ヒドインでした、なんてこった!(短編)

雨傘ヒョウゴ

ヒドインでした、なんてこった!

 


 男爵家という庶民にちょっと毛が生えたくらいで、大したお金もなく、顔はかわいらしいけど飛び抜けてというほどでもないし、物語の主人公になんて到底なれない私は黒い衣装に身を包み父親の葬儀に参加して泣き崩れる母の背中をとんとこ叩いている最中、自分がこの物語のヒロインであることを思い出した。


 いいや、違う、本来の意味で言うヒロインではない。主人公は別にいる。それは黒髪ウェーブのお嬢様で、公爵家の姫君の令嬢だ。つまり悪役令嬢というやつである。本来なら敵役である名称の彼女はこの『小説』の主人公で、私は彼女の周りの男性達にちょっかいを出す、聖女という特殊な力を目覚めさせて調子に乗ってしまった悪役令嬢にざまぁされる側のヒロインちゃんなのだ。


「う、うへぇ、ええ、ぇえ、うえええ……あなたぁ……」

「よしよし、よしよし。そんなに泣いてちゃお父様が安心しないよ」


 もうちょっと早くそれを思い出していたら、こうして父親が死ぬことはなかったのだろうか。私、ユリィ・ベネットは事故で父親が死んだ直後に聖女の力を目覚めさせ、国に保護されることとなった。と、いうのが生前読んでいた小説のストーリーだ。


 よくあるネットで流行りの設定の小説だったから、王子様も騎士様もいらっしゃって、きらびやかな世界だった。過去のわたしはユリィがざまぁならぬ国外追放されるところまでの、完結まで読むことができなかったけれど、きっと主人公のハッピーエンドで終わるのだろう。だってタグにハッピーエンドってついてたし。


 父親が死んでしまった悲しみとともに、幼い頃からあった違和感がぐるぐると頭の中で回っている。

 多分、私は死んだ。ずっと昔の、どこか別の世界にいた。心の中に、別の感情を持つ女性がふわふわと存在していて、その不思議な存在は長い年月の中、ゆっくりと溶け込んでいって、今では彼女も私になっているけれど、理解した。私は、小説の中の物語のキャラに転生した。


 せめて悪役令嬢の主人公側ならよかったのに、ざまぁされる側だなんて勘弁してほしい。子どもの頃の私ならばいざしらず、今の自分の中に男の人に愛されたい欲求や願望なんてどこにもない。だから主人公達には関わらない。悪さなんてもちろんしない。聖女の力が目覚めたところで、お口にチャックをしておけばいいのだ。自分から飛び込まない限り、やられてしまうこともないだろう。ちゃんちゃん。


 顔をぐずぐずにする母は、父親とはおしどり夫婦と呼ばれていた。いやこの世界にそんな言葉はないから、今は勝手な私のニュアンスで変換させていただいた。父の事故の前に記憶が戻らなかったことは後悔してもしきれないけど、もともと原作のネット小説にはユリィの家庭についての詳細な情報はなかったからわかっていても結果は同じだったかもしれない。でもそんな『かも』を考えたところで、母親を慰めているはずなのに、私の両目からもぼろぼろ涙がこぼれて仕方がない。二人で互いにえづいて、気づけば抱きしめあっていた。


「ゆ、ユリィ……」

「なあに、お母様」

「お父様がし、死んでしまって、と、とても悲しくて」

「そうね、そうよね。私もよ」

「そうなの。それなのにね、私、私」


 お母様は大きな瞳からさらなる大粒の涙を溢した。瞳にあてていたハンカチはすでにびしょ濡れであり、役割を果たせていない。「悲しいのに、今、とても別のことにも胸がいっぱいで、お父様に申し訳がなくて」「うんうん」 頷く。


「お、お父様がいなくなってしまって、こ、これからどうしましょう~~~!!?」

「ほんとにそれよねぇ~~~!!」


 ぼろ泣きした。

 お父様、ごめんなさい。




 ***




 金もない、まともな親戚もない。あとはただただ食い物にされるだけである。なんとか父の人徳で保っていたベネット家が夢のごとく霧散してしまうのは想像に難くなく諸行無常。

 現実逃避に頭の中で無意味な漢字を並べている場合じゃなかった。金のない私達母子が生き残るためには、目覚めたこの聖女の力を主張して王家に保護されるしかないのか。いや、方法を選ばなければなんとでもできるような気がするけど、選べるものなら選びたい、と悲しみのままにピンクブロンドをぐしゃぐしゃにさせひっぱった。


「……お母様、私、今すぐ丸坊主になりたい……」

「何いってるの!? ユリィおかしくなってしまったの!?」


 いやほんとに現実逃避をしている場合ではない。

 ちなみに聖女の力は父親の墓参りをしている最中に発現した。これが前世の記憶がなければ、『まるで亡くなったお父様が私を守るためにくださったものみたい……! いいえ、絶対そうよ!』とかきらきらきらめいて花畑の中駆け下りそうなものだけど、まさかそんな考え持つことなんてできない。すでに多くのメイドや使用人たちにも暇を出してしまった後である。ベネット家はとてもピンチ。


 さて、こりゃもうあきらめて、聖女の力を持っていると力の限り主張して、主人公である悪役令嬢に関わらず生きていくしかないのだろうか。『ユリィ・ベネット』は、王家の保護のもと貴族学園に通うことになり、その中で小説の主人公を窮地に陥れる。もちろんそんなことするわけないので平和に過ごせばいいじゃない、と言いたいところだけれど、物語の強制力という言葉がある。ヒロイン、ならぬヒドインは淘汰されるのがお約束だ。なのでやっぱり関わりたくない。


 諦められない、とうなりながらも聖女の力チェックを行っていたときだ。ふと、思い至った。これはもしかして、商売として使うことができるんじゃないかと。聖女の力とは、種に聖なる気を与えて、どんな季節関係なく、むくむくしゃっきり、素敵なお花を咲かせることができるのだ。


 この聖女が育てた花は、不思議なことに魔物は嫌がり、避けて行くのだと聞く。女神様が清純なる乙女に与えてくれた聖なる力だけど、その程度と言えばその程度だから本人の人格がなければ土地の加護のない国外に追放され力も使えずさよならざまぁなのである。しかしこれ、商売に使えないか。何も季節外れの花を明らかに、高らかに売るわけではない。その時期にあった、新鮮なお花を育てる苦労なし、管理するリスクなしで売りまくるのだ。


 店に置いているときは聖女の力がこもった花として。私から離れると、花は次第に力を失い、普通の花になってしまう。ここから王都は遠いから花に込められた力に気づかれることもない。

 気づいた私はお母様の手を握りしめ、一念発起、『ベネット家のお花屋さん』をスタートさせた。暇を出したはずの使用人達も、できる限りと手伝ってくれた。ベネット家は父の人徳のみで保っていた家柄だったが、死んでも人徳とは残るものである。残らなかったのはお金のみだ。


 切り花であるはずなのに、何日たってもぴかぴかで、水の換えも少ない元気な花とうたったが、もちろん違和感がない程度に調節している。そして今どき花だけで生き残っていけるわけがない。私は様々なものを発明した。ドライフラワーを発案から始まり、押し花の方法を伝えた。ポプリにジャムに、はてにはアクセサリーに加工し、ありとあらゆる知識チートを使ってみた。なにしろ元ではタダである。種があれば、ほほいと生まれ、種がなければ、うんぐううぐぐぬう程度の気合いで新たな花を生み出せる。女神様万歳である。清純な乙女でよかった。


 花というものは魔族よけの聖なるものというイメージが街には植え付けられていたので、きれいなものだとたとえ窓辺に飾っても、それを製品に加工するという発想が彼らにはなかったのだ。まさにいれぐい、私の独壇場である。地球の先人たちよすまない、すべては私と母が生き残るためだ。


 もちろん数々の失敗を繰り返しつつ、元手がタダのありがたさを噛み締め、『ベネット家のお花屋さん』は着実に成長していき、物語だとかヒロインだとか聖女だとかそんなものを忘れて私がぴかぴか日々の労働に輝いていた。そんなとき、彼女はやってきた。


「ちょっと、あなた、ユリィ・ベネットよね!?」


 黒髪ウェーブに吊り目の美少女、ヒルデ・アプンソンである。この物語の主人公だ。私はすでに貴族の令嬢(かっこわらい)であることを忘れ、母と一緒に髪を一つくくりにして額に汗を流していた。彼女はドレスの裾をひらひらとさせて、思いっきり頬を膨らませながら私の胸元に細い指先を突き出した。


「な、なんで、なんであなたが私と王子の邪魔をしに来ないのよぉ!! 物語が進まないでしょぉ!?」


 今なんて言いましたかい?



 ***



 ヒートアップをし続けるヒルデ嬢を落ち着かせるべく、どうどうと私は両手を突き出した。クールダウン、クールダウン。美少女の叫びは胸にくる。私は可愛いけれども小動物的な愛らしさなので、方向性がちょっと違う。自分で言ってて苦しいけれど、ピンクブロンド低身長、くるくる瞳の典型的なざまぁ型ヒロイン(造語)なので仕方がない。


「ってなによおーーー!!? ベネット家のお花屋さん!? こ、な、なんなのこの看板は!!!」


 すでに過去の男爵家の面影などどこにもない。最近では街ぐるみで商品を開発しており、看板は無償で隣の家のヒルトンさんが作ってくれた。ユリィちゃんは俺たちの希望だぜと言ってくれる。知識チートですまない。


「立派ですよね」


 恐らくヒルデが言いたいところはそこではないのだろうけれど、私はこのヒルトンさんが作ってくれた看板の出来栄えを隙さえあれば自慢をしたいので、つとめて冷静に頷いた。ヒルデは激しく発狂した。申し訳なかった。「お嬢様、落ち着きなさいったら」と使用人らしき人が言っている。知ってる知ってる、彼はヒルデに付き従う年上の従者だ。名前は忘れたし、外見の特徴も小説にはなかったから、あらこんなお顔なの、という感想だけど。案外背が高いのね。


「せ、セドリック、だ、だって、おかしいと思って様子を見に来てみたら、こここ、こここ、こんな」

「お嬢様、ですから落ち着きなさいよ、現実なんだから仕方ないでしょう。ここは間違いなく花屋ですから」

「ひーーーーあーーーーーー……」


 そうそう、そんな名前だった。セドリック・ルーディオ。慇懃無礼な公爵家の従者である。

 私が思い出している間に、ヒルデはぐるぐると目を回して意識を遠くさせるように後ろに倒れ込んだ。それをセドリックが「おっとと」と言いながらキャッチした。最近は貴族の人が買いに来ることも増えたもののこの騒ぎだ。私と同じくピンクブロンドの髪を一つにしたお母様が、「ユリィ、大丈夫……?」と不安げに問いかけてくる。


 大丈夫、と片手で答えて、すっかりどこかに旅立ってしまったヒルデをセドリックに頼み、えっちらおっちら屋内に運んだ。

 結論、ヒルデは私と同じく、転生者の記憶を持っていた。



 ***


 ぐずぐず、おえおえとヒルデは思いっきり泣いていた。おうえーーーー、と公爵令嬢どころか年頃の女性として大丈夫なのかしらと不安になる程度にはお顔がぐしゃぐしゃどころか鼻水までぼろぼろである。本当に大丈夫か。


 彼女にしてみれば安っぽいかもしれないけれど、私からしてみればできる限りのおもてなしをさせていただいた。ソファーはスプリングがきかないので、彼女のお尻の下にあるクッションは花びらをつめこんでふかふかである。


「あ、よければどうぞ、粗茶ですが」

「ああ、すんません。花びらがきれいですね」

「新商品です」


 宣伝がてらにセドリック達の前に二人分の紅茶を置いた。「お嬢様、ちょっとお嬢様。ほらユリィさんが」「お、おおおう、おおう……」 セドリックの言葉にも反応せず、ヒルデは瞳がつぶれんばかりに涙して鼻水と涙をハンカチで拭っている。


「……いやなんかすんません、うちのお嬢様あんなんで」

「いやー、まあ、うーん」


 ずいぶん小説の中の主人公と印象が違う、と思うのは彼女も私と同じ転生者だからなのだろう。私だって原作のユリィとはひっくり返っても性格が違う。幼少期の人格形成は大人になってから大きく影響するのは間違いない。

 ゆっくりとヒルデは涙を落ち着かせて、「ごめんなさいね」と意外なことに一言告げた。ずずりと彼女は鼻水を吸い上げた。


「私、記憶が戻ったのは最近で、今までのヒルデと、昔の人格がごっちゃになるときがあって、なんだかとても不安定で」

「それはお気の毒に……」


 私自身は小さなときから少しずつ、この間、どどんと、というところだったけれど、ヒルデは最近全部どどんと一発やってきたのだという。なんと大変なことか。

 セドリックも事情を知っているらしく、無言で紅茶を飲んでいた。ヒルデはセドリックから渡された新しいハンカチでそっと目元をぬぐった。そして見た彼女の目元はすでにしょぼしょぼであり、3の目をしていた。原作のクールビューティーが辛い。


「そうなの、あなたも転生者だったの……そりゃ仕方ないわよね……私や原作に関わりたくない、というのは先を知っていたら当たり前の考えだわ」


 ヒルデが泣き通しの間にも、すでにこちらの事情は伝えてみた。物語が進まない、という言葉だけで彼女が私と同じ立場であることは丸わかりである。

 我らの間にあるのは言葉のみである。互いに原作という共通理解を持っているのだ。話せば分かる精神で、ゆっくりとお伝えしてみたのだが、想像以上に彼女は話が分かる女性だった。終了ここでハッピーエンド。今日ここまで思わず怒鳴り込んでしまったのは、本人がいう通りに精神が安定していないのだろう。人格二つが心の中にあるのだ。それを抑えつけるのも大変に違いない。


「お茶、いただくわね、ごめんなさいね、すっかり冷めてしまったわ……おいしい……おしゃれんティー、うっ……生前もこんな優雅に生きたかった」

「お嬢様は今もご存命なので落ち着いてください」

「セドリック、私はヒルデで生きていたわ! お茶がおいしい!」


 本当に大変そうだ。

 クールな美貌なのにまるでハムスターのような挙動がたまらないので、私はしずかに頬を膨らまし我慢した。このヒルデかわいいな。


「どうしたの? ユリィさん、頬がぱんぱんのまっかっかよ」

「お気にならず。ところで物語が進まないとはどういうことで?」


 本編第一部では、とにかくユリィが引っ掻き回す。主人公であるヒルデと王子は婚約関係にあるが、横からぶいぶいユリィが言わせて互いの嫉妬を煽って、馬に蹴られて国外逃亡系聖女(造語)になる。なので私の存在なんて関係なく、とっととくっついてイチャラブすればいいのである。と、私はじいっとヒルデの瞳を見つめると、彼女はウッと苦しげに声を漏らした。「それが」「それが?」 セドリックはすでに壁となっている。さすが悪役令嬢の執事である。空気を読むのがとても上手。


「恋の障害がないからか、ドイル様とはなんにも始まらないの……」


 悲しみ。


 ではなく、ドイルとはこの国の王子のことである。小説であるヒーローで、最初はつっけんどんだとしても、いつしかヒルデに惚れて、互いに惹かれ合う物語なのだが、まさかの私が進出しない弊害がここに。ユリィ、ちゃんと原作で仕事をしていたんだね、とすでに断罪済みの心の中でブイサインをしているパリピヒロインに思いを馳せている場合ではなかった。


「い、いやいや。何をおっしゃりますか。確かに私というか、ユリィが二人の邪魔をして、それを乗り越えて愛を深めるシーンは多いけどね? でも原作だと、互いに好き合ってくっついてるんだから、そんなのきっかけにすぎないと思うよ?」


 ドイルはヒルデという少女に恋をしたのだ。そんなもんユリィがどうこうよりも、ぜひとも胸をはって突撃したらいいのではないか。と、思うのに、ヒルデは悲しく眉毛をハの字にして、すっと自分を指差した。


「私なのよ?」

「はい」

「原作の主人公のヒルデじゃないの、今は私なのよ?」

「オウ……」


 言いたいことは理解した。確かに彼女は現在純度100パーセントの主人公ではない。もとのベースはヒルデだが、お茶をおしゃれんティーと呟いて、ひっそりオヤジギャグを呟く程度に原作とは若干の路線変更が入っていた。


「で、でもさ、ほら、原作のシーンとか参考にしたら? ドイルが頑張ってることをヒルデだけがそっと理解してたってとこが惚れるきっかけでしょ? 原作通りの展開を狙って!」

「でも、原作が終わったらどうするの? ずっとその通りに行動なんてできないもの」

「ウーン……」


 おっしゃる通りで……と腕を組んで思わず仰け反ってしまった。とは言っても、ヒルデもヒルデで私に言ったところで仕方がないと思っているらしく、「ごめんなさい、唐突に来てしまって。あなたが聖女だということは誰にも言わないわ」とぺこりと頭を下げた。もし王族に私が聖女だと知られてしまえば、否応なく引っ張り出されてしまう。お心遣いはありがたいので、私も静かに頭を下げた。


「セドリック、行くわよ。……行くわよ、ちょっと!」

「……うおっ。はいはいお嬢様」


 確実に壁にもたれかかって寝ていたセドリックの首根っこを引きずる勢いで、ヒルデは立ち上がった。瞳が細すぎて、セドリックが寝ていることにまったく気が付かなかった。狸寝入り得意すぎか。絶対原作でもちょくちょく寝てただろ。


「紅茶、本当にありがとう。突然来てしまって、失礼な態度だったのに、こんな風にお話しができて、とても嬉しかった。そしてあなたがいてくれてよかった。前世の記憶があるのが一人きりじゃない、この世界のことを知っているのが、私以外にもいるんだって思ったら、とても……すごく、ほっとした」


 ヒルデの言葉が、しんと心にしみた。

 不安だったのは私だけじゃない。彼女もだった。なぜだかぐっと胸にきて、唇を噛み締めた。「私も、同じ。来てくれてありがとう」 互いに手のひらをにぎった。ヒルデの手はすべすべできれいで、私の手はすっかりかさついてしまっているけれど、そのことに後悔はない。


 にこりと手を握って、互いに笑った。ふと、疑問に思った。彼女はヒルデで、ヒルデだけど、ヒルデじゃない。なんだかちょっとむずかしい。だから少し不思議だった。


「ねえ、あなたになっても、ドイルのことは好きなの?」


 ヒルデは、ドイルが好きだった。

 それなら、ほんの少し変わってしまった彼女は?


 問いかけると、ヒルデは僅かに瞬いて、すぐにぱっと頬を真っ赤にそめた。それから少し瞳をふせて、こくんと小さく頷いた。恐る恐る、再度見上げた瞳を見て、うふっと笑ってしまった。とっても可愛らしかった。だから私は。



 ヒルデのことを、応援することにした。



 ***




「まずは! すでにヒルデとドイルは婚約者なんだから! すでに他の女どもより一歩前進しているのだぞ! でも第二第三のユリィが現れる可能性もなきにしもあらーず!!!」

「はいぃ!!」


 サー、イエッサー! とばかりにヒルデはびしりと敬礼した。

 隣には眠たげな顔をしたセドリックが立っている。いや多分寝ている。目が細すぎてわからない。


 あれから私はヒルデと友人になった。二人きり(+セドリック)の理解者だから、当たり前と言えば当たり前の話だけど。でも、純粋に、心の底から彼女の恋を応援したかった。

 きっとヒルデは私が引き止めなければ、もうここに来ることはなかっただろう。聖女であることを隠して、原作から逃げ出したいと思っている私の心情を、彼女は一番理解してくれていた。


 偉そうに指導をしているものの、原作のことを知りつつ、彼女の魅力をどう伝えるか考えることができるのは、きっと私だけである。と思ったら、セドリックも協力して、ドイルのハートを射止め大作戦を考えてくれた。美人かわいいくせにポンコツ気味な彼女の可愛さを互いに語った。ヒルデは顔を赤くして、耳も塞いで、「このまま聞かざる、そして去る。ウッキィ……」と呟いていたけれど、オヤジギャクを言わないと死ぬ体なのだろうか。


 クールビューティーであった過去の彼女は、婚約者であるドイルとまともに話してもいないらしい。ときおり会ったところで互いに言葉静かに茶を飲んで、国についての有り様や、今後についての実がありすぎる会話ばかりで、無駄話など考えたこともなかったらしい。


「好きと言ったらいいのよ!!!」


 なので花束を力の限り押し付けつつ、叫んでみた。ヒルデは一拍置いたあとに、「ひ、ひ、ヒアーーー!!!」と悲鳴をあげていた。


「そそそそ、そんな! いきなり! むりむり、絶対むり!」

「でももう結婚は決まってるわけでしょ? ドイルのどこが好きなのか、素敵なのか! 言っちゃったもん勝ちよ!」

「ど、どどど、そそそそ、そんな、いや、むり! でも、い、いいたい、素敵を語りたい! あととってもお花がきれい!!!」

「作りたてのぴっかぴかだから! 押し付けてきな!! あっ、セドリックもお腹へってたらおにぎりたべる?」

「食うっす」


 ぱちっと目を覚ました青年にほいと握り飯を投げつつ、花畑の中本日のお昼を咀嚼した。ヒルデと私、セドリックで、こっそり聖女パワーで育てているお花畑だ。風がひゅっと吹くだけでざわざわと揺れて、通り道ができていく。ときどきヒルデが遠い王都から馬車でやってきてくれて、みんなで丸太に座ってご飯を食べる。これはこれで、とても素敵な物語だ。


「これは、ヒルデが主人公の話なんだよ。告白をしろと言った後でなんだけど、もちろん、いやならしなくてもいいし、気持ちを押し付けたらいいというわけでもないと思う。でもね、ヒルデは、こんなに可愛くって、主人公なんだから、ヒルデが幸せになる話になったらいいな」


 温かな気持ちを、言葉にすると、自分の中がどんどんほかほかしてくる。こうなったらいいな、最高だな、という想像だ。ヒルデは渡したおにぎりをめいいっぱいほおばって、んぎゅ、と私を抱きしめた。「ユリィさん……!」「うへへ」 喜んでいるところで、セドリックがちびちび食べながら、「自分の心配もしといた方がいいんじゃねえっすか?」とすべてを台無しにしてきたところで、彼の頭の後ろに括られた長い尻尾髪を抜けるほどに引っ張った。聞こえた悲鳴は気にしない。



 ***



 ご婚約をしていらっしゃった公爵令嬢と第一王子の結婚の日取りが発表されたときいて、国中は興奮の渦に包まれた。私だって、手紙で一番で知っていたけれど、街中の人が嬉しそうに話し合うのを、むふふと勝手に喜んでしまった。明るいニュースに、花も飛ぶように売れていった。


 ヒルデは今ではとっても忙しくなってしまったから、昔のように遊んでなんてくれない。でも、セドリックはやってきた。すでにヒルデの生家であるアプンソンは大口の取引先である。遠いところから大変ご苦労様である。彼はいつも山のような花を馬車に積んで、えっちらおっちら帰ってくれる。「さすがヒルデの一番の従者!」と褒めてみると、なんとも微妙な顔つきをしていた。ちょっと褒め方を間違えた。


 セドリックに直接届けてもらう、ヒルデの手紙の文字はとても綺麗でいつも見ていてうっとりする。ユリィさんのおかげね、と書かれてはいるけれど、もとは全部彼女の魅力だ。なんのご謙遜を、と肩をすくめるしかない。私とは関係なしに進んでいく物語をこうして見送った。すでに、貴族学園に通うことができる年齢は過ぎてしまったので、私が原作に絡むことはない……の、だろうか? そう思って、ちょっと油断していた。


 ――王都から久しぶりの馬車がやってきた、と思ったら、王家の刻印をしていた。


 こりゃだめだ、とぞっとしたとき、彼らは想像通りの言葉を吐いた。私はほんのちょっと丈夫な花をつくった。それは日数が経ってもしゃんとして、とてもきれいな花たちだったのに、それを遠くに持ち出してみると、またたく間に枯れてしまったのだという。ヒルデに渡したもののように、始めから出来上がったばかりのものが遠くの王都に運ばれたのだとしてもそれはただの花だけど、花である期間をすぎて私の力で保っていたものは、私から遠く離れてしまうと、たちまち崩れ落ちてしまうのだ。それは聖女の花他ならない。


 なんてこった。距離のリスクまで考えていなかった。やはり力にリスクはつきもので、何もないところからは何もうまれない。オブラートに包んだ言葉でとっとと観念しろと私に声をかけてくる騎士達は、国王直属のものである。死んだ。ヒルデにちょっかいを出した追放刑聖女ルートは回避できているだろうけれど、残るものは死ぬまで馬車馬の如く働かせられちゃうルートである。


 まあそれはそれでお母様を保護してもらって、なんとかベネット家の没落を助けてもらっちゃおうかな、と涙ながらに自分自身を納得させようとしていたそのときだ。目の前に、大きな体があった。ひどく安心できる背中だった。私に手を伸ばそうとしていた騎士の手を、彼は勢いよく弾き飛ばした。


「触んじゃねえ」


 犬歯をむき出しにして長い尻尾髪を彼は揺らして、騎士たちの剣をかいくぐりはたき落とした。と思ったら、私を持ち抱えた。

 人生初、お姫様だっこである。「ひ、ひーーーー!!!?」 セドリックはなんとも身軽に私を抱えて、屋根の上を飛び跳ねるように移動した。恐らく魔法の力でも使っているのだろう。彼はヒルデの従者兼、スペシャリストな護衛だった。


「ななな、なんで!? なんで!?」

「なんでと言われても、一応助けに来たつもりなんすけど」


 だいたい適当なので、敬語がだるだるなのはいつものことだ。「ヒルデお嬢様が、あんたが聖女って知られちまったって慌ててね。王子がお嬢様に教えてくれたんだよ。あんたには借りがあるってさ」 借りという借りはないというか、ヒルデかわいいぜ計画で、私は押せ押せプッシュしたくらいである。


「騎士たちは国王が動かしたもんだから、止めることができなかった。でもかわりに捕まる前に俺がさらいにきた」


 その間もぴょんぴょん渡って、どんどん『お花屋さん』から遠くなる。「あーーーー!!! だめ、まって!」 思わず叫んだ。「私から遠くなると、花がしおれちゃう!」 これくらいなら大丈夫だろうけど、花畑が心配だ。セドリックは呆れたように溜め息をついたけれど、すぐに止まってくれた。騎士たちも、追ってくる気配はないようだった。


 やっと落ち着いて溜め息をついたとき、ヒルデへの感謝の言葉を告げた。

 親友の気持ちが嬉しかった。彼女はもう王家の人間になってしまうけれど、それでも私のことを思ってくれた。


「……でも、仕方ないかな。だって私、聖女だもん。この国にいる限り、バレちゃったら国の言いなりになるしかないよ」


 あとはそれこそ国外へ逃亡するとか。そんなの原作の追放ルートそのものである。なんにせよ、なんとかいい条件を引きずり出すまでの時間かせぎができそうなので、やっぱりヒルデの気持ちはありがたい。仕方ないね、と見知らぬ家の屋根の上で下ろしてもらって、納得したように笑った。見上げた空は真っ青だ。何分、とても楽しんだ。お父様がいなくなって、お金がなくなって絶望した。でも、今はぴんぴんしていてとても元気で、親友までできた。


 仕方ない、ともう一回呟いたときだ。


「……お前、俺の嫁になるか?」


 セドリックの見当違いというか、タイミングがおかしすぎる言葉にうんうんと頷いて、見上げて、三度見はした。「……なんで!?」 びっくりすぎてしばらく返す言葉を失っていた。


「いいか、聖女ってのは、清純な乙女が女神から得ることができる力だろ? 清純っつうのは文字通りの意味だな。うちの国の女神さまはお硬い方だからな。成人するまでに清純さを失った女からは聖女の力を取り上げてしまうんだと。死ぬまで聖女でいたければ、結婚、もしくは恋人を作るのは成人の後でした方がいいだろうな」

「えっと、その、つまり」

「お前、まだ成人してないだろ?」

「あ、あと1年くらいだけど、そそそ、それは」

「嫁になるか?」

「うわーーあーーー」


 どストレートがすぎる。いやいや、と首を振った。「そりゃ、聖女じゃなくなることができるのはありがたいけど! でもさすがにセドリックの一生が変わっちゃうじゃん! それをはいわかりました、ラッキーです! なんて言えないよ!」 さすがにヒルデの従者だからと言って、それほどまで面倒を見てもらう筋はどこにもない。


 と、いうことを懇切丁寧に伝えてみると、「あのなあ」と彼は長い溜め息をついた。


「俺が、なんの意味もなくお嬢様の命令でこんなクソ遠い場所に来てたと思ってんのか? 毎回、花だけ買うんなら、俺じゃなくてもいいだろ。お前に会いに来てたんだよ」


 やはりストレートすぎる。セドリックはすっと細い瞳を開いて、こっちを見ていた。


「王家のやつらからすりゃ、成人後にゆっくりってとこだろうけど、俺はそんな優しくしねえよ?」


 うわーあーあー……と近づく彼に両手を合わせて突き出した。「あの、検討の一つということで……今すぐの返答は、ちょっと……」「はいはい」 いなされた。




 ***




 結論からいうと、私はそれから聖女の力を失った。「ん、うむ、うっ、うー……!」 朝からちゅっちゅと鳥じゃないんだからとツッコミたくてたまらない。旦那は公爵家ほどの家柄ではなかったけれど、私のうちよりもそこそこ力のあるお家柄であったみたいで、元聖女の血筋を取り入れるとなると手放しで喜ばれた。


 聖女の力がなくなってしまうということには、結局王家からの逃亡一択か、と思ったけれど、ヒルデや王子の尽力があったことと、もともと原作では国外追放されていたのだ。いたら便利で、いなければそれはそれで、という程度なのだ。でももちろん、聖女でなくなる前に王家とはたくさんの話し合いをした。そして、たくさん種を作った。その不思議な種は水を与えると聖女の花と同じような魔除けの花を、ゆっくりとだけれど作ることができる。


 数に限りはあるし、時間もかかるものだからベストではないけれど互いに妥協点を探った結果だ。旦那の実家とヒルデの生家は協力し、さらなる商売繁盛、どどんとこい、『ベネット家のお花屋さん』は、そんな可愛らしい名前では収まらないほどに現在さらなる発展を遂げている……と、回想している間にもちゅっちゅがひどい。


「セドリック! そろそろお食事の時間ですが!」

「まずはこっちだ、うるせえちょっと黙っとけ」

「ん、んむう!」


 予告通り、彼はまったく優しくなく王家との話し合いが終了すると、私はすぐに聖女ではなくなった。


 小説には姿の描写もなかったくせに、今となってはこれ以上なくイケメンである旦那である。個人的には王子様よりピカイチだ。だるだるのくせにまさか溺愛属性があるとは思わず、日々困惑するばかりだけど。でもとりあえずいうと、大好きである。

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ヒドインでした、なんてこった!(短編) 雨傘ヒョウゴ @amagasa-hyogo

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