第52話 ランチタイム2

 とりあえず話題を別の方向に移したほうがよさそうだ。


「葵さん。内弟子入りにご実家の方は何も言わなかったの? 僕の方には『娘に初めて勝った同年代の男だ、好きにしてくれ』としか連絡がなかったんだけど」


「ええ。私は信頼されていますから」


 あまりにもまっすぐな回答に、またもアレクシアが苦い顔になる。


「アオイの尻ぬぐいをしているのはワタシなのですがネ……」


 シュヴァイツネクセを丁寧にナイフで切り分けながら、アレクシアがため息をついた。


「尻ぬぐい、とはどういうことです? 私は常に剣一振りで道を切り開いてきました。今までも、そしてこれからも」


「やっぱり、アレクシアさんが何かしてたんだね」


 箸の先だけで器用に煮物を切り分けていた中島さんが呟く。


「葵さんが転校してきたとき、てっきりメディアの取材で大騒ぎになると思ってた。でも校門前にテレビ局は誰も来なかったし、葵さんを尾行している様子もない」


「テレビ局は道場の映像を定期的に横流しすることで過剰な報道を控えさせていまス。個人のユーチューバーが追っかけてくることもありますガ、そちらのほうはどうとでも。ええ、どうとでモ」


「ソウタに剣を教わる貴重な時間を、邪魔されるのは腹立たしいのデ」


 アレクシアの碧眼が、一瞬だけ蛇のように細められた。


 殺気。


 とは明らかに違うが、人と戦う気配がありありと伝わってくる。


 自ら武器を取って最前線で戦う人間と、人に武器を取らせる指揮官の差か。


「そ、それより葵さんが同居してるって知られたらヤバくない?」


「ああ、そちらはご心配なク」


 シュヴァイツネクセを食べ終えたアレクシアが、レースで縁取られたハンカチで口元を拭った。


「名目上はワタシの家に下宿していることになっていまス。しかし空き部屋に人が住んでいるように見せかける裏工作、さらには道場周囲の盗聴や盗撮対策まで、すべてシーメンス社が行っていまス」


「そんなことまで……」


「そこまでする必要があるのでしょうか? 堂々としていればよいではありませんか。やましいことをしているわけでもないのに」


 お弁当箱の蓋をしめて手を合わせた葵さんが、きょとんとしていた。


「葵さん。人のうわさは下手をしたら剣よりも怖いよ?」


「火のないところに火をつける、ゴシップ大好きな人もいるんだよ」


「まあ、才能ある者はどこかぬけているものですネ」


 バカと言う人もいるだろうけど、葵さんはそれとは違うと思う。


 剣を信頼しているのだろう。剣によってできた人とのつながりを信用しているのだろう。


 たとえ明るみに出ても、葵さんは世間から非難されるより祝福されると思う。


 祝福の声がやがて非難の声をかき消してしまうのだろう。


 強さと美しさ、そして彼女を守ってくれる北辰一刀流の他の門人たち。


 葵さんのスマホに届くメッセージを時々見せてもらうけど、本当に暖かいものばかりだ。


「強いって、こういうことかもしれないな」


 僕が何気なく発した一言に、葵さんはひどく嬉しそうな顔をした。


「柳生さんからそう言ってもらえるとは、光栄の至りです。そういえば、父から聞いたのですが。昔父に敗れた剣豪が、近々上京してくるとのことです」

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