第18話 発覚
「~」
朝。秋の日が差し込む教室に、アレクシアの鼻歌が響く。
ドイツ語のハミングは意味が良く聞き取れないけれど、感情は声を介して伝わる。
教室の窓から見下ろせる青い海にさえ、嬉しいという感情が溶け込むようだ。
「アレクシアさん、何があったのかな」
「登校してきてから、ずっとあんな感じで。何があったかも教えてくれないし」
「これは恋、恋だね!」
あっという間に学内カースト最上位に上り詰めたアレクシアの様子に、教室中が彼女の話題で持ち切りだ。
しかしすぐに聞きに行く人はいない。皆、遠巻きに眺めながら彼女の様子を堪能しつつ小声で話している。
やがてそれにも飽きたのか、女子グループ数人がアレクシアのそばに行く。何があったか尋ねるとアレクシアは見たこともないデザインのスマホを掲げ、甘く蕩けるように呟いた。
「今日は、聖演武祭の出場選手の正式発表の日ですかラ」
アレクシアの回答に「なんだ、そっかー」「まあアレクシアさんらしいねー」と苦笑する女子たち。
それも、あるだろうけど。本当の理由は僕と中島さんしか知らない。
今日はアレクシアの、柳生流剣術初稽古の日だ。
今日の十五時、聖演武祭のホームページで出場者が発表される。六限目の授業が終わる十分前だ。
一代イベントの発表を前にして、汐音高校は朝から浮足立った雰囲気が漂っていた。
今や聖演武祭は全世界同時配信される一大イベントだ。興味がある人は勿論、それほど興味がない人も場の空気にあてられている。
直前での投稿やつぶやきを気にしてか、発表になる前から授業中にスマホをのぞこうとする人もいたが、そのたびに先生から注意を受けて没収されていた。
だが教室の浮足立った雰囲気は収まらず、六限目担当の先生はため息をついた。
「先生も見たいから、これから誰もスマホをいじらずに真面目に受ければ授業を少しだけ早く終わらせてやるぞー」
その言葉に教室中が水を打ったように静まり返る。廊下から聞こえる、隣のクラスの声の方がうるさいくらいだ。
やがて隣のクラスも、その隣のクラスからも声が聞こえなくなった。
授業終了までの数分間、教室には先生が黒板に板書する音と、クラスメイトがノートを書く音しか聞こえなかった。
「終わり! 起立、礼!」
本来の授業終了時刻より三分早く終わり、地を揺るがすような大歓声が学校中に響き渡る。
その様子を聞きながら、先生が得意げに笑っている。他のクラスの先生も同じようにしたらしい。
ひょっとしたら、こうなることを見越して先生同士で打ち合わせしていたのかもしれない。去年も似たような感じで、出場者発表の日は授業が手についていない感じだったし。
クラスメイトのほぼ全員が教科書をしまうことすらせず、一斉に鞄に手を突っ込んでスマホを取り出した。
「今年は~選手出ないのか~」
「推しだったしね」
「北辰葵は当然のように参加か……」
「お、これ初めて見る! 動画出てないか、チェックチェック」
教室が、いや学園中が蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
僕はその様子を、どこか冷めた視線で見守りながらも。誰かが僕に「お前出場すんのか? マジすげえ」と聞きに来ないかと、期待していた。
やがてその時は、僕の期待とだいぶ違った形で訪れる。広田と数人の剣道部員が僕の席まで来て、ドスの効いた声でスマホの画面を突き出した。
「おい、これどういうことだ」
聖演武祭のホームページ。出場者と流派名の一覧が掲載されている箇所。
その片隅に名前が挙がっている、柳生流剣術と柳生宗太の文字。
険悪な雰囲気を察したのか、僕の隣の席の人の表情が強張った。やがて動揺と恐怖はさざ波のようにクラス中に広がっていく。
スマホを見ていた他のクラスメイトからも、似たような声が上がり始めた。
「これ、柳生の名前?」
「マジだ、流派名も乗ってる」
「同姓同名の別人じゃない?」
こういう場合、どうすればいいのだろう。
周囲の空気が自分のせいで険悪になった場合、どうやれば収まるのだろう。
「ひょっとして…… マジか?」
「う、うん……」
広田の問いかけに、僕はおずおずと答える。
「ふざけんな!」
広田が僕の机に拳を振り下ろした。その音に、教室が静まり返る。
「俺はずっと剣道部で努力して、一年ころからレギュラーで、全国は逃したが県大会も出たんだぞ! それなのになんで部活途中でやめたお前が、選ばれる!」
「そうだ」
「間違いだろ」
「インチキしたんじゃね?」
彼らの声を聞きながら、心がすっと冷えていく。目の前の出来事がどこか遠くの場所のように、画面越しの世界のように感じられる。
普段クラスでうまくやっている人間は、こうやって大声で騒いでもっともらしいことを言う。
ただそれだけで、クラスの空気を味方に付けられる。
一度空気が出来上がると、コミュ障やぼっちにそれを覆すことは不可能だ。
それでも半分くらいはこの空気に疑いを持っているけれど、見て見ぬふりだ。空気を読むという、数の暴力を助長する行為だ。
だから空気は嫌いだ。空気を読む人間は大嫌いだ。
「どうせお前なんて、ちょっと変わった技が使えるだけのくせによ」
「柳生流とか、聞いたこともねえ」
「ダッサ」
いい加減、腹が立ってきた。
「アレクシアさんもそう思うよね?」
「え、イヤ、」
横目にアレクシアの姿が目に入る。彼女にしては珍しく歯切れが悪く、目が泳いでいる。
クラスのこの状態を見て、どう振舞うか決めかねているのだろうか。
ハイヤーの中で凛としていた彼女からは想像もつかないその姿。
だがアレクシアと目が合うと、彼女は僕にだけわかるように片目でウインクした。
あのテンパってる感じは演技で、僕がどう振舞うか見たがっているのか?
でも正直、どうすればいいのかさっぱりわからない。
小学生のころはいじめられていた。だから、他者から責められた時は俯いて時間が過ぎるのをやり過ごすことだけを覚えた。
これがコミュ強なら、普段から築き上げた立場とカーストを利用してうまく立ち回るのだろう。
サムライなら、恥じず動じず堂々としているのだろう。
でも僕はいじめられっ子のコミュ障だ。この場をどうこうするテクニックはないし、普段から人付き合いを避けているから助けてくれる友達もいない。
「柳生くんを悪く言わないで!」
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