第4話 差し押さえ

放課後の教室でも、クラスは聖演武祭と留学生の話題で持ちきりだ。

「聖演武祭の優勝、今年は誰だと思う?」

「そりゃ北辰葵っしょ。去年も高一だってのに、圧倒的だったわ。やっぱ天才ってのは違うわ」

「留学生、ドイツから来るって聞いたけどマジやばくない?」

「めっちゃ美人かな~」 

 着替えのつまったエナメルバッグを肩にかけた男子が仲間と共に教室を飛び出し、学校近くや駅チカのカフェーやファーストフードに寄り道しようと相談する女子が談笑しながら教室に残っている。

 中島さんはそういった輪から今は離れ、教科書や筆記用具を丁寧に鞄に詰めて席を立つ。

「アヤー、今日はいいの?」

「う、うん…… 家の用事があって」

 テンション高いクラスメイトの声に、中島さんは語尾を濁しながら答える。

 そういったクラス内の様子を、僕は会話に加わるでもなく文庫本を読みながらちらちらと観察していた。集団になじめなくても、何が起きているのか、中心となっている話題は何か、くらいは知らないとトラブルの元になる。

 はじめの頃は親しくしようとしてか僕に会話を振ってきたりするクラスメイトもいた。だけどコミュ症の僕とでは会話が盛り上がらず互いに気まずい雰囲気になるばかりだった。

 やがて僕に興味を失ったのか、今はもう声をかけてくるクラスメイトはいない。

 無理に合わせる会話とか、上っ面だけの人付き合いは疲れる。

 無機質なデザインの壁掛け時計が目に入る。針が指し示した時刻を見て、僕は席を立つ。

 そろそろ時間だ。

 潮の香りを嗅ぎながら、僕は高台を下っていく。汐音高校の周りには高い建物がなく、見渡す限り海と松林、川沿いに田畑、それに色とりどりの屋根だ。

 別の一角には中島工業をはじめとした工場の白っぽい外壁が固まっている。

 青いブレザーにチェック柄のズボン、同じ柄のスカート・ブレザーという制服をまとった高校生たちが坂を下りていく。

 そのまま十五分ほど歩き、家に帰りついた。時刻は四時を少し回ったくらい。

 


 素人の僕の手で申し訳程度に手入れされた庭木が家の敷地を囲い、母屋となる場所の隣に道場が建てられた僕の家。

 道場と家を合わせるとかなりの面積になり、普通の一戸建ての何倍もの広さがある。

 玄関手前の留め金が錆びた郵便受け。力を込めて開けて、夕方の風を少し肌寒く感じながら中身を取り出す。

 スーパーの広告や塾のチラシといったものの中に役所からの書類が入っていた。

 僕はそれらを取り出して家に入る。お帰りの声もなく、夕飯を作る家族もいない母屋。歩くたびに木目の廊下がぎしぎしと音を立て、破けた障子から隙間風が入った。

 母屋を抜けて、数百年の歴史を持つ道場の扉を開ける。

 この隙間風の入る古びた道場にいるのは、今はもう僕一人。

 道場の広さは剣道の試合場を二面縦に並べたくらいだ。

 その上座に据えられた神棚に対し、僕は拳を床につきながらゆっくりと一礼する。

 壁にかけられた木刀は剣道の木刀と比べ細く、そして長い。それを手に取って、「青眼」に構える。

 青眼とは体や木刀を相手に対し斜め四十五度に向ける、独特の正眼。柳生流ではまっすぐ向ける「中段」と区別する。

 その構えから右足を一歩踏み出し、木刀を振り下ろす。

 能や日本舞踊のように静かに、頭を上下動させない足運び。

 そのまま左右交互に踏み出して木刀を振る。

 薄氷を踏むがごとき足さばきは、大きく踏み込んだ時も道場に物音一つ立てない。

 次に「参学円之太刀」という、基本の形を繰り返す。一刀両段、斬釘截鉄、半開半向、右旋左転、長短一味という五つの形から成っている。

 隙のない構えではなくあえて隙を作り、敵を誘い出して決める。

 剣道のように面や小手に激しく打ち込むのではなく、相手の竹刀や小手を押さえたり、面や目に寸止めしたりするだけであまり暴力的な感じはしない。

 もちろん古流である以上残酷な応用はあるけれど、習い始めた時は人を叩かないので安心した覚えがある。

 そのまま基本の形、応用の形を一人で繰り返していく。

 時計の針が六時を回ったところで僕は汗をぬぐい、道場の掃除をする。ほうきでゴミを集め、ちりとりでとった後雑巾がけしていく。

 古流の良いところは、一人でも稽古がしやすいことだ。

 形を一つ一つ丁寧にこなすことで筋力、間合い、タイミング、足さばき、なによりいにしえの精神といったものをすべて網羅できる。

 本当は相手がいたほうがいいけれど、仕方ない。この道場には、もう僕一人しかいない。

 僕の家に代々伝わる古流、柳生流剣術。

 宗家の息子ということで小さいころから木刀と竹刀を握らされた。

 でも昔は古流が嫌いだった。木刀も竹刀も、道場も大嫌いだった。

 延々と続く素振り、日常生活で使うことのない歩き方、剣道や他のスポーツでは反則にしかならない技の数々。それらすべてが意味のないことにしか思えなかった。

 それに子供の門下生が僕一人だったから、友達もできない。同年代の友達が共通の趣味でグループを作って一緒に遊んでいるのを見るのが羨ましかった。

 仲間に入れてほしい。そう言ったこともあったけれど、僕の家そのものが珍しい目で見られ、

『何でお前なんか入れるの?』

『怪しげな道場にいるくせして』

『この時代遅れ、バーカバーカ』

 そう返されるのが常。

 小さな子供はちょっとしたことで、他の子どもを差別したりいじめたりする。柳生流と言う古流は、格好のいじめのネタでしかなかった。 

 北辰一刀流をはじめとして名が知れ渡る古流と違い、名だけが残る古流なんて部外者から見れば怪しげなものでしかない。

 これが器用な子なら、うまくやれたのだろう。

 でも僕はからかわれたら怒るか、泣くか、落ち込むしかできなかった。

 そうすると相手はますます調子に乗るという悪循環に陥る。

 でもむしろそうやっていじめられてから嫌いだった柳生流の稽古には熱心になっていった。

 自分の体を苛め抜いていると殴られたりからかわれたり、無視されたことを忘れられたから。

 くたくたになって筆記用具も持てないくらいに疲れ切ると、悪い夢も見ずに寝られたから。

 そうやって、無心になることが楽しくなって。

 それに稽古は厳しかったけど両親は優しかったから、それが救いにもなった。

 学校の知り合いと顔を合わせずに無心になれる時間が楽しくなって、目録、免許と段位が上がっていくとさらに嬉しくなる。

 気がついたら沼っていた。一日でも稽古をしない日があるとすごく気になって、インフルエンザで三十九度の熱が出ても部屋の中でこっそりと稽古した。

 そうしているうちに、体つきが変わっていた。線が細く、撫で肩なのはそのままだったけど。猫背気味だった姿勢がまっすぐになり、小枝のように細かった腕は筋張って、筋肉の隆起が

見えるようになった。

 そうして気が付くと、僕に対するいじめはなくなっていた。中学一年の頃だっただろうか。

 でもその翌年、両親が他界して一人ぼっちになってしまった。

 辛くて、泣いて、それでも何とか立ち直ったけれど。

 立ち直った時、自分の置かれた状況を理解してしまった。

 両親が死んで、家はお金持ちじゃない。そうなるとお金の問題が出てくる。

 祖父母も、親戚もいなかったから援助を頼める人もいない。

 遺産と生命保険と、国からの年金だけでは家と道場を維持するのは難しかった。

 自炊をはじめ節約したりと色々な面で工面して、ぎりぎりで耐えてきた。休み期間中は様々なバイトをして、家計の足しにした。

 それでも全然足りなかった。

 もちろん、道場を売ってしまえば解決する。

 家が二、三件は立てられそうな広さがあるし、土地代だけでも十分なお金になると訪ねてきた不動産屋に言われたけど、すべて断ってきた。

 両親との絆を僕自身の手で壊してしまうのが怖かった。

 売ってしまえば、今までの自分がなくなりそうで怖かった。

 我を忘れるほど熱心に打ち込んだたった一つの場所。それが失われる、売られる、更地にしてマンションにされる、それが恐ろしいものに感じた。

 でもそろそろ限界が近い。

 母屋に戻って役所からの書類を見ると、「一か月」「差し押さえ」という言葉があった。

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