第28話 チャンスの裏側に迫る闇

 インカレ大学生劇団のセレクションは渋谷にあるそこそこの規模の劇場で行われることになった。根が陰キャな上に動画サービス上等系現代っ子な俺にとっては劇場とは陽キャ以上にアウェイ感が強い気もした。


「最近はさ、動画サイトとか人気になってきてるじゃない?だけどね、やっぱり演技は生ものだと思うんだよ。ボクはもっと多くの人に劇場に足を運んで、役者の生の演技ってのを楽しんで欲しい。ネット越し、画面越しにはない感動がそこにはあるからね…」


 とミランは感慨深そうに言っている。今日の彼女はちょっとセクシーに着崩したスーツにハイヒールを合わせてる。俺も彼女に合わせてビジネススーツだ。これが今日の衣装だ。今回の課題の台本はめっちゃ薄い。薄い上にどんな状況なのかも書いてない。これは役者の想像力を試すためらしい。実際他の志望者たちが控室にひしめいているが、みんなバラバラな格好をしている。時代劇みたいな和装や、洋風のドレス、中にはビーチ設定なのか水着を着ている奴らもいた。変わっていればいいのだろうか?俺たちみたいな普通の服装は逆に浮いているような気がする。


「へぇ。俺演劇なんて見るの初めてなんだよね。俺たちの番が終わったら客席行ってみようかな?」


 演者たちの身内が応援に駆け付けているので、100以上ある客席はすべて満員だった。綾城や楪も見に来てくれている。地味にマスコミ関係者なんかも来ていて、注目度の高さが伺えた。未来のスターの発掘も兼ねているのだろう。このインカレ学生劇団は過去に何人もの有名俳優を輩出してきたそうだ。だから今日はミランの将来にとってとても大切な日である。


「それはいいね。是非とも見ていって欲しいな。今回は高校の時に演劇の全国大会とかに出て賞を取ってた人たちとかも普通に出てるからきっと面白いと思うよ。いっそこれを気に常盤君も演劇に目覚めたりしてみない?アハハ!」


 ミランには過度な緊張や不安は見られなかった。ぶっちゃけ不安はなかった。俺自身も前の世界では今日来ているお客さんたち以上の人たちの前で自身のデザイン設計した建物のプレゼンとかもやったし、国際コンペとかにも参加した身だ。舞台慣れはしてる方だと思う。


「まだ始まらないし、今のうちに喉とか潤しておこうよ。舞台じゃ声が命だよ!常盤くんの声も少しは良くなるかもしれないしね!アハハ!」


「うぅぅ!何で最後まで俺の声はそこまで良くならなかったんだろうな!」


 俺たちは控室を出て、劇場のエントランスにある喫茶コーナーに向かった。


「ボクはけっこうこういう本番前の空気好きなんだよね。程よい緊張が不思議と飲み物とかおにぎりとかサンドウィッチの味を良くしてくれるんだ。それがこの世界で食べ物が一番美味しい瞬間だと思ってる!」


「ああ、ちょっとわかるかも。センター試験の合間の長い休憩時間に飲む水とか、おにぎりとかはなんか体にすごく染みていく感じがあったな」


「いやぁセンターきつかったなぁアハハ!ボク数学かなりギリギリだったんだよね!三角関数なんて舞台の上じゃ役に立たないのにね!うふふ」


 会話にも緊張はなかった。いつものように楽しく話せてる。だけどそんな俺たちの創り上げた『いい空気』をぶち壊すやつが、視界に入ってきたのだ。


「あっ!美魁、やっほー!それに…常盤くん?!何でここにいるの?!」


 そ れ は こ っ ち の せ り ふ だ ! !


「え?五十嵐さんに…葉桐…くん…?!うそ…なんで…」


 驚いたミランは両手で口を覆っている。俺だってひどく驚いた。エントランスの喫茶コーナーのカウンター席に嫁と間男の運命(笑)のお二人がいるんだもの…!


「宙翔から聞いたよ!水臭いよー!今日公開セレクション?オーディション?をやるんでしょ!言ってくれればいいのに!応援しに来たよ!!あはは!」


 嫁はガッツポーズを取って、楽し気に微笑んでいる。まるで部活の試合の応援にきたJKのノリだ。というか気になることを言いやがった。間男から聞いた?俺は葉桐の方に視線を向ける。葉桐は悠然とコーヒーを啜っていた。この男は多くの人間を従えるだけあって風格には威厳のようなものを感じた。別の言葉で言えば、偉そうとも言う。


「やあ、伊角さん。噂で聞いてね。応援しに来たんだ。まあ、君の演技力なら大丈夫だろう。頑張ってくれ」


「え。ああ、うん。ありがとう」


 ミランは戸惑っていた。なぜここに葉桐がいるのか。その意図が何なのか全く読めない。プレッシャーをかけに来た?だけど俺もミランも二人の姿を見たくらいで演技がダメになる程やわではない。むしろやる気さえ出てくるものだ。


「応援旗とか持ってきた方が良かったかな?!私もチアの服着てポンポン振ったりした方がいい?」


 とっても楽しそうに応援の話をする嫁。ミランにちゃんとした友情を感じているからなんだろうなと思う。


「いや、それは邪魔だからやめた方がいいと思うよ。あ、そうだ。理織世、さっき当たったスクラッチくじのお金あるから、これで二人の分のドリンクとお菓子を買ってきて」


 葉桐がポケットから二千円をだして、嫁に渡した。


「えー?私パシリなの?ぶー!」


「くじを外したのが悔しくて、僕に当選金を集りたいんでしょ?なら行ってきなよ」


「ちぇー。わかったー!行ってくる!」


 嫁は席を立って、ルンルンとカウンターへ歩いていった。


「さて、理織世もいないし、伊角さんに一つ、とってもいいお知らせをしようと思うんだ」


 葉桐はニヤリと笑っている。そこにはどこか仄暗い気配を感じてしまう。俺もミランも次に続く言葉を不安と共に待った。


「今日客席にあの天決てんけつ騎衝きしょう先生が来てるんだ。意味はわかるよね?」


「うそ?!そんな?!あの天決騎衝先生が?!そんな」


 ミランは目を見開いて口を引き結んでいる。何か怖がっているような感じだ。


「誰だそれ?有名人なのか?」


 俺はミランに尋ねる。ミランは今にも泣きそうなくらいに動揺した顔で言った。


「ボクたち演劇関係にとっては有名なんてもんじゃないんだ!世界的にも活躍している舞台演劇の演出家だ!あのブロードウェイの劇場で芸術監督も務めている日本最高の演出家だよ」


「はぁ…?!そんな有名人がなんで学生団体のセレクションなんかに…葉桐…!お前の仕業か?!」


 俺は葉桐を睨む。これはこいつの仕込みに間違いがない。涼し気な顔で葉桐は言った。


「僕は伊角さんの演技力を高く評価している。素晴らしい才能の持ち主だ。だからね。その才能を是非とも世界的も有名で、業界にも強い影響力を持つ天決先生にご覧になってもらいたくてね!先生にその才能を見込まれた役者はみんな彼の指導を受けてスターになっているんだ!はは!なに!お礼なんていらないよ!君の才能ならば天決先生の目にさえ叶うことだろう!君は今日を気に一気に世界に羽ばたくチャンスを手に入れるんだ!」


「…葉桐くん…天決先生にまで人脈があったのか…なら天決先生の悪い話だってよく知っているだろうに…」


「悪い話?ああ、あれね。お眼鏡にかなわなかった才能のない大根役者は業界から追い出されるまで干されるってやつだね?でもそれは干されるような才能のない役者本人の責任だよ。実際天決先生の演技の才能を見抜く目はだれもが認めているんだよ。伊角さんなら大丈夫だよ!僕は君が必ず成功するって信じてるよ!わはは!!あはははは!」

 

 葉桐は愉しそうに笑っている。悪辣極まりない。つまり俺たちは一瞬で追い込みをかけられた。今回のセレクションはあくまでもチャンスだ。失敗したって他にも道はある。だけど葉桐の所為で一瞬にしてこのセレクションは、ミランの芸能人生そのものがかかったものになってしまった。ミランの芸能にかける意気込みは本物だ。彼女にとって演技とは人生そのものを掛けるに値する夢なのだ。このセレクションでミランの将来が決まる。それは命を懸けたギャンブルにも等しいものなのだ。


「まあ、もしかしたら万が一とはいえ、失敗することもあるかも知れない。その時は僕に是非とも頼って欲しい。きっと何とかしてみせる」


 そしてその代わりにミランはきっと何かをこの男に奪われる。


「それでミランに何をさせる気だ?お前はミランに何を要求するつもりだ?」


「要求?はは!僕は友情ゆえに手助けするだけだよ!まあ代わりと言っては何だけど、僕が夢を叶えるためのお手伝いをちょっとはしてもらいたいかなって期待はしてるよ!くくく」


 俺はすっかり忘れていた。ミランも楪も、この男の視界に入っていることを。甘く見ていた。この男が前の世界で見せた執着心。それは嫁以外の者たちへも向かうということ。それを想像さえしなかったことに俺は悔しさだけを覚えたのだった。

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