第34話 免許皆伝をやるよ
いつ終わるとも知れなかった葵さんの攻撃が、急に止んだ。
再び後ろに下がるけど、僕の方も追う気力がない。
肩を上下させ、厚い道着が汗で肌に張り付かんばかりにぐっしょりだ。
あれだけの連続攻撃だ。体力の消耗も激しいのだろう。
僕も完全に息が上がって、視界に星が瞬くほどだった。
ともすればぶれそうになる切っ先を、必死に葵さんの喉から外さないようにする。
剣先が相手の中心から一瞬でも外れれば、葵さんほどの相手ならすぐに攻め込んでくるだろう。
対して葵さんも疲労しているとはいえ、僕に比べればまだ余力がありそうだ。
どうするか。もう小細工は通じない。刀を奪うのも二度は通じないだろう。
刀中蔵も猿廻も対応され、まっとうに勝負しても勝てないのはわかりきっている。
まだいくつか技は残っているけど同じ結果になるだろう。
もう少しで仕留められそうで、結局止めは刺せなくて、徒に体力を消費する。
目線を動かさずに試合場の隅に置かれた残り試合時間を確認してみると、赤い電光掲示板が示す数字が、〇一○○を切っていた。
もう残り一分もなく、判定になれば僕の負けなのは明らかだ。
負け。それを意識すると手から力が抜け、父さんから受け継いだ刀を取り落としそうになる。
もう、勝てないよ。諦めなよ。そういう声が頭の中で響く。
十分に頑張った。今負けても準優勝だ。両親も今日の戦いを見れば喜ぶよ。そう、僕を甘えさせる声が聞こえる気がする。
でもそれじゃ駄目だ。せっかくここまで来たんだから。
勝ちたい、勝ちたい、勝って一番になりたい。
ふと視線を上げる。特等席で身を乗り出すようにして僕を見つめるアレクシアと中島さんが目に入った。
彼女たちが何を言っているのかは聞こえない。
どんな表情をしているのか、かすむ目にははっきりと見えない。
でも。
アレクシアと、中島さんと目が合って少し勇気がわいてくる。
金糸のようなロングヘアーの少女の自信たっぷりで、大胆不敵な表情が思い浮かぶ。
肩までの黒髪の少女のちょっと内気で、でも数字を語るときは熱くなる様子が浮かぶ。
一瞬だけど色々な記憶が蘇ってきて、その中に父さんの記憶が混じった。
『どんな時でも…… その時に免許皆伝をやるよ』
父さんがいつも言っていた台詞を思い出した。柳生流剣術奥義の口訣を。
確かにそうだろうけど、今の僕にできるのか。そもそもできたとしても、葵さんに通じるのか。
疑念が。恐れが、ためらいが。そして迷いが、消えない。
でも、もうやるしかない。
自分自身が信じられないなら、父さんを、柳生流剣術を信じる。
葵さんの次の攻撃を読むべく、気合を入れなおした。
だが葵さんは正眼に構えたままで、鶺鴒の尾のように切っ先を揺らしはするもののその位置から動かない。
手から滴る汗が床に落ちる音がはっきりと聞こえる。ぽつり、ぽつりというとても嫌な音。
「葵さーん!」
「頑張ってー!」
「もう一人もなー、せっかく決勝まで来たんだぞー」
打ちあっているときには聞こえなかった歓声がはっきり耳に届くようになる。
睨みあったまま、時間が過ぎる。試合時間を示す電光掲示板の数字が一つ、また一つ数を減らす。
残り三十秒を切った。
このまま動かなければ、間違いなく僕の判定負けだ。電光掲示板の数字がゼロになった瞬間マヨイガが発動し、僕の体は黒い繭に包まれるだろう。
でも、どうして今になって攻めてこないのか。
今まで葵さんは必ずと言っていいほどに自分から攻めてきた。
先手を取ったほうが彼女のスピードを活かせるというのもあるだろうけど、
『いかなる敵に対しても、攻めて攻めて敵の太刀に乗って切り落とし、その起こりを打つ』のが北辰一刀流のはず。
でも柳生流剣術奥義は後の先、つまりカウンターだ。
相手が先に打ってこないと使えない。
見抜かれたか? 柳生流剣術の奥義を放つことを。
いや、雰囲気が変わったことくらいは見抜かれただろうけどそれはない。
誰にも見せたことがないし、そもそもが見ても奥義と気づかれないような技なのだ。
となると、さっきの猛攻でだいぶスタミナが切れて今は回復中か。
それとも判定勝ちに持ち込もうという腹か?
いや、それは葵さんらしくない。彼女はいつも正々堂々、真っ向から打ち倒す剣であり、性格だ。
そんな彼女がわざわざ動かないなんて、相手の回復を待っているようなものだ。
そんなことをして何の得があるんだ?
そこまで考えが至った時、葵さんと目が合う。目は口ほどにものを言う。
向かい合った目線から、彼女の心が伝わってくる気がした。
闘志に満ち満ちているのに、こちらを攻撃しようという意思が感じられない。矛盾に満ちているのに、なぜか迷いが感じられなかった。
そこまで心が伝わって来た時、唐突に理解できた。
なぜ彼女がそんなことをしていたのか、目は口以上に説明してくれた。
「ありがとう」
僕は試合中だというのに、一足一刀の間合いに敵がいるというのに、お礼を言った。
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