第二章 陽光と月影。 第九話。 終わりの始まり。

 ……あたし達の仕事は、ララコからこの街を守ること。二つの術を使って守るの。一つは封魔の術。もちろん、ララコを封じることは出来ないわ。でも、あたし達のマイトを封じることは出来るのよ。あたし達のマイトを封じ込めることによって、ララコから身を隠すのよ。ララコの狂った瞳は光を感知せずに、魂の輝きだけを見つめているから。あたし達はマイトの輝きを消すことによって、ララコから隠れる事が出来るの。街人全員のマイトの気配を消すことはそれなりの大仕事よ。古く質の高いマイトを持つ生き物の……守護神木ホーウッドの力も借りなくちゃいけないわ。

 もう一つは、風祓いの術。こっちは、もっと直接的で、ララコが生み出す黒い風を中和するの。黒い風はララコが混沌界ウルスから呼び出す、毒気を孕んだ瘴気の事よ。 ララコが撒き散らす全ての風を祓うことは到底出来ないけど、多少なら弱めることが出来るの。この術でララコの黒い風を弱めて、街の被害を軽減させるのよ。風祓いの術を完全にララコにかける事が出来れば、ララコは風を失い、夜空を滑空出来なくなって落ちる筈なんだけど……正直、ララコに術をかけるのは不可能だわ。マイトの質と量が違い過ぎるもの。あたし達はララコの体を離れた風を弱めて祓うので精一杯ってとこね。で、ウィウは……まず、風を操るところから始めなきゃね。

 ウィウはこの前置きの後、半日程かけて、いくつかのルーンと式を教えてもらった。

 ルーンは何万種類もある。その全てを習得する者はいないとされる。こうしている間にも、魔術師達が新しい魔術的に意味を持つ形を発見している筈だ。同じ意味を持つルーンも無数に存在する。複雑だが二つの意味を持つルーンもある。一つの現象を引き起こす為に用いるルーンは、術者により千差万別だ。画数の少なさで選ぶ者や、使用するルーンの数を抑える者や、使い慣れたルーンを用いる者……ナギは実際にいくつかのルーンを教え、どれを使用するかはウィウに任せた。ルーンそのものは最もシンプルな”記号”や”漢字” に似ている。例えば△や凹やニや∀……一つの意味しか持たないルーンはアルファベットと漢字の中間程度の複雑さで、二つの意味を持つルーン……ジールンと呼ばれる……になるともう少し複雑になる。多くの意味を持つ複雑なルーンを使うのか、単一の意味しか持たない単純なルーンを複数描くのかは、術者次第だ。ウィウは最も単純なルーンを複数描くことを選択した。

 もう一つ、術に必要な要素がある。コルだ。ルーンは形に意味があり、式は音に意味がある。”あ”の口の形で”かう”と発音して、”ふぉう”という音を出す等、通常の言語より若干発音が難しい。音の高低も重要だし、音を延ばす、止める、震わせる等も必要で、音楽的な才能も要求される。式にも単純な発音で一つの意味しか持たないものから複雑な音程と発音を駆使して唱える複数の意味を持つ式がある。ウィウはこちらにも才能を見せた。訓練すれば一月ほどで二重式……ジ・コール、同時に別の式を唱える事だ……を習得してしまうかもしれないとナギは感じた。この時もいくつかの式をウィウに教え、好きなものを選ばせた。ウィウは、魔術に対する才能が類い稀であると言って差し支えなかった。しかし、そんなウィウでも、ルーンを描く事には苦労した。今回の術の場合、 身体の正面に両手を使い円状に15個のルーンを描く。これを両手の十本の指を別々に動かし一気に描かなくてはならないのだ。左右すべての指を別々に動かすのは至難の技で、 ウィウは両手の人差し指と中指の合計4本でしか、ルーンを描くことができなかった。結局、しばらく試行錯誤を続けた結果、4本の指だけを使用して、ルーンを描くことにした。 その分、素早く描く必要があったが、速度には問題がなかった。練習は休みなく繰り返され、昼過ぎまで続いた。途中何度も指がつったりしたが……ナギが驚くほどの器用さで……ルーンを習得した。

 ウィウは、深く息を吸い込み、吐き出した。体内のマイトの流れを、世界のマイトの動きと共に体全体で捉える。指先にマイトを集中させて行く。爪が薄い緑光を発する。ゆっくりと両腕を目の前に掲げ……一気にルーンを切り、式を唱えた。


 ……ふぉう・ふぉ・お・どぅかもなむ


 指先からほとばしるマイトは空中にルーンを浮かび上がらせる。式に反応し、魔方陣は明滅する。目の前に描いた魔方陣が、術に必要な魔方陣を呼び出す。直径50シール(約75センチ)程の魔方陣が足首の高さに現れる。それは、翡翠色に輝く浮揚と風産みの魔方陣だった。ウィウの身体が浮かび上がる。普通ならば、ここで姿勢を崩して、集中が途切れ倒れ込んだりするのだが、ウィウの集中は途切れず、またふらつきもせずに地面より20シールの位置で静止していた。ナギはその才能に感心した。老ナギがウィウは魔法使いにさえなるかもしれないと言ったことを思い出す。……術者と呼ばれる術を行使する人々にはランクが存在する。下から術者、魔術師、大魔術師、魔法使い、大魔法使い。国を超越して存在する魔術師連合キルクにより、その格付けは行われている。ナギは魔術師で老ナギは大魔術師の称号を得ている。魔法使いは世界に18人しか存在しない。大魔法使いは不滅ララコ赤竜王ジルドラ海なる者スフィクス守護者ロッカの4人となる。 大魔法使いの格付けのみは、魔術師連合キルクが行っている訳ではない。大魔法使いを倒した者がその魔法書を受け継ぎ新たな大魔法使いとなるのだ。魔術師連合キルクであっても、強大な力を持つ大魔法使いをその影響下に置くことは出来ないのだ。過去には5人の大魔法使いが存在した時代もあった。しかし、その最も偉大で強大な力を持つ5人目の大魔法使いは……異門と玉石の災厄の後……姿をくらまし、魔法書は失われた。詳細は、魔術師連合キルクも、他の大魔法使い達も知らない。以後、世界には4人の大魔法使いしか存在しなくなった。


 「ねぇ、この後はどうすればいいのかな?」


 ウィウの才能に呆然としていたナギは彼女の言葉に現実へと引き戻された。ナギはウィウを見つめる。ブーティにソックス。魔法書が入ってるポーチが付いた大きなベルトとショートパンツ。胸元が大きく空いた七分袖のカットソー。ルーンが施された、革製の首輪と腕輪……子供らしさと魔術師の雰囲気がないまぜとなっている。彼女のことを好ましく思い……ほほ笑んでから、ナギは言葉を発した。


 「意識の集中を保ちなさい。風が身体を押し上げるイメージを忘れないで。方向転換や加速は……そうね、万力で生卵を持ち運ぶつもりでするのよ。全ては風に吹かれ流されるイメージで行うの。」


 ナギの癖のある説明にすっかり慣れたウィウは彼女の言いたいところを理解した。


 「万力で生卵って……慎重に、風産みの術が作り出す力が大きすぎてコントロールが難しいってことでしょ?」


  満足そうにほほ笑むナギの頬にはウィウへの愛があった。


 「生意気!」


  笑いながらナギはそう言った。怒ってるのではなく、本当に注意してねという念押しだった。

少女モードのウィウは少し高めのトーンで返事をした。


 「はーぃ。」


 早速、上昇しようと意識を上に向け、足元から吹き上げる風をイメージした。途端、爆風が巻き起こり、一瞬で雲の上まで吹き飛ばされてしまった。そこで風は収まり、ゆっくりと落下が始まる。想像以上に高く飛び上がってウィウは少々焦った。力のコントロールがとてもシビアだ。彼女は知らないが、これはウィウの内包するマイトがあまりにも大きい為に起こったことなのだ。本来、風産みの術ではこの様な爆風は産まれない。ナギの驚きをよそに、ウィウはバランスを取れずクルクルと回りながら、反省と驚きに包まれながらもしばらく自由落下を楽しんだ。正直、恐怖は感じなかった。初めてこの九十九世界に現れたあの日、老ナギに味合わされた恐怖は微塵も感じなかった。同じくらいの高みに居るというのに。彼女には自信と確信があった。すなわち、浮揚と風産みの術を地面に激突するまでに制御出来るという自信と、万が一この身に危険が迫った場合は、ナギが助けてくれるという確信。ウィウはアリエナイスケールの絶叫マシーンを堪能している気分だった。スリル満点でしかも安全。にやけ顔のウィウの側に、心配そうな表情でウルスハークファントがやって来る。ちらちらと牙を見せながら、軽く唸り、大丈夫なのか?と問いかけてくる。この幼龍は人語を理解する。まだ、実際に言葉を発することはできないが、意識に問いかけてくることはある。


 (ナギの言うことを聞かないとその内命を落とすぞ。それに守護神木ホー・ウッドから少々離れ過ぎではないのか?)


 「はーぃ。」


 また、ウィウは高いトーンで返事した。高度を落とし守護神木ホー・ウッドの加護を十分受けられる範囲で彼女は静止した。そのまま、20トール程の高度で、ウィウは態勢を変えたり向きを変えたり加速停止を練習した。初めてこの術を行使した者は、僅かに浮かび上がるのが 関の山なのだが、ウィウは内包する質の高い多量のマイトにより、修行を重ねたものと大差ない程に飛び回ることが出来た。修行を1時間ほど続け、術を大体使えるようになってきたなと手ごたえを感じたころ……街へと続く一本道を一騎の角馬が駆け上がってくるのが見えた。その背に跨がる剣士は、遠目で見ても精悍で整った顔立ちであることが認識出来る。均整の取れた肉体に美しく豪華な金髪。背中には、使いこなせるのかどうか怪 しいほどの大剣を背負っている。彼がまたがる角馬もまた、美しかった。光の様に白い 毛皮が艶やかに日光を弾いている。漆黒の角が気高く天を指していた。


 「……お客さんだ。メヅラシ。」


 呟くウィウは……少し、不安を感じた。なぜだろう?理由は分からない。剣士が真っすぐナギの元へと駆け込んで行くのが見えた。ウィウは何だか居心地が悪く、切り上げるつもりでいた浮揚と風産みの術の練習を続けることにした。見知らぬ人間がナギに近づくのを警戒したウルスハークファントは、ナギの側へと素早く戻って行った。……ウィウは何 だか独りぼっちになったのを感じた。二人と二匹が環状列石に向かい歩いて行くのを上空 から見守った。そうしていると、心臓が急にどきどき言い始め、気分が悪くなった。魔術の訓練をしていると時々こんな風になる。ウィウは落下してしまう前に、慌てて地上に戻った。大地に降りても、立ち眩みのようにふわふわと気持ちが悪い。


 ……うわぁ。ちょっと吐きそうかも。


 冷や汗を流し、その場にうずくまるウィウの肩に細く美しいナギの手が置かれることは無かった。彼女は、突然現れた精悍な剣士を導いて去って行った。いつもなら、優しく抱きしめてくれるのに。少女モードのウィウは寂しくて心細くて泣きそうだ、と思った。途端に涙が溢れた。見知らぬ世界で独りぼっちで何をしているのだろうかと、空しくなった。 ぽろぽろ零れる涙が全てを霞の向こうに追いやり、世界が二重になっていた。突然、どうせボクはひとりぽっちなんだ……との思いが込み上げて来た。世界がぐるぐる回り立っていられなくなり、ウィウはしゃがみこんだ。沈みかけた夕日が涙のプリズムで虹を作った。 ウィウは悲しかった。意味もなく、無性に。しかし、懸命に自身をコントロールし涙を掌で拭い……その手の指も無数にだぶって見えた……ウィウは立ち上がった。ざわざわと胸の内に潜む無数の魂達は落ち着かない。興奮し騒いでいる。口早に囁いている。


 ……駄目だ。結果は見えているよ。全ては無駄。無意味……。


 ウィウは、鋭く冷たい内なる声達を無視して涙を拭い、鼻を啜り、空を見上げた。無駄だ無駄だと囁く声は急激に鎮まって行った。風が頬を撫でて、気持ちが落ち着いて来た。 そうなると何で急に不安になったのか、ちょっと不思議な気もした。魔術を使い過ぎて精神的に疲弊していたのかもしれない。魔術の使い過ぎは精神を不安定にするらしいし。ウィウはそうやってリガの遥か上方、断崖の上に拡がる草原を駆け抜ける風に身を任せているうちに、すっかっり平常心に戻っていた。ぶれていた世界も掌も心も全てが落ち着き、元通りだった。寂しい気持ちは消えなかったが、ウィウはナギの方へは行かずに一人で、捩れた風祓いの塔へと歩いて行った。


 ……だって、ナギだって色々と忙しいもんね。


少女モードのウィウはお尻の辺りで手を組んで、石を蹴りながら、夕暮れが迫る中、塔へと帰って行った。


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