第17話 中島視点1
私の家に着いて、お父さんと難しい話をしたアレクシアさんは今お風呂に入っている。
私は一足先にお風呂に入って、自室に戻った。
畳に丸いローテーブルと座布団、棚には写真立てに入れたお母さんの写真が置いてある。
教科書や参考書が並べられた木目調の棚の上に置かれた、白い写真立て。
あの時から、ずっとそのままの姿のお母さん。
いつもは伏せているそれを立てると、目をつむって手を合わせた。
お母さんは数年前に病気で亡くなった。だから柳生くんがご両親に心配をかけるような真似をした時カッとなったし、国立武道館でも母親とはぐれたと聞かされただけで入れ込んでしまった。
私は、嘘が嫌い。
目を閉ざした暗闇の中で昔のことを思い出す。
お母さんが亡くなった時、周りを心配させないように笑顔を作っていると「毎日楽しそうだね」と事情を知らないクラスメイトから心ない言葉をかけられた。
違う。
本当は、苦しいの。
でもみんなを心配せたくないから、笑顔でいるだけなの。
声を枯らして、そう叫びたかった。
でもいい子のふりをすれば、周囲はいい子だとほめてくれる。真面目なように装えば、周囲は私のことを真面目だと評価する。でも私が助けてほしいと言い出せないほどに苦しくても、周りを気遣って愛想笑いを浮かべると、周囲は楽しそうだと言う。
どうにも私の気持ちと周囲の評価はくいちがう。
本当に苦しい時、すぐに気が付いてもらうために。私は嘘をつけなくなった。
アレクシアさんが来る前に教室で転校生について聞かれた時も、本当は知っているけれどそれを素直に言うのははばかられて。
でもうまく嘘をつけなくて。結局言葉を濁して曖昧な態度を取るしかできない。
だから、あの子を変に感じたけど疑いたくなかった。
苦しい時に本当の気持ちを間違って受け取られるのが、どれだけ嫌なことなのか知っているから。
でもあの人たちは、悪い人だった。
心の中にずっといてくれているお母さん。今日無事だったよ。ありがとう。それと、下手な誘いに乗ってしまってごめんなさい。
それからゆっくりと目を開けた。暗闇の世界に光が差し込み、自室の風景が目に飛び込んでくる。
それと同時に、私は気持ちを切り替えた。
泣いてばかりだと、お母さんが天国で心配するだろうから。落ち込むのはこれでおしまい。
部屋のドアが開き、お風呂上がりのアレクシアさんが戻ってきた。
「落ち着きましたカ?」
「う、うん」
アレクシアさんが入れてくれたお茶とケーキで、私はやっと人心地つく。ローテーブルの前に座布団を敷いて、二人並んで腰を下ろしていた。
辛いときに、話を聞いてくれる人がいるのはすごく嬉しい。清志と清嗣という人たちのことを思い出すだけで、今でも手が震える。
「迷惑かけちゃったね……」
「まったくでス。ソウタが無傷で制圧してくれたかラ良かったものノ。聖演武祭会場で私闘による怪我人がでたラ、スポンサー企業である我ガシーメンス社のイメージダウンは計り知れませン。今回のことモ事態が明るみに出ないよう、もみ消しに苦労しましタ」
「そこ、言っちゃっていいの?」
私が自嘲気味につぶやいたセリフに、アレクシアさんは真面目に返した。それがおかしくて思わず苦笑する。
「アヤは嘘が嫌いなタイプですから。それに賢イ。下手に取り繕うよりも、醜い真実を知らせた方がいいでしょウ」
アレクシアさんは、本当に頭がいい。
慰めるときも心配するだけじゃなく、笑顔やジョークも織り交ぜて私の気分がこれ以上暗くならないように気を使ってくれた。
お母さんが亡くなった時に知ったけど、過剰すぎる優しさは痛い。心配されすぎると、気が滅入る。
優しいだけの人はそれを知らないから、ぐいぐい優しさを押し付けてくるけど。彼女は決してそれをしなかった。
「でも不謹慎ですガ、ソウタが素手で相手を制圧する技を見られましたのデ。その点は感謝していまス。まさにサムライでス、ロマンスでス、リーベスゲシヒテでス」
「でも、なによリ」
熱っぽく語っていたアレクシアさんが一変、真剣な表情になる。
「アヤが、無事でよかっタ」
アレクシアさんは真っ白な腕を伸ばし、私のことを包み込むようにして抱きしめてくる。
友達とですらこんなに触れ合ったことない。服越しの彼女の暖かさが、柔らかい手のひらが、心の奥に積もっていた不安や恐怖をゆっくりと溶かしていく。
「お母さん……」
アレクシアさんのぬくもりは、何一つ不幸なんてなかった時のことをふと思い出させた。
小さい頃。後をついて行くのが精いっぱいだった、大きな背中のお母さん。
歩き疲れておぶってもらうと、それまでの疲れが嘘みたいにどこかに行ってしまって。高いところから今来た道を眺めるのが何より面白かった。
優しくて暖かくて、もう今はいないお母さん。
思わず漏らした一言を、アレクシアさんは聞き逃さなかったらしい。
いつくしみ深く微笑んで、もっと強く、きゅっと抱き締めてくる。
どうして彼女は、こんなにも私を安心させてくれるんだろう。
本当につらい時、ただ一緒にいてくれるだけでいいって、わかってくれるんだろう。
でも感じたのは、安心感だけじゃなかった。
胸と胸が触れ合うと、そのサイズの差がよくわかって圧倒的敗北感を感じた。
同じ年なのに、この差は何?
この世にはどうあがいたって勝てない相手がいる。それだけのことなのに胸が痛い。
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