円卓の崩壊

第8話『紫炎(しえん)の導き』

 重力に裏切られた大地が空へ落ちていく。竜はながい眠りにつき卵は次の太陽を待つ。世界樹は根を失い空に広がるばかり。


 奇跡と魔法が失われ半年が経った。

円卓の騎士フランシスはただ一人馬を走らせ世界樹のふもと、円卓のある教会へと向かっていた。

「はぁっ……はぁっ……」

道中には魔物があふれ、それらを退しりぞけながら続ける旅は決してやすくはなかった。


 フランシスは雨宿りをするため大橋の下へ馬を滑り込ませた。

(かなり濡れてしまった……)

擦り切れて薄汚れた青いローブ。

背中に竜の紋章を持つ元王家の証は、魔物の血で隠されていた。

聖剣エーススもまた薄汚れすり切れた布でおおわれ、フランシスの背に負われていた。

橋の下にはフランシスと同じように寒さで震える母子と兵士くずれの盗賊たちが三人いた。皆、立派な馬にまたがって現れた騎士フランシスを見ると小石を蹴飛ばしてきたりフランシスから見えぬよう子供を隠した。

「お母さん……」

「大丈夫よ、大丈夫。紫炎しえんさまのお導きがあるからね」

盗賊たちは母子から離れていたが、フランシスが橋に寄りかかって腰を下ろすと母子を守るように騎士と母子の間に座った。

(君も、こんな扱いだったんだろうな)

盗賊たちもフランシスも寝ず、夜を明かした。


 翌朝、フランシスがうたた寝から目覚めると母子の小さな声が聞こえてきた。

紫炎しえんさま、紫炎しえんさま。眠った私をお取りください。無垢むくな魂をお取りください。竜の根本で、黄金の夜に導いてください。紫の炎をともしてください」

親子が懸命けんめいに祈っているのをフランシスは寝た振りをして聞いていた。すると……。

「あっ! お母さん! 見て! 紫の炎だよ!」

子供が嬉しそうに草むらの先を示す。

「お母さん! 早く行こう!」

母親は切なそうに微笑んで、男とも女ともつかぬ幼な子を抱き締めた。

「ごめんね、お母さんにはまだお導きが見えないの」

「お母さん……!」

「後から必ず行くから、先にお行き。お姉ちゃんとお兄ちゃんに、お母さんは大丈夫だよ、元気だよって伝えてね」

「んっ、うん……」

子どもは涙をたたええると母と抱き合い、何度も振り返りながら己だけに見える紫の炎を追いかけてしげみの向こうに消えていった。

「あ、あー、奥さん?」

盗賊の一人が涙を堪える母親に声をかけると、彼女は体を強ばらせて振り向いた。

「あー、いや、何かしようってんじゃないんだ。ほら、その、今あんたの子にお導きがあったろ?」

「え、ええ……」

「あんたは……何で呼ばれないんだい?」

「私は……!」

母親はわっと己の顔をおおった。

「私は、ほかのひとの夫を奪って結婚したのです……だから私に導きは来ません……」

「ああ、そうか。そうかい」

盗賊たちはなけなしの毛布を不義ふぎの母に手渡した。母親は戸惑ったが毛布を受け取り、自分の体に巻きつける。

「でも、子どもたちにはお導きが来ました。だからそれでいいのです。紫炎さまに感謝しています」

「そうか。あんた……それなら一緒に来るかい?」

「え……?」

「いやぁ、俺たちもこの通りでよ」

「まあ、そのなんだ……」

盗賊たちはチラッと騎士に振り返った。

「元は兵士でよ。しょっちゅう備品に手をつけてたのさ。だからお導きが来るとしてももっとずっと後なのさ」

「行くとこないなら一緒に行こう。何もしねえよ、何も。でも一人よりいいだろ? ん?」

不義の母は涙を浮かべると盗賊たちに深く頭を下げた。

「よろしく、お願いします」

「こちらこそ。それならもうとっとと行こう。騎士もいるしよ」

盗賊三人はペッと唾を吐き捨てると不義の母の肩を優しく抱いてその場を去った。

(導きか……)


 奇跡亡きあと、紫の炎に導かれた人々がブリタニア王都から出た。

最初の彼らはクシール卿をしたっていた人々で、心の底から罪を悔いて待っていればいつか紫の炎が安息地へと導いてくれる、周囲にそう話し姿を消した。始めは信じなかった人々も、王都から子供やクシール卿を慕う者が一人二人と姿を消し、その彼らが世界のどこからも消えたと知ると自分たちは捨てられたのだと絶望した。

絶望した人々の怒りの矛先が王国と騎士に向かうのにもそう時間はかからなかった。ブリタニアもガリアも他の国も奇跡と魔法を失って困惑し、絶望し、狂乱に陥った。


 フランシスはいつの間にか眠っていて、目を覚ますと夕暮れ時だった。そして彼の前で膝を落としている小柄なローブの人物の姿を視認すると、騎士は息を飲んだ。

「こんばんは、罪の騎士」

赤紫色のローブ、フードを深く被った者は十歳程度の少女の声で告げるとゆっくりとフードを脱いだ。

右の瞳は金、左の瞳は紫。

肩まであるふわりとした髪は右側に金色が混ざった紺の髪。

ベルナールを鏡で反転させたような色合いと似た顔立ちに、騎士フランシスは思わず腰を上げる。

「ベル……!?」

「ふーん、その名前を知ってるなら本当に罪の騎士なのね」

少女はフランシスに呆れた顔をして「まあいいわ」と立ち上がる。

「あなた名前は?」

「フランシス」

「ああ、元・第一席」

「……君の名前は?」

「逆に聞くけど、あなたは私が何に見える?」

少女はフランシスの前でゆっくり右へ左へ歩く。

「……ベルを幼くして女の子にした感じに見える」

「ほぼ見たままね」

言い直せと言うニュアンスが伝わったフランシスは咳払せきばらいをする。

「ベルに娘がいたらこんな感じかな、と」

「半分正解」

少女は歩みを止めるとフランシスの目の前に立ち、騎士を見下ろす。

「私は紫炎しえんさまの一部」

「一部?」

「円卓の騎士にはそれぞれ紫炎しえんさまのが向かった。私はその一つ」

?」

「あなたは全部説明しないといけないオツムな訳?」

少女は冷たい目でフランシスを見下す。

その視線がかつてのベルそっくりだったので、騎士は思わず笑ってしまった。

「……笑ってる。変な人」

「いや、ごめん。君のパパにそっくりだったものだから、つい思い出して」

少女はフンと鼻を鳴らすと用は済んだとばかりに歩き出す。

「あっ待って! 名前を!」

「分け身に名前はないの」

「分かった! じゃあ君はベラだ! ベラって呼ぶよ!」

ベラは答えずツンとしてただただ歩いた。


 フランシスが馬を引いて何となしにベルナールの分け身ベラについて行くと、ちた世界樹教会が見えてくる。

「教会か……」

(もう、祈りなんて久しく上げてないな)

騎士が教会の門をくぐって薄暗い中を見渡すとチラホラと人がいた。

白いローブの魔法使い。

座り込む盲目の女。

円卓とはまた違う、全身に金の甲冑をまとった騎士。

彼らは紫炎の分け身が騎士を連れて来たことで一斉に注目を向けた。

フランシスも社交界を切り抜けてきた男として視線には慣れていた。しかし今向けられた視線はどれも敵意がき出しで居心地いごこちは決してよくなかった。

紫炎しえんの分け身ベラは盲目の女に近付くとその前で膝を折る。

「ジンジャー」

「ああ、分け身さま。お帰りなさいませ」

ジンジャーと呼ばれた女はゆっくり両手を前に差し出した。

紫炎の分け身ベラは差し出された手を優しく取るとじっと動かなくなる。

ジンジャーの手からメラメラと紫色の炎が上がるのを見たフランシスはギョッとした。

「ありがとうございます、ありがとうございます分け身さま」

ジンジャーは有り難そうに燃え出した両手を胸の前で握りしめた。

よく見ればジンジャーの手は何度も火傷やけどを負って壊死えししており、その傷は手首を越えて腕へ到達していた。

フランシスは彼女に軟膏なんこうを与えるか悩んだ。

しかし、円卓の騎士は今や罪の騎士。

物を与えたら嫌がられるのではないだろうかと躊躇ちゅうちょした。

結局フランシスは他の者から距離を取り、入り口に近い柱に馬を繋いで腰を下ろした。

 紫炎の分け身ベラは黄金の鎧の騎士にも近付く。騎士は分け身に膝をつくと右手を差し出した。フランシスが何気なく見ていると分け身は金色の騎士の手を取り、もう片方の手を騎士の兜に置いた。そして金色の騎士の左手首には赤紫色の布が巻かれていると気付き、この騎士が熱心な“紫炎の導き教”なのだと知った。

紫炎の分け身は白いローブの魔法使いの元へ向かうとお互い頷き合い、教会の外へ出て行った。

 追うか悩んだフランシスをよそに二人は予想より早く戻ってきて、その手にはカゴいっぱいの野草が積まれていた。


 紫炎の分け身は教会の暖炉だんろに赤い炎をべると鍋を手に調理を始め、意外な光景にフランシスは目を丸くした。

片膝を立てて鍋を見守る分け身の背は小さくともベルナールを思い出させ、フランシスの胸は痛む。

(ベルナール……。今どこで何をしているんだろう)

分け身ベラは野草のスープを完成させると黄金の騎士と魔法使いに配り、盲目のジンジャーには自ら持っていって口に運んだ。壊死えしした手ではもはやわんも持てないのであろう。

そして最後にフランシスの元へわんを持って歩いてくると、分け身は彼の前でピタッと足を止めた。

「……何?」

「前の世界における暗炎あんえんの一族なら、目の前でスープをこぼされるかスープを頭からけられるかだったんだけど、どっちがいい?」

フランシスは回答に詰まった。

(ベルナールはそんなこともされたのか)

「……けられたら熱そうだ」

「そうよ。熱々のままけられるの」

「なら、掛けていいよ。そのくらいは耐える」

「ふーん」

分け身ベラは興味なさそうに答えると持ってきたスープをすすりながら暖炉へ戻っていった。

フランシスは無視も同然の対応をグッと堪え、腹の虫をなだめすかして丸くなって眠った。


「気味悪ィんだよクソガキ!」

 大人のつま先が容赦なく腹に食い込む。

(うっ!)

フランシスはその子どもの感覚と涙でにじむ視界を共有しながらも第三者の視点で状況を眺めていた。物が散らばり荒んだ部屋の中、紺の髪の幼い少年が男三人に囲まれ足蹴あしげにされている。

「やめろ! やめてくれ!」

傭兵らしき男が紺の髪の幼い子供をかばい、代わりに男たちに蹴られる。

「ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」

子供は何度も謝った。




 フランシスが目を覚ますと腹の痛みがじんわり残っていた。紫炎の分け身ベラは元王子を冷たく見下ろし、手には昨晩のようにスープが入った椀を持っている。

(掛けられるんだろうか……)

しかしベラはフランシスを見下ろすだけで何もせず、騎士は腹を押さえつつ上体を起こした。

ベラは意外なことにスープ入りの椀をフランシスに差し出した。

「あ、ありがとう……」

ベラは温度のない目で元王子を一瞥いちべつすると暖炉へ足を向ける。

野草のスープは粥のような薄い白色をしていたものの不思議な粘り気があり、においを嗅げばシチューのような甘い香りが立った。おそおそる口を付けてみると野草スープはほんの少しの塩気しかなく味はほとんどない。それでも昨日雨に打たれ、冷たい石畳で眠ったフランシスの体を優しく温めた。


「あの、ありがとう……」

 椀を返しに行くと紫炎の分け身ベラは暖炉の前で片膝をついていた。ベラは姿勢はそのままでフランシスをチラリと見上げる。

(本当にベルによく似てる……。顔だけじゃなく仕草も)

「お椀はどうしたらいいかな? 洗って……」

「そのくらい自分で考えたら?」

分け身ベラはニンマリ笑う。

「あ……」

「って、言われて自分で洗いに行くと水の中に頭を突っ込まれるの」

「……そう」

フランシスから椀を受け取るとベラは使い終わった鍋に入れて持ち上げる。

「洗うなら手伝うよ」

「騎士のくせに洗い物したことあるの?」

「なかったけど道中覚えたよ」

「ふーん」

ついて来いともついて来るなとも言われなかったフランシスはベラの後を追い、不慣れながらもスポンジでお椀をこすった。


「彼が来るまで散々話しておいたけど」

 ベラは暖炉のそばに四人を集めて話し始めた。

「罪の騎士、まあ元・円卓ね。私はこいつについて行くからあなた達の面倒は見ないわ。ついて来てもいいし、勝手にして」

フランシス以外の三人は黙って頷いた。その中で盲目のジンジャーは胸に手を当てて誓いのように告げた。

「分け身さま。私はお話しした通りここに留まります」

「そう、わかった」

次に黄金の鎧の騎士が紫炎の分け身に近付き片膝をつく。

「お供いたします」

「勝手にして」

「は」

黄金の騎士の男は立ち上がると一歩下がった。ベラは白いローブの魔法使いを見上げる。

「私は必ずしも同行しない。円卓に頼らずこの状況を打破してみる」

「好きになさい」

ベラがフランシスを見上げると、三人は追って彼に視線を向けた。

「それで?」

「……私は世界樹の根元にある円卓の議席を目指している」

「あそこは根っこごと人の世から消えたわ」

「それでも行くよ」

「……ふうん」

フランシスは決意を新たにすると分け身ベラに手を差し出した。

「馬に乗るなら手を貸すよ」

「必要ない」

紫炎の分け身は鍋を手に立ち上がった。

「私にお前の助けはいらないの」


 フランシスは教会あとを離れ馬を歩かせた。本当は急ぐ旅だが後ろからポニーに乗ったベラが随分ゆっくり歩いて来るのと、その後ろから紫炎教の騎士と魔法使いが歩いて来るので気になって走り出せなかったのだ。

(ついて来るって言ったってどうするんだろう。魔物はわんさと出るしとても安全な旅じゃないのに……)

フランシスは悩んで、その結果馬を降りて手綱を引いた。それからベラに振り向くのはやめ、前だけを向いて歩いた。


 フランシスがある程度進むとベラはポニーを走らせて勝手にどこかへ行ってしまい、騎士は慌てて馬にまたがってその後を追った。

「ベラ! ねえ!」

 荒野を走っていたベラたちは村らしき建物の残骸にたどり着き、紫炎の分け身はポニーから降り立った。フランシスは嫌な予感がして村跡には入らずフードを被って岩陰に身を潜めた。

「し、紫炎さま?」

「紫炎さまだ!」

村人たちは紫炎の分け身の姿を見ると手にしていた武器を放り出して少女に駆け寄った。

「子供がいるなら預かる」

ベラが子供らしからぬ口調で告げると一組の夫婦が前に出た。

その腕には乳飲み子が抱かれていて、ベラは手渡された赤ん坊を抱く。

ぷくっとした頬が可愛らしい赤ん坊はまだ青い瞳でベラを見上げた。

「お前はいい子? 悪い子?」

赤ん坊はベラにニカッと笑い、ベラもその顔を見ると微笑む。

「この子は連れて行く」

「ありがとうございます! ありがとうございます……!」

母親は泣き出すと夫の胸にすがった。

「紫炎さま、これを……」

村人たちはなけなしの農作物をベラに差し出した。弱った畑でろくに育たなかったジャガイモやニンジンが差し出されるとベラは供物を断った。

「それはお前たちが食べろ」

「ああ、ありがとうございます……」

「ご慈悲に感謝を……」

「私は慈悲を与えているのではない。そのひもじい思いを知ってもらいたいだけだ」

「はい。ありがとうございます」

村人たちは深々とお辞儀をした。ベラはポニーにまたがると彼らに振り向くことなく村を後にした。

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