幕間 野太刀自顕流
※2/4 加筆修正しました。
舞台は変わり、九州地方のとある神社の境内に絞め殺された鶏の悲鳴が響き渡る。
「イエ―ェェェィ」
否。それは人間の発する声。
猿叫、と称される野太刀自顕流独特の気合だった。
成人男性の腕ほどもある太い木刀は、野里から直接切り出してきたもの。九州に自生するユスという木でできていた。
剣道や柳生流の木刀と違い、表面を滑らかに整えることなくむき出しの地肌。
ユスの木刀を構え袴の裾をたくし上げた師範が、束ねて横にしたユスを打ち据えるたびに木肌がはげ、木片が飛び散っていく。
境内の他の場所では、弟子たちが同じようにユスの横木を打ち据えているがその服装はまちまちだ。
師範のように袴を履いている者もいれば柔道着や空手着を着ている者。
ジーパンとシャツ姿もいればスーツ姿の男性もいた。
「おんしら、服が破けようがケツの部分が裂けようがうつんじゃ! 実戦でいちいち道着に着替え取る暇なんぞありゃせん、日常の服装で木刀を振るえ!」
常在戦場の心構えを令和の世でも実践している野太刀自顕流は、服装に規定がない。
そのため頭の固い武道家からは非難されることも多かったが、宗家太刀川洗はそのことごとくを返り討ちにしていた。
竹刀でも相手が失神して救急車のお世話になるので、ここ十年は誰も挑戦しにこなくなってはいたが。
「次、打ち廻りぃ!」
鶏が絶叫するかのような太刀川の号令。
それにしたがって、弟子たちの手によって境内の土に成人男性の身長と同じくらいの高さの棒が立てられた。
ユスの木刀と同じくらいの太さのその棒の先端には、戦国時代の足軽が頭にかぶる陣笠がつけられている。
「チェストォォォ!」
チェストの掛け声と共に、餌を追いたてる獣のように野太刀自顕流の門下生が走り出す。構えは天を木刀で突くように大きく振りかぶる自顕流独特の蜻蛉の構え。
彼らは陣笠を被せた棒に突っ込み、疾走の勢いのままユスの木刀を振り下ろした。
台風にも似た剛毅な風切り音と共に、棒は次々と倒され、吹き飛ばされ、中にはへし折れるものもある。
だが彼らは足を止めず、次の獲物を打つ。
走りながら次々と打ちかかるこの「掛かり」の稽古は、戦国時代に生まれた野太刀自顕流の特徴を色濃く表している。
形稽古でもその色は変わることがない。
槍に見立てた棒を手にした相手に、仕太刀は獣の如く走って間合いをつめる。
腰から居合のようにユスの木刀を振り上げて相手の槍を跳ねあげ、再び蜻蛉の構えから振り下ろす。
振り上げと振り下ろしのみのシンプルな動きで構成された野太刀自顕流は、ただ戦場で敵を打ち倒すことのみを考えた実戦流派であった。
「そろそろじゃな……」
形稽古を終え、太刀川はしびれの残る手で汗を拭う。
齢四十を超える太刀川は、十五年前に北辰一刀流宗家、葵の父である北辰七星郎に完敗していた。
その無念を糧に十五年、ただひたすらに剣を振るい、走り、神速をも超える雲耀の速度を追い求める。
雲耀とは雷の落ちるにも匹敵する速さを意味していた。
「見ておれ。待っておれ。北辰七星郎。今度こそ貴様を打ち破り、日本最強の栄冠をわがものとするのじゃ」
「お疲れ様です!」
「お疲れっした!」
「あざーす!」
弟子たちの砕けた礼と共に稽古は終わった。黄昏の境内を、掃き清めたり木刀や棒を神社の倉庫に片付けて解散となる。
「父上」
汗をぬぐう太刀川洗に、娘のアサが話しかけてくる。
幼い女子と言えども小さな頃から稽古を仕込まれてきた彼女の目には、大の大人以上の眼力が宿っていた。
「なんじゃ、アサ」
洗の娘、太刀川アサが父の前にひざまずく。
「というかパパの前でひざまずくなっていつも言っとるじゃろ。最近は何かとうるさい世の中だからのう」
洗がひげをしごきながらぼやくが、アサは立ち上がらない。
武士的な振る舞いに憧れるちょっぴり痛い子なのだ。
「その七星郎の娘、北辰葵が最近敗れたそうです」
「なんじゃと」
洗が倒れそうになるのを、アサが支えた。
洗の中で北辰一刀流といえば日本最強であり生涯の宿敵。全身全霊をかけて打ち取らねばならない相手だった。
「相手は何というやつじゃ」
「柳生宗太。柳生流剣術という流派の若き師範だそうです」
「おのれ、柳生流め」
たとえ討ち果たす相手の娘であっても、自分より先に北辰一刀流を負かすなど洗にとってあってはならないことだった。
「おのれおのれおのれえぇぇぇぇぇ」
鶏を百匹まとめて絞め殺すような叫びに、境内中の鳥が逃げ去っていった。
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