十四話 決する時

 五分ほどの休憩の後、第二試合の始まりを告げるアナウンスがされる。


『これより第二試合を始めます。選手の方は準備の方をお願いします』


「じゃ、行って来るな!」


「頑張れよ」


「任せろ!」


 柳がボロボロになってまでもぎ取った勝利を無駄にはしない。このまま何事もなく、続くと良いんだけど……。


「参った……」


『勝者、二年A組、長坂密流選手!やはりさっきの勝利はまぐれだったのでしょうか?!』


 スピーカー越しに告げられる勝者の名前に会場はこれ以上になく盛り上がる。歓声と熱気、長坂を応援するようにコールも止まない。

 ふらついた足取りでフィールドから下りる圭地を追うように俺はすぐさま控室へと向かった。


「くっ……!っ……!」


 扉越しからでも聞こえる小さな嗚咽に一瞬ノブを握ることを躊躇する。本気の試合で負けて悔しくない奴なんていない。

 今はそっと一人にしておいてあげよう。それが俺に出来る最低限の優しさだ。


「勝って来るから」


 誰にも聞こえない小声を漏らし俺はフィールドへと向かう。


『第二試合が思いのほか早く終わってしまったので続けて行きます!二年A組、長坂蜜流選手。第二試合のように華麗に試合を制して欲しいですね!対するは隔離教室、篠町凪選手!なんと篠町選手、聞くところによると去年、一度も実技に参加していないとか!この学園に何をにし来たのでしょうか?』


 川阪の放送に会場内はドッと笑いに包まれる。人が気にしていることをよくもまあ、そんなに簡単に言える。事実だから否定はしないけどさ。

 でも、誰も知らないんだろうな。行動には必ず意味があることを。


『では、結果はお察しですが第三試合始め!』


 試合開始の合図を聞いてすぐ、俺は空を仰いだ。綺麗な空だ。雲一つない真っ青な景色。時折吹く風が心地よく頬を撫でる。

 ほら、鳥もあんなに嬉しそうに羽を広げている。


『諦めるのは勝手ですが、せめて前を向いて刀を出して下さいー』


「そうだそうだ!早く刀を出せ!」


「さっさと負けろ!」


「出来るだけ無様にな!」


 川阪の放送を皮切りに観客席はブーイングの嵐に包まれる。低俗な言葉が雨のように降り注ぎ皆一様に敵意の視線を向けて来る。

 これが柳や圭地が見ていた景色か。確かに居心地は良くないな。だけど、その分、遠慮をしなくていいかもしれない。


「桑大を超えたのは褒めるけど、君たちはここで負け。君じゃ僕は越えられないよ!」


 刃先をこちらに向けたまま長坂は走ってくる。ああ、そうだ。確か圭地はこれに負けたんだ。このスピードに対応出来なくて、態勢を崩されたところを狙われた。

 攻撃面に関しては圭地の方が勝っていたけど、スピード面に関しては長坂の方が勝っていた。それだけのこと。

 翻弄されて翻弄されて隙を作らされた。たった、それだけのこと。なら、勝つのは簡単。

 誰よりも攻撃的に、誰よりも早く、誰よりも隙を作らないように立ち回ればいいだけのこと。

 そんなこと出来るのか。もちろん、無理だ。いくら剣の達人とてこの三つを完璧にこなすのは至難の業だろう。

 それが一介の学生なら尚更。けど、不可能ではない。少しだけずるいけど。出来れば頼りたくなかったけど、握った時点で俺に選択肢なんてない。

 先に謝っておこう。


「ごめんな」


 顔を下げ長坂を見る。刃先が届くまであと数十センチ。これだけあれば十分だ。


「来い」


 手のひらを上に向けそう合図する。現れたのは一本の刀。柳の刀のように色はなく、圭地の刀のように派手な模様や装飾もない。どこにでも売っているような何ら面白みのない一本の刀。

 これが俺の刀、鉄刀「諸刃」少なくとも俺はそう呼んでいる。


「今更出しても間に合わないよ!僕の勝ちだ!」


 確かに間に合わない、俺だったらね。


「いや、俺の勝ちだ」


 恐らくこの時の俺の笑顔はどこまでも邪悪だったに違いない。柄を握ると同時に俺の意識は真っ暗な沼の中へ落ちて行った。

 いいところで止めないと、な。


~砂砂良圭地視点~


『では、結果はお察しですが第三試合始め!』


 控室でくよくよ泣いているといつの間にか凪の試合が始まっていた。そうだ俺らにはまだ凪がいた。

 何、一人で勝手に諦めて泣いてんだ。そんな暇があるなら負けた者としてせめて応援くらいはしないと。

 残っていた涙を乱暴に拭き取り足早に観客席へと向かう。


「遅れた!試合の状況はどうだ?」


「あ、圭地良かった!凪が……!」


 ホッと胸を撫で下ろしたり焦ったり、何かと忙しそうな蓮が指差すままにフィールドに目を向けると、どういう訳か空を仰いでいる凪がいた。


「どういうことだ?」


「それが僕にも分からなくて。試合が始まると同時に急に空を見たから。でも、凪のことだからきっと何か考えがあるんだよ」


 何か考えがある。本当にそうか。少なくともそうは見えない。むしろ諦めているようにすら見えてしょうがない。

 周りからのブーイングも凄いし、何よりも残り頼れるのが凪しかいない。


「今更出しても間に合わないよ!僕の勝ちだ!」


 顔を下げた時にはもう遅く、長坂の刀は凪の首元を捉えていた。刀は出しているようだけど、果たして間に合うのだろうか。


「いや、俺の勝ちだ」


 そんな中で凪は不意にニヤリと笑った。横顔からでも分かるくらいに邪悪な笑み。何よりも凪の言葉が耳に残る。


「凪!」


 ガキィ!


「へ……」


 鉄と鉄がぶつかる音が辺りを静寂に導き長坂の間抜けな声がやけに鮮明に耳に届く。首元を捉えていたはずの刀身はすれすれのところで固く止まっていた。

 あの状況から受け止めるなんて人のなせる業なのか?目の前の光景が夢じゃないと信じる為に何度か目を擦る。


「な、んで……!僕が君如きに速さで負ける訳がない……!どういうことだ!」


 目を疑っているのは何も俺だけではないようだった。長坂もまた狼狽した様子で表情を歪めている。その表情には苛立ちや困惑と言った、およそ良いと呼べる感情は乗っていなかった。


「何でって……俺の方がお前よりも早かったってだけのことだろ?」


 僅かに顔を上げた凪は口元を歪ませながら煽るようにジワリと笑う。


「っ……!」


 その所作に恐怖を感じたのか長坂はスッと距離を取る。


「ああ、逃げるかぁ。もう少しだったんだけどな」


「何を言って……!」


 長坂の言葉を遮るように凪は刀を指差す。


「見て見ろ」


「何が……っ!」


 釣られて刀を見ると刀身の上の方、ちょうど首を捉えようとしていた辺りに僅かにひびが入っていた。


「いつの間に……!」


「受け止めた時だよ。それくらい気付け」


 長坂の態度が面白く映ったのか凪は腹を抱えて笑う。


「ねぇ、圭地」


「ああ」


 違和感まみれのその光景に、俺と蓮は目を見合わせる。


「凪、だよね……?」


「どうなんだろうな。少なくとも俺はそうは見えない」


 あそこに立っているのは凪であって凪じゃない。見かけや声は凪だが、立ち振る舞いや話し方、口調は丸っきり別人だ。

 見ていなかった数分の間に一体何があったのだろうか。


「はぁ……」


 ひとしきり笑い終えた凪はどこか寂し気なため息をこぼす。


「お前もういいよ。飽きたし弱者に用はない。せっかく久しぶり出れたってのに楽しめないってのは嫌だしな」


 刀を握ったまま凪は大きく背伸びをする。今が試合中と言うことを忘れさせるほどに隙だらけの行為に長坂は顔を真っ赤にし声を荒らげる。


「ふ、ふざけるな!僕が弱いだと?!そんな訳ないだろ!僕はお前なんかよりも強い!弱者はお前だろ!バカにするのも大概にしろ!」


 静まり返った会場に長坂の叫びがうるさいほどに木霊する。それだと言うのに当の凪はと言うと、


「ふーん。で?」


 その場に座り込みあくびをしていた。


「~~~~っ!」


「そもそもさぁ。最初の一撃を俺に決められなかった時点でお前は負けてんだよ。もしかしてそれにすらも気付いてないのか?」


 はっと鼻を鳴らし笑う凪に長坂の顔は怒りでますます真っ赤に染まって行く。


「そこまで言うなら見せてやるよ!僕の最高速度を!」


「お、やっと本気を出すのか」


 長坂が構えたのを見て凪はよっこらせっと腰を上げる。


「さあ、来い。お前の本気みせて見ろ」


 両手を広げ楽しそうに笑う凪。


「行くぞ!」


 身を低く構えた長坂はその場で軽くジャンプしたかと思えば、着地と同時に地面を蹴り凪に向かって行く。


「これが僕の最高速度だ!」


「悪くない速さだ。けど、まだ足りないな。見せてやるよ」


 勝負は瞬きをするよりも早く終わった。フィールドの中心で二本の刀が交差し特有の高い音が響く。気付いた時には二人の立ち位置は入れ替わっていた。


「これが本当に速さって奴だ」


「バカ、な……!」


 刀を手放し長坂はその場に倒れ込む。俺があれだけ苦戦した末に負けた相手をこうも簡単に倒すなんて。凪を最後においた俺の選択は間違いじゃなかったんだ。

 ただ、本当に凪かは分からないが。


「「「……」」」


 呼吸音も何もかも音を失った空間の中で真っ先に声を出したのは凪だった。


「俺の勝ちだよな?」


『……長坂蜜流選手戦闘不能により、しょ、勝者、隔離教室、篠町凪選手!』


 その放送を聞き終えて会場は息を吹き返したように騒がしくなる。


『第一試合に引き続きまさかの隔離教室組が勝利を手にしてしまいました!我々としてはもういかさまを疑わざる得ないと言ったところですが?!』


「いかさまねぇ。まあ、あながち間違いでもないか」


 大きくあくびをした凪は目を擦り実況席を見た。


「おい」


『な、何でしょう!?』


「腹減ったからさっさと最終試合を始めろ」


『し、しかし!向こうの準備が……!』


「あ?」


『ひ、ひぃ!』


 およそ凪が発したとは思えないほどにドスの聞いた声に川阪は女のように情けない悲鳴を上げ、一歩身を隠す。


「試合を始めよう。俺は準備出来てる」


 その時、海世がフィールドへと上がって来た。


「ん?お前……」


 海世を視界に捉えた凪は不思議そうに首を傾げる。


『りょ、両者準備が整ったようなので最終試合に入りましょう。二年A組、学園きっての天才で実技、座学共に右に出る者はいません!海世繋選手!対するは、圧倒的速さと余裕で圧巻の強さを見せてくれました!隔離教室、篠町凪選手!勝利の女神は果たしてどちらに微笑むのでしょうか?!では、最終試合始め!』


「来い」


 海世の出した刀は柳の刀と同じように青みがかった刀身を持っていた。芸術品のように美しく、どことなく儚げな雰囲気を纏っているそれは柳の刀のように明るい青色ではなく、海のようさながら海底のような暗い青色を持っていた。


「いったいどういう手を使って二人を倒したのかは知らないが、俺は二人のように甘くもないし、油断もしない。何故なら天才だからだ」


 余裕をこれでもかと含んだ表情で見下すように凪を見る海世に見ているこっちまでイラついて来た。


「ふぅん、そっか」


 まるで興味がないという風な態度の凪に海世の表情が僅かに歪む。それを見て俺の心も少しだけ晴れる。

 いいぞ、もっとやれ」


「圭地、声に出てるよ……」


 蓮に指摘され慌てて口を閉じる。苦笑いを返しながらにフィールドに視線を戻す。


「たかが一人に勝ったくらいであまり調子に乗るなよ?俺はお前よりも二人よりも誰よりも……強いんだよ!」


 地面を蹴る音だけを残し海世はいつの間にか凪の眼下にいた。口だけではない圧倒的な速さに隙のない攻撃モーション。振り下ろされる刀身には遠慮のない、確かな力強さが籠っていた。

 他の二人が可笑しく見えるほどの動きに奴が口と態度だけではない、本当の意味での天才なんだと理解する。

 ……だからなんだ?天才だから勝つなんて法則はない。凪はきっと勝つ。あの時の言葉はちゃんと届いていたから。


「勝て!凪!」


 俺は身をこれでもかと乗り出して人目をはばからずに叫ぶ。俺が出来なかった、見ることの出来なかった景色を見せてくれ!


「……ふっ。分かってるよ、圭地」


「よそ見をするな!」


「こいつに拾われたのは間違いじゃなかったな。その時が来るまでせいぜい楽しませてくれよ」


 凪はにやりと笑うと大きく振り下ろされた海世の刀を受け止める。


「な、に……!?」


「ごめんなぁ天才君。どうやら俺は、こいつは負けられないらしい。全く羨ましい限りだよな」


「お前、本当に凪か……!?」


 笑う凪とは対照的に海世の表情は驚きに塗り上げられる。


「凪だよ。少なくともさっきの一瞬はな」


 凪は刀をはじき海世の態勢を崩しにかかる、が。


「そんな子供騙しにかかる訳なだろ!俺を舐めるな!」


 さすがは天才、一切の隙を作らず凪から距離を取る。


「分かってるよ。なら、こんなのはどうだ?」


 言うと同時に凪は刀を振り下ろす。見るからに大雑把で隙だらけの動きだが、それを受け止めた海世の様子がおかしい。


「な、何をした……?!」


「一人目と同じこと。見様見真似、何となくでも意外と出来るもんなんだな」


 まるで石化でもしたかのように全く動かなくなった。あの寸瞬に何があったのかは刀を交えている二人にしか分からないが、少なくとも凪が劣勢に陥っているという風には見えない。


「こんな感じだったかな」


 その一瞬を見逃さず、凪は瞬時に刃先と柄の位置を入れ替え、その先で海世の鳩尾を力いっぱいに突いた。がら空きの状態でダイレクトに食らった海世は数メートル後方へと吹っ飛んだ。そのまま背中から落ちるかと思ったが、空中で体を上手く捻りダメージを最低限に抑えつつ地面へと着地した。

 だが、突きのダメージがそれなりに効いているようで、鳩尾を抑えたまま片膝をつく。


「ぐっ……かっ……!」


「お、これを耐えるか、さすが天才は口だけじゃないようだな」


「お前、本当に凪か……!?」


「さっきも聞いたぞ同じ質問。答える意味あるか?」


 うんざりといった様子で凪は海世を見下ろす。


「俺がお前相手に片膝をつくなんて有り得ない!お前は俺よりも圧倒的に弱いはずなのに!ろくに刀も握っていない奴に俺が負ける訳がない!」


 立てない癖に威勢だけはよく。感情任せに喚き散らす海世の様は見ていて心地の良いものがある。


「圭地、悪い顔しているよ……」


 蓮の指摘に頬を何度か叩く。


「悪い悪い。あまりにも面白くてな」


 苦笑いを浮かべつつフィールドに目を向ける。


「そりゃお前、あれだろ。井の中の蛙的な?自惚れって奴だな」


「っ……!」


「態度だけは一流だな。やっぱり天才君は違うな」


 心底バカにしたように褒める凪の態度に海世の額には数本の青筋が浮かび上がる。


「態度だけ……だと?ふざけるな!刀の腕も才能も期待も何もかも持っていない癖に……!そんな目で俺を見下ろすな!!!」


「確かにこいつはお前のように色んなものは持ってない。けど、お前が持っていないものを持っている。例えば、友人とかな?」


「そんなもの何の意味がある?!この世で生きる上で必要なのは圧倒的な、他を凌駕するほどの才能だけだ!才能があればそれだけで金は稼げるし、友人なんていくらでもついて来る!何も持っていない奴が俺を否定するな!」


 いっそ憐れなほどに、いっそ同情してしまいそうになるほどに海世は才能に憑りつかれていた。恐怖、狂気、畏怖。どんな言葉を並べても到底今の海世を表現する言葉は見つからない。

 だからこそなのだろうか俺の目には海世が可哀想に見えてしょうがなかった。


「やっぱりお前、可哀想だな」


「っ!そんな目で俺を見るな!そんな目で俺を憐れむな!!!俺はお前らとは違う!!!」


「もう終わらそう」


 そう言うと凪は身を低く構える。


「黙れ!」


 海世がそう叫んだ時にはもう凪は地面を蹴っていた。


 バキィッ!


「はっ……?」


 刹那、海世の刀の刀身が中央から音を立てて砕け散った。太陽の陽に照らされた破片は緩い風に運ばれ雪の結晶にように輝きながら辺りに散らばる。


「確か相手の刀を破壊しても勝利として認められるんだったよな?」


『か、刀の破壊を確認!よって勝者、隔離教室!篠町凪選手!これにてクラス対抗代表戦は隔離教室の勝利で幕を閉じます!』


 スピーカーからの音が途絶えた瞬間、てっきりブーイングの嵐かと思った会場は瞬く間に耳障りなほどの歓声に包まれた。

 どうやら固唾を飲んで見守っていたのは俺だけではないようだった。 


「これで二回目か」


 そんな言葉を呟き凪は刀をしまう。


「蓮行くぞ!」


「うん!」


 俺は高鳴る心臓と爆発寸前の感情に身を任せ急ぎ足で凪の元へと向かった。

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