第二章 陽光と月影。 第六話 ウィウ。

 正直、どっちでも良いと言えば、その通りなんだけど、でも、やっぱり、自分のことを好きでいたい。

 こないだ、ばかみたいに飲み過ぎて、ついつい会社の先輩の悪口を言い過ぎた。いや、別にウソを言った訳じゃ無いし、別に良いんだけど。ふと、もし、自分が他の誰かにこんなにもあからさまにコキおろされてたらってさ。すごく苦しいだろうな、なんて思ったりしたんだ。そしたら急に自分が情けない人間に思えて……取るに足りない、下らない人間に思えちゃって。最低だと思ってたことを自分がヘーキノヘーサでやってることに気づいて。

 なんだろ?何かウツな気分。

 それでも朝はやってくる訳で、自信の無いまま、家を出なくちゃいけなくて。なんて言うか……

 なんか、すごく苦しいよ。




 眼を覚ますより早く、空気が焦げているような匂いを感じた。

 そしてウィウはゆっくり眼を覚ました。昨日は女性的な気持ちだったし、胸に膨らみも あったが、今日は違った。大人のそれでは無かったが、堅い筋肉と股間の異物が感じられ た。日によって自分は別人になることを、ウィウは悟った。どちらにしても大人になる直前の状態のようだ。ナギ曰く、食べちゃいたいと感じるトシゴロ。なんのこっちゃ。記憶の中のナギの笑顔に、一瞬、忘れそうになったが、ウィウは思い出した。大惨事を思い起こした。凶暴で凶悪なアヴァローの群れに蹂躙される街と狂った老ナギに殺戮されるアヴァロー。正直、人間を殺すアヴァローより、狼頭人身の魔物を殺す羊魔の方が恐ろしかったのはなぜ?確かに、老ナギはアヴァローを追い払ったが、途中、何度か人も殺さなかっただろうか?鉤爪のついた邪悪な指で指し示して。

 そして、魔法の鏡で街の様子を見せてくれていたナギはどうして急に自分を寝かしつけて、街へと向かったのだろうか?

 もちろん、この世界に現れる以前の記憶が無い事は恐ろしく不気味だけど……それよりももっとオカシナ何かにツムジまでどっぷり浸かってるんじゃないかな?

 何かすっきりしない気持ちを抱えたまま、ふらりとねじくれた尖塔の外に出たウィウを向かえてくれるのは、晩夏の日差しと草原。そして、その中に浮かぶ、幼い黒龍ウルスハークファントだった。清々しい空気の中に漂う岩や肉が焦げた異臭が、微かに昨晩の惨事を示唆している。

 ウルスハークファントは挨拶代わりに軽く唸り、体長の半分まで開く口に美しく生えそろった牙を波立たせるように見せた。


 「おはよ。ナギはどこ行ったの?」


 言葉が理解出来るらしく、ちらりとねじくれた塔の中層階を顎でしゃくった。鋭い牙があり、恐ろしい黒炎を吐くらしいが、特に恐怖は感じなかった。ナギから、ウルスハークファントが命の恩人だと、聞かされていたからだ。


 (こいつが街の石畳との激突から、ボクを救ってくれたんだ。)


 ウィウは幼龍に手を伸ばしゆっくりと撫でてみた。ウルスハークファントもおとなしく気持ち良さそうにしている。

 老ナギへの恐怖は依然としてわだかまっていたが、昨夜と違い逃げ出そうという気持ちは沸かなかった。どちらにしても逃げ切れないから、という訳ではなかった。昨日、ナギと一緒に見た強烈な出来事が自分をこの場所とナギとウルスハークファントを結び付けた、のでもなかった。ナギのキス。少年は年上の女性に恋をしたのだ。ウィウは、あの柔らかく暖かなナギの唇の感触を思い出した。彼女がここで生活しているから、ここを離れたくないのだ。魔術師の幻惑?分からない。でも、とりあえず、今はここを離れたくない。突然、お腹がぐぅぅうと鳴った。独り恥ずかしく思いながらも、その音にウィウは、初めてこの断崖絶壁の塔に現れてから何も食べてないことに気づかされた。その音を聞いたウル スハークファントは、体の側面に連なる牙を波立たせた。


 「ああ!今笑ったでしょ?」


 ウィウは恥ずかしくて、ちょっと楽しくて、ウルスハークファントにつかみ掛かり、じ ゃれあいながら、心地よい風が吹く草原を二人で転げ回った。恐ろしい幼龍であるのは間違いない事実だったが、なぜか二人はとても気が合い、ウィウにとっては、もの凄く胴の長い長い空飛ぶダックスフンドに思えた。


 「えー。ウルスハークファントが他の人になつくの初めて見たなー。」


 明るく澄んだ声に二人は振り返った。少し疲れた顔をしながらも、楽しそうにほほ笑む ナギが立っていた。ウルスハークファントはすばしっこく飛びつき、柔らかい体毛でナギ の細い体をくすぐるように纏わり付いた。優しく幼龍にほほ笑みかけてから、ナギはウィウに伝えた。


 「あたし、あなたに術を教えることにしたの。あたしと一緒にこの街を守る”風祓い” をしてもらうからね。」


 本能的な恐怖を感じながらも、老ナギの本質をまだ理解していない……ウィウは、ナギと一緒にいられるならどんな修行もするし、老ナギと生活することも出来ると思った。彼女はどこか人を引き付ける凄く真当で大切なものを備えていた。あの狂気に包まれた老ナギと暮らしているとしても、ウィウは彼女のことを好きだった。


 「とりあえず、そのお腹の虫をだまらせましょ?二人ともいらっしゃい。ブランチにしよ。」


 ちょっと偉そうだし、まだ早朝なのにブランチって、意味わかんないよと、思わなくもなかったが、ウィウとウルスハークファントは素直に彼女について行った。


 (まさか……ウルスハークファントが懐くなんてね。)


 ナギは笑顔の下に不安を隠しウィウを導いて歩いた。ウィウは、知らない。龍が人に懐くのは、その人間の力を認めた場合のみである事を。ウィウは無邪気に踊るように歩いて行った。龍は力ある人間にしか懐かない事も……力は災いを呼ぶことも知らずに。

 振り返ったウィウの視界に飛び込んできた、日の光の中で見る風祓いの塔は、昨晩感じたような、狂気は存在していなかった。その内部にも、混乱した恐怖は無かった。大きすぎるカマドウマの群れもいないし、血流を思わせる脈動する風も吹いてはいなかった。もちろん壁や床は芸術じみた理解しがたい……木と石と布の……パッチワークで構成されているのだが、それだけだった。暗がりは存在したが、闇は見当たらない。

 塔のダイニングルームにたどり着いたウィウは、すでにテーブルの上に用意してあった、ふかふかのパンと干し肉のスープをお代わりして、お腹一杯食べた。彼女が自分のことを子供扱いしていることも、自分は見た目より遥かに……記憶がないとはいえ……多くのことを経験してきた大人であることも分かってはいたが、このシチュエーションは心地が良かった。なぜだろう?多分、誰でもいくつになっても自分のことを受け入れてくれる人の笑顔は心地よいのだ。そう、多分そんな感じなんだ。

 食後のコーヒーを飲みながら、ナギはウィウにこの街と風祓いの塔の事を話して聞かせた。


 「……青海の大魔法使い、海なる者”スフィクス”が、北方の大魔法使い、不滅の”ララコ”と争った時、苦しみもがいたスフィクスの一本の触手が岸壁を穿ちこの渓谷が出来たって話があるわ。さぁ?意外と本当の話かもって思ってる。スフィクスは小さな島程もある巨大な章魚の姿をしてるって言われてる。ララコ?そうね、ララコについては後で話すわ。」


 話しながら掻き上げる短い前髪や、キラリと光る黒い瞳、キャミソールに隠れてく胸の 曲線や、細い指。少年モードのウィウは、彼女の話以上にその姿や仕草、まあるい体香の虜になっていった。彼女に絡み付いてうとうとしているウルスハークファントが羨ましくて仕方がなかった。


 ……ま、伝説はおいといて、この街は岩穴の街、リガって呼ばれてるの。この中央大陸 の北方に位置するちょっとした規模を持つ街よ。ちょっとしたって言っても、一応、大陸最大の山脈、白きヴィル・ ボーオゥ以北では最大の街よ。この街は、漁業と岸壁から取れる赤炭で成り立っているの。赤炭はとても堅い地層の中に良く見いだされるマイト……魂の根源……を秘めた魔性の石炭なの。ありとあらゆる儀式や殺戮の道具にも、最高級の料理にも使われるわ。熱を出さない光も、光を出さない熱も取り出せるし。んー、とにかく高く売れるの。でも、産出量がそんなに多くないから、強欲な他国や海賊達にねらわれることも無いの……微妙なバランスでこの街は成り立っているのよ。勿論、東西南は断崖絶壁、北は遠浅の海に囲まれてそう簡単に攻め込めないってものあるんだけどね。でも、豊かで程よい広さの土地と緯度の割りには温暖な気候を持つ理想的なリガの街に発展や侵略がないのは、別の理由があるの。うん。そう。アヴァローもそのひとつ。周期的に彼らは住処であるウルスから100匹以上の群れをなしてこの街を襲うの。さぁ?理由は分からないわ。それが分かれば彼らをくい止める方法も分かるんでしょうけどね。

 もう一つは、ララコ。ララコも時折この街を襲うの。うん。これも理由はわかんないの。 そして、それらから街を守っているのが私達ナギとウィウ……そ、あなたの役目。


 ボクが?


 言いかけるウィウを軽く遮る様に、ナギは椅子の上で姿勢よく背伸びをした。反り返った背中からお尻にかけてのラインがとてもかわいらしかった。


 「って、なにみてるの?ませてるわね。」


 見抜かれて、あわあわするウィウの様子をおかしそうに観察したあと、ナギはさて、と続けた。


 「始めにも言ったけど、あなたは風変わりなウィウで、あたしは変人だから、あなたを教育することになったの。」


 ウィウを切れ長の瞳でじっと見つめ彼がどぎまぎするのをひとしきり楽しんでから、ナギは再び口を開いた。


 「昨日、この塔の触手に捕まったでしょ?あれはね、あなたを守るためにそうするの。 あなたはとても強い力を持ってこの世界に来たの。詳しくは後で話すけど、その強い力が 災いになることもあるのよ。あなたはこの街から離れちゃいけないの。正確には九本の|守護神木(ホー・ウッド) が描く九芒星の外周から出ちゃいけないのよ。塔の触手はその為にあるの。あなたを危険から守るために。覚えておいてね。あなたとリガに住む全ての人の命に関わることだから。」


 どうして、ボクの為に存在する塔の触手は、ボクが現れる遥か以前からあるんだろう? その素朴な疑問から始まり、自分が持つと言った大きな力や、それがどうして街の人々の 命と繋がるのか……そもそも、自分はどこからどのようにして、この世界にきたのだろうか……不安になり、全ての話しを聞きたがるウィウの頭をナギは優しく撫た。いいこいいこ。


 「大丈夫よ。あたしがついてるから。さ、授業を始めるわよ。」


 ナギは立ち上がりほほ笑むと後片付けもせず、また背伸びをした。女性らしい曲線を描く体を軽やかに弾ませて、心地よい風が吹く屋外へと歩きだして行った。ウルスハークファントが後に続く。

 ウィウが慌てて屋外に出ると、歪な風祓いの塔の暗がりから、不気味でゆっくりと動き回る、かわいそうな何かがはい出してきた。日の光を避けるように、それはドアを閉めた。 ガチャガチャと食器を片付ける音が聞こえた。


 「ウィウー!早くおいでー!」


 ナギに呼ばれたウィウは塔の中をゆっくりとはいずり回るソレを気にしながらも、ナギの呼ぶ方へと駆けて行った。


   ……ウィウの幸せなこの生活は、一週間続いた。

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