第六章 夜を統べる者。 第四十四話 環状列石。

 おめでとう!

 かの邪悪な羊魔老ナギは、死んだ。魂すら消失して、二度とどうすることもかなわない。だが、無論、まだ物語は途中。ララコが夜空を滑空している。ララコは上空を旋回しながら、灰色の舌を延ばす。舌は延ばされ自重に耐え切れず、途中で引きちぎれる。巨大な排泄物のように、次々と大地に落とされる。それは邪悪な欲望をもつ灰色の頭の無い大蛇のような姿と命を持っていた。体長100トールにもなる腐敗した大蛇の群れが現れる。それらは次々とララコから分離し、獲物を求め、恐るべき速度でリガの街を徘徊する。断崖絶壁の上の草原にもそれはのたうっていた。

 ゾナは駆け出し、ファントの角を握り、それを起点として、背に飛び乗る。ナギもウィウも術を駆使し一直線に飛ぶ。ウルスハークファントが殿となり、亡者の群れを内包するララコの舌に黒炎を吐きつける。灰色の舌は爆発し、ちぎれ飛ぶ……が、ララコは次々と舌を吐き出す。頭の無い大蛇は際限なく産み落とされ、彼らに迫る。限がない。そもそも 最も大きな灰舌は幼龍のブレスごときでは、到底焼き払えない大きさだった。徐々に黒い風も濃くなり始めている。ウルスハークファントは見切りをつけてみんなの後を追う。先頭を駆けているのはゾナとファントだ。目指すは、全ての邪を払う環状列石。魔力の臍。そこにしか生き残る可能性は存在しない。ララコの黒い風を阻み、ララコの眼から魂を隠してくれる古代の遺物の中にしか生き残る可能性は無い。もちろん、ただの可能性。万が一、環状列石が黒い風からそうしてくれるように、ララコの舌から守ってくれなかった場合は?どううだろう?ああ、その時は死ぬしかない。百も承知で、それ以外に手段は無くて。彼らは虹色の闇夜を駆け抜ける。必死に、一途に。それは初々しく狂った夏を駆け抜ける思春期の若者たちのようで。彼らは晩夏の夜、草原を疾駆した。命を懸けて。

 ウィウとナギは途中でウルスハークファントを待ち受けていた。ウルスハークファントが二人の間を擦り抜けた瞬間、二人の術者は、目配せをし、同時に同じルーンを切り、式を唱えた。無数の魔法陣が浮かび上がり海の緑に輝く光の巨壁を出現させた。龍の様にうねり踊るララコの舌は障壁に激突し、煙を上げて溶け始めた。邪を阻む聖なる緑壁。無論、ララコを前にいつまでも持つものではない。だが、彼らが欲しかったのは、ララコを阻む永遠ではなく、環状列石へと飛び込むための一瞬だった。

 二人は再び術を唱え、全速力でゾナ達の後を追った。聖なる障壁は二度目の舌の接触で粉々に吹き飛ばされた。ファント達やウィウ達の数十倍の速度で灰色の舌は迫りくる。

 環状列石まで後、5トール。

 灰舌との距離、80トール。

 環状列石まで4トール。

 灰舌との距離、60トール。

 環状列石3トール。

 灰舌40トール。

 ゾナと二匹のファントは環状列石の聖域に飛び込んだ。

 ナギとウィウは横並びで後、2トール。

 灰舌は後ろ20トール。

 後、1トール進む間に灰舌は20トール進み、二人を貫き搦め捕るだろう。

 間に合わない。

 環状列石まで1.5トール。

 灰舌から10トール。

 そう、間に合わない。

 舌が早かった。

 二人は舌から無数に突き出される亡者たちの細く鋭い舌に貫か……環状列石より頭だけを出したウルスハークファントが渾身のブレスを吐き出した。獲物を搦め捕る役目の細い亡者の舌は焼く尽くされ、二人は呪われた舌先をかわし切った。彼らは環状列石の内部に飛び込んだ。ウルスハークファントも宙返りを打って、聖域に退避した。

 眼前に灰舌が迫る。一瞬が無限を内包する。巨大な灰舌が鎌首をもたげ立ち上がり、環状列石を見下ろしたかと思うと、凄まじい勢いで落下した。胴回りが10トールは軽く越える灰色の呪われた生き物が彼ら環状列石の神秘に縋る力無き者達に覆いかぶさる。灰舌の表面は苦痛に狂う亡者たちの顔でびっしりと覆われており、その全てが絶望を叫んでいた。山が崩れ被さる様に呪われた灰舌はゾナ達を押し潰そうと倒れ込んでくる。環状列石が邪から姿を隠すだけでは無く、物理的に魔を阻んでくれなければ、全員、即死だ。粘つく汗がナギの脇を流れ……そして……灰舌は見えぬ聖なる障壁に阻まれ、悲鳴を上げた。 爆発にも似た悲鳴と、黄色く腐った煙を上げて倒れ込む。その後ろから突進してきた別の舌は邪を阻む太古の障壁に阻まれ、血飛沫を上げながら環状列石の左右に引き裂かれて行った。ララコの灰舌から吹き出す血飛沫が深紅のスコールとなって、世界に降り注ぐ。それすらも、神秘の環状列石に侵入することはできなかった。油色の虹がかかる。狭い環状列石の内部でウィウ達は引き裂かれ左右に流れて行く亡者たちの悲鳴に包まれていた。地響きを上げ環状列石毎、引き抜かれるかと思われたその時、全ての灰舌が通り過ぎていっ た。灰舌は知覚から消えてしまったウィウ達に興味を失い、街に向かった。

 灰舌の腐敗した血のスコールは止み、ウィウ達の世界に月明かりが戻って来た。無論、それは僅かばかりの出来事だ。月夜に吹き荒れる風は黒く、毒と瘴気を孕んでいる。ララコの叫びで夜の天蓋は破られる寸前だ。稲光の嵐はすさまじく、リガの街は成すすべも無く、崩れて行く。当然だ。闇を滑空する体長1リールの魔物に誰が何を出来ると言うのだろう?何も出来ない。隠れ損なったら最後だ。


 ……ただ、死が待つだけなのだ。

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