第21話 今までめぐり合えなかった人

稽古後、道着から私服に着替えた僕たちは母屋に移り、ちゃぶ台を囲んで一服した。

 急須から注がれるエメラルド色の緑茶は、中島さんがこの間のお礼ということで持ってきてくれた玉露。

 僕がいつも飲んでいる出がらしの番茶とは比べ物にならないほどに香りが良い。

「ご両親は? 稽古も終わったし、この前のお礼を……」

「もういない」

 僕は棚に飾られた写真立てを見ながら、そう言う。

 想像よりもキツイ言い方になってしまったことを、中島さんの表情を見て後悔した。

「もういないって、ひょっとして……」

 両親のことや亡くなってからの道場の事情をざっと説明する。

 少し長くなってしまったけれど、中島さんは嫌な顔一つせず話を聞いてくれていた。

 僕の話を聞いた後、中島さんは両親の写真に向かって手を合わせる。瞑目しているその姿からは、凛としつつもどこか悲痛なものが感じられた。

「ごめんなさい」

 中島さんは畳の上に正座したまま、頭を下げた。

「気にしてない、って言うのは嘘になるけど。みんなが思ってるよりは平気だから。もう慣れた、からかな」

 急に一人で使うことになった大きめのちゃぶ台も。

 静かになった家の中も。

 一人で稽古し、掃除するしかなくなった道場も。

 はじめは両親のことを思い出して泣いてばかりいたけれど、やがて胸が痛くても涙が流れなくなった。

 それにしても中島さんは僕のことを変わっている、と言ったけれど。彼女の方がよっぽど変わっている。

 僕の家庭の事情を知った時。

 

「ウザイ親がいなくなって、嬉しかったやろ? ぷーくすくす」

 

 こうやってからかう奴らもいた。

 大体は、何て言っていいかわからないらしく気まずそうな顔をして立ち去るけど。

 アレクシアは僕のことを調べた時に知ったのか、表情を変えなかった。

 でも中島さんは、そのどれとも違って。

 正座から背筋を真っ直ぐにしたまま立ち上がると、綺麗な所作でお茶をもう一杯入れてくれた。

 急須の口から注がれる、エメラルド色のお茶。膝立ちで綺麗に畳の上を移動しながら、女子らしい綺麗な指を伸ばして湯飲みをそっと差し出す。

 茶道でもやっているのだろうか、見とれるほどに綺麗な仕草。

そのままなにも言わないけれど、仕草や物静かな表情が多くのことを語っていた。 まるでこうして欲しかったのを、わかっていたかのような振る舞いだ。

本当に辛い時、優しい言葉よりも、元気のある励ましよりも。

 ただ、誰かにそばにいてほしい。

今まで出会えなかったタイプの人に、やっと巡り会えた気がした。



 翌日、朝の稽古を終えて登校する。

 潮風の香る道を歩いていると普段と空気が違うのを感じた。学園に吸い込まれていく生徒たちの様子が、どこか浮ついていた。

 僕と目が合うとキャーキャー言う見知らぬ女子や、警戒するように囁き合う男子。

 街路樹の葉っぱがみぞれのように降り注いできたのを払いのける。その仕草にすら熱のこもった視線を感じた。

 教室の扉を開けると、クラス中の視線が僕に集中していた。昨日のことがあるから当然とは思うけれど、それにしても異常じゃないか?

 ぼんやりとそんなことを考えながら鞄を自分の机に置こうとすると、クラスメイトの一人がスマホを差し出して興奮気味にはしゃいだ。

「おい柳生、昨日のことニュースになってるぜ!」

 ヤ〇ーニュースやグー〇ルニュースで、

『聖演武祭出場者、卑劣な暴漢を撃退!』

『ナイフを持った武道家を素手で押さえる、柳生宗太』

『今大会のダークホースとなるか』

 といった見出しの記事が躍っている。

「これは……」

 普段は着信があってもほぼ無視しているクラスのグループラインを開くと、この記事の噂で持ちきりになっている。

 学園中を巻き込んで、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。

 当然僕が聖演武祭に出場することも、学年はおろか学園中に広まっているらしく廊下を通るたびにひそひそと囁かれたり、握手を求められたりした。

 後でアレクシアと中島さんに話を聞いてみる。

「私にも…… なにがなんだか」

 という中島さんとは対照的に、アレクシアがドヤ顔で語る。

「ワタシがシーメンス社に手を回して、今回の件を都合よく報道するように仕向けたわけでス。聖演武祭の会場で暴力事件が起こった、ではなク。選手が活躍しタ、と」

「アヤが漏らした時はひやひやしましたガ…… 記事についているコメントを見る限り、好意的な意見が多いようでス」

「ご、ごめんなさい。事態を隠すよう頑張ってくれたのに」

「まあ、結果オーライというやつでス」

 アレクシアはこともなげに語ったけれど、目の下にうっすらとクマができている。

 その日の午前中の授業は、彼女はほぼ寝て過ごしていた。



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