第五章 羊魔老ナギ。 第三十三話 救世主。

 羊魔は完全に力を取り戻した。虫にならざるを得なかった傷も、霧散し虫になりかけた魂も完全に修復していた。ウルスの大気を貪りながらもリガへとなだれ込んで行くアヴァローの数を正確に把握していた老ナギは、再び黒稲妻の術でアルナクに蓋をした。


 ……2375匹か。まぁ問題なかろう。


 呟き、いつも通り老ナギはなだれ込んだアヴァロー狩りに出掛ける。ウルスの瘴気を吸い込むためにはこことウルスを繋ぐ必要がある。繋げば当然、ウルスの魔物達がなだれ込んでくる。そしてリガの街に大きな被害をもたらすが……それがどうしたというのじゃ? 別に構わぬ。リガが人の住まない廃墟と化したところで、実害はない。人間を捕食したければ他所でも出来る。まぁ、お手軽感は失われるがのぅ。


 くはは!


 老ナギは、小さく笑みをこぼした。アヴァローを処分するのは、殺戮が楽しいから。邪悪なアヴァローの肉が特別な魔力を帯びて美味だからだ。趣味と快楽の問題だ。この大量の赤炭の魔力を用いて作り上げたアルナクがあれば、ウルスより無限に魔力を引き出せる。ララコが用いているアルナクより遥かに規模は小さいが、今の羊魔老ナギには、十分な……何より適度な……力を与えてくれている。

 さて、と羊魔は思案する。


 先にあの生意気な剣士を始末するべきか、アヴァローを処分するべきか。まぁ、楽しみはとっておくことにするかのぅ。ナギもウィウも……最悪の死を味合わせてくれるわ。その前に肩慣らしじゃ。アヴァローでもくろうてくるか。


 廃坑の奥底まで、街が燃る臭気が漂ってくる。振り返り、街へと老ナギは向かう。ショウキを吸い込み回復した羊魔はアヴァローの魔力を秘めた肉体を貪り、更なる力を手にいれるため、廃坑から這い出る。何も知らないリガのトンマ共は、救世主だと老ナギのことを崇める。知っていながら崇める底無しのマヌケもいる。


 ……最高じゃのぅ?何も知らぬ人々に崇められるのは?知っていながら、目をつぶるしか出来ないゴミ共の冷ややかな目はさらによい。アヴァローを呼び出しておるのもワシ。ララコをウィウを餌に呼び寄せているのもワシじゃ。どちらも濃い瘴気を運んできてくれるからのぅ。そんなことさえ知らず、街の馬鹿者共はワシを救世主と崇めおる。悪魔と罵りながら頼ってきおる。


 そう、最高の優越感。全ての死のシナリオを書いた張本人だとも知らず、感謝される。あなたのお陰で命が助かったと。そして、最愛の人の死を招いたと知りながら。恨みを抱く街人も大勢いる。それと同じ数の信者がいる。その間で起こる諍い。


 ……最高じゃ。


 老ナギは文字どおり踊るように廃坑を駆け抜け、半分塞がれた出口から月光の中へと躍り出る。高く跳躍し、黒い肉体が月光に浮かび上がる。縦につぶれた瞳は邪悪に潤み、ウルスの魔物の肉を想像し、涎が止まらない。少々の街人も殺戮し食らえるだろう。涎が長い糸を引き、大地を汚す。廃坑の外へと飛び出した羊魔は、立ち止まり興奮に震え天を仰ぎ、月光を全身に浴び歓喜の雄叫びを長く轟かせた。

 

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