第22話 理合い、かな

「おい柳生、ちょっといいか」

 昼休み。一人になったところで、剣道部の広田が話しかけてきた。

 真剣な空気を感じ取ったのか、ほかのクラスメイトはさりげなく離れていく。

 そのまま二人で教室を出て、剣道場に案内された。

「やっぱ、納得いかねえ」

 広田は開口一番、重々しく告げた。握りしめられた拳が震えている。

「剣道の時間の地稽古じゃ、俺とお前にそんなに差はなかったはずだ」

「そうだね……」

 うまい返し方がわからず、それだけを呟く。

「なんで聖演武祭に出場できることになった?」

 アレクシアのことを言うわけにはいかない。かといって、上手い言い訳も思いつかない。

 僕が言い淀んでいるのを見ると、広田は剣道場から竹刀を二振り、取ってきた。

 その一本を僕に差し出す。

「勝負しろ。聖演武祭ルールでいい。マヨイガもつけてねえが、投げても殴っても、構わねえ」

「こんな勝負、意味ないよ。君が勝っても聖演武祭に出場できるわけじゃ……」

「わかってんだよ、そんなことは! だがよ、わかってても、納得できねえ……」

 竹刀を握った手からうっすらと見える剣ダコ。僕よりも一回りは太い腕に背中。

 相当幼い頃から竹刀を握ってきて、常に鍛えていることが伝わってくる。

 広田とは、僕が高校で剣道部に入部してからの付き合いだ。剣道部で活躍して、聖演武祭に出場して柳生流の名を広めよう。

 そう思って練習する僕に、真っ先に声をかけてくれたのが彼だった。

 柳生流とは違う剣道の竹刀の握り方や細かいルール、試合に必要な道具の説明から剣道独特のあるあるまで。

 いろいろと教えてくれて、部活が終わってからも練習していた僕に付き合ってくれた。

 結局、剣道部はやめてしまったけれど広田は今でも剣道一筋で頑張っている。この前もあと少しで全国大会までいけたらしい。

 それなのに広田は出場できず、僕は出場できる。ちくりと胸を刺すような罪悪感を覚え、差し出された竹刀に手を伸ばした。


「そこまででス」


 剣道場に、止めに入ったアレクシアの凛とした声が響く。

「どうして……」

「聖演武祭に出場者が出た、という高校ではよくあることですカラ。ソウタと元剣道部員がいつの間にか姿を消した、と聞いて探していましタ」

 上履きを脱いで、金糸の髪をたなびかせて道場に入ってくるアレクシア。

 激高しかかっている男子を前にしても、碧い瞳に揺らぎはなかった。目の下のクマもすでにない。

「なんで止める、これは男と男の勝負だ」

「問題になりますヨ。こういうことを許していては、いずれ暴力事件にも発展しかねませんカラ」

「そもそもソウタを聖演武祭に出場できるよう決めたのは、剣道界の重鎮も関わっているはずでス。自分より強い人間の決定を疑うのですカ」

「くっ……」

 広田は力なくうなだれ、竹刀が彼の手から滑り落ちた。剣道場の磨き抜かれた床に、竹と木がぶつかる乾いた音が響く。

「まあ、アナタの気持ちもわかりまス」

 彼女はそう言って、ポケットから一枚のチケットを取り出した。

「これは……」

 いぶかしげにチケットを見ていた広田だったが、そこに描かれた文字を見て目を見開く。

「聖演武祭の観戦チケット、その特等席でス。あ、ほかのクラスメイトには秘密ですヨ。納得がいかないのなラ、その目でソウタの本当の実力を確かめてくださイ」 

 


 それから聖演武祭に向けて一週間。

 アレクシアの指導をしながら、僕は大会に向けて稽古していた。

 形を徹底的に反復し、さらにアレクシアにも手伝ってもらい対人の稽古を行う。

 聖演武祭では真剣で試合を行うので、居合の稽古や真剣での素振りも行った。

 マヨイガのすごさは体感したけれど、やはり真剣を持つと緊張感が違う。

 滑り止めに巻かれた柄糸の感触、鞘の鯉口を切って刀身が姿を現すときの高揚。

 木刀や袋竹刀とは全く違う風切り音が道場に響くたび、汗ばんだ体を冷たく感じるほど。

 触れれば切れる、それが真剣だ。

 その真剣を用いて、僕は来週の日曜日に勝負する。

 柳生流剣術が、父さんから受け継いだものが、披露できる。

 ともすれば高ぶる心を鎮めながら形を確認し、僕は真剣を鞘に納める。そのまま正座して、アレクシアと共に道場に一礼した。

「いよいよ明日ですネ。調子はどうですカ」

 稽古の後で真剣の手入れをしておく。サビ止めの丁子油を差し、打粉を刀身にはたいて布でぬぐった。

「うん…… そこそこかな」

 こういうときに大丈夫、絶対勝つよ、と明るい調子で言えないのがコミュ障なのだろうか。

「確かに試合を前にして多少は緊張しているようですガ。仕上がりはまずまず、といったところでしょウ」

「私も応援に行くから。お世話になったし」

 ここ一週間いつも道場の稽古の見学に来てくれる中島さんが、穏やかにそう言う。

『大変でしょうかラ、ワタシだけで来ても良いのですヨ?』

 アレクシアは一度そう言ったけど、中島さんはそんなことないから、と大慌てで否定してた。

 実際、疲労の色も見せずに僕の動きやアレクシアへの指導などを熱心に見学している。

「それにしても…… 柳生くんの剣は、なんというか、私の想像してたのとはだいぶ違うね」

「違う?」

「あ、ごめんなさい!」

 中島さんは顔の前で慌てて手を振った。生真面目な性格もあるんだろうけど、こうしてすぐに軽くテンパるのが微笑ましい。

「バカにしたわけじゃなくて、武道なのにそんなに痛そうじゃないっていうか……」

「確かニ。ワタシも初めてソウタと立ち会った際の技には驚きましタ。ただ小手を竹刀で押さえられただけなのニ、体勢が大きく崩れて身動きがとれなくなりましたカラ」

「そうそう、そんな感じ。こうして見てても相手の頭とか、お腹とかをいきなり打たないんだよね。ぴたって寸止めするか、相手の手を抑えるだけだし」

 剣道部の広田とやった時は目を突きそうになるけど、危険な技だけが古流じゃないからな。

「柳生流の基本は三学円の太刀という五本の型だけど、もともと鎧を着てた相手に対する技だからね。面や胴を打っても鎧に阻まれて効果がないし、まず相手の小手を制する技が多いからそう見えるのかも」

 僕の説明に中島さんは、目を輝かせて聞き入っていた。眼鏡の奥の黒い瞳が知性の輝きを帯びる。

 同年代の、しかも女子から。こうやって自分の好きなことの話を熱心に聞いてもらえるのがすごく嬉しい。

 胸の奥に疼くような心地よさを感じてしまう。

 道場の掃除を済ませた後いつものように母屋に戻り、中島さんが淹れてくれたお茶をすすりながら軽く雑談する。

 お茶を淹れる中島さんの姿は、本当に綺麗で見とれるくらいだ。

 でも話題は大会が目前に控えたこともあり、自然と剣の話題になる。前々から疑問に思っていたことを、ふと口にした。

「アレクシア。改めて聞くけど…… せっかく体験に行ったのに、北辰一刀流のどこが良くなかったの?」

 詳しくは言えません、と一度ははねつけられた問い。でも北辰葵さんを間近で見て、手に触れて。彼女の強さを実感した身としては、入門しなかった理由がわからなかった。

 アレクシアが透き通るほど白い肌を赤く染め、唇をかみしめる。心の奥底から湧き上がる憤りをこらえるかのように、碧眼の少女は呟いた。

「サムライは北辰葵、とはじめは思いましタ。しかし彼女はサムライでなく、ピエロでしタ」

「ピエロ?」

「口で言っても、信じてはもらえないでしょウ。彼女と剣を交え、聖演武祭で優勝していただけれバわかるかもしれませン」

 アレクシアの海のように碧い瞳から、これまでにない意思の強さを感じた。

 半眼に細められ、唇は引き結ばれ、頬は強張るほどに力んでいる。中島さんも事情を知らないのか、明らかに戸惑っていた。

「言われなくても、優勝したいとは思ってるよ」

 居間に飾られた父さんと母さんの写真に目を向ける。

 町の小さい道場をずっと切り盛りしてきた父さん。そんな父さんをずっと支えてきた母さん。

 柳生流が注目されることなく、この世を去ってしまった。

 明日、やっと父さんたちから受け継いできたものが日の目を見る。

 注目してもらうには、優勝するのが最良で最短の道だ。

「頑張って。応援、してるから」

 中島さんがよどみのない動作で立ち上がり、僕の横で再び腰を下ろしてお茶をもう一杯淹れてくれる。

 その美しい所作に、胸が高鳴る。さっきの疼くような感じとは違う、甘い心地よさ。

「……その心意気。期待してまス」

 アレクシアは膝を伸ばして、ほうっと息をつく。

 手を後ろについて胸を張ったことで、体のラインが強調され道着の衿合わせが広がった。

「……ソウタ」

 輝くような金色の髪をかき分けながら、アレクシアが呟く。

「剣の極意とは、なんでしょうカ? いえ、アナタのもっとも大切な剣の要素とは、何と考えますカ?」

 稽古の後で少し火照った体、道着の上からでもその魅力を強調する肢体。艶めかしさすら感じられる唇で、真剣な言葉を口にする彼女。

 突然のことに少しだけ戸惑う。どういう気持ちで口にしたのだろう、と。

 でも、僕はいつも考えていること。だから迷いなく答えを出せた。


「理合、かな」


 僕はぽつりと漏らす。

 理合、文字通り合理的で理にかなった動きのことだ。

 合理的な剣ならば多少パワー、スピード、反射神経で劣っていても勝つことができる。

 武術は弱者が強者から身を守るために進化したもの、という言葉もあるくらいだ。

 実際僕は、もともと運動が得意な方じゃない。

 小さなころは古流の家元に生まれたくせに、足は遅いし球技ではミスばかり。野球もサッカーもバスケも、とにかく同年代で人気があるスポーツはすべて嫌いだった。

 ついこの間も、陽キャにボールを蹴ろうとしても明後日の方向へ飛んでいった。

 小さなころは虐められてばかりいたのは、運動が苦手なせいもあっただろう。

 今でもサッカーも野球もバスケも苦手で、嫌いだ。運動神経というものがそもそも発達していないのかもしれない。

 剣術を多少使えるのは、剣術において合理的な動きが体に沁みこんでいるからだろう。

 何千、何万回と形と素振りを繰り返してきたことで。

「アオイとはまるで違いますネ……」

 こころなしかアレクシアが、少し安堵したように見えた。

 


 翌日。数万人を収容できる国立武道館のアリーナ。一週間前と違い観客で埋め尽くされ、応援幕がそこかしこで舞い、テレビ局の黒い大砲のようなカメラが設置されている。

 試合場に整列した約百名の選手。開会の辞と共に前年度優勝者である葵さんが、壇上に登って選手宣誓を行う。照明を浴びて高らかに読み上げる彼女への反応は様々だ。

 憧憬の念を示す人、目に悔しさをにじませる人、高みに立つ彼女に歯噛みする人。

 拍手と共に開会式が終わり、選手は一度解散して試合場の準備が終わる。それぞれの試合場に選手が二名ずつ立った。

 剣道の試合場と同じ四角い白線で囲まれた十一メートル四方の空間。

 最前列の特等席にはスーツ姿のアレクシアや作業着の中島さん、それに広田の姿も見えた。

 時刻はちょうど十時。彼らが見守る中、一回戦が始まった。

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