第二章 陽光と月影。 第七話。 旅の剣士。

 ……旅の剣士さん、あんたは、ほんと立派だったよ。そうさね。最後まで逃げ出さずに立ち向かった男はみんな死んじまったよ。うちのじい様もそうだったし、向かいに住むサルスンの旦那もそうだったよ。あのクソッタレの犬の化け物に立ち向かえるような立派な男はみんな死んじまうのさ。そうさ、あの狂った老ナギ以外はね。あたしは知ってるんだよ。アヴァローが襲ってくるようになったのはあの邪悪な羊の頭を持った魔術師がここに住み始めてから……もう100年以上になるんじゃなかろうかねぇ。この街の今の若い者達はそんなこと何も知らずに”風祓い様”なんて呼んでる奴もいるけどねぇ。悪いのはみんなあの老ナギなのさ。ただ、証拠もないし、この街が平和だった頃を知ってるのは、もうあたしだけになっちまったしねぇ。あんたがあの老ナギの前に立ちはだかった時は涙が出たよ。じい様も同じようにあいつの前に立ちはだかって、あんたと同じように指さされて死んだのさ。そうさ、あいつこそが本当の悪なんだよ。アヴァローなんてどうでもいいのさ、本当はね。それに……あの混乱の中で水平線が虹色に燃え上がるのを見たって言う者がいてねぇ……本当だとしたら、またやって来るのかもしれないねぇ。また、人が死ぬってことだよ。昨日だけでも100人近い人が死んだって言うじゃないか。殆どが石の滝通りに住む者達だってね……


 「ごちそうさま!うまかったよ。」


 ゾナは快活に言った。小さな石造りの家のキッチンで山盛りの芋サラダと鳥肉のグリル、赤ワインと堅いパン、豆のスープを全て平らげて、おばあさんに礼を言った。がむしゃらに食べ続けるゾナを見つめながらの老婆の独り言は、そのお礼に遮られた形になった。


 「ばあちゃん、助けてくれて本当にありがとう。覚えておいて、俺はゾナ。困った時は必ず駆けつけて力をかすよ。忘れないで、俺はゾナ。いつかまた会いにくるよ。でも、今はもう行かなくちゃ。」


 美しい金色の瞳とお揃いの髪。堅く締まりすらりと調和の取れた身体。全く似ていなかったが、老婆はなくなった夫やどこかへ巣立って行った息子たちのことを思い出し、少し切なくなった。きっとこの青年とは、これで二度と会うことはないだろう。そう思ったからこそ、有りったけの食料でもてなした。これでまた、一人っきりの生活が始まるのだ。青年を看病した1週間はとても幸せだった。後少しでいいから、この生活が続かないもんかとも思った。しかし、引き留めるほど彼女は若くはなかった。


 ……人はみんないずれ一人きりになって死んで逝くもんさね。あたしもそろそろ潮時。今更若いもんと係わりあいになって、迷惑かけるのは、恥ずかしいじゃないか。


 ゾナは老婆が苦労して捜し出してきた、白銀の大剣を背負い、扉を開け放った。盛夏の真っ直ぐな日差しが、心地よかった。彼の身体が日の光を跳ね返し、黄金に包まれる。その姿は人の姿をした神を想わせる。伝説を体現しているかのような神秘と神々しさを兼ね備えていた。世界に愛され、光りに包まれていた。老婆には彼の頭上に、黄金色に輝く王冠が見えた。いつしかたどり着く、彼のあるべき姿なのだろうか。


 「ばあちゃん、ありがとう。お陰で本当に元気になったよ。」


 一瞬の幻の後に、若く健康な男の姿を見いだした老婆は我に返り、ゆっくりと否定した。


 「あたしはなにもしてないさ。死にかけたあんたを救ったのはナギだったよ。あたしは 見たんだよ。老ナギに指さされて死んだあんたの魂をナギが呼び戻すところをね。あんたの骨が剥き出しなった腕も、犬に食われて穴の空いた足を元に戻したのもナギだったよ。あたしはベッドを貸しただけさ。」


 ゾナは、寂しげに笑う老婆を抱き締めた。年老いて人生を終えようとしている人達の特別な香りが、彼の心を慰め勇気づけた。良い匂いだった。全ては上手くいくよって囁きかけてくれる香り、母の甘い香り、父の油っぽい香り、ベッドのすえた香り、古い山の香り……。はっきりと形を認識出来ない様々な思い出が、ゾナの胸中を吹き抜けた。一陣の風のように。


 「……でもさ、ばあちゃんの看病がなければ、俺は死んでいたと思うよ。ありがとう。」


 ゆっくりとゾナは老婆を解放し、ひとしきり見つめてからファントに跨がった。老婆は若者を引き留めるかのように話し始める。若者は最大限の尊敬と愛情を持ってそれを聞いた。


 「最後に言っとくよ。あんたは他の人間とは違う魂を持ってるよ。そうさね、忌み神の御使いにその名を呼ばれるような何かを持ってるよ。天と地……相反するスート属性 を持ってる人間なんて見たことがないよ。天の運命を地で行う者のスートなのかも知れないねぇ。これでも昔、占い師なんぞやってたから分かるんだよ。あんたは特別な運命を背負っているよ。あたしには上手く言えないけど……そうさねぇ、世界を横切って突き抜けちまうような人生を過ごすことになるよ。あんたは特別な人間。死の中から生をすくい上げる運命をもってるんだよ。……でも、でもね。決して忘れるんじゃないよ。一つだけ覚えておきな。あんたは、魔術と関わることは出来ないよ。ちゃんと覚えておくんだよ。」


 ゾナはほほ笑み、頷いた。老婆の恩は決して忘れなかったが、忠告はこれっきり忘れてしまった。彼にとって大切なのは人の想い。それだけだったから。自身の損得など気にかける時間すら勿体なかったから。にかっ!と白い歯を見せてゾナは笑った。裏の無い素直な黄金色の瞳は、憂いを隠さなかった。一人で進み続ける老婆の日常を想い、不安が過ぎった。でも、ゾナは陽気に告げる。


 「またね!ばあちゃん!!」


 ファントに拍車を入れ、諾足で、その場を立ち去った。青年は一度だけ振り返り、 戸口で凍りついたようにじっと見送る老婆に手を振った。


 ……忘れないよ、ゾナ。久しぶりに楽しかったよ。


 老婆はひんやりとした室内に戻り、そしてまた何もない日常へと帰って行った。 

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