第29話 跳ね除けて、飛び跳ねて

 俺とミランは嫁がカウンターから戻ってくる前に、控室に戻った。ミランは明らかに落ち込んでいた。隅っこの壁に背中を預けて膝を抱えて座る。


「ごめんね、常盤くん。ボクはとっくの昔にあの男に捕まってたんだ。全部無駄だった。君たちとやった事全部…あんなに楽しかったのに、あんまりだよ…」


 天決という演出家はそれほどに恐ろしい存在のようだ。ここに連れてこれるということは最初から、駄目だし喰らうのは確定しているってことだ。葉桐が天決に芸能業界でミランを干すように命じてお終い。連れてきたのは確実にミランの心を折る為。同時に俺へのマウントだろう。自分の権力を誇示してる。前の世界でのミランは芸能界では成功していないはずだ。少なくともよくテレビを見るようになった社会人以降では見てないし、知り合いの嫁が話題にも出してないってことは恐らくそういうことだ。ただ夏以降に葉桐はテレビ番組で活躍する。もしかするとその中にはミランはいたのかもしれない。正直に言ってミランを使ってやりたいことを想像するのは恐ろしい。考えたくもない。ミランは葉桐に使い潰される。それがきっと前の世界の結末であり、今この世界で目の前に見えている恐怖だ。


「本当に楽しかったんだよ!本当に!あんな風にみんなでワイワイと騒いで遊んで助けられることなんて初めてだったのに!なのにぃなのにぃ…ううぅ…」


 ミランは涙ぐんでいる。まだ溢れてないだけでいずれは涙が零れ落ちるだろう。そんなのいやだ。絶対に嫌だ。今ミランが泣いているのは、俺のせいだ。俺は葉桐を避け続けていた。前の世界で俺はあいつには勝てなかったから。嫁が選んだのはあいつであって、俺じゃなかった。だけど今。今目の前にいるミランは、葉桐ではなく俺を選んで頼ってきたんだ。なのに俺はそんな女の子に何も与えてやれないのか?いいや。そんなことはない。そうはさせない。俺はミランの目の前にしゃがみ彼女の頭を撫でる。


「ミラン。ミラン、聞いてくれ。今回はあいつに先回りされてしまった。確かにお前の夢はさっきにあいつに潰された」


「うん。でもいやだよ。あいつのところに戻るのは嫌だ。夢以外さえもあいつはきっとボクから奪ってくつもりだ。あいつの傍にいるつまんない女たちみたいに空っぽになっちゃうんだ。そんなのいやぁ…」


「ミラン。ミラン、大丈夫。大丈夫。俺は今決めたよ。ミラン、俺はあいつからお前とお前の夢を必ず守ってみせる」


「そんなこと。いくらキミでも」


「出来るよ。絶対にできる。だって君は俺の事を選んだじゃないか。俺は君に選ばれた。俺と葉桐。その両方を見て君は俺を選んだ。俺は君に選ばれた男だ。だから出来るよ。なんだってね!」


 俺はミランの手をひっぱり、ともに立ち上がる。


「そうだな。あいつが妨害してくるなら正面から倒してやる。そうだな。芸能界から弾かれても、俺はお前の為のステージを作ってやろう。劇場も劇団もお前の為に全部与えてやる。お前の夢は俺が預かった。全部全部叶えてやる」


 選ばれた男は何だって出来る。俺はミランに選ばれた。楪も俺を選んだ。2人は葉桐の手を振り払って俺の懐に飛び込んできた。ならば守り育み夢を叶えてやろう。そう思った。


「でも…ボクは、きゃっ!っ…あ」


 俺はミランの頬にキスをした。綾城大先生はこうやって女の子の気持ちを切り替えてやれって俺に教えてくれた。ミランは頬を赤く染めて俺を見上げている。瞳は潤んでいる。だけどそれはさっきまでの恐怖じゃない。もっと別の何かだ。俺はミランの赤い瞳を覗き込む。


「ミラン。今の君はとてもいい顔をしているよ。でもこの間の日曜日のようなことの続きはいまはしてやらない」


「…どう…して?それをしてくれたらボクは…」


「して欲しかったらステージに立て。魅せつけてやろう。葉桐とお偉い先生様に俺たちのステージをな。そして悔しがらせてやれ、どうして自分は俺たちのことを客席から見ているだけなんだってね」


 今回のステージ。政治的な意味で言ったら、もう負けは確定しているんだろう。芸能界で強い影響力を持つ人物さえも押さえている葉桐に今はどうしたって勝てない。あいつの底は浅いのに、作り出す悲劇の闇は深すぎる。だけど今のミランのお芝居にはその闇の中でさえ輝く力があるはずだ。俺たちは必ず未来で勝つんだ。そのための誓いの舞台だ。


「ミラン、舞台に立て。俺と一緒に」


 ミランは目を丸くしている。唇を引き結んで何かを堪えるように拳を震わせて俺の胸に寄りかかってきた。そして顔をあげる。その瞳には確固たる決意の光があった。


「うん!立つよ。キミと一緒に!魅せつけてやるんだ!あいつに!ボクは葉桐になんかに身を委ねるほど安い女じゃないって見せてやるんだ!!」


 俺はミランの言葉を聞いて笑う。もう大丈夫だ。



 私は美魁の順番を待っていた。思っていたほど演劇は面白いものじゃなかったから。それに同じ台本をずっとずっと繰り返しているのが酷く退屈だった。となりの宙翔は時に頷いたり、なんか蘊蓄を言ってみたりしてたけど、私にはよくわからなかった。誰が立っていても顔が綺麗かどうかとかそんなことしかわからない。


『次は13番。皇都大学、伊角美魁さんの演目です』


 アナウンスが入り、拍手が鳴りひびく。舞台に照明が差して、そこに美魁と彼が立っていた。


「本当に常盤くんが舞台に立つんだね。お芝居の経験あるのかな?」


「さあね。でもどっちにしても無駄だよ。彼はもう何もできないんだからね」


 また何かよくわからないことを言っている。きっと数合わせで頼まれたって言いたいんだと思う。今日はゲーノー界の偉い人が来たって宙翔は言ってた。その偉い人と宙翔がお喋りしてたけど、私にはただの禿散らかった普通のおじさんにしか見えなかった。宙翔の夢はとても大きいらしい。よく知らないけど。だからいつもあっちこっちに飛び回って禿散らかったおじさんや化粧の濃いおばさんたちとカイショクばかりしてる。私もたまに連れていかれる。美味しい御飯と美味しいお酒が飲めるから許してるけど、ぶっちゃけめんどくさい。よくわからないお話を聞き流しながらニコニコするのも結構カロリーを使うんだ。宙翔はそれがわかってないからなぁ。そんないやなことを思い出してしまったのが、美魁には申し訳ないなって思う。だけど。そんな私のくだらない思考は舞台から響く男の声で吹き飛んじゃったんだ。


『君の事が好きだ!!』


 一瞬心臓がきゅっと締まるように感じがした。常盤君の声がひどく挑発的になのに心地よく私の耳を撫でていったの。


『ごめんなさい。今の私はまた恋なんてできないの』


 美魁は常盤君の告白を断った。何で断っちゃうんだろう。あんなに心地いいのに。普段、常盤君と話していてもそう思っていた。ぶっきらぼうでちっとも優しくないし、きっと私のことをおバカだと思ってそうな上から目線。だけど声は。声は不思議と私を気遣うような優しいもの。宙翔以外の男の子は私と話すとき、いつも声を震わせたり、固くしてたり、猫撫で声みたいでキモいのに、彼だけはいつもやさしいのに。告白を断った美魁に私は多分怒ったと思う。イラっとした。でもよくよく考えたらそれはお芝居の話であって、美魁の演じる役のことなんだった。


『君の昔はわからない。でもこれからはずっと一緒にいられるんだ!』


 常盤君は美魁の手を握る。2人は見つめ合う。美魁ははじめは戸惑っていたのに、だんだんとその顔は笑みに変わっていく。それはそれはとてもとても綺麗な笑み。女の私でも夢中になってしまいそうな綺麗さ。会場にいるみんなも美魁の放つ魅力に夢中になってるのがわかった。


「伊角さんはやっぱりすごい才能の持ち主だね。会場の皆が魅了されてる。理織世もそう思うだろ?」


 隣の宙翔が私に声をかけてきた。煩いなって。宙翔はいつも口うるさい。宙翔は私の為を思っていることをわかってるから黙ってるけど、今のは違う。美魁の話なんて私は今したくないんだから。


「黙って。見てるの。私まだ見てるの」


 手を握っていた常盤君は美魁の手を放した。それにちょっと嬉しさを覚える自分がいた。告白を断るような女の子の手を握るのはやっぱりだめだよ。いけない。お芝居の話なのに、どうしても現実とごちゃごちゃにしちゃう。…あれ?なんでごちゃごちゃにしてはいけないんだろう?常盤君が誰か別の女の子手を握っていて何か問題があるのかな?別の?別って、何と別なんだろう?いやだな。こんな風に混乱させてくるのはよくないよ。きっと常盤君は大根役者なんだ。だからお話がよくわからなくなっちゃった。


『ずっと一緒にいて。私の傍にずっと』


『ああ、愛してる。ずっと一緒だ』


 気がついたら二人は抱き合っていた。常盤君が美魁を抱いている。だからそういうのよくないよ。どうしてわからないんだろう。やっぱり演技が下手糞なんだろうな。だから気持ち悪くなっちゃった。今度学校で文句をいってあげなきゃ。私は席から立った。


「おい、理織世。何で立ってるのさ?まだ終わってないよ」


「常盤君の演技下手糞だからキモい。一服してくる」


 もちろんタバコじゃない。常盤くんがいつもやってる缶コーヒータイムだ。彼が私を気持ち悪くしたんだから、彼のやり方で気分転換しなきゃ辻褄が合わない。私は劇場の外へ出た。廊下を歩いて外を目指す。早く常盤くんのいない場所の空気が吸いたかった。顔が熱かった。そして息苦してなにより胸が痛かった。そして後ろから大きな拍手と歓声の音が響いた。よかった。最後まで居たら空気に乗せられて常盤君を褒めちゃうところだったんだから。私は劇場のあるビルの外に出て思い切り息を吸ってはいた。だけど胸のつかえはそれからしばらく抜けなかったんだ。






 大歓声と大きな拍手に包まれながら、俺とミランは客席に向かって御辞儀をした。演技は大成功だった。客席にいる綾城は親指を立てていた。楪はハンカチを噛んで泣き笑いしてた。


「常盤くん。ありがとう。本当にありがとう…!!どんな結果でもかまわないよ!!ボクは君とここにいられて本当によかった!」


 ミランは半泣きながらも笑みを浮かべていた。その笑みはとても美しいものだった。この笑みを葉桐には渡さない。俺は奴の方へ視線を向ける。葉桐は禿散らかったおじさんと何かを話していた。俺たちの方なんかちっとも見ていない。だけどすごく不機嫌そうな顔をしている。それに嫁はそばにいなかった。トイレにでも行ったのか?だけど嫁は友達が出ているのに途中で抜けるような奴じゃない。嫁の反応が気になるが、葉桐がなんか不機嫌そうな顔してたから、まあいいと取り合えず納得して俺とミランは舞台の裏に下がったのだった。




 そして控室に向かう廊下の途中で、葉桐と謎の禿散らかったおじさんと会った。葉桐は不機嫌そうに俺を睨んでいる。


「伊角美魁だね?葉桐から色々聞いてるよ」


「え?ええ?!あ、はい!ボクが、いいえ、私が伊角美魁です!天決先生!!」


 この禿散らかったおじさんが噂のパワハラおじさんらしい。顔や服装には特段特別目立つところはない。だけど瞳だけは違う。なんともギラギラした鋭い瞳を持っている。


「さっきのお芝居。なんだあれは?どういうつもりであんな演技をした?」


「え…いや…その!今の自分の気持ちを素直に表現したかったからああしました!!」


 さっきのお芝居、よくよく考えると俺たちはかなり調子に乗ってたような感じがある。台本のセリフは守ったが、どうせ葉桐の所為で落ちるんだし、後悔の内容に全力をだして好き勝手にやろうってお互いにいいあったわけだ。それが良くなかったかな?でも舞台の上からでも観客の反応は良かったように見えたし、ミランは恐ろしく美しく見えたけど。


「素直ねぇ。まったく若いやつはすぐにこう調子に乗る。お前は早く誰かに躾けられなきゃ駄目だな。全く駄目だ。話にならん」


 禿散らかったおじさんはそう吐き捨てて。そっぽを向いてしまう。残念ながらお眼鏡には叶わなかったような感じだ。だけど別にいい。俺もミランも後悔はないのだから。だが葉桐は天決のその言葉を聞いて少し調子が戻ったのか笑みを浮かべている。


「天決先生。2人にははっきりとおっしゃってあげてください。それが彼らの将来の為になりますからね!ちゃんと反省を生かさないと!」


 楽しそうに宣う葉桐を思い切りぶん殴ってやりたい。流石に堪えるが。それくらいにはウザい煽りに聞こえる。


「うん?今のでわかるだろう?伊角は躾けなければいけない。じゃないと今後他の演者に迷惑をかけてしまう。あの芝居は駄目だ!まったくなってない!!せっかく美しい容姿を持ち、よくそれを表現できる体をもって生まれたのに、あの感情は本物過ぎる!!それでは駄目だ!あそこは舞台の上なんだ!!あれでは本物過ぎる!じゃないとそういう芝居は長い公演では息切れしてしまう!まるで原子炉のような役者だなお前は!危なっかしすぎる!だから早く自分の力で飼いならすことを覚えなけらば行けない!共演者に頼って自分の才能を引き出すのは悪くはない!だがお前自身の力でより高みを目指すことを視野に入れなければいけない!まったく!なんて駄目な役者だ!話にならん!!本物過ぎる芝居はいらん!次はもっと美しい嘘をつけるようにしろ!いいな!!」


 …何このおっさん?すごく国語ちからが試されるんですけど?世の人々はこれをツンデレっていうのかな?禿散らかってるからツインテールなんてできないのに?


「あの天決先生。…伊角さんには才能があると?」


「…べ、別にそこまで言ってないだろうが!この娘はとにかく役者として躾けないといけない!一から丁寧にやり直さないと駄目なんだよ!!じゃなきゃ舞台に立たせてやれないだろうが!!」


 やっぱり褒めてるよね?才能を認めてる感じだ。葉桐も国語ちからはあるのだからわかってるんだろう。笑みはすぐに消えて、不機嫌さを隠さなくなった。


「天決先生。今日は厳しく仰っていただくようにお願いしたはずですが?」


「ああ、厳しくいっただろうが!伊角の芝居に駄目だしした!約束は守ってるぞ!」


「屁理屈だ。僕の言ったことをお忘れですか?」


「わかっている。だが私は演劇については嘘をつかないと決めている!あの馬鹿のスキャンダルを流したければ流せ!!もともと奴の失態だ!師として庇うところの筋は通したつもりだ!それ以上は知らんな!!ふん!」


 天決はどうやら葉桐の味方ではないようだ。会話からすると弟子のスキャンダルが漏れることを庇っているようだ。だがそれは自分の仕事人としてのプライドに勝るものではないようだ。


「っち。わかりました。まあいいでしょう。あなたは代えのきかない人だ。これからも僕との友情は大切にしてくださいね。今回はいいです。ですがあまりにも目が余ることをするなら…」


「ふん。好きにしろ。私には髪もなければ家族もいない。名声も納得いく作品も、もう十分に積み上げてる。人生などいつ終わっても後悔などない!」


「まったく…芸術家は理解できないな…では失礼させてもらいます」


 飼い犬に手を噛まれたであろう葉桐はバツの悪そうな顔をしていた。俺たちに向かって悪態をつくことさえなく、その場をすぐに立ち去ってしまった。そしてツンデレハゲと俺とミランがその場に残されてしまった。


「ふん。勘違いはやめろ。お前ら個人の為ではない。私には業界のために後進を育てる義務があるんだ。お前の芝居などまだまだだ。せいぜい今後も稽古を怠らず、表現の歓びを追究しろ。いいな?」


 ツンデレ禿散らかりおじさんはそれだけ言って、颯爽と去っていった。なんだろうカッコいいなって思いました。ミランと俺は互いにくすりと笑った後、彼の背中に向かって礼をした。それは彼の姿が見えなくなるまで続いたのだった。




***作者の独り言***


そろそろシーズン1出会い篇みたいなのが終わりますので、そこまでお付き合いいただけると嬉しいです。


早く色々と馬鹿話がやりたいなって思ってます。


楪ちゃんの初めてのバイト

常盤組最強麻雀決定戦

ミランちゃんのコスプレデビュー

ケーカイ先輩の最強お持ち帰り講座

キリンちゃんの港区女子の流儀

綾城さんのガチで意識高いサークル活動

楪ちゃんのオタサークラッシュ物語

楪ちゃんとのアキバデート

常盤組夏コミ探訪

ナイトプールモテモテイベント

などなどを予定しております。

本作は大学生ものなんで、一杯バカやりますよ!よろしくです!


なお次回は四人での打ち上げです!多分渋谷辺りが舞台。お楽しみに。

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