第五章 羊魔老ナギ。 第三十九話 祭りの始まり。

 喜びはしゃぐ街人を、ゾナは少し離れて見守った。祭壇への階段に腰を降ろして。脇には長い時間を共にして来た、巨大な白銀の大剣が投げ出されている。とにかく疲れていた。 この街にきてから、死にかけたり、腐りかけたり、大魔法使いに遭遇したり、恋をしたり……。

  このまま少しうたた寝しようと、ゾナは目を閉じる。子供たちがはしゃいでいる。 気持ち悪いとか、逃がすなとか。意味不明にきゃぁきゃぁと。老ナギがいなくなり、アヴァローに対する不安がなくなり・……ララコはこれからも周期的に飛来するだろうが……大人たちは興奮し、子供たちの騒ぎが度を越し始めているのに気づいていない。ゾナにしても、疲労に身を任せている。ふと、その子供達の声の中に、聞き覚えのある声が交じっているのにゾナは聞き分けた。薄く目を開く。あぁ。……いつかのおばあちゃんだ。名も知らぬその老婆が元気なのを見てゾナはうれしくなり、立ち上がり近づいた。そう、礼は言える時に言うべきなのだ。愛は吐き出しておこう。


 「全く、汚らわしい生き物だよ。あんた達は触っちゃだめ。」


 言いながら老婆は、石畳を踏み鳴らす。何かを踏み潰そうとしているのだろう。手伝ってあげようと、老婆の足元をのぞき込んだゾナは違和感を感じた。一瞬、違和感の出所が分からず、戸惑い……恐怖が沸き上がった。黒と黄色の縞模様の入った後脚を持つ甲虫。悪夢は繰り返される。


 「……カマドウマ!」


 直後、老婆の足が踏み降ろされ、逃げ惑う虫が踏み潰された。叫ぶゾナを認めて、老婆はほほ笑んだ。


 「ああ、あんたかい。やだねぇ、大の男がカマドウマが怖いのかい?アヴァローには立ち向かえるのにねぇ。」


 そう言いながら、老婆はぐいっと足に力を入れ、捩り、カマドウマに止めを指した。老婆はゆっくりと足をずらし、つぶれて体液をぶちまけているカマドウマが完全に死んでいることを確認した。


 「……ほ、本物の虫か。」


 自身の臆病さに呆れたゾナは、目を閉じ、汗を拭った。まさか、老婆より臆病だったとはね。臆病タイフーン恐るべし。ゾナは笑いながら眉間を揉んだ……その一瞬。潰れたカマドウマは、そのまま跳びはね、老婆の口中へと飛び込んだ。吐き出そうとする老婆の意に反して、その潰れた物体は喉の奥へと流れ込んで行った。喉が不気味に膨れ上がり、それは飲み込まれて行った。


 ……血まみれの祭りが始まろうとしていた。

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