第50話 美鈴とはな

「葵さん、私にやきもち焼いてるのかな。そんなんじゃないのに。困るっしょ?」


「そうだね」


 中学で同じ手芸部だったころは、掛け声が遠くから聞こえてくる部室で二人になるだけで緊張したものだ。


 でも今は、人気のない夜道を二人きりで歩いているというのにあの時ほどのときめきがない。


 だからさっきみたいな際どい質問をされても、心が乱れない。


 美鈴さんの雰囲気が少し変わったからだろうか。



 なんというか、彼氏がいてもおかしくない感じがする。


 中学時代にボブだった髪は肩までの長さに。枝毛の目だっていた髪はケアを頑張っているのか、夜目にわかるほどの艶を放っている。


 一重で糸目だった目は、アイラインを入れてつぶらに見える。


「彼氏、いないよ?」


 僕の心を見透かしたようなセリフに、心臓が跳ね上がる。


「あ、キョドった。そういうところ変わってない~」


「からかわないでよ」


「マジにならない。テンションさがる。それより」


 美鈴さんは言葉をいったん切り、僕の目をじっと見つめる。


「やっくんは?」


 歩道の白線が消えかかった、狭い夜道を車が追い越していく。


 はるか遠くの潮騒が、さっきまでより響いて聞こえた。


 僕が別のことを考えて現実逃避している間にも、美鈴さんは僕から目をそらさない。


 なぜか、目をじっと見つめられるとさっきまでときめかなかった胸が高鳴ってくる。


「僕も、いないよ」


 反対車線からすれ違う車のヘッドライト。それに照らされた美鈴さんの顔は笑顔だったと思うけど、影が濃くてはっきりと見えなかった。



美鈴さんが身体を軽く振ると、鞄につけていたぬいぐるみが大きく揺れた。


「あ、それ……」


 ぬいぐるみといっても既製品ではない。毛糸で編まれたそれはいわゆる編みぐるみで、ところどころ色落ちして毛羽立っているものの、充分かわいい部類に入る。


「覚えててくれたんだ」


美鈴さんがそういって編みぐるみを掲げる。白い毛糸で編まれた雪だるまの形をしたそれは、暗い街灯の中でもよく映えた。


「忘れるわけないよ」


美鈴さんと僕と、ほか数人が所属していた中学時代の手芸部。


体育会系のノリがイヤで、選んだ部活だった。だが刀は意外とメンテナンスが大変なもので。貧乏な我が家では刀の柄に巻く柄糸を僕が修繕していたこともあり、糸を使う手芸部は意外と性に合った。


彼女が持つ雪だるまの編みぐるみは、彼女のはじめての成功作品。


見た目もかわいく、部員みんなで盛り上がったのをよく覚えている。


そしてその日の帰り道、彼女は不良にからまれたのだ。


「あの時は本当にごめんね、美鈴さん」


「気にしてないって言ったでしょ?それにはな、でいいよ。私がやっくんって呼んでるのに美鈴さんっていうのはなんかへんでしょ?」


彼女はアイシャドウを引いた目を細めて笑う。


「は、はな……」


「っ」


ためらいながら、たった一言彼女の名前を呼んだだけなのに。


はなは街灯の灯りでもわかるくらいに顔を真っ赤にした。


「自分で言っておいてなんだけど、はずかしいね」


「う、うん」


ずっと名字で呼んでいた女子を下の名前で呼ぶと、なんだか相手が特別な存在になった気がする。


すごく不思議で、すごく楽しい。


「ここまでくれば、大丈夫だよ」


一車線の狭い道が途切れ、スーパーやマンション、コンビニが立ち並ぶ大通りに出る。


「またね、やっくん」


「またね、はな」


さっきよりは少しだけ、ためらいなく彼女の名を呼べた。


はなが大通りに出ると、友達あてか、スマホでメッセージを打ち込むのが見えた。

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