第5話 人づきあいは嫌いだ。
「グーテンモルゲン! 皆さま、お早うございまス! ドイツからの留学生、アレクシア・フォン・シーメンスでス、よろしくおねがいしまース!」
翌日、留学生がうちのクラスに来た。
朝のホームルームで、少しお国訛りのある日本語で挨拶をする。彫りの深い顔立ちと宝石のように蒼い目、流れるような金糸の髪という典型的な美少女だ。
先生の紹介では僕らと同い年ということだが、制服を押し上げる胸部の膨らみと黒板に名前を書くときに露わになった臀部の曲線は、この教室の女子の追随を許さなかった。
「何か聞きたいことはあるか?」
教師の言葉に、クラスメイトから手が上がり、テンション高い声が聞かれる。
そんな様子を僕は冷めた目で見ていた。
「アレクシアさんはなんで留学しに来たんですか?」
「それは、ヤーパンの文化に触れること。それと、ウチの企業も出資する『聖演武祭』をこの目で見るためでス」
「聖演武祭に出資してるって…… それすごくない?」
聖演武祭は国内屈指の企業、四菱工業が主催するだけあって一大イベントだ。
国外からも多くの観客が訪れ、最新鋭の人工知能を試合に使うだけあって多くのエンジニアも大会に参加する。
「ウチのクレメンス社も、四菱には劣りますが巨大企業ですかラ。こういったイベントに助力して皆さんが楽しむお手伝いをさせていただきたいのでス」
口角が軽く上がり、目が細まる。アイドルのような笑顔に陰キャタイプは見とれ、陽キャタイプははやし立てた。
「おお、出資してるってマジですか?」
「マジ、ウイルクリヒ。協賛企業にシーメンス社のロゴがはいっているはずでス」
「すごいなあ~。口利きで出場出来たりとかしません?」
「そればっかりは、さすがニ……」
アレクシアさんは苦笑いする。でも苦笑いにすら男子は見とれていた。
嫌味にならない態度、人を不快にさせない発言、磨き抜かれた容姿。
僕はどんな裏があるのかとうがって見てしまうけれど。こういう女子に対して、普通はどういう感想を抱くんだろうか。
でも僕の気持ちなどお構いなしに、話題は移っていく。
「どこに住んどるん?」
それを聞かれて、アレクシアさんは初めて言葉に詰まる。プライベートすぎたのだろうか。
教室の空気が気まずい感じになる。
でもアレクシアさんは先手を取った。
「今、このクラスのアヤの家にホームステイしていまス。ヤーパンの伝統的な家屋と言った感じで、興味深いでス!」
その言葉に、クラス中が色めき立った。
「彩、ホームステイ先ってことはやっぱり詳しい話知ってたんじゃん!」
「う、うん。でも混乱するからって、前もって言わないようくぎを刺されてて」
中島さんは困ったように、誇らしいように答えた。
転校してきた美少女が実は主人公の家にホームステイ、なんてありえない。
中島さんといえばこの町の中島工業の家だし、同じ大企業同士つながりがあったのだろう。ごく当たり前の帰結。僕と金髪碧眼美少女の間に、接点などありはしないのだから。
「最後の質問! アレクシアさんが一番好きなものってなんですか?」
空気が変わる。
それまでの笑顔が別人のように真剣な表情になり、視線がクラスを一巡する。
彫りの深い顔立ちに走る蛍光灯の影が際立つ。
「サムライでス」
クラスがきょとん、とする。一旦間を置いて、軽いざわめきが広がった。
ギャグなのか真剣なのか、計りかねている様子だ。
でも僕には腑に落ちた。彼女の言葉がすっと入ってきた。
これが彼女の、一番言いたかったことなのだと。
ずっと重たい空気の中で育ってきたせいか。僕は軽い言葉や空気を読むのは苦手だけど、真剣な雰囲気を察するのは得意だ。
でもアレクシアはすぐに真剣な雰囲気を崩し、笑顔を作った。それにつられてクラス内の空気が和やかなものになる。
「格好いいですシ、精神性にも憧れまス。このヤーパンに来た一番の目的は、サムライと直に接することですカラ」
「そのためには剣道や古流の人たちが集まって戦う、聖演武祭は絶好の機会でス」
言葉に熱っぽいものが混じり、クラスにも伝播していく。
過去の聖演武祭の話や、実際に見に行った人の体験談、去年の優勝者である北辰葵の話題などがそこかしこで語られた。
そんな話題にも加わらず、僕は頬杖ついて窓の外を見る。
海に面した高台にあるこの学園からは、紺碧の海と白い波浪が一望できた。
港に近づいた船が、海面に白い航跡を残して低音楽器のような汽笛を鳴らす。そのボーっという音は騒がしいクラス内でもよく通った。
「そういえば、柳生が古流やってなかったか?」
名前も覚えていないクラスメイトの一声で、クラスの視線が僕に集まる。
だがアレクシアさんはそれにとどまらず、教壇から駆け下りて僕の手を握ってきた。突然の彼女の行動に、クラス中の視線が一斉に集まって気持ち悪い。
ただ前屈みになったせいでくっきりと胸がその形を主張する。
サイズが合っていないのかブラウスのボタンの隙間から白い肌が一瞬だけ見え、血液が沸騰するような感じがした。
「アナタは古流をやっていると! 流派は? 腕前はいかホド?」
「柳生流剣術っていう、一応、宗家で、免許皆伝だけど……」
手を握られたので反射的に振りほどきそうになったけど、殺気も闘志も感じられないから抑
えられた。
だがドイツ美少女の好奇心は抑えられなかったらしい。
「免許皆伝! ヤーパンの武術の最高位! ぜひともお手並み拝見したいでス!」
目を文字通りにキラキラと輝かせる。
柳生流のことを話して、ここまで興味を持ってくれた人は初めてだ。
ひょっとしたら。もしかしたから、そんな期待をこのドイツからはるばるやってきた少女に抱いた。
だがアレクシアさんは手を離し、軽く頭を伏せた。
「でモヤーパンの古流の最高峰と謳われる北辰一刀流を体験に行く予定ですのデ、時間ができましたラお願いしまス」
ああ。やっぱりか。
しょせん柳生流なんて十把一絡げの古流のうちの一つでしかない。
海外からはるばるやってきた武道好きな人なら、名実ともに最高峰の流派に一番の興味を抱くのは当たり前だ。
時間が出来たら、というのは行く予定がありませんという意味で使う言葉。
胸の奥に重しを突っ込まれたような、嫌な感じがした。
ふと十年前、テレビに父さんが出演した時のことを思い出す。
それくらい昔、介護に古流を活かすとか、スポーツに古流の動きを応用するとかロボット研究に役立てるとかで古流がちょっとしたブームになったことがある。
その流れでウチの道場にもテレビの取材が来て、それで何人か門下生が入ったことがある。
久しぶりの門下生に父さんは大喜びで、熱心に指導した。
でもブームが去ると、門下生はみなやめていった。
あの時の父さんの寂しげな顔が、今も忘れられない。
彼女もしょせん、彼らと同じだ。興味があるとき、自分の得になるときだけすり寄って。興味をなくしたらあっさりと離れる。
人はいつだって簡単に裏切る。だから人付き合いは嫌いだ。
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