第五章 羊魔老ナギ。 第四十一話 力の源。

 ウルスハークファントが、うねるように崖を直線的に上るカマドウマの前に踊りだした。身体の半分まで続く長すぎる口に並ぶ牙をちらつかせて威嚇する。月明かりにぬめるカマドウマは本能的な危険を感じ取り、体をびくつかせ、絶壁の中腹で立ち止まる。瞬きの間にナギが、ウィウがそのステージにたどり着き取り囲む。カマドウマは不服そうにぎぃ、と鳴いた。それが引き金となり、ウルスハークファントは爆発性のある黒炎を吐き出し、 ウィウは灼熱の光の槍を投げ付け、ナギは全てを腐敗させる風を起こした。牛程の大きさを持つ巨大なカマドウマは本能だけを頼りに右に左に跳びはね、その全てをかわす。かわしながらも益々素早く力強く大きくなっていく。カマドウマを追い詰めながら止めをさせずに焦る3人の中で、最初にその異変に気づいたのはウィウだった。


 「まって!へんだよ!」


 その一言で自分達が優位にあると驕り高ぶっていた意識から覚め、ナギもようやく現実を受け入れた。

 一秒毎にカマドウマの跳躍は大きくなり、後ろ足は太くなる。瞬きを繰り返すたびに、素早くなり、攻撃をやすやすとかわして行く。複眼の奥に潜む光りに知性の輝きが宿り始めている。しかし、だとすれば尚のこと、待つ訳には行かない。ナギは雷を落とし、炎を叩きつけ、崖を切り崩した。しかし、全てをかわし切る。カマドウマはついに断崖絶壁の頂上に到達した。ぎぃぎぃ鳴きながら、しつこくてうるさい三つの生命体を見渡した。体高3トールを越え、象並の大きさとなっていた。めきめきと牙の並ぶ口を裂き広げた。


 「おろかな。ワシに敵うとでも?」


 聞き間違えるはずのない、羊魔老ナギフィマ・ベゾアルの声が響いた。動揺するナギは次々と術を繰り出 し、カマドウマに叩きつけて行く。カマドウマは遂に身動きすらせずに、全てをその堅い 甲殻で受け止めはじき返してしまった。ウルスハークファントの黒炎さえも受け止めてしまった。羊魔の哄笑が響き渡る。


 「愚かな!まだワカランのか!ワシは死線を越え、混沌界より力を携えて戻ったのじゃ!もはや、貴様らごとき凡百の者共がどうにか出来る存在を超越したのじゃ!」


 恐れていたことを宣告されたナギと主人が脅える様を見せつけられ動揺する幼い黒龍とは違い……ウィウは独り、思考をやめなかった。


 ……ホントにそうなのかな?ホントに魂があの世に行きかけて、戻ってくる時にあの世の力を引っ張ってきたのかな?ホントに?違う気がするよ。それは、老ナギの儚い希望なんじゃないかな?ただの妄想。確かに老ナギはあの世……混沌界……の毒気に満ち満ちた大気から、毒を取り除き、狂った力を抽出出来る。それは間違いない。でも……でも、ウルスから直接力を引き出すことはできないんじゃない?だって、それが出来るのなら、わざわざ廃坑のアルナクから毒気を引き出す必要はないもん。そう、老ナギがあの世に逝って、瘴気から力を抽出し、この世界に帰ることが出来たとしても、この世界に戻って来た後も、その力を抽出し続けることはできないんじゃない?それに、最初にカマドウマになった時、老ナギは廃坑のアルナクに向かった。でも、今回は崖を上った……どう して?力を回復したいのなら、魔力を吸収したいのなら、廃坑に向かう筈なんじゃないかな?なぜ、崖を上ったの?ふと、ウィウは直感した。


 ……で、そのことにカマドウマは気が付いているの?


 ウィウの眼前では、全ての力を、象よりもなお大きくなったカマドウマに打ち付けるナギとウルスハークファントがいた。カマドウマは愉快そうにぎぃぎぃ鳴いている。爆炎も致死的で有るはずの術も、全く意に返さずにいた。


 ……羊魔は瘴気から魔力を抽出することは出来ても、混沌界から瘴気を引き出すことは出来ない筈。じゃ、どうして羊魔はどんどんと力を取り戻し、大きく強力になっていってるの?それはやっぱりどこからか力を得ている訳で……瘴気はどこから?羊魔の力の源で ある、瘴気はどこから来ているんだろう?廃坑のアルナクは遥か眼下だ。例えば、アヴァローの血肉から魔力を引き出す事は出来るし、彼らが撒き散らす瘴気からも力を得ていたみたいだし……。

 理由は、一つしかない。ウィウのすべすべとした美しい背中に冷たい汗が吹き出し、流れ落ちた。羊魔の回復を見る限り、相当強い瘴気を得ている筈だ。それ程までに強い瘴気を出す存在と言えば……。

 余裕の笑いを上げるカマドウマ。焦り恐怖しながら必死の術を繰り出す、ナギ。息が上がり黒炎が途切れがちなウルスハークファント。そして……

 ウィウはゆっくりと夜空を見上げた。

 月が冷酷に輝いている。

 眼下を見下ろす。

 先程のカマドウマが起こした騒ぎのせいで人々は、安全なリガ・ディーロンから、蟻のように沸き出してくる。これは、格好のエジキなんじゃないだろうか?不安と恐怖に凍りつくウィウには、この全てがスローモーションで、輪郭は光でぼやけて、音は遠く……水面上の出来事を水中から眺める気分だった。再び、ウィウは夜空を見上げる。

 月が輝き……月のそばには……巨大な雲が……いや、違う、とウィウは自身を否定しようとして出来ず……その雲を認めた。


 巨大な十字架の形をした雲を。


 十字架の頭の部分に、細い二つの亀裂が走り、深遠なる光を宿した真円の瞳へと変じるのに時間はかからなかった。一際大きい亀裂が走り、奥歯だけが並ぶ口中を剥き出しにして……それは……ララコは哄笑を爆発させた。老ナギは、混沌界と直接繋がっているララコから滲み出す瘴気を吸収し、回復していたのだ。だからこそ、無意識により濃い瘴気を求めて崖を上って、天を目指したのだ。

 黒い風が荒れ狂う。

 ララコはリガ上空を旋回しながら、黒い風を起し、渓谷の底に堆積させていく。見る見る街は黒く、質量を伴った風に沈んでいく。灰色の亡者の内蔵と頭部を寄り合わせて形作られた舌を、ララコは垂らして行く。その悪夢めいた舌は、犠牲者を求め無数に分岐し、恐慌を来した街人の群れに伸びて行く。黒い風を吸い込み、朦朧とする意識の中、眼球を白濁破裂させて、灰色の舌に貫かれ、遥か上空に巻き上げられ……ララコに飲み込まれて行く。飲み損ねた人々が風に舞う落ち葉のように街へと落ちて行く。なんとか生きながらえようと右往左往する街人の上に人が落下し、押し潰し、互いの内蔵と体液とを混ぜ合わせ、撒き散らす。アリの巣を襲うアリクイを想像させる悠然としたララコの動きだった。 逃げ惑う人々は正に蟻そのもので……遥か上空にはララコの哄笑。

 カマドウマは、その動きを止めた。不気味な複眼に恐怖を滲ませ小刻みに震えている。 眼下の黒い河から立ちのぼる恐怖と苦痛の悲鳴が人外の魂に響いていた。ナギもウルスハークファントも硬直している。飛び去ったとばかり思っていたララコは雲に隠れて待ち構えていたのだ。隠れた人々が油断し満面の笑みを浮かべて再び地表に現れるのを。

 ばり。

 と、不気味な音を立てて、ララコの舌が分岐して、断崖上のウィウ達に伸びてくる。ナギもウルスハークファントもウィウも老ナギさえも、あまりの展開の早さについて行けず、呆然となっていた。黒い風を纏った灰色の亡者の舌は稲光の速度へ彼らに伸びる。

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