第6話-3

「何故言い付けが守れない?」

 クシール卿は娼婦らを己が座るソファの前で一列に立たせた。傍らには当然と男爵夫人リリーも座っている。

「俺はお前たち娼婦に遅刻は構わんが時間より前に来るなと散々言い付け、娼婦同士で連絡し合い徹底しろと言ったのに、これまで守られた試しがない。それで高級娼婦か?」

マリアンナは冷や汗を流してクシール卿を前にしていた。

(何こいつ……女に軍規ぐんきを守らせるような口振り……)

「聞いているのか貴様のことだ」

「ヒッ、す、すみません」

「すみません遅れました!!」

慌てて現れた新人娼婦のジェイドは一列に立たされた娼婦たちを見て驚いた。

「新人だな」

「は、はい!」

クシール卿はソファの右側を指差した。

「お前はそこだ」

「はい旦那さま!」

新人のジェイドは栗毛に青い瞳であどけない雰囲気を持ち、肌艶はだつやがよく娼婦たちは一つ年若い彼女に嫉妬した。

「今は新人より目の前の雇い主の機嫌を取ることを考えたらどうだ?」

娼婦たちは慌ててクシール卿に視線を戻した。

「お前たち娼婦しょうふの立ち位置をおさらいしてやろう。お前たちは俺が妻と言う花を愛でるために用意する道端みちばたの草だ。歌も歌えん、踊れん、頭の中が空かブドウ酒で満たされている体だけの女は顔の皮を剥いで肥溜こえだめに捨ててやる」

「ヒッ」

「分かったらいま来た新人以外全員帰れ。帰ってほかの娼婦に今の話を覚えるまで聞かせろ。明日、同じように抜け駆けした娼婦が出たらその女は人前だろうと即刻殺す」

「ヒィイ!」

「分かったら行け」


 娼婦たちは震え、泣きながら出て行った。新人娼婦のジェイドはとんでもないところに来てしまったと冷や汗を流し、クシール卿を見た。

「名前は」

「は、はい! ジェイドです……」

「ジェイド、妻の横に座れ」

「え? は、はい」

クシール卿は立ち上がると自分がいた場所にジェイドを座らせた。リリーはジェイドが隣に座ると娼婦の細首に腕を回してくる。

「お、奥さま?」

「あのねジェイド」

リリーは鈴を転がすような声でジェイドにささやいた。

「私、女の子も好きなの」

(そっちのご趣味ですか!?)

リリーはジェイドの頬に口付けた。女同士だと言うのにジェイドは心からとろけそうになり、思わずふわぁと息をらした。

「可愛い子」

「気に入ったか」

「ええ」

「なら二人で遊んでろ。俺は鹿狩りだ」

「はい、あなた」

ジェイドはリリーと共に残された。

「うふふ」

リリーはベルナールへするのと同じようにジェイドの額や頬、首筋に口付けを落としていく。

(ひゃああ〜!)

「いい子ね」

「お、奥さま……! あっ、ああっお待ちになって……!」

 仕掛ける側であるはずの娼婦ジェイドは十分も経たないうちにリリーにメロメロにされてしまい、抵抗する気力も失ってベルナールが戻った頃にはポワンと頬を染めていた。

「お、落ちたな」

「この子とっても純情なの」

「そうか」

クシール卿はハンドベルを手にするとカランカランと鳴らした。すぐにクシール卿専属の従者が駆けつけると男爵は「肉と酒をいつも通り」と注文をつけた。

「ふーっ、疲れる……」

「お疲れ様ですあなた」

「ジェイド」

「ひょへ、はい?」

「リリーはいい女だろう」

「は、はい。とてもお美しいです。お優しいし、あの……」

ジェイドはポヤポヤと頬を染めた。ベルナールは娼婦の表情を見てご満悦まんえつだ。

「ジェイド」

「は、はい旦那さま」

「歌は歌えるか」

「はい。おっ、踊りも出来ます!」

「なら妻と踊ってくれ。今そこで」

クシール卿がまたハンドベルを鳴らすとどこからともなく楽器を持った従者たちが現れた。

「こ、光栄でございます」


 ジェイドはリリー相手に踊りを始めた。女性同士のステップでどうにかなるのか? と疑問視していたが娼婦の迷いはリリーの見事なステップにより打ち消された。

二曲踊った乙女らはソファに座るよううながされ飲み物と食事に口を付けた。

「お、美味しい……」

ジェイドは目の前に並ぶ料理の数々に驚いた。贅沢ぜいたくに盛られた豚肉の塊。内臓をくり抜いた腹に果物や野菜を詰め込まれたかま焼きの鶏肉。

この時代、体によいとされるのは細かく刻みくたくたになるまで煮込んだ大鍋料理や麦粥ポリッジが主流で、色鮮やかな組み合わせはあまり種類がなかった。肉の塊を何度も噛むと言う貴重な経験をするジェイドは、この日を一生忘れまいと思った。

「美味いか」

「はい」

「なら好きなだけ食え」

クシール卿は穏やかに微笑んだ。ジェイドは先程と雰囲気が全く違うクシール卿に困惑し、ドキドキした。

(ほ、本当はお優しい方じゃない?)


 クシール卿はリンゴ酒片手に妻リリーの手から食事を口にし、ある程度食べると従者たちに休憩を与えて残り物を与えた。

従者と侍女たちは主人の前だと言うのに私語も普通にし、ジェイドは彼らに囲まれてただ食事をした。

(私まだ二曲踊っただけよね? いいのかな……)

クシール卿をチラリと見ると小難しそうな本を読んでいた。リリー夫人は彼の懐で目をつむっており、眠っているようだった。

(本当に仲がいいのね……)

ジェイドの視線に気付いたクシール卿はジェイドを隣に手招く。

右隣に腰掛けた娼婦にクシール卿は自分のパンがった取り皿を手渡した。

「ジェイド」

「はい旦那さま」

「十分食べたか?」

「はい。今までにないほど頂きました」

「そうか。では暇潰ひまつぶしに付き合え」

「は、はい。何なりと」

「これは謎かけだ」

本を閉じたクシール卿は人差し指を立てる。

川辺かわべでカエルとヘビが出会った。生き残るのはどちらだ?」

「えっ?」

突然出された問いにジェイドは困惑する。

(何で突然ヘビとカエル……?)

「考えろ」

「は、はい。ええと……川辺ですよね?」

「そうだ」

「川まではすぐですか? カエルの目の前にありますか?」

その質問にクシール卿はニンマリとする。

「川はカエルの目の前にある」

「で、では生き残るのはカエルではないでしょうか? その、すぐ逃げられるかなと」

「ヘビがうんと賢くてカエルの邪魔をするかも知れない」

「あ……そうですね」

「質問を変えよう。どちらに生き残って欲しい?」

「カエルです」

「それは何故?」

「か、カエルの方がいつもヘビに食べられてしまうから……」

「なるほど。俺は以前同じ謎かけにヘビが生き残ると答えた」

「え?」

「答えはヘビの方が速いから。しかし出題者はカエルが勝つかも知れんと言った」

「何故ですか?」

「カエルはヘビの頭を踏んづけて跳べるからだそうだ」

「え……」

「フフ」

クシール卿は誰かを思い出しながら穏やかな顔をした。

「実を言うとこの謎かけ、正解が存在しない」

「え?」

「謎かけの振りをした戦略予想なんだ。自分がカエルの立場になるかヘビの立場になるかで答えが変わってくる。どちらを生き残らせたいかでも答えが変わる」

「え、ええ……」

「意地悪な質問だろ?」

「そ、そうですね……」

「この謎かけは実際にどちらが勝つかではなく問い掛けに対し回答者がどう考えたかの方が重要で、思考の過程を見る」

「し、しこうのかてい……?」

何だか難しい話になって来たぞ、と娼婦ジェイドは困惑する。

「考えの道中も採点されると言うことだ。何故そちらが勝つと考えたのか、答えた者はどう言う状況を想定したか。そちらが大事なんだ」

「え、円卓の方は常にそう言うことをお考えなのですか……?」

「いや、必ずしもそうではない。だがこの手の訓練はしている」

「ヒョエー」

暇潰ひまつぶしは以上だ。食べるだけ食べたら帰ってもよい」

「え?」

「泊まりたいなら寝床を別に用意してやる」

「え、あ……」

ジェイドは皿のパンと残り物、そしてベッドにチラチラ視線を向けた。ジェイドの表情を見たクシール卿は従者に片手で指示しどこかへ向かわせる。

「家族は何人いる?」

「い、妹がおります」

「では明日から毎日連れてこい」

「い、妹は娼婦ではありません! まだ十四で……」

「ジェイド」

クシール卿はジェイドの手に銀貨を三枚握らせた。

荒屋あばらやのなか寒さで震えている妹に毛布と食い物を持って帰ってやれ」

「何故それを……」

「お前たち、文字の読み書きは出来るか?」

「い、いいえ」

「では明日から教える。日暮れの四時に来い。四時だぞ。他の時間に来るな」

「は、はい旦那さま……」

「行け」

クシール卿は肉を挟んだパンを布に包むとジェイドに持たせ、戻ってきた従者に彼女を任せた。そして妻を抱えて立ち上がった。

「寝ようかリリー」

「ふにゃあ」

「フフ、それは返事か?」


 クシール卿の従者に毛布を三枚巻きつけられ肉を挟んだパンを抱えたジェイドは、家へ戻ると薄明かりのなか膝を抱えて待っていた妹に抱きついた。

「メリー!」

「お帰りなさい姉さん……。こ、これどうしたの?」

「初日からすごい人に出会ったの!」

ジェイドはパンを妹に与えて毛布に包んでやるとクシール卿の話をした。

「頭もよくてすごいの」

「そんなに?」

「貴女も明日から一緒に来なさいって。大丈夫」

不安そうな顔をした妹メリーの背をジェイドは優しくさする。

「文字の読み書きを教えてくださるって」

「わ、私たちに?」

「そう!」

「夢みたい……」

姉妹は早く明日になればいいのにと呟きながら寄り添って眠った。


 次の日、大衆食堂で飲み食いするクシール卿の元へいち早く現れたマリアンナはまた柱の影で食事のおこぼれに預かっていた。

「マリアンナ」

「だ、旦那さま」

マリアンナは姿の見えない白ローブの男の声がする方へ一歩寄った。

「どうだった」

「そ、それが……」

マリアンナは昨晩のクシール卿の恐ろしい様子を話した。白ローブの男は話を聞くとニヤリと笑う。

「なるほど、円卓は円卓と言うことか」

「おっかなくて近付けやしませんよ」

「円卓の騎士は大体そうだ。全員が戦闘の手練れで隙がない。命を狙われているのも分かっていて敵の前で酒を飲む」

「ええ?」

「だがおすが強いのが弱点で、美しい女には油断する。最初は失敗したが、まあいい。誠心誠意謝って信頼されろ」

「は、はい旦那さま」

「奴に時間通りに来いと言われたら必ず従え。明日また報告しろ」

「はい」

白ローブの男は完全に気配を消した。マリアンナはおぞましい魔法使いから自分を守るように両腕をさすった。

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