第30話 打ち上げまでのワクワク感は異常

 金曜日の放課後。俺と綾城たちは田吉寮の広場にて、ゴムボールとプラスティックバットにて野球に興じていた。今日はミランの学生劇団の合否発表が電話で来る予定なのだ。どうせ葉桐あたりの妨害でお祈りがくるのはわかってるけど、それでも俺たちはそわそわしていた。だから野球で気分を誤魔化していたのだ。


「理論上!この回転数と確度で投げれば綾城さんは100%!うち取れます!ちぇすとおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 ピッチャー楪がボールを投げる。意外にしっかりとした球筋だった。なお今日の楪は少し短めのスカート。キャッチャーの俺から見える、少しふわりとするスカートの裾から見える太ももが眩しい。だけどそんな天然あざと可愛さも綾城には通じない。


「甘いわ!理論を根性が超える瞬間を見届けなさい!!ちぇすとがえしいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」


 綾城は外角少し低めの球を思い切りスイートポイントでとらえて外野に向かってぶちかます。このまま行けばヒットは間違いなし。そう思われたかに見えたが、なんとボールが飛んで行った方向に、ミランが丁度立っていたのだ。


「くくく!あーははは!!これが数学の力です!!なにも綾城さんを直接三振にする必要なんてないんです!!外野のいるところに打たせてキャッチさせればいいだけのこと!」


「そんな?!敢えて打たせることであたしを討ち取る?!これが捨てがまりってやつなの?!恐るべし薩摩おごじょぉ!!」


 いや、これ普通の野球ですよね?それにどうせ、なんかこれオチがつくんだよ。そのとき、ミランの懐からピピピと着信音がなった。


「電話きた!!!みんな電話来たよ!!取るよ!でんわとるよ!!取っちゃうよ!!」


 フライはミランの横に落ちてころころと転がっていく。


「いやああああああああああああ!!計算通りにボールがフライしてるのにぃ!いやアアアアアアアアアアアアアアアア計算が!わたしの計算がぁあああああああああああああああああ!!」


「うぇいえええええ!!これが計算じゃ測れない人間の力よ!楪!!あんたは人の魂を舐めていた!!それが敗北の理由よ!!!」


 綾城はダイヤモンドを悠々と走り、楪はマウンドで青春の涙を流していた。…これが俺たちのクオリティかぁ…!ここは本当に最高学府なのだろうか?激しく疑問である。



******




そして電話応対していたミランが俺たちの方へとやってきた。どことなく困惑気な顔だ。


「えーっとね。ハンズフリーにするからみんな聞いてね」


 戸惑いながらも俺たちはスマホに耳を傾ける。すると聞こえてきたのは。


『よう。覚えてるか?俺だ。天決騎衝だ』


 まさかのツンデレおじさんの声が聞こえてきた。世界的な演出家がわざわざ電話してくるとか、逆にこえーよ。綾城たちにも天決先生の話はしてあるが、2人とも困惑感を隠せてない。


『まずいい話からだ。学生劇団は不合格だ』


「うぐぅ!?」


 わかっていたこととは言えども、ミランはダメージを受けていた。綾城が優し気に背中を撫で、楪が胸元にミランの頭を抱き寄せて慰める。


『あんな演技をすれば学生劇団じゃ迷惑極まりない。周りから浮く演技は駄目だ。お前、あれだろ?ダンスパフォーマンスとかでもグループで一人だけファンがついてるタイプだろ?ちがうか?ん?』


 天決先生仰る通りです!ミランの演技を見ただけで普段やってることもわかるなんて、一流演出家の人間観察力のか。


『おおいに反省しろ。そして悪い話をしてやろう。お前を躾けてくれそうな師匠代わりの役者や演出家は見つからなかった。知り合いみんなにお前の演技の動画を見せたが、手に余るから嫌だとの回答だ』


「うがぁああ!!」


 ミランにかなりのダメージ入ってるぞ!天決先生のツンデレ語を翻訳すると『お前の才能は他の人たちでも指導は持て余すから無理☆』ってところみたいだけど、それでも指導者が見つからないのはけっこう今後を考えると辛い。


『だからお前の指導は仕方がないから消去法で私が担当することにした。お前のような役者を業界に解き放つのは周りの迷惑だ。お前のしつけは私がやる。まあ安心しろ私はパワハラはするがセクハラしない』


「天決先生!!ボクうれしいです!ありがとうございます!パワハラいっぱい御願いいたします!」


 再程までの落ち込みから一変、ミランは体全身で喜びを表現していた。こっちも笑顔になるような嬉しがり方をしている。ただ疑問は解消しておきたい。


「天決先生すみません。常盤ですが、疑問がいくつかあります。お答えいただけませんか?」


『ああ、かまわない。葉桐と俺との繋がりを考えればその疑問はもっともだろう。どうぞ』


「葉桐はミランの指導を天決先生がするのを面白く思わないはずですが、それでもミランの面倒を天決先生が見てくださって大丈夫なのですか?彼女の将来を危険にさらす可能性があるのなら、話は断らなければならない」


『もっともだな。だがその点は心配しなくていい。一つ勘違いがあるから訂正しておこう。葉桐が気に入らないのは、伊角が手元にいないことであって、伊角が成功をすることではないのだ。俺も葉桐に探りと確認を入れたが、伊角を指導して役者として成功させることそのものには奴にもメリットがあるようだ。成功後に何らかの取引を持ち掛けて自分の陣営に引き込みたいみたいだな。あいつは良くも悪くも伊角の才能そのものを買っているんだ。それが伸びる分にはかまわないようだ』


 なんともよくわかんねぇ。葉桐は器が狭いやつなのは間違いないし、悪党なのだ。ミランに妨害を仕掛けてくるんだろうなって思ってたが、その心配はないらしい。


『あいつは色々仕事を抱えている。率直に言って、伊角一人にかまけているわけにもいかないのだろう。言い方は悪いが稲穂が実るのを待って刈りに来る方が効率はいいだろうさ。伊角が芸能界で何らかの妨害にあうことはないと考えてもいいぞ。私もそこらへんにはちゃんと目を光らせておく。お前たちの若々しい演技を見て俺も腹くくったさ。葉桐にはしばらく協力するが、いつかは手を切る。伊角、私はお前をいつか対等な仕事相手として演出してやりたい。そう思ったよ。その夢は必ず叶えるさ。ああ必ずな』


「天決先生…!ボクはなんて言ったらいいのか…とても光栄です!」


 ミランが感極まっているのか涙を流している。これまでの努力が一つ報われたのだ。彼女は意外に苦学生的な生活をしてる。その中でここまでのチャンスを勝ち取ったのだ。嬉しくないわけがない。


『別に気にするな。私が偉いのではない、お前が頑張っただけのことだ。感謝なら隣にいる男にしてやれ。私は何も大したことはしてないのだからな。詳細はおって連絡する。所属する事務所も大手の安心できるところに放り込んでやる。お前は自分の芸の事だけ考えろいいな?』


「はい!わかりました!!」


 今回の剣はこれで安心だ。努力が報われることほど素敵なこともない。ミランの才能は葉桐の下にいれば輝くことはない。だけどこれで未来が一つ変わるのかもしれない。その予感にドキドキを覚える。


『常盤くん。ちょっと男2人で話せないかな?』


「あ、はい。わかりました」


 俺はミランのスマホを借りて、ハンズフリーモードを終わらせる。


『伊角には一つ言いづらいことがあるんで、君に伝えるから心しておけ』


「…はい。御願いします」


 なんか声が心なしか神妙になっている。これはガチっぽい話だ。俺は顔をしゃっきッと引き締めて話の続きを待つ。


『あいつの演技なんだがな。致命的な弱点がある』


 ごくりと唾を飲み込む。これは未来にとって重要な指摘に思える。続きを聞くのが怖い。だが俺は覚悟を決めて続きを聞く。


『処女を通り越して童貞のファンシーさが臭ってしょうがないんだ』


「はぁ?なんだぁってぇ?」


『処女は男を知らないから、恋愛なんかに幻想を強く抱くと言われがちだ。だがそれはそれで、その感情は演技にリアリティを与えてくれる。だが童貞臭さいかん!だめだ!伊角は女なのに童貞臭いんだ!処女以上に夢見がちなファンシーさが演技にはあるんだ!!それはそれで観客を魅了しうるものだが、演技の引き出しは増やしてほしいのだ。常盤くん、伊角に男を教えてやれ。刻み込め!男という存在のリアリティをな』


「すみません!天決先生!もっとわかりやすい言葉で言って欲しいなって!!」


 いや、本当はわかってるわかってるけど、ここで先生が恥ずかしがってツンデレしてぼかしてくれたら聞かなかったことにできる。


『いいからセックスしろ。以上だ。異性経験は感情を強く引き出す。役者の大いなる武器だ。多くの恋をしてもいい、一つの恋を極めてもいい。だがないのは駄目だ。童貞の演技など見るに耐えない』


「あー言っちゃった!言っちゃった!言っちゃった!!!もう!なにそれー!」


『なにを恥ずかしがっている?大学生ならあいさつ代わりにセックスするくらいの心持でいろ』


「そんな大学生ばかりなわけないだろうがよぅ!!」


 大学生=酒、セックス、パリピ!みたいなのやめて欲しい。前の世界じゃその三つには恵まれてなかったんだからな。


『べ、別にお前の為にいってるんじゃないんだ!伊角の為なんだからな!』


「余計悪いわ!!なにがセクハラしない!だ!俺にはしてんじゃねぇか!!」


『これはセクハラではない!!芸術の為だ。ではまたな。次は非童貞女になった伊角と顔を合わせたい。期待を裏切るなよ』


 そう言って天決先生は一方的に電話を切ってしまった。とりあえず聞かなかったことにしておこう!!それがいい!


「なんか盛り上がってたみたいだけど。何の話だったの?」


 俺と先生が通話中は傍から離れていたミランが俺の傍に寄ってきた。無垢な笑顔で俺に問いかける。


「ミラン。君は童貞女のままでいてくれ。それも個性だからな」


「いやだよ!?童貞は嫌だって!何でボクそんなに童貞って言われちゃうの?!なんか臭うの?!童貞の臭いがしてるの?!いやああああ!!」


 頭を抱えてミランは悶えている。処女には価値があっても、童貞には価値がないからなぁ…。でも世の中に一人くらい童貞な女の子がいてもいいと思わない?とくだらんことを考えていた時だ。綾城と楪も俺の傍に寄ってきた。


「さっき三人で話してたんだけど、今日は打ち上げすることにしたわ。ミランがなんかあたしたちに誘いたいところがあるんだって」


「渋谷ですよ!渋谷!わたし渋谷って通り過ぎるだけで街に降りたことないんですよ!楽しみです!きっと大人な街なんだろうなぁ…」


 どうやら女子陣がすでにプランを決めているそうだ。当然俺は。


「いいね!渋谷!まさに大学生っぽいじゃん!楽しみぃ!ひゅうーー!!」


「「ほぉおおおおおおおおお!!!」」


 俺たちさんにはパリピっぽく右手を天に突き上げて、パーリィーパワーを貯めこむ。


「ふふふ、童貞、童貞、いいやボクは童貞じゃない!それを今夜証明してみせる!!じゃあ三人とも9時半くらいに渋谷のハチ公前に来て!待ってるから!!」


 フラフラしてたミランは打ち上げだからか、シャキッとなって俺たちに場所と時間だけ伝えてから、走って寮の広場を出ていってしまった。


「九時半まで結構時間あるわね?勉強でもする?」


「そうですねー。図書館なら空いてますし、勉強しましょうか」


「お前ら変なところで最高学府の学生感あるよね。まあ勉強するか」


 俺たちは図書館に向かった。約束の時間までは取り合えず勉強することにしたのだった。


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