第二章 陽光と月影。 第八話。 孤高の魔術師。
ウィウはこの一週間、ナギに付き従い、魔術に関するありとあらゆる事を学んだ。
魔術の根源はマイトと呼ばれる魂の力で、これを
……他にも、マイトには8つの
人々は第一種の属性と第二種の属性を持つ。火と水は相反し、天と土も相反する。
天
月 無
水 火
木 金
土
最初に教わるルーンだ。隣り合うスートは親和性があり、向かい合うスートは反発する。 第一種のスートは相反するスートに強く、第二種のスートが反発するスートに弱い。通常は得意とするスートと不得手なスートが存在するが、まれにゾナのような相反するスートを持つために、不得手なスートが存在しない者や、一種類のスートしか持たない……ダブルと呼ばれる……がいる。どちらにしてもなんらかの特別な運命を備えた者が多い。
「で、ボクのスートは何?」
無邪気に聞いたウィウだったが、ナギが怖い顔して即答したので、聞かなきゃ良かったと彼は思った。
「全て。ウィウだけが全ての属性を持つのよ。」
でも、なんとなく、それは理解出来た。多分、ボクの中にある大勢の人々の記憶と何か関係があるんだろう。そういえば、老ナギはボクの事を”数多を孕む者”と呼ばなかっただろうか?
胸の内にもやもやと言い表せない不安が渦巻いたが、ナギは構わず授業を続ける……ナギは魔術に関する基本的事項を食事の時や、入浴時、眠りにつく間際等にさえ、ウィウに教え込んだ。全ての時間は、魔術の修行に当てられた。ナギは美しく才能のある魔術師というだけではなく、優れた教育者でもあった。
一通りの予備知識を教え込んだ後、ナギがまず取り掛かったのは、先針の修行だった。老ナギが行ったようなめちゃくちゃな試練ではなかった。先針の修行は風祓いの塔の地下にある小さな……直径2トール程の……窓も光りも無い部屋で行った。土と岩が剥き出しのその部屋の中央には高さ40シール(約60センチメートル)の針が突き出していた。 ウィウはその前にあぐらをかいて座らされ、針の先に光が灯るまで、その部屋から出てくる事を禁じられた。魔力によって針先に光を灯す事は……命の危険は無いが……忍耐のいる修行だった。その修行を始めるにあたって、ナギから言われたことは、老ナギに言われたことと同じだった。
「いい?夢の中と同じようにするの。夢の中で空を飛ぶ時のように、壁を擦り抜ける時のように、出来ると信じて疑わず、成功する場面を思い描くの。それがあなたのマイトに指向性を持たせ、術を可能にするの。ルーンや式はそれを補完したり、完全に置換してく れたりするのよ。だから、上位術者になるとルーンを切らず式も唱えずに術を執り行う事が出来るの。黙式って呼ばれるわ……規模や程度こそ違うけど、同じことがあたしたちにも出来るのよ。小さな光や音をだしたりそよ風を起こしたりすることなら、あなたでもできるはずよ。……そうね、ちょっと手を出してみて。」
にやりと笑うナギに一抹の不安を感じながらも、ウィウは素直に手を出した。ナギは握手した。ちょっと冷たくて柔らかい手にウィウはどぎまぎした。
「な、なに?」
ナギは、にたーと笑い……突然、手が燃え上がった。
「うわあぁぁっ!」
ウィウは、慌てて手を引っ込め、火を払った。ナギは驚くウィウをおかしそうに見つめ ている。
「ね?術を使わなくても出来るでしょ。大切なのはイメージをそして、マイトの流れを制御することなの。」
「あー!ひどい!水ぶくれ出来ちゃったじゃんか!」
「えぇ!?ほんと?軽く燃やしただけなんだけど……。」
「燃やすのに軽くとか重くとか、意味わかんないよ!」
泣き出しそうなウィウを必死になだめながら、ナギは水ぶくれを癒した。ウィウは、頭を撫でてもらったりとか、抱き締めてもらったりとか、もっとして欲しかったが、ばつの悪そうなナギの様子を見て、逆にかわいそうに思ったので、許してあげることにした。気まずそうにナギは話を戻した。
「……えー。それで、修行なんだけど。えっと、とがった針の先に意識を集中させることはそう難しくないわ。後は光が灯ることを信じて疑わないこと。いい?じゃ、やってみて。」
それだけ言うと、ナギは部屋を出て、扉を閉めてしまった。そうなると、この地下室は 音も光りも匂いも無い特殊な空間であることに気づかされる。急にさみしくなり、ウィウはもっとだだ捏ねとけば良かったと後悔した。しかし、今更どうしようもなく、仕方無しに床に座った。とりあえず、言われた通りに目の前にあるはずの針の先端に光を灯そうと精神を集中させていく。部屋の外からナギの澄んだかわいい声が響いてきた。何だか見守ってくれているようで、嬉しい。
「コツは夜空で暗い星を見るつもりで、マイトを集中させることよ。視界の中央ではっ きりと捕らえようとすれば弱い星の光はきえちゃうわ。針の先端に灯す光りも同じ。心の中心に強く光をイメージすることは、逆に集中が途切れている状態なの。強く念じることは、猜疑と同義よ。魂の外輪で光をイメージするの。ねむくって、でもおきていなくちゃいけなくて、ふっと現実と夢が混ざる時のような、あの怪しげな現実感が必要なの。身体はオフで心はオン。分かるかな?それと、雑念に鎖を付けて封じ込めては駄目よ。放し飼いにするの。いい?」
それを最後にナギの気配はなくなった。ウィウは心を落ち着かせようとしてそれが出来ず、それでもナギの期待に答えようとして、無音無光無臭の部屋で、目の前にあるはずの針の先へと意識を重ねて行った。
最初、ウィウは自分の体臭や口臭、心臓の音に気を取られてなかなか集中できずにいた。 しかし、集中出来ないことさえ、継続出来ずに、徐々に意識は深く落ち込み始める。
……ウィウはあの日あの時、あの断崖絶壁の先端にある環状列石の中で目覚めてからの、 僅か一週間の人生を思い起こす。それ以前の記憶が無いことへの漠然とした不安を思った。 老ナギへの不信を思った。落下と浮揚の恐怖を思い起こし……ナギの軽やかな声を思った。 どのくらい時間が経ったのかは完全に分からなくなった。どうして、ナギは自分に優しくしてくれるのか、とても気になった。多分、ナギは誰にでも等しく優しいのだろう、思いやりと愛情をたくさん持っている人なんだろうと、ウィウは考えていた。少年モードのウィウは、それが自分への愛であれば、と……信じてはいなかったが……祈っていた。
意識は覚醒と混濁を繰り返し、思考は堂々巡りだった。最初はただナギの期待に答えたかったウィウはやがて、ナギの事を忘れ、先針の習練の事も忘れ、自身の姿勢さえ意識出来ずに、起きているのか寝ているのかも分からなくなった。ただ、心を流れるままに任せ……
……疑問が沸き上がる。
確かに自分には過去の記憶が無いが、情報はたくさん蓄積されていて……そう、自分は 異常なんだってことを理解している。だって、普通の人間には少年モードや少女モードなどなくて、性は固定してるし、胸が膨らんだりペニスが生えたりを日によって繰り返したりもしない。髪の色が黒だったり金色だったり、瞳の色が青だったり灰だったり1日の中で変容しない。肌の色もそうだ。全ては生まれもって来たものであり、最後の瞬間までそれから解放されることも手放すこともない。全ては自分自身であり、当然所有しているのだ。意識すらしないで。でも、ウィウは違った。そう言ったカテゴリには属していなかった。ウィウはウィウでしかなかった。
そして、重要なのはいつでもそうだが、外見ではなく、中身。魂に刻まれた記憶こそが 最も重要だった。ウィウには、ここではないどこか別の世界での生活の記憶があって、しかもその記憶が何十人……何千人??……もの記憶だった。ただの夢じゃ無くて、あれは記憶。とおくの世界に来ちゃったけど、前に生活していた筈の、物質と虚像の世界での記憶。あそこで人々は……ボクの記憶の中にいる人々は……生きる意味を理解出来ずに生きていた……多分、このリガの街の人達のように、死と戦い、生を勝ち取る暮らしをしていなかった。物質と虚像の世界では、人間以外の生物を……環境さえも……搾取し続けることによって、人々が死と隔絶した生活を送ることを可能にしていた。でも、死が遠ければ遠いほど、全てを顧みず搾取すればするほど、魂が冷えていくのに誰も気づいていなかった。……ううん。違う。もっと恐ろしいことに魂が凍りつき始めているのを理解しておきながら、ドーデモイイジャンって、放置しているんだ。気まぐれと好奇心で自分達の世界の一部を変えた人々は、その変容が大きく速くなっていくのを止めることが出来なかったんだ。途中で戻ることも、やめることもできなくなっちゃったんだ。
そして、みんな触れれば砕ける凍った魂を抱えながら、みんながみんなと近くなり過ぎないようにして……でも離れないようにして……生きていた。必要としながら近づけずに、 嫌っているのに離れられない。大人は子供を愛せず、子供は愛を知らない。凍った魂は病んでいて、凍ったまま腐っていくんだ。ボクはそんな人達の記憶をたくさん持っている。 ……でも、どうしてなんだろう?どうやって、このリガの世界に来たんだろう?どうして、凍った魂の記憶は一つじゃなく、たくさんあるんだろう?ボクがこの世界に来た理由はなにかあるんだろうか?ボクが持つ力って?その力がどうして街の人々の安全と繋がっているんだろう?老ナギが言ってた”使い捨て”って?
知りたいことは沢山あったが、心の底では、どうでもいいじゃん、と考えている部分が あった。ウィウとしての自我ではなく、魂の核心……物質と虚像の世界を知っている凍った魂達……が、自分達の生には意味が無いと主張する。自分は無力で流れは変わらず、全ての存在の意味は失われたのだ、と。結果は最初からそこに悠然と待ち構えており、何を行おうと何も変らないのだ、と。ウィウはそれに丸め込まれそうになったが、このリガで感じた死への恐怖、狂った魔術師への嫌悪、そして自分を受け入れてくれたことへの愛……それら全てが明確に答えを叫んでいた。
……ソレヲ、サガセ……イミヲ。
今ここに生きる意味があるのか無いのかは問題ではなく、探して見つけることに……いや、作り上げることが重要なのだ。自分が生きる意味は自分が見つける他無い。当たり前だが、誰も彼もが見落とし忘れて行く真実。生きる意味はそれを探し、作り上げることにこそあるのだ。諦めず、投げ出さず。例え、行き着く先が決まっていようと、その道程が必要なのだ。人生は文字どおり、結果ではなく、過程なのだ……。
……突然、深い眠りから醒めて、燦然と輝く太陽に照らされた時のような、痛みを伴う光を感じた。目の前にある針の先に拳大の純白の光が宿っていた。
ウィウは先針の習練を成し遂げたのだ。嬉しさよりも先に驚きが来た。
「ぅわわっ!」
ウィウが情けない声を発すると同時にナギが部屋に飛び込んで来た。何か問題が起こったのかと心配するその表情は、針先の光を確認して、満面の笑みへと変わった。
「ウィウ!すごいじゃない!」
そう言って、ナギは強くウィウを抱き締め、自分の胸の中へ彼の柔らかい髪に覆われた頭を埋めた。ひとしきり抱擁が終わると、ウィウは魔法のことよりも先に気になっていた質問を投げかけた。
「ねぇ、ひょっとして、扉の外でずっとまってたの?」
きょとんとして、ナギは答えた。
「そうよ。当たり前じゃない。あなたのこと好きだし、心配だもの。」
とても嬉しかった。ウィウは今度は自分からナギに抱き着き、胸に顔を埋め、彼女のまあるい香りを胸一杯吸い込んだ。ナギはくすぐったがって、けらけらと笑い転げた。
その後、手を繋いで気分転換に出た外の景色を見てウィウはさらに驚き、嬉しさをかみしめる。夜が明け始めていたのだ。午後からの半日とその後のまるまる一晩、ウィウはあの小さな部屋に籠もって居たのだ。その間、ずっと彼女はそばに居てくれたんだ。そのことは単純な幸せと自信を彼に与えた……物質と虚像の世界では、こんな風に誰かを思って長い時間そばにとどまる事などなくなって久しい。母親が我が子にそうすることさえなく なった冷たい世界……しかし、それはここではない世界の話だ。何も恐れることはないのだ。不安な夢に怯えたとしても、朝には全ての不安は駆逐され光が訪れるのだ。ウィウはとにかく嬉しくてその辺りを駆け回った。ナギとウルスハークファントは笑っている。
幸せだった。
笑いながらも、ナギは一抹の不安を感じていた。これまでのウィウにはただ一度の例外 を除いて、自我等なかったし、ましてや完全な人の姿で現れたのは今回が初めてだった。 ナギはウィウの中にこれまでにない質と量のマイトがあるのを感じ取っていた。誰にも感じたことの無い強大なマイトがうねりを上げて、渦巻いている。自我ある力は常に脅威となるものだ。それがこの街に、あたしの計画に、何をもたらすのだろうか?ナギは不安になる。そして何より……ウィウ自身の……短い……人生に。
ウィウの笑い声は、リガの絶壁の上に拡がる草原に楽しげに木霊し、空を行く鳥たちも心そそられ、振り返る。その声に包まれる彼の幸せを感じ取り、ナギもちょっと心配し過ぎなのかな、と呟いた。
……しかし、しかし、しかし。
捩れた風祓いの塔の最上階からは、老ナギが彼らの事をそっと見下ろしていた。
よく笑うのぅ。じゃが、それは泣けることも意味すると理解しておるのか?自我を持つウィウよ。貴様が生まれた意義を考えれば、自我など不要なのじゃがのう。この楽しい思い出は、いずれ倍の苦痛となることを理解しておるのか?結果は常に確定済みじゃ。世界は愛だけでは回らないと知っておるのか?虚ろなる者よ……。
老ナギは歪んだ忍び笑いを漏らす。心底楽しそうに。その瞳には、ウィウのささやかな幸せなど一瞬で吹き飛ばせる邪悪な冷たい炎が燃えていた。
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