第一節 片鱗

灼熱の辺境から最も遠い場所に、美しき国ベールがあった。密林を抜けた場所にあるベールは、切り立つ崖に隠れるように、ひっそりと築かれていた。そして、守護の呪文によって守られたその土地には、大地からの洗礼を受けた民族がいた。美しきも強いその民族は、大地を糧とした魔術を扱い、辺境の悪意から生きとし生けるものを守ることを昔から役割としていた。


しかし時代とともに、その美しい国の周辺にまで、灼熱からの悪意は達しようとしていた。


美しき国ベールの長、ロワには一人娘がいた。その娘はリオナといい、誰よりも大地からの祝福を受け、一族としての力が強かった。リオナの母親、ルリィも魔術が強かったが、悪意との戦いで早くに亡くなっており、リオナは一族の希望だった。


「いけませんっ!!守護の外に出るなど・・!」

必死に捕まえようとするその腕をすり抜け、リオナは城の垣根に右手をつき、身体を軽々と反転させると、するりと飛び越えた。

「リオナ様っ・・!!」

メイドの服を着た女性は、震える声で叫んだ。真っ青な顔をしている。

「まだ、お日さまはあんなに高いもの!エリー、心配しないで!」

エリーという女性の心配をよそに、リオナは笑顔でそう言うと、魔術をまとい、自身の存在を薄くして森の中へと消えていった。


ベールの民族は寿命が長い。個体差は大きいが平均して300年前後の寿命であり、長であるロワは400歳を超えていた。

リオナは、見た目は若かったが、実際は数十年を生きている。寿命が長い分、身体の成長はゆっくりなのだ。


そのため彼女は、あどけなさの残るその顔からは想像出来ないような魔力と、落ち着いた雰囲気を持ち合わせていた。


(どこまで、悪意に侵食されているのか・・・この目で確かめないと!)


リオナの美しい、黄金色のウェーブかかった癖毛が、風にのって緩やかになびく。高い位置でひとつに結んでいるが、結び目をほどけば腰あたりまで届きそうな長さだった。その瞳は澄み切ったブルーで、一点の曇りもない輝きを発している。美しいその佇まいは、母親であるルリィによく似ていると、周囲からいつも言われていた。


魔術の強さも母親譲りだった。しかし、父親であるロワは、リオナが術を使うことを良く思わなかった。魔術は、自分の限界を越えたとき、その者の命を削り始める。リオナの母親も限界を越えて魔術を使った結果、命を落とすことになったのだ。ロワは、一人娘であるリオナに同じ道を歩ませたくなかったのだろう。


リオナは守護に守られた美しい密林を抜け、いつも動物達と戯れる場所に着いた。そこは天を隠すかのように生い茂った枝木がぽっかりと空いており、天上からの陽の光がまっすぐに降り注いでいた。


リオナは音もなく静かにその場所に降り立つと、纏っていた魔術を消し、その美しい姿を現した。


(やっぱり、いない・・・!)

リオナは、注意深く周囲を見渡した。いつもなら、自分の気配を察して集まってくる動物達が、今日は全く姿を現さない。景色はいつもと変わらないのに、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。


(ここは、守護の届く内側の端・・・まさか!)

リオナは、左手に守護の魔法を纏い、そっとその日の光から外側へ手を差し出した。


その途端、何かが左手を灼いた。

「・・・っ!!」

リオナの顔が苦痛に歪む。必死に日の光の元へ手を戻そうとするが、何かに捕らわれ左手は動かなかった。そしてむしろ、守護の外側へリオナを引きずり出そうと、じりじりとその力が強まっていく。

「ああっ、、!」

再び、左手が灼けるような激痛に、意識を失いそうになった。慌てて首を振り、攻撃の言葉を紡ぎ出す。

(こんなことっ、、それじゃぁ、境界は無くなってしまったのっ!?)

呪文を唱えながら、リオナは思った。


守護の美しい密林の外は、悪意との境界だった。それは遠くまで続き、リオナはその境界で、悪意から動物達を守っていた。昨日まで、いつも通り境界はそこにあった。それなのに、一晩で守護のすぐ外側にまで悪意はその勢力を延ばしていた。


『・・ブレーン!!!』

自分の左手に向かって、炎の攻撃術を放った。リオナの額から一筋の汗が流れ落ちる。

(お願いっ・・!効いて!!)

激痛に今にも気を失いそうになりながら、術を放ち続ける。木の葉が巻い、リオナを中心に風が勢いよく渦を巻き上げる。


一進一退だった。


どれくらい、続いただろう。リオナの体力が尽きようとしたその時、突然左手が自由になった。いきなり自分を捕らえていた力が無くなり、リオナは後ろに倒れ込んだ。


リオナは、自由になった自分の左手を見た。

「ーーーー!?」

その左手は、灼けただれ、黒い何かが体内へ入ろうとうごめいている。激痛とおぞましさで、リオナは吐きそうになった。

すぐに、回復の術を唱える。

しかし、その黒いものはものすごい勢いでリオナの中心へ向かって突き進んだ。皮膚を切り裂く痛みに、思うように術が唱えられない。真っ赤な血が、左手から滴り落ちた。その瞬間、リオナの脳裏に、悪意に乗っ取られた人々の光景がよぎった。

(お母様っ、、!!どうか、助けて!)


その時、リオナのいる場所が日陰になった。

すぐ側に、誰かが立ったのだ。

日の光を背に受けているので、顔がよく見えない。


しかしその左腕はーーーーー、


今の自分と同じく黒く灼けただれ、悪意に支配されているようだった。

(誰、、?この人も、悪意に、、?助けない、と、、、)

リオナは荒い息で、そう思った後、回復の言葉を紡ぐ途中で気を失い、その場に倒れ込んだ。


その人物は静かに何かを唱え、自分の左手で、リオナの左手に触れた。

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