第五章 羊魔老ナギ。 第三十話 ココニイテドウナル。

 ゾナが渾身の力で瓦礫を持ち上げ、ナギがそこから引きずりだした。体中に裂傷と打撲を負ったウィウはそれでも微かに息をしていた。


 「ウィウ!ウィウッ!!」


 ナギが必死に呼びかける。ウィウはすぐに大好きなナギの声に気付き、目を開けようとしたが、がっしりとした熱いゾナの腕に抱えられるのを感じて……同じ腕に抱かれるナギを連想して……目を開くことが出来なかった。取り乱しながら呼びかけるナギとは違い、 ゾナは落ち着いてウィウの脈を取り、ナギに伝え安心させた。


 「大丈夫だ。大きな外傷はないし、脈も落ち着いている。多分、ケガで気絶した訳じゃなく、分裂の影響の方が大きいんじゃないかな。その分裂も治まったみたいだし……。」


 その冷静さが少年モードのウィウの神経を逆なでた。ゾナの一言で安心しきってしまったナギが憎たらしかった。想わず跳び起きてナギに軽薄な心を吐きかけた。ナギの服を鷲掴みにして叫ぶ。


 「ボクは生け贄なんかじゃない!ナギはそのつもりかもしれないけど、身代わりになって死ぬなんて絶対やだ!ナギの嘘つき!ボクの事を笑ってたんでしょ?ずっと!使い捨てにするつもりで、暇つぶしに術を教えてたんでしょ?酷い!酷いよ!ボクはウィウじゃない!生け贄なんかじゃない!ボクは!ボ……。」


 そして、それ以外に自分を表す言葉を持たないことに今更ながら気付いた。


 「ボ、ボクは……。」


 忍び寄る絶望に、口を閉ざした。

 結局、生け贄。

 結局、よそ者。

 結局、誰でも良い存在。

 みんなの為に死にさえすれば。

 ほら、だってそうだったでしょ?

 キュージがそうだったでしょ?

 あの時、魂を投げ出すことによって、自身の価値を示した。

 そうだったよね?

 ボクも……

 ボクも死ぬために存在しているんだ。

 それ以外に意味はない。

 ララコの地獄の舌に嘗め溶かされて、苦痛のどん底で魂を失うことが、ボクの唯一の役割。

 涙があふれ出した。

  止まらなかった。

 ここは自分を受け入れてくれる場所だと想ってた。

 ここには自分を許容してくれる人がいると想ってた。

 ここはボクがボク自身でいられる場所だと。

 違った。

 カンチガイ。

 ああ、うっかり。

 ソウイエバ、そうだったかも?

 向こうの世界でもそうだったかも。

 学校では無視されて、

 仕事では年下に追い抜かれ、あごで使われ、

 単に肉体だけを必要とされてたり、

 妻じゃなく、家政婦だったり、

 夫じゃなく、奴隷だったり、

 友達じゃなく、ただの笑い者。

 ぶっちゃけ、誰も必要だとは言ってくれなかった。

 ボク自身のことを。

 個性は無視され、ただ機能だけを盗まれる。

 いいように利用されるだけ。

 お金だったり、身体だったり、ストレス解消?家事全般?誰も話を聞いてくれなくて、孤独だなんて嘆く自分が嫌で、平気な振りとか?好きでもない人達に嫌われないようにしたり……。

 笑える。

 そう、

 そのまんまだ。

 そう、誰でもない。

 誰でもない、ウィウ。

 ただ、現れて、全てを搾取されるだけの存在。

 ああ、そう。

 そのとおり。

 アッチの世界にいる時と同じ。

 だから、ボクは今ここにいるんだ。

 老ナギが言ってたっけ。

 現実世界との繋がりが希薄な魂が集まって出来ているんだって。

 今、向こうの世界での僕の体はどうしてるんだろう?

 寝てるのかな?

 死にかけてたり?

 案外、ただ別世界のことを妄想してるだけなのかも?

 って、いつまで続くんだろ?

  ひょっとしてこのままズット??

  ま、当然か。

  はは。

 どうでもいいか。

 なんだろこれ?

 なんなんだ?

 あは。

 あははははは。

 ははははははははははははははははははあはははははははは。


 怖かった。いつかキュージの様に生け贄として死ぬ運命にある自分が。日に日に分裂しほどけて行く精神と肉体が。そして、ナギへ届かない愛が。ゾナの存在が怖かった。そう、何もかもが怖くて恐ろしくて……とにかく、ここではない安心出来る別の場所に逃げ出したくてたまらなかった。誰かに言って欲しかった。明日は今日よりマシだって。魂が渦を巻き、気持ち悪かった。泣けばいいのか怒ればいいのか分からなくて、不安でたまらなかった。胸が苦痛で一杯だった。掻き毟って中身をかき出し、空っぽになりたかった。いろいろな思いが重なり、苦しくて、辛かった。ウィウは苦痛の甲高い悲鳴を上げようとした時、ナギのまあるい胸が顔に当ってつぶれるのを感じた。幸せな感触。頭に暖かい液体が ぽつぽつと降ってくるのを感じた。ざらざらと優しいナギの声が耳をくすぐる。冷たい夜 風と瓦礫の中で大好きな彼女の声だけが響く。


 「古い、古い言葉でウィー。私達って意味。たくさんの時間と人の口を経て、ウィウに なったの。それが、あなたの名前。確かにそう。あなたの言う通り。ウィーは固有名詞じ ゃないわ。名前じゃない。でもね、おんなじなの。あたしもそうよ……あたしも同じ。両親に貰った幸せの魔法に包まれた名前はなくしちゃったの。ただのナギ。ララコを乗せて運ぶ風を止ませるもの。風凪ぎ、風祓いよ。人の名じゃないわ。あたしもおんなじなのよ、ウィウ。」


 彼女はウィウの苦しみを感じていながら、まったく否定しなかった。むしろ彼女の言葉はウィウは搾取される存在だと告げているかのようだった。明日はきっと良くなる?まさか!ならない。それが真実。時間の経過は事態の好転を呼び込まない。ナギはあるがままの世界をウィウに告げたのだ。さぁ、これが現実。それで私達はどうするの?私達は弱くて無力で搾取される。ついには代価として、魂を投げ出さなくてはならない運命にある。何を今更。知ってたでしょ?理解してたわよね?

 何故だか……それが、砕けそうに乾いたウィウの魂をつなぎ止めた。悲鳴が彼の喉を突き破ることは無かった。涙が零れた。苦痛ではなく、安堵の涙が。慰めがないことが、慰めになることがあるのだ。癒しを放棄した人に癒されることがあるのだ。そう、ただ、真実だけが人を立ち直させるのだ。ウィウは大声で泣いた。ナギの胸の中で。ゾナはゆっくりと立ち上がり、背後から二人を見守った。

 ゾナは、泣きじゃくるウィウを見て、いつしか自身の夢が砕け潰える時、このウィウの様に潔く泣き叫ぶ事ができるだろうか、と恐怖した。その時、自分は自分で居られるのだろうか?ナギもまたはいつしか自身がこの街のために全てを投げ出す時、ウィウのように有りのままに言い訳せずに全てを受け入れられるだろうか、と不安に押し潰される思いだった。

 ただ、泣きじゃくるだけのウィウは、我知らず、多くの人々の命を預かる要素に非可逆的な変容をもたらした。


 「行くぞ。」


 誰に向けて言葉を発したのかは、ゾナ自身にも分からなかった。いつまでも泣き続けるウィウに?ウィウへの母性本能を押さえることができないナギに?あるいは……腰が引けてしまっている自分自身に?いや、多分その全てに加えて未だに自らの身を自身で守ろうとしないリガに向けて言ったのだ。そして、彼の言葉が届かないような遠くの世界にいる全ての人に対しても。


 「行くぞ……ココニイテドウナル?」


 突然、雨が止む様に。

 唐突に、夢から覚める様に。

 前触れも無く、月が、太陽が、世界を照らし出す様に。

 三人は意識を世界に戻した。

 真夜中。

 月が輝き。

 リガの街は眠りながら滅びようとしている。

  その覚醒の瞬間、彼らは巨大な世界を動かす時計の秒針を意識した。

  さ、やらなくては。


  そう、ここにいてどうなる?


 ナギの考えでは、羊魔は魔力を回復する為に廃坑に向かった筈だ。そこに老ナギの魔力の源がある。それは、アヴァローと無縁ではなく、多く街人の命に直結している。

 さぁ、やらなくてはいけないこと……いや、やり遂げたいことが彼らにはあるのだ。

 三人は立ち上がった。冷たい月明かりが熱気を孕んだ夜風を貫いていた。眼下の岩穴の街とは裏腹に断崖上の草原は、静かな沈黙に包まれていた。ナギは大きな分岐点を過ぎてしまったと感じていた。今までのような、羊魔老ナギの邪悪な行いを見過ごし、準備をして明日に備える時は過ぎたのだ。ぐっと堪えて、明日の朝何事も無かったかのように老ナギと術の話をすることはもう出来ないのだ。あの狂った大魔術師は、許さないだろう。自分を追い詰め、惨めなカマドウマの姿にまで追い込んだ自分たちを。そして何より、自分を無視して、ゾナを選んだ世界の運命を許さないだろう。なにもかもを全力で破滅させる だろう。


 邪悪は他人を許容しない。


 そう、覚悟を決める時が来た。何一つ先延ばしにすることは出来ない。今が最後のチャンスなのだ。自分たちとリガに残された最後の時間だ。考えて決断しなくてならない。次に羊魔老ナギと出会った時が全てを決する時だ。……しかし。しかし、自分達全員が力を合わせても、羊魔には敵わない。彼を滅ぼすことは出来ないだろう。追い払うことは出来るかも知れない。でも、それで?それが何になるというのだ。羊魔は必ず戻って来て、今度こそ全てを滅ぼすだろう。先程が、羊魔を倒す最後のチャンスだったのかも?後悔と焦りが不安をかき立てる。ナギは、みんなを見た。ファントの純粋な瞳を。ウルスハークファントの深い魔力を帯びた目を。ウィウの生まれ変わったような澄んだ目を。そしてゾナの魂の奥まで見通せるウソの無い黄金色の瞳を見つめた。 何かがナギの中でフラッシュバックして、弾けた。一つの途方も無い考えがそこに生まれた。彼女は自分の考えに我ながら気が狂ってるのかも、と想いながらも、覚悟を決めた。 ナギが大きく息を吸い込み、潔く吐き出した。


 「一つ、やってみますか。」

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