体が浮かび上がっていき、俺たちは水面から顔を出した。


「なんなの?!ここってプール?!一体何してるのよあんたは!」


「だってお前泣いてたじゃん。だからその涙を流してやったんだよ。ほら。今のお前はもう泣いてないだろ?」


 俺は綾城の頬に手を当てて、目じりを人差し指でこする。さっきまで彼女は涙を流していた。今はもうプールの水を被ってしまって、その涙はどこかへと消え失せた。


「やっぱりお前は泣いていない方がずっとずっと可愛い」


「常盤…こんなのズルい。ズルいわよ。だってこんなの…こんなの…!」

 

 綾城は再び涙を流す。だけどその顔には悲しみではなくどこかはにかみとうぶな恥ずかしさとが見えたのだ。だから俺は再び綾城にキスをして、共にプールの中に潜っていく。綾城の両手が俺の背中に回る。二人で水の中をキスしながら泳いでいく。再び水面に上がってきたときに綾城は笑顔になっていた。溢れ出る満面の笑み。


「もうなんなのこれ!あはは!バカみたい!あはははは!さっきまですごく凹んでたのに。この世の終わりだって思ってたのに。この先何にも楽しいことなんてないって思ってたのに。なんでこんなにも胸が震えるの?!あんたのせいよね!」


 俺と綾城はおでこをくっつけ合って囁き合う。


「あんたって本当にサイテー。女の子が泣いてるのにこんなにキモチガイイことして誤魔化しちゃうのね。うふふ」


「そうだよ。女の子が泣くのを邪魔する悪い男の子になりたいってずっと思ってたからね。そんな野望を叶えてくれてありがとう。くくく」


 俺たちはプールの真ん中でただ優しく互いの唇を奪い合った。綾城の顔にもう涙はなくなっていた。













***作者のひとり言***



いくつか用語を補足しておきますね。


リオ・デ・ジャネイロ

ブラジルの大都市です。ポルトガル語ではヒウ・ヂ・ヂャネイロと発音します。


ファベーラ

スラム街のことをブラジルではファベーラと呼びます。


軍警察

ブラジルの警察は市民警察(ポリーシア・シビル)と軍警察(ポリーシア・ミリター)の二系統が存在します。



スオウさんはヒウのファベーラの出身です。いろいろあって家族で日本に来ました。

スオウさんのご先祖様には一人日本人のブラジル移民がいますが、スオウさんとヒカルドやご両親にはとくに自分たちが日系人であるということへのアイデンティティはないです。人種混淆が盛んだったブラジル人なので、特に自分自身のルーツにこだわりはないです。外国への出稼ぎを考えていたころにたまたま自分自身の戸籍を辿ったら日系だったので、日系であることを利用して日本の労働ビザを取ったのです。当人の日本への意識は安全な国で出稼ぎ出来てラッキーくらいの印象ですね。

ちなみにですが、スオウさんは綾城さんより何歳かお姉さんですね。カナタ君よりは当然年下ですけど。





ところで今回のお話はどうでしたか?

カナタ君はひどい奴ですね!女の子が泣いてるのに、プールに突き飛ばすなんてまさに反社ですよ!!


個人的には今シーズン最大のエモシーンになったような気がします。



ではまた次回!

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