第7話-2

 王宮の一室に運ばれたベルナールは毛布に包まれベッドの上にポツンと座っていた。王子の命令で彼の世話をしに来たメイドたちは廊下でコソコソと話をする。

「見た? あの燃える髪」

「怖いわよね……。今は大人しいけど正気が戻ったら私たちどうなるか……」

メイドの無駄話を遮るように近くの扉が乱暴に開かれる。

広い王宮を管理する執事の一人、イーサンはありきたりな茶色の瞳でメイドたちをギロリと睨みつけた。

「殿下の客人の悪口を言う不躾ぶしつけな声が聞こえましたが」

メイドたちはビクッと体を震わせると慌ててその場から散った。

「全く、奇跡の子になんてことを……」


 平凡な茶髪茶眼のイーサンは飲み物を持ってぶつくさ文句を言いつつベルナールが滞在する部屋の扉をノックした。

「失礼します。ベルナール様」

イーサンは返事をしない部屋の主に遠慮せずツカツカと部屋へ踏み入り、ベッド脇のテーブルにグラスを置いてデカンタを傾けた。

「お飲み物です」

イーサンはベルナールの手にグラスを握らせた。ベルナールはぼんやりと中空を見つめていて、グラスの中身がリンゴ酒でも毒でも分からない様子だった。

イーサンはベルナールの様子に溜め息をつくと彼の炎くすぶる紺色の髪をサラリと撫でた。ベルの体は反射的に強ばる。

「こんなに美しい炎だと言うのに、人間はあれだから困ります」

イーサンはリリーがしたようにベルナールの頬に口付ける。

「いつでも私たちの元へ帰って来てください、奇跡の子」

イーサンは離れようとしたがベルナールは思わず彼の袖を掴む。イーサンの瞳は茶色から金色に変わっていた。

「……お前も精霊か?」

「も?」

「リリー……エポナの従者が……」

「エポナ様の従者?」

イーサンは口元を押さえて考える素振りを見せたが、うーんと唸ってベルナールの顔を見る。

「リリーと言う名前に覚えはありませんが」

「馬なんだ。銀の……」

「ああ、彼女」

イーサンはベルナールに零れそうだったグラスをしっかり持たせて中身が見えるように高くかかげた。

「お飲み物です。リンゴ酒ですから口当たりも優しいですよ」


 イーサンはベルナールの近くに腰掛けリンゴ酒を飲み出すのを見守った。

「落ち着きましたか?」

「ああ、うん……」

イーサンが扉に手の平を向けるとガチリと鍵がかかる音がする。

(無詠唱の魔法……)

「……なんで精霊が執事してんだ?」

「我々は仮初かりそめの姿で人界じんかいにも出入りしていますよ。貴方あなたの言うリリー様もそうです」

「それは、何故?」

「様々な理由があります。聖剣が正しく使われているか見守ったり、貴方のような子を見守ったり」

一人で生きてきたと思っていたベルナールはポカンとした。

「精霊が、俺を……?」

「生死の境を彷徨さまよったのに奇跡的に助かったことが何度かありませんか?」

「……ああ」


 ベルナールには暗殺者に狙われリリーに助けられた時以外にも心当たりがあった。

食べる物にあり付けず力尽きた幼少期。

しがない傭兵の家に匿われて命拾いをしたり、養父亡きあと傭兵見習い時代に大怪我をして血を多く流したのに気付いたら見知らぬ廃屋はいおくで目を覚ましたりと。


「……何回か……」

「ああ言う時に介入していたのは私たちのような存在です」

「それなら、どうして何も……」

「何も言ってくれなかった?」

 ベルナールは力なく頷いた。

「介入出来る時と出来ない時があるんです。私たちだって奇跡の子を放置したくありませんよ」

ベルナールがぼやっとイーサンを見つめると、視線に気付いた執事はニコッと笑顔を返した。

「でも今回は、いえ、今度こそ人間が態度を改めて貴方たち暗炎あんえんの子を愛するなら私たちは介入しないのですが、雲行きが怪しいので」

イーサンは扉の外に視線を向けるとわざと外に聞こえるように話した。


「大いなる者と精霊は奇跡の子の帰りを待っています」


執事の格好をした何かは立ち上がると唇の前に人差し指を立てた。

執事の格好が、人に仕えるそれから白い一枚着になり古い時代の装飾に変わる。茶色の髪も金色になり、輝きを放つ。


暗炎あんえんの子は地上に残された最後の奇跡。それが回収される時、人は魔法を失うでしょう」


イーサンはかがんでベルナールの額に口付けた。

ベルナールが見上げたイーサンの顔は笑顔でありながら背筋が凍るほど恐ろしかった。

「ベルナール、人の世を呪う時は自害などせず再び聖剣を抜きなさい。力を貸します」


 扉がドカッと蹴破けやぶられた時、ベルナールの前からイーサンは消えていた。

ぞくは!?」

わらわらと押しかけた円卓の騎士たちはベルナールの周りに集まる。

「大丈夫ですかベルナール!? 怪我は!?」

「その飲み物はいつ誰が持って来ました!? 中身を確かめます!」

「飲み物を取り替えた方が……、あ、あのハチミツミルクなどどうでしょう? 子供の飲み物で嫌かな?」

「ベルナール、体を失礼しますね。乱暴されていないか確かめます」

円卓の騎士たちは甲斐甲斐しくベルナールの世話を焼き始め当人はされるがままポカンとする。

「ただのリンゴ酒ですね、大丈夫そうです」

やっと現実感が戻ってきたベルナールの体にゾッと悪寒が走る。

今、円卓の騎士は自分に触れたのか? と。

「ベルナール?」

フランシス王子が手を伸ばすとベルナールは後ずさった。

「……触るな」

「ベル」

「触るな!!」

ベルナールは青い顔をして壁際まで後ずさった。

「べ、ベルナール殿?」

「触るな。騎士どもが」


いつも、暗炎あんえんの子とバレた途端騎士か兵士が呼ばれた。

銀の鎧、銀の剣。ヒヤリとした金属の冷たさ。

髪を乱暴に掴まれいつ喉を斬られるか足を斬られるか分からなかった。


ガタガタと震えるベルナールの手にはいつの間にか聖剣タラニスが握られていた。ここにいない何かがニタリと笑ったような気がした。

「来るな……」


男の心は母が殺された瞬間に止まっていた。

母の微笑みだけが脳裏のうりに焼き付いて、あとは一面血の海だった。


「熊を素手で殺した? 俺が? 子供に何が出来る?」


ベルナールの呼吸は荒くなっていた。指の先に血の気はない。

体が冷たいのに頭は血が上って熱かった。


「熊をけしかけたのは円卓の騎士じゃないか」


野生の熊にわざと怪我を負わせ、力なき母子に差し向けたのは聖剣を持った男たちだった。男たちは逃げ惑う母を見ながら笑っていた。


「殺人鬼ども」

円卓の騎士たちが青ざめる中、ベルナールは聖剣を自らの首筋に当てた。

「やっと、信じられる騎士が出来たのに、そいつは死んだ」

オリヴァーは事を知ると額がけずれるほど床に頭を擦り付けた。

聖剣使いにそんなことをされたのは初めてで、ベルナールは彼なら信じてもいいかもと希望を持った。


「どうして、みんな置いてくんだ。オリー、母さん、義父とうさん……」

「あー、こらこらそっちじゃないだろ」

ギュッと目をつむったベルナールの背後から黄金の鎧をまとった両腕が現れ、腕は聖剣をベルナールの首から遠ざける。

「ほら、狙うんなら前だろ」

「う、う……」

震えるベルナールの瞳から涙がこぼれると、背後から滑らかな乙女の腕も現れベルナールのまぶたをおおう。

「可哀想な子」

乙女は聞き慣れた、鈴を転がすような声をしていた。

「これは駄目だな。とっくに壊れてたんだ。生きてるのは体だけだ」

「ええ、帰りましょう。一緒に」

「っ……!!」

フランシス王子は聖剣を投げ捨ててベルナールに手を伸ばした。しかし黄金の腕と乙女の腕は、王子の手が触れるよりも早くベルナールを壁に引き込む。

フランシス王子の手はあと少しと言うところでくうき、ベルナールが消えたあと勢い余って壁に打ちつけられた。

「奇跡の子は最後の灯火ともしび

黄金の右腕は再び現れると円卓の騎士たちを指差した。

「奇跡の子をけがしたお前たちに、我らの恩恵おんけいはない」

王宮の一室には、聖剣の力を失った円卓の騎士たちと、飲みかけのリンゴ酒が取り残された。




 ベルナールは気が付けば小舟の上で寝ていた。体の周りには花が散らされ、聖剣タラニスを抱いて横たわっていた。

上体を起こすと辺りは霧に包まれていて、小舟はオールもないのに勝手に進んでいく。

 静寂に包まれる中、小舟は小さな砂浜に辿り着いた。

霧の一部が開け、砂浜から続く石の階段とその先に小さな花々が少女の笑みのように咲き乱れている。

花の茂みを越えると丘の上では天辺の見えない大扉が薄く開いていて、黄金の光が漏れていた。

光と、楽しそうな話し声にかれベルナールは小舟を降りた。


「おお、ベル!」

 白い一枚着を着た金髪金目の男や、銀の髪の乙女、ひげたくわえ普段と違って綺麗な服に袖を通した鍛治師。他にも見たことがある顔ぶれの精霊たちが黄金の炎の周りで酒と食事を楽しんでいた。

「まあまあ! まあ座れ!」

金髪の男に招かれたベルナールは男と、銀髪の乙女の間に腰を下ろす。

「はい、ベルナール様」

乙女はベルにブドウ酒が入った金の盃を差し出す。ベルナールは盃を受け取り、素直に口をつけた。

彼が喉を鳴らして酒を飲み干すと、金髪の男と鍛治師はそれはそれは嬉しそうに笑った。

「いい飲みっぷりじゃ」

「肉も魚もあるぞ! 何がいい?」


 周りに勧められるままベルナールは飲んで食べた。

ベルの腹が満たされると、彼らはゆっくりベルを愛した。

人に求められることなどなかったベルナールは男にも女にも抱かれ、されるがまま温かさの中で目を閉じた。


 ベルナールが再び目を覚ますと周りは何もなかったように焚き火の周りで談笑していた。ベルナールは横たわったまま膝を貸してくれた銀髪の乙女を見上げる。

「お目覚めですか?」

ベルナールが体を起こすと乙女はベルの口を吸った。

「あー、エポナばっかり」

「タラニス様は長く放置しすぎです」

「放置じゃない。一年以上ベルと旅をしたのはこの俺だ」

「聖剣を通して見ていただけでしょう?」

「なあゴブニュ。ベルのことになると辛辣しんらつじゃないか? エポナ」

「わしゃあエポナ様のおっしゃることもわかる」

「味方がいねえ」

ベルナールは聖剣を抱いてエポナの肩に寄りかかっていた。

金髪のタラニスは一つ話をしよう、と人差し指を立てた。

「ベル、奇跡の子ってのは人の子が我らに愛された証だとエポナが話したと思うが」

「……はい」

「初代に限っては円卓の騎士も一緒でな。我らの祝福を受けた故に子供にも力が受け継がれた。ただし、十代も経ていると奇跡はだいーぶ薄くてな」

話を聞いてベルナールは腕に抱いた聖剣を見つめた。

ベルにとっての聖剣これは、オリヴァーとの繋がりを示す唯一の物だった。

「久しぶりに見たよなぁ、俺の剣からあれだけ奇跡があふれたの」

「ええ、空も黄金色に輝いて」

「ベルは奇跡を宿した子だから俺の力を大きく引き出せるし、鎧も反応した。ベルの他にあのくらい引き出せる奴は……王子くらいか?」

「そうじゃな。フランシスなら鍛えておるしそこそこ使えるじゃろう」

「と言う訳でだ」

タラニスはベルに向かってニンマリ笑った。

「これから剣の修行をしよう、ベル」




 ベルナールが連れ去られて、人の世では二ヶ月が経っていた。

最初の一ヶ月、人は魔法が失われつつあることに気付かなかった。

第十代円卓の騎士たちは失われゆく聖剣の力にいち早く気付いて、ベルナールを探し回った。

二ヶ月目、手練れの魔法使いたちも自分たちの力が弱くなっていることに気付き、各国へ警告を出した。円卓の騎士により国を問わず暗炎の子と共に奇跡が持ち去られた報告を上げると、ブリタニアに限らず隣国ガリアでも、さらに南のブルグント王国でも人々は恐慌きょうこう状態におちいった。


「では暗炎あんえんの末裔が連れ去られ、それと共に奇跡が失われたと? 本気で言っているのかフランシス」

「はい、陛下」

 ブリタニアの第一王子フランシスは国王陛下に正式な報告を上げた。王子の後ろには第十代の円卓の騎士たちが勢揃いし、王子と同じように国王に跪いていた。

「我々円卓の騎士は、かつて同じく神に愛された暗炎あんえんの子を迫害し、傷付けました。そのことを何より重く受け止め、この事態を予測していたのは今は亡きオリヴァー子爵だけです」

国王は不機嫌そうに肘置きに拳を振り下ろした。

「では暗炎あんえんの末裔を探し出し、連れ帰れ」

「既に二ヶ月探し続けておりますが、この世のどこにもいません」

「言い訳はよい! もっとよく探せ!」

「陛下、お言葉ながら」

フランシス王子は最後に見たベルナールの青ざめて震える姿を思い浮かべた。

暗炎あんえんの子は第九代円卓の騎士によってけしかけられた熊に、目の前で母を殺されております」

フランシスはそのまま父親をにらみつけた。

「そのような事をした騎士に、お心当たりは?」

「フランシス! いい加減にせよ!」

「いい加減にするのは貴方あなたの方です父上!」

フランシス王子は立ち上がった。

「そんな事をしたのは誰なんですか! 騎士のほこりもないようなその男たちは誰なんですか!?」

「ええい黙れ! 衛兵! 王子を捕らえろ! これは謀反むほんだ!」

「父上!」

衛兵がフランシスを捕らえ牢屋ろうやへ連れて行こうとした時、別の兵士が慌てて王の間へ入ってくる。

「陛下! 申し上げます!」

「ええい何だ!」

「クシール卿、いえ! 暗炎あんえんの末裔と思しき男が城下に現れました!」

「何だと……!?」


 第十代円卓の騎士たちが城下に駆けつけると、紺の髪の左側に金髪が混じった男が市民に囲まれていた。

ある主婦は彼を抱きしめ、ある子供は手作りの編み物や摘んできた花を手渡していた。

「ベル!!」

フランシス王子が呼ぶと暗炎あんえんの末裔は振り向いた。

赤紫色のローブの背には金糸で世界樹が描かれ腰には黄金に輝く聖剣タラニスがある。

そして彼は、笑うでもなくにらむでもなくフランシス王子をただ見つめた。

「ベルナール……!」

しかし王子が駆け寄ろうとすると男は市民たちに視線を戻した。

「クシール様……」

暗炎あんえんの姿を見せてもひるまなかった人々と抱擁ほうようを交わし別れをしむと、ベルナールは円卓の騎士たちの元へ歩いて行く。

騎士たちは警戒して、聖剣のグリップに手をかける者もいた。

フランシス王子は聖剣をその場に放って丸腰になり、ベルナールを待った。

だが暗炎あんえんの子ベルナールは騎士たちの横を通り過ぎた。

「……っベル!!」

フランシス王子は彼の背を追った。

その手が彼に届くと言う時、フランシスは母を殺されおびえたベルナールの顔を思い出し一瞬ためらった。

暗炎の子はいつの間にかその場にいた銀の毛並みの美しい馬の元へ行き、鼻筋を愛おしそうに撫でるとあぶみに足をかけてくらまたがった。

「……オリーは俺にとっては兄さんだった」

暗炎あんえんの子は馬上から紫と金の瞳で静かに騎士たちを見つめた。

「歳は下だったけどな」

「ベル……」

ベルナールは銀の馬に何かささやいた。

馬の女神は奇跡の子に穏やかな視線を向けると風のように駆け出し、騎士たちが追いかける間もなく地平の彼方へ姿を消した。

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