第22話 文系に数学を見せるのはハラスメントです!!

 見本となる演技はミランが見せてくれた。後はそれを真似するだけだ。昨日家に帰った後ネットで演技法は一応学習したのだ。それをやるだけ。俺は綾城と楪、そしてミランの前に立つ。三人の何処か期待が籠った視線が一斉に俺に突き刺さる。これが舞台の上で役者さんが感じる視線なのだろう。なかなかに緊張してくるのを感じる。だけどこれでも前の世界では社会人としてそこそこの修羅場を潜った身だ。大丈夫、俺はやれる。演技のコツは自分の感情の引き出しだとかなんとか。役に成りきるのではなく、役が必要としている感情をその場その場で体で表現する。それが演技だとかなんとか。演技法は流派が色々あるらしいので、詳しくは知らない。一応俺はそう理解した。なので、俺が演じる役に必要な感情、その記憶を呼び起こす。俺の役は女と出会い、その場で恋に落ちる男。シンプルな役柄。だから前の世界で嫁と付き合うことになった出来事を思い出す。あれは同僚と行ったバーだった。俺と同僚はカウンターで飲んでいたのだが、別のボックス席で嫁を含む女子アナたちと、売れてる若手芸人たちが合コンしていたのだ。その時嫁は冷たいお愛想笑いをしていた。大学時代以来の再会なのに冷たい顔。俺はその場で何故か体を動かしてしまったのだ。そして気がついたら嫁の手を引っ張ってそのまま店を出ていた。今思えば何でそんなことをしたんだろうって感じ。だけど店から二人で飛び出た時、嫁はたしかに暖かい笑顔を浮かべてくれていたのだ。その感情は確かにまだ俺の胸の中に残っていたのだ。そして俺は演技を始めた。




*****(カナタ演技中!!)*****




 そして演技は終わった。三分もない超短い演技。終って一礼して綾城たちの顔を見る。みんな優し気な笑みを浮かべていた。


「いい演技だったわよ!まるでブロードウェイの俳優みたいな存在感の濃さと麗しさがあったわ!声は糞だけど!!」


「本当ですぅ!凄く素敵でした!まるでシカゴのマフィアが宿敵の警官の娘さんと恋に落ちてしまったような悲恋の香りがすごく切なくて!でも声は滓でした!!吹き替えの声優さん探しましょう!!」

 

 何この評価。綾城、楪の両名は目を潤ませながら絶賛しつつ、俺をディスってきた。絶妙に納得がいかない俺はミランに顔を向ける。彼女は感心しているようだった。


「うんうん!思った以上に良かったよ!びっくりした!サイレントの映画時代ならレジェンド俳優になれそうなレベルなんじゃない?スター性って言うのかな?どっちかって言うと舞台よりは映画映えしそうなちょっと小さな演技だったけど十分すぎるよ!!これならセレクションも確実に通る!!ボクにもやっと運が向いてきたぞ!!」


 ミランも褒めてくれる。けどなに?サイレント映画?


「ねぇねぇみんなぁ?何で俺の声をみんなディスってるのかな?うん?」


 全員が全員そっと目を伏せた。ミランがどことなく申し訳なさそうに言う。


「えーっとね。なんていうのかなぁ。体の表現の方はすごいんだ!存在感の大きさとか濃さとか理屈抜きのかっこよさがあってきゅんと来るんだけどね。声がね…なんていうのかなぁ…何でかわかんないんだけど女慣れしてない童貞くんの緊張感に溢れた棒読みボイスなんだよね…はは…」


「え?なにそれ?!俺の声ってそんなに汚いの?!」


「汚いって言うか…ちょっと…うん、ほんのちょっとだけどね…キモいかなって…はは…」


 ミランは乾いた笑みを浮かべている。そんなに酷いですか?そう思って居たら、綾城が俺の傍に寄ってきて、スマホの画面を見せてくる。


「ショックを受けては駄目よ。気にしないでね…ぷっ…」


 こいつ笑ってやがる?!そして俺の演技の動画が流れ始める。そしてその時の声を聴いてしまった。


『アナタガスキダァ!』

 

 マジでキモかった。なんか震えてるし、こう童貞臭さが半端ない感じ。そう言えば嫁と出会った時の俺は童貞でした!!その感情を使ったから声が童貞になったのか?!逆にすごくね?!


「気にしないでください!カナタさんは体だけなら最高ですから!!」


 楪が俺の肩を叩きながら微妙な笑みでそう言った。


「やめてぇ!なんか都合のいいセフレ扱いされてる可哀そうな女の子みたいな評価するのやめてぇ!!」


 ショックだった。自分の演技の才能が怖い(震え声)。


「あはは。でもあんまり気にしなくていいよ。演技経験のない人の演技はセレクションの時に考慮されるってちゃんとアナウンスされてるからさ。むしろ声以外は練習さえ要らないレベルだったよ!声の事はいったん忘れようよ!それじゃあボクと合わせよう!これならぶっつけでもいいと思う!レッツトライだ!!あはは!」


 ミランはポニーテールを解いて髪の毛を流す。それでいつものボーイッシュな印象は消えて、まるでお姫様のような清楚な雰囲気が現れた。いつもの僕っこを封印して、女役の為のモードに切り替えてきたのだろう。凄いなこの子。雰囲気とかオーラみたいなフワフワした人の印象を操れるのか?これが本物の役者の素質?!負けられねぇ!!舞台のセンターに立つのはこの俺だ!!


「常盤、一応言っておくけどね。セレクションの主人公はあんたじゃないのよ。美魁に張り合うのはやめなさい」


 俺の内心を察したであろう綾城に突っ込まれた。いけね。なんかいつの間にかスポコンしてたよ。あくまでもセレクションにおいて俺はミランを輝かせるための脇役なのだ。ちゃんと自分の役割を徹しないとな!


「じゃあ動画撮るわよ。あたしがカットって言うまで頑張ってね」


「おいちょっと待て。綾城、お前何監督気取ってんの?」


「一度くらい言ってみたくない?カットって。憧れるわ」


「これ舞台なんだよなぁ」


 綾城の戯言はスルーしつつ、俺とミランはぶっつけで演技に挑んだ。





*****(演技中だよ!!)*****





 俺たち二人の演技が終わった。演じた側としてはとくにつまることもなかったし、もたついたところもなかった。スムーズに演技ができたと思う。だが観客二人の顔色はなぜか厳しかった。


「…なにかしらこれ?常盤の声はともかく二人の演技は上手なのに…」


「そうですね。カナタさんの声は置いといてもお二人ともとてもきちんとした演技をしていました。なのに…」


 2人は苦虫を噛み潰したような顔をしている。そしてこういった。


「「つまらないわ(です)」」


 これ以上ないくらい辛らつな評価が降ってきた。


「ぐはぁ!!!つまらない?!ボクの芸能がつまらない!?そんなぁ?!」


 ミランはその場で崩れ落ちる。ガタガタと体を震わせて真っ青な顔になっている。芸能者にとっては多分つまらないって言われるのが一番つらいのだろう。


「ごめんなさいね。でも忌憚なく言わせてもらうと、2人のお芝居は『つまらない』のよ。上手く言語化できないのだけど。2人とも上手だし、息もあってる。だけどつまらない。そうとしか言えないわ」


 綾城は困惑しているようだ。渋い顔を浮かべている。


「…なんですかね?こう…あれですかね?好きなラノベや漫画がアニメ化した時、イメージしてた声と実際の声優さんの声が違うみたいな?いいえ、そうじゃないですね…なんだろう?ズレ?歪み?うーん?」


 楪は腕を組んで唸っている。彼女も上手く言語化できていないようだ。


「うーん。ミラン。原因は何かな?俺はお前の演技悪くないと思うんだけど?」


 俺は撮影した二人の演技を流して観察する。確かに言われてみると何故かつまらない。俺のクソボイスを除けば二人の演技は綺麗に見える。でも何かに違和感を覚える。


「何となくだけど原因は美魁の方にありそうな気がするのよね」


 綾城も動画を覗き込んでくる。彼女の白い手が画面を覆って俺の姿を消し、ミランの姿だけが画面に見える。演技は綺麗。清楚で美しいお姫様のような演技だ。だが確かにそうだ。


「綾城。お前の言う通りっぽいな。ミランの演技、なんだか物足りなさを感じる。何が足りないんだこれ?」


 俺は打ちひしがれているミランに目を向ける。そして画面のミランと見比べる。やっぱり何かが足りない。


「ちょっとその動画かして貰っていいですか?」


 楪が怪し気に眼鏡を光らせながらそう言った。右手には鉛筆。左手にはA4のレポート用紙があった。彼女は俺から綾城のスマホを受け取りそれをランチシートの上においた。そして本人はひざをついて四つん這いになって動画をじっと覗き込む。彼女の着るワンピースのスカートが少し短いから後ろから見るとたまにお尻のセクシーな丸みと黒いパンツがチラチラしてる。楪は動画を再生したり停止したり巻き戻したり早送りしたりしながら、レポート用紙に理系の俺ですらよくわからない謎の数式を書いていく。


「いいわね…集中している女の子の後ろから見るパンツ。見てちょうだいな!。清楚だったあの子は都会の闇に穢されて黒いパンツを履くようになったのよ!素敵ね!!」


 綾城はニヤリと笑って楪のスカートの中をのぞいている。だが楪はすごく集中しているので全く気づいていない。俺は綾城の目を後ろから両手で塞いだ。


「はい、ガード!超バリアー!綾城菌のばっちぃのはめっちゃバリアー!!」


「いやん!見たいのよ!だってあたしが選んであげたパンツなのよ!あたしには見る権利があるのにぃ!」


 綾城はきゃっきゃと俺の手を剥がそうとふざけたたおす。もちろん見せてやらない。楪の邪魔はさせない。


「時間軸上に感情を数値化しそれをプロット。行列ベクトルに変換しそれぞれを固有の振動数で再定義。極限を取って複素数を正規化し定数を再配置。関数に解があることを背理法にて証明すれば…うそ!対偶が超越数?!そんなぁ…」


 何言ってるんだろう?薩摩語は難しいなぁ…。だが何かしらの回答は出たらしい。楪は立ち上がって、ミランの方へと歩いていく。


「そもそもおかしいと気づくべきだったんです。この演技の表現すべきテーマは『恋愛』。すなわち恋をする気持ちそのもの…!」


 楪はミランの前にしゃがんで言った。


「わい、まだおぼこじゃな!!!!」


 それを聞いたミランは顔をばっと上げた。


「そ、そ、そんなことないよぉ!!ボクはあれだよ!めっちゃモテるからね!!モテモテ!男に困ったことなんてないから!はは!あははは!!めっちゃヤリまくり!役者なんだから経験豊富に決まってるでしょ!あはは!アハハハハ!」


 なんかすごく声が震えてる。大学生にもなると恋愛経験がないことそのものが男女ともにコンプレックスになりがちだ。


「あて…失礼。わたしの目はごまかせません!!数式は嘘をつかないんです!!私はあなたの演技より導かれる論理から、あなたがまだ性交渉、失礼!もっと厳密な定義を使用します!女性器に男性器を挿入したらぶらぶえっち経験はおろか人類の雄に対して配偶者獲得行動こいさえもしたことない初心なおぼこちゃんであることを証明したんです!!」


 ドヤ顔をキメてる楪の持つレポート用紙の謎の数式の最後には「Q.E.D」の文字が書かれていた。


「やめてよ!文系のボクに数学の式を見せるのは理系ハラスメントだよ!!理ハラだよ!理ハラ!!」


「話を逸らして誤魔化さないでください!その反応こそがあなたがめんどくさい処女でしかないことを証明してるんですよ!!」


 楪のロジハラが酷い。だが恋を知らないというのは何か説得力があるような気がした。綾城も同感なのかしきりに頷いていた。これが果たして突破口になるのか?…不安だなぁ…!と俺は思ってしまったのだった。



 

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