第五章 羊魔老ナギ。 第三十四話 術策。
月夜に羊魔の歓喜の雄叫びが長く拡く響き渡り尾を引いて消えた。
最高の夜になりそうじゃ……。
呟き、狂った魂を戦慄かせる羊魔に背後から、爆発性の黒炎が降り注いだ。一瞬完全な闇に閉ざされた羊魔は次の瞬間紅蓮の炎に包まれる。羊魔が絶叫を上げる……ことすら許さずに、夜の陰から黄金色の剣士が白銀の大剣と共に現れ、左脇腹から右の鎖骨へと剣を突き刺し貫いた。
燃えかすとなりかけた老ナギは、喀血し、大地に倒れ込み……蛆の群れへと変容した。蛆は一斉にゾナに躍りかかる。しかし、ゾナは笑顔を浮かべ、飛びのき、それを回避した。そこへウルスハークファントの爆発性の黒炎が降り注ぐ。蛆は一匹残らず沸騰し、蒸発して消えた。
「やったぞ!!」
歓喜に溺れるゾナは鋭い鉤爪に両目を抉りだれた。悲鳴より先に血が吹き出し、震えながら倒れ込む。どこから現れどのような体捌きを行ったのか?完全に相手に悟らせるとこなく、ゾナを仕留めた羊魔が笑う。
「常人が大魔術師を欺けるとでも思ったか?」
吐き出すとともに素早く跳躍し、背後から忍び寄った黒龍をかわし、踏みにじり、引き裂いた。完全に不意を突いたつもりでいた黒龍は、肉片へと変じた。
そもそもが、羊魔の幻影だったのだ。羊魔は廃坑の外で誰かが……といっても、愚かなナギ達以外にワシを待ち伏せる理由のあるものはおらぬがな……待ち伏せていることに気づいていた。廃坑の外に躍り出て咆哮を上げたのは、羊魔が作り出した幻影だったのだ。 用心深い魔術師を捕らえることは不可能だった。一般人にはいつ術をかけられたのかも分からず、それが分かったとしても真実を見破るのには、特殊な訓練や、術の行使が不可欠だった。右手にゾナの眼球、左手に引き裂かれたウルスハークファントの半身を握り締め る老ナギは高らかに哄笑し、口の中にゾナの眼球をほうり込み噛み潰した。眼球内の液は甘苦く死の生臭い香りに満ちていた。痙攣の止まらないゾナの死体を見下ろす老ナギは容赦なくゾナの腹の一番柔らかいところを巨大な蹄で踏み潰し、皮膚を破り内蔵を大地とミキシングした。最後にゾナは大きく痙攣し、だらりと舌を突き出し、痙攣を止めた。ウルスハークファントの死体を齧りながらゾナを見下ろし、最後に頭がい骨の割れて砕ける心地よい感触と音を堪能しようと足を上げ、一瞬だけ自身を焦らしてから、勢いよく……
「
ゾナの死体の頭部は、そうナギの声を発すると蛙の群れに変容した。ウルスハークファントの半身は樹木の皮に変わる。羊魔は……口の中でもぞもぞと身じろぎする……ガマガエルを飲み込んだ。ゾナが背後から忍び寄り、老ナギへ剣を打ち下ろす。羊魔は分厚い手のひらでそれを受け止め、人差し指を突き出した。黒い稲妻が迸り、ゾナを打ち抜くが、ゾナは大地に崩れ落ちる前に蛾の群れへと変容し飛び去って行く。脇から現れたウルスハークファントは、羊魔の杖に打ち付けられ、ミミズの固まりへと変容する。限が無い。自分の方がはるかに格上だと考えていたが、どうやらナギの成長はそれをさらに越えているらしい。
いや……と羊魔は思い直す。それはあり得ない。駆け出しの魔術師にワシが出し抜かれる訳がない。
確かにこの空蝉の術はすばらしい出来だが、事前に術を封じ込めた呪物を用意しておけばもっと大掛かりな空蝉の術も可能だ。待ち伏せておきながらこの程度とは、準備不足もいいとこだろう。しかも所詮、操り人形にしか過ぎない。本物の黒龍はもっと手ごわい。 見せかけだけの空蝉の術だ。まだまだ未熟。本質を再現出来ていない。
……さて、どうしたものか。
羊魔は冷静に思案を巡らせる。先ほどは、見下してしてやられた。そんなところだ。その驕り高ぶりがなければ、また話は変わってくる。一介の弟子と流浪の剣士とそのペット。 いや、最も危険なのはそのペットか?さてさてさて……と羊魔は再び現実に意識を戻す。ナギの用意した空蝉はこれで終わりだろうか?仮にもし、ナギが用意周到に空蝉の術を込めた呪物を無数に用意していたとすれば、次から次へと襲いかかってくるだろうウルスハークファントやゾナの空蝉の中に混じる本物を識別出来るだろうか。恐らく、真偽を見破るのは難しいだろう。見破れない訳ではない。それは、ナギも承知だろう。核心は真偽を破眼することにはない。すべてを見抜く為に費やす時間とマイトにあるのだろう。それこそがナギの小癪な策の本質だ。ワシが術を見破る為に使う時間とマイト、その一瞬にすべてを掛けて奴らはワシを襲ってくるだろう。で、ワシはどうするべきか?瞬きの半分の半分の半分の時間を使って羊魔は思考し結論した。
引っ掛かった振りをして、破眼の術を使い襲いかかるナギ達を吹き飛ばすのが、最も理にかなっている。だが、ワシがそのような小癪な策を弄する必要はない。そもそも格が違うのだ。
再び、闇のなかから、剣士と黒龍が飛びかかってくる。こうやって、小人数でずつしか攻撃をしてこないのは、空蝉の総数が少ないのか、油断させるための策なのか?
するりと剣士の攻撃を躱しながら、羊魔は結論を行動に移した。
「愚かな!まやかしは通用せぬ!一切を吹き飛ばしてくれようぞ!」
太く長く堅い、黒光りする杖を大地に打ち付け突き刺し、羊魔は両の掌を天上に向け、自身もまた夜空を仰いだ。百の式を同時に唱え、結ぶ。
……ほぅ・こぅ・そおおぅあ・な・こむ・そあかん。虚空より来たれ!金色の彗星よ!!!
百の魔方陣が羊魔を取り囲み、太い紫電が落ちる。羊魔はそれを額で受け止め、弾き周囲に撒き散らした。隠れ潜んでいた何人ものゾナが吹き飛び、蒸発して、コオロギやアブラムシ、イモムシに変容し、それらもまた、紫電に焼かれ破裂して蒸発する。ウルスハークファントの空蝉も同じだった。数え切れない小さな命達が、感電し、焼き尽くされて行く。
が、それでも後から、後からゾナとウルスハークファントの空蝉達は、現れ、羊魔に襲いかかる。呆れ、苛立つ羊魔は先程とは比べ物にならない巨大な紫電を額におびき寄せ、受け止めはじき返す。周囲数百トールに白熱した紫電が跳びはねる。岩石を穿ち、木々をなぎ倒し、崖を削り地形を変える。鳥も獣も虫も草木も……全てが逃げる機会すら与えられず、蒸発して燃え尽きた。そこに残ったのは、いきり立つ黒い羊魔とクレータのみだった。荒涼とした光景を月が人事のように照らし上げる。
羊魔は哄笑を撒き散らす。何の陰に潜み、どれだけの小声で術を行使していたかは、ついに分からず仕舞いになったが、死んで蒸発したことには違いはない。羊魔はいい気分だった。尊大な幼龍が死んだことも無謀な流浪の剣士が死んだことも。そして、いつか抱いてやってもいいとさえ思っていたのに裏切ったナギが、蒸発したことも。すがすがしい思 いだった。
……そう、ワシは一人。孤高の存在じゃ。
狂った感慨に耽る羊魔は遥か先に現れた異変を見落とした。高揚し、嬉々としてリガの街へと降りて行く。殺戮の興奮に屹立し、体液をあふれさせながら闇に飛び込んで行った。
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