第31話
僕と葵さんは四角い白線の外側で一礼し、対峙する。
腰まであるポニーテールは照明の光の下で白く輝き、幼さの残る顔立ちは闘志に満ちた笑みを浮かべていた。
藍色の道着の帯に差した刀が光っている。
葵さんは今まで戦ったどの相手よりも小柄だ。なのにこうして向かい合うと、あの高野よりも大柄に感じる。
決勝の舞台に立った僕を、葵さんの意外な言葉が出迎えた。
「勝ち上がってくるとは、思っていました。あなたと握手した時、確信しましたから」
「握手とは、お互いの実力を測る行為でもあります。あなたと手が触れ合った時、伝わってきました」
お互いに刀を抜き、構えた。
葵さんの刀は、前も見た名刀正宗だ。七星郎さんと同じような螺鈿の装飾が鞘に施され、貝の真珠質の部分が照明を眩いばかりに反射する。
「あなたが強者であると」
会場内のざわめきが徐々に収まっていき、やがて物音一つ、咳払い一つしなくなる。
文字通りに水を打ったような静けさに包まれ、自分の呼吸の音すら聞こえてくるような気がした。
僕は体を斜めに向けた中段、「青眼」の構え。葵さんは体をまっすぐに向けて切っ先を僕の喉に向ける普通の正眼だ。
北辰一刀流は古流に分類されるが、最も剣道に近い流派とされる。後ろ足の踵を浮かせた足さばきや構え方は、剣道そっくりだ。
七星郎さんが息を吸い込む音が、はっきりと耳に届く。
柄を握る手のひらの感触が鋭くなる。
「はじめ!」
静けさが打ち破られると同時、葵さんが仕掛けてくる。
葵さんが正眼の構えのまま間合いを突き破ってくる。
銀色に光る正宗の刀身が、残像のために流星のように見えた。
動画で見た時には猛禽類のようだった彼女が、目の前では黒豹のように感じられる。
切っ先が上がったのだけは目で見えた。僕は咄嗟に腰を落とし、全身の力を一振りの刀に乗せる。
ほぼ同時に、二回戦の高野と戦った時よりもはるかに甲高い音が響いた。
面を打ってきた葵さんの刀と、受け止めた僕の刀が交差している。
手がしびれるような衝撃と、試合場にどよめく観客の声。
「止めた?」
「すげえ、北辰葵の初太刀をかわせる奴はめったにおらんぞ」
「さすがでス……」
そして続けざまに放たれる、葵さんの二の太刀。
右胴を打ってきたがこれも刀を横に振りかぶりながら交差させて防ぐ。
斜め下に切っ先が向いた刀を回転させ、葵さんのこめかみを狙った。
彼女は後ろに下がり、面の間合いから逃げると同時に僕の小手を狙う。
面より小手は体の前にあるから、面が届かない位置でも小手は届く。だけど僕は手首を回転させて、刀の鎬を利用して小手打ちをはじいた。
常に刀の陰に自分の体や小手を置くようにしながら、葵さんの太刀を防いでいく。
一体どれだけの攻撃をしのいだだろうか。
お互いに距離を取り、息を整える。
息があがり切っ先が定まりにくい。たったこれだけの攻防で、道着はすでに汗でぐしょぐしょだ。
試合場の床があちこち汗で濡れ、照明の白い光を反射していた。
葵さんも黒髪が額に張り付き、汗が真珠のような肌を伝う。
細い喉、白い肌、均整の取れた体つき。
汗でしとどに濡れた肌は、こんな時だというのに色気を感じさせる。
細い喉をごくりと鳴らし、葵さんはつぶやいた。
「スピードでは私の方が上なのに、剣がまるで届かない…… 一体なぜ? それに防御が固くて、まるで刀が盾のようです」
刀が盾のよう、か。さすがだ。一見してもう本質を掴まれたか。
「柳生流剣術の技の一つ、『刀中蔵』だよ」
「刀中蔵……?」
刀中蔵。それは刀を盾として使う柳生流の秘術。
相手が上から打ってくれば受け止めた刀の下に自分の身を置く。
右斜め上から打ってくれば左斜め下に。
下から斬り上げてくればその斜め上に。
常に自分の体を構えた刀の後ろに置くことで、刀を楯として使えるようになる技術。
竹刀稽古だけだと掴みにくいが、真剣や真剣に近い形の木刀で徹底的に型稽古をすると掴める。
常に刀を自分の前に出し、刀がまるで楯のようになる感触を。
「しかし、守ってばかりでは勝てませんよ」
葵さんが再び切り込んでくる。ぴかりと光る閃光が、僕のこめかみを狙う。
でもね。
いつまでもやられっぱなしじゃ、男が廃る。
鋼同士がぶつかる甲高い音が試合場に響くとともに、レポーターが驚愕する声が聞こえた。
『おーっと、これはどうしたことか? 北辰葵選手が初めて後ろに下がりました!』
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