第7話『円卓の騎士ベルナール』

 一ヶ月、ベルナールは王室御用達ごようたしの宿に泊まり続けた。市民たちはその間新しい円卓の騎士クシール卿に対し評価を真っ二つに分けていた。

彼を非難する者は冷酷で恐ろしい殺し屋だと言った。

娼婦に紛れた暗殺者に命を狙われた際、娼婦たちの前でためらいなく人を殺したため流れた噂だ。

 一方、彼を称える者は知的で温厚な教育者だと言った。娼婦たちと道端の子供たちの一部が彼から生活を支えられ文字の読み書きを習っていると言う噂がどこからか漏れた。

そのどちらも彼を表す言葉だったが、人々はどちらかの意見に固執こしゅうした。


「クシール様!」

「おう」

 ベルナールは顔を隠さず堂々と聖剣を見せつけて町を歩くようになった。妻のリリーを連れ歩くこともあり、魔法使いジェラルドなどの数名と市内を巡回することもあった。

不穏な影が周りをうろつき始めてしばらく経ったものの、ベルナールが暗殺者を返り討ちにして以降直接狙われることはなく、妻リリーや娼婦たちには護衛を必ずつけ十分注意させた。

そしてベルナールには更に強力な助っ人が出来ていた。


「クシール先生!」

 ベルナールを呼び止めたのは浮浪児ふろうじたちだ。ただし、彼らは身なりを整えそれぞれ別の家に奉公ほうこうしていた。

路地裏で子供たちと集合するとベルナールはまず色々なものを手渡される。

「僕からはこれ!」

「私はお花!」

新作のパン、編み物や手紙。全て子供たちが自分で作った物だ。

見込みのある子供にだけこっそり青空教室を開いたベルナールは、仮初かりそめでも王室の援助えんじょを受けた自分の身の上を市民が疑わないのを手に取り、浮浪児たちを近所の、そこそこ繁盛はんじょうしている店に売り込んだ。

簡単な読み書きと計算を教えられた子供たちは在庫を管理したり売り上げの計上に貢献こうけんし、クシール卿の人気をさらに押し上げる要因になっていた。

やがて市民からは自分の息子娘をクシール卿の元に通わせ、勉強をしてくるようすすめる者まで出て来て、新興貴族の男をよく思わない生来せいらいの貴族たちはさらに彼を嫌悪した。

 たった一ヶ月で賛否のどちらをも集め、クシール卿は有名人になっていた。


「陛下が正式にお認めになるそうです」

「何を?」

 その日はもはや自分の家のように宿で寛ぐベルナールの元へフランシス王子が訪れていた。

「私の後見こうけんですよ。そのうち社交界でお披露目ひろうめもあります」

「え? あー、ああ。あれか。いや要らん」

「えっ!?」

ベルナールは元浮浪児の子どもたちがそばで勉強しているのを見守りつつフランシス王子の言葉に耳を傾けた。

「何故この答えにしたか考えを書け」

「はーい」

「クシールせんせい、さんたすよんが分かりません」

「自分の指で三と四を作って目で数えてみろ」

「んー、はい」

「社交界が何だって?」

後見こうけんですよ!」

「いい。この先を考えたんだが、作戦が終わったら伯爵家に戻ってオリーのお母上とフランクを支えて暮らすことにする」

「何ですって!?」

「子どもにあいつの知識を教えるのが案外楽しくてな。あ、こら。もっと丁寧に消しなさい。紙が破れるぞ」

「消えないんだもん!」

「パンをもっとこねて丸くしろ」

「で、ではフランクくんを第八席に?」

「元々そのつもりだ。従者は従者らしく過ごす」

「そんな……。陛下からの信用をせっかく得られたのに……」

「貴族界は」

ベルナールの言葉の続きは部屋を訪れた第二席ベンジャミンが代弁した。

「嫌いだ、でしょう?」

「お、ニンジン頭」

「その呼び方は不本意です!!」

ベンジャミンはプンプンしつつも子供の横に腰掛けた。

「今日は何を教えたんですか?」

「今日は足し算」

「ふーん、三足す四? クシール卿、社交界デビューですが恐らく取り消せませんよ」

「何故」

「そもそも次の伯爵家跡取りフランク子爵の従者になるとしたら男爵の地位はもってこいのはずです」

ベルナールはハッとして王子とベンジャミンを見た。

「……確かに」

「そう言うところは頭回らないんですね。お受けしてください」

「ええ、陛下も喜んでくださいますし……」

「チッ、仕方ねえな。フランクの為だからな」

ベルナールが心底嫌そうな顔をすると王子とベンジャミンは顔を引きつらせた。

「陛下から円卓の騎士として叙任じょにんされるのをこんなに嫌がる国民は此奴こやつだけですね」

「そうかも知れません……」

「円卓の騎士にはなんねーぞ」

「え!?!?」

「? 社交界デビューと円卓の議席代理は別だろ」

「何言ってるんですか!! 陛下からの騎士叙任じょにんですよ!?」

「ほぼほぼ意味同じですって!!」

「じゃあ行かねえ」

フランシス王子は顔面蒼白そうはくで言葉を失い、ベンジャミンは思わず王子の肩を支えた。

「殿下、やっぱり駄目ですよこの男」

「こ、こ、こんなにお願いしているのに……」

「作戦中の話と実際に騎士になるのは別の話だろうが」

二人は何かにハッと気付いてベルナールの肩を掴んだ。

「そこだ! またやるところでした!」

「は?」

「前提が違うんですよ前提が! あのですね!」

「きゃあーーーっ!!」

窓の外から女性の悲鳴が聞こえ、立て続けに重い物が家の壁を殴るような音がする。円卓の騎士とベルナールは窓辺に駆け寄った。見えたのは逃げ惑う人々、他には何もない。

「見える範囲で確認出来るものは何も……」

ベルナールは構わず部屋を飛び出した。

「ベルナール!!」

「ガキんちょども頼む!!」


 市街に飛び出したベルナールと反対方向に逃げ惑う人々。その一人を捕まえたベルナールは鬼気ききせまる表情をしていた。

「何があった!」

「クシール様、あ、あっちに……」

女性は青い顔で曲がり角の先を指差した。

そちらをパッと見たベルナールは全身の産毛うぶげが逆立つのを感じる。

(何か、デカイのがいる)

「っ、すぐ逃げろ! 大丈夫だ円卓が二人来てる! 慌てなくて良い!」

「は、はい!」

 再び人の波に逆らって走り出したベルナールは曲がり角を右に曲がった。

ゾッと全身の毛が立ち上がる。五臓六腑ごぞうろっぷに冷水を注ぎ込まれたように体の芯が冷えた。

それは竜に見えた。

太く丸い胴、長い尻尾。鉤爪のついた太い脚。

孵化する前の雛鳥のような小さな羽。

首は異様に細く長く、その先には人の頭がついていた。

目のない、眼孔がんこうだけがぽっかりと黒いドクロの顔。

それが黒い髪を振り乱して獣のように吠えたのだ。

邪竜じゃりゅうだ、とベルナールは直感的に知識を引き当てた。


「この瞬間取れる選択肢は三つ」


ベルナールの前で時が止まった。邪竜の前に懐かしい、金髪の男児の後ろ姿がある。ベルナールの胸は強く震えた。

男児は振り返った。女性にも見える美しい顔立ち。エメラルドのごとき緑の瞳。亡くなってから夢にすら見ない、懐かしい主人の顔。

少年は人差し指を立てた。

「一つ目、きびすを返して逃げる」

却下きゃっか

「何故?」

ベルナールは冷静だった。

例え自分一人の、頭の中の対話だとしてもオリヴァーとの訓練はいつもこうだった。

「いま逃げたら円卓の二人がすぐ追いつくか怪しい。誰かが怪我する」

「では二つ目」

オリヴァーは中指を追加する。

「何でもいいから魔法を使って邪竜を退治する」

「却下」

「何故?」

「今は大事な作戦中だ。こんなところで暗炎あんえんの一族とバレるのはマズい。人の目が多すぎる」

「では三つ目」

オリヴァーは薬指を追加した。

「聖剣を抜く」

「嫌だ!」

「ベル」

「嫌だ! これはお前のだ! 俺のじゃない!」

「ベル」

頭の中のオリヴァーは従者をいさめた。

「いずれこの時が来たよ」

「四つ目の選択肢があるはずだ! 俺は……」

「ベル。聖剣を持って円卓まで辿り着いたのは君なんだよ」


旅を終えたのは自分じゃないんだとオリヴァーは告げた。


「言ったよね。思考の過程がどれだけ立派でも、実際の行動が全てを決めるって。どれだけ心の中で想っていても、花を贈らなきゃ相手は気付かないって。円卓への旅で聖剣タラニスを手に第八席に辿り着いたのは僕じゃない。君なんだよベル」

ベルナールは泣きそうだった。今すぐ耳を塞いで逃げ出したかった。

「僕は死んだんだよベル」

「……嫌だ」

「ベル、わかってたでしょ」

「俺が、お前の代わりに、死ねたら」

「ベル。現実が戻ってくるよ。さあ」


オリヴァーはベルナールの目の前にいて、右手を聖剣に添えさせた。


「振り方は教えたよね」

ベルの意思とは別の力が聖剣の柄を握らせる。


「敵を真っ直ぐ見て、目を逸らさない。体の重心と剣の重心を合わせる。あとは考えなくて良い。剣が教えてくれる」


シャリ、と音がしてさやつばが離れる。

オリヴァーはベルナールに微笑んで敵の方を向いた。

「僕がここにいても、ベルみたいに剣を触れなかったと思うよ」


ベルは両手でグリップを握った。そのまま空へ向けて黄金の刃を持つ剣を掲げる。

太陽と天上の神タラニスが微笑むように剣の真上で空が黄金に輝く。ベルナールの瞳から涙が一筋こぼれた。


 円卓の第一席フランシスと第二席ベンジャミンが駆けつけた時、ベルナールの周囲には重く熱い魔力が満ち溢れていた。

聖剣は黄金の鎧を呼び出した。魔力で編まれたこの世で最も硬い黄金の鎧を。鎧に包まれ、市民のために聖剣を掲げる男の姿は英雄そのものだった。

ベルナールは剣を振り下ろした。

赤い炎に紫の炎が混じり、邪竜の体を斬撃が貫く。

そしてその切り口から炎が噴き上がり、邪竜は苦しそうに吠える。

ベルは振り下ろした刃を左に逸らすともう一度斬り上げた。

さらに石畳いしだたみり弾丸のように飛び出し邪竜の頭に聖剣を突き刺した。

「──……!!」

邪竜は声にならない声を上げ、神の炎に焼かれて灰になっていく。

邪竜が倒れ完全に沈黙した時、人々はわっと歓声を上げた。

喜ぶ市井の人々。その中で、英雄は黄金の鎧が解けて紺の髪があらわになっても放心していた。

素早く駆けつけたフランシス王子のマントに隠され、ベルナールはその場を後にした。


 邪竜が出した被害の確認と国民の避難誘導を行うためフランシス王子とベンジャミン卿はベルナールを一人宿の中へ取り残した。

マントを被ったまま放心したベルナールの前に美しい銀のドレスを着た乙女が立っても、彼は顔を上げることすら出来なかった。

「ベルナール様」

リリーはソファに腰掛けたベルナールの顔を両手で上げさせた。紫と金の瞳から涙があふれ、筋を引いているのを見るとリリーは彼の目元に口付けを落とした。

「ベルナール様、古い奇跡の子と言うのは、人よりも精霊に近いのです」

リリーは鈴を転がすような美しい声で告げるとベルナールをソファに横たわらせた。リリーはさらにベルにおおかぶさる。

「いい子ねベルナール。でも、自分の気持ちを殺して人に奉仕ほうしするのはおやめなさい」

リリーはベルナールの顔中に口付けをする。唇にも。

リリーがゆっくり口を吸うとベルナールはまぶたを閉じた。

「ベルナール。私と精霊界に帰りましょう」

ベルナールは薄氷の美しい瞳を見上げた。

「向こうなら貴方を悪く言う人はいないわ。精霊たちはみんな貴方が好きだし、大切にしてくれる」

ベルナールはリリーの声を聞くことしか出来なかった。何かを考えるのも息をするのも嫌だった。リリーはそんな彼を見て何故かクスリと笑う。

「このままさらっちゃおうかしら? ねえ」

リリーはベルナールの耳元で甘くささやく。

貴方あなたがいいって頷いたら、向こうに連れ去るわ」

だが精霊のイタズラ心は廊下に響いた複数の靴音によってはばまれた。

「あら、残念」

リリーはまたベルナールの唇を吸い、ささやきを残していった。

「また来るわ、私のベルナール」

 フランシス王子を含めた円卓の騎士たちが駆け付けるとベルナールはソファに横たわったまま放心していた。騎士たちは彼から王子のマントが外れ紺の髪に紫の炎がくすぶっているのを見ると、息を飲んだ。

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