第二節 出会い

「なんだとっ!?」

「もっ、、申し訳ございませんっ・・!!」


リオナが城の垣根を越えてすぐ、エリーはロワの元へ走った。エリーは床に座り込むような形で跪き、頭を下げていたが、血相を変えて叫んだロワに、更に深く頭を下げ、その声は震えていた。


「エリー、そなたのせいではない。リオナ、、忠告も聞かず何ということを・・! シッダ!!」

「準備はできております!私は一足先に参りますので、王は騎士団と共に!」

ロワが言い終わるより早く、シッダと呼ばれた青年は早口でそう言うと、部屋を出て駆け出していた。身体も髪も、その色素は薄く、儚い印象を与えるが、鍛えられた逞しい身体つきをし、瞳は鋭い琥珀色だった。その身体には、重そうな甲冑を身につけていたが、まるでその重さを感じさせない動きで、城門に準備された白馬にあっという間にまたがり、風のような速さで境界の方へ消えていった。


ここ最近の境界の異変には、王とシッダを中心とする騎士団の面々も気づき始めていた。漆黒は陽の光の下では無力に等しく、騎士団は日中に辺境を見回っていたのだが、最近は陽の光の下でも、漆黒と思われるものに襲われる事が多くなった。なぜ、こうも急速に力をつけてきたのか。謎が多かった。日中でも危険となったため、リオナには境界に行かぬようにロワが厳しく言いつけていた。


(かえって、リオナの気持ちを焚き付けしまったか・・、、あの子は、母親に似て、慈愛の心が深い。

己が、一族の希望であらねばという気持ちも・・)


ロワは戦いの準備をしながら苦渋の表情を浮かべ、後悔した。城の門を出たとき、ふと北の棟が目についた。半分より上は、靄がかりいつもは見えないが、今日は最上階がうっすらと見える。その、最上階の小さな窓に目を奪われていると、

「ロワ様!準備が整いました!!」

騎士団の一人がロワの側に跪き、そう言った。

「各々、油断するでないぞ!!」

「はっ!!」

ロワを先頭に、騎士団が城壁を出ようとしたその時だった。


不意に風が巻き起こり、それは一行を阻む壁となり、目の前に現れた。騎士団は慌てて馬の手綱を引き、風の壁にそれ以上進むことが出来なくなった。

ロワは強風の中、目を凝らした。徐々に風は弱まり、視界が見えてくる。

誰かが、目の前に立っていた。

「・・誰だっ!?」

騎士団がロワを守るように前に出た。

風が収まり、巻き上げられた木の葉がゆっくりと頭上から落ちてくる。


その木の葉の中に、一人の老女がいた。


頭からすっぽりと黒いローブをかぶり、口元が見えるだけで、他は全て覆われて見えない。不思議な雰囲気を醸し出しており、騎士団は警戒してそれ以上、身動きがとれずにいた。

「よい。」

ロワが、騎士団を手で制止する。

老婆がゆっくりと顔を上げた。

「北の棟から出てくるとは。何十年ぶりか。」

ロワがそう声をかけると、ローブの下に老婆の鋭い眼光が見えた。ロワより深いしわをその顔に刻んだ老婆は、口元だけ微笑んで言った。

「行ってはならぬ。無駄な犠牲を払うだけじゃ。」

「・・また、先を見たのか?」

ロワの発した言葉には、抑えきれない怒りの感情が含まれていた。しかし、それを意にも介さず、老婆は続けた。

「希望は、運命と出会った。ロワよ、時が動きだしたのじゃ。止められぬ。あの子達に、我らは望みを託す他ない。」

「何を、、分かったかのようにっ・・!!」

言うが早いか、ロワは身を翻し、己の剣の切っ先を老婆の喉元に当てがった。が、老婆は微動だにしない。

「あの時も・・!おまえはそう言って、ルリィを死に追いやった!!あの時もっ、、!」

騎士団はロワのあまりの迫力に、固唾をのんで2人を見守る他なかった。

老婆は静かな溜め息をつき、

「・・ロワよ、先は幾重にも分かれておる。わしの先見が全てではない。そして全てが、見えるわけではないのじゃ。」

そう言うと、そっと、そのしわがれた手で喉元の刃に触れた。剣が不思議な光りで包まれたかと思うと、次の瞬間にはロワの腰元の柄へ剣は納められていた。

老婆は、ロワに視線を合わせると、

「確かなのは、このままでは全てが漆黒に飲み込まれるということ。それは、お前達も感じているじゃろう。」

そう言い、静かな声の響きを残したまま、次の瞬間には姿を消していた。


あまりの出来事に、騎士団もロワも、すぐにはその場を動くことが出来なかった。



「・・・ん」

ふいに、頬に水がはねる感覚がして、リオナは目を覚ました。

ぼやけた視界が、ゆっくりとその視点を結ぶ。密林の清らかな河のほとりに、横になっていたようだった。心地よい静かな河の流れが、絶え間なくあたりに響いていた。


意識がはっきりするにつれて、すぐ近くに、朧気に悪意の気配を感じた。

リオナは反射的に戦いの姿勢をとり、後ろを振り返り身構えた。


そこにはーーー、


一人の、青年がいた。自分達とは種族の異なる、人間のようだった。その青年は自分の左側を隠すように、右側をリオナに向けて立っていた。


リオナが目を覚ました事が分かると、その青年は少しほっとしたような表情を浮かべ、そのまま立ち去ろうとした。


「まっ、、待って!!」

リオナは慌てて声をかけた。

この人が、悪意に染まろうとしているのなら救わなければと思ったのだ。

そう思い、はっと自分の左手を見た。

その手は、あんなに焼けただれていたのに、嘘のように元通りになっていた。


(どうしてーーーー?)

驚き、自分の左手を見つめたまま言葉が出ないリオナに、青年はゆっくり向き直った。


歳は、16歳くらいだろうか。大人へとさしかかる、ちょうどその時期に見えた。藍色の髪を、後ろで結んでいる。腰には、背丈には似合わない大ぶりの剣があった。整った顔立ちをしていたが、戦いに明け暮れてきたのだろう、髪の毛から足先まで汚れていた。服も、靴も擦り切れ、服から覗く手足は傷だらけだった。


そして何よりーーー、

青年の左腕は、悪意に染まっていた。漆黒の色、鋭い爪、禍々しい存在感を放ちながらも、それは彼と共に居た。


「あなたっ、、大丈夫なの!?その、左腕、、」


「ああ、・・・これ?」


青年は表情を変えず、左腕を軽々と動かして見せた。驚いたことに、その左腕は彼に完全にコントロールされているようだった。悪意の存在は感じるが、暴走する気配はない。


「君は、危なかったね。いちかばちかだったけど、助かって良かった。」

薄く微笑んで、その青年が言った。その笑顔は、微笑んだはずなのに寂しそうだった。

「あなたが、助けてくれたの?」

リオナが聞いた。しかし、その質問に青年は応えずに、

「もう、密林の周りは危ないよ。出ない方がいい。」

そう言って、じゃぁ、と踵を返し、あの境界の方向へ向かって歩き出した。

「待ってっ!!」

追いかけようとして、リオナがよろけた。

(力を、使いすぎた・・)

リオナは苦しそうに、その場にうずくまった。

一族の望みのはずの自分が、悪意の前に全く歯が立たなかったーーー、リオナは自分の無力さに、悔しくて唇を噛み締めた。


その時、ふっと、身体が宙に浮いた。

青年がリオナを抱え上げたのだ。


「あっ、、」

「帰る力が、ないみたいだね。」

優しく微笑む彼の、その顔がすぐ近くにあった。少し茶色がかったその瞳は、謀ることの出来ない深い色をたたえていた。思わず、リオナはその瞳を見つめた。

青年は、何かを唱えると、一旦しゃがみこみ、力強く地面を蹴った。空高く、身体が持ち上がっていく。その勢いに、思わずリオナはその青年にしがみついた。

「君に、見せておくよ!」

青年はそう言うと、リオナに眼下をみてごらん、と言った。

リオナは、息を飲んだ。魔力で宙を飛ぶことは自分にも出来たが、ここまで高く飛んだことはなかった。所々、ちぎれ雲が遥か下方に見える。雲より上方にまで、自分は飛んでいる。遮るものが無く輝く日の光は、眩しかった。


リオナは思った。


自分一人で、ここまで飛べるだろうか。


分からない。


遠く、ベールの城下が見える。いつも通りの美しい密林、そして・・・。


「本当に、悪意はそこまで、来ているのね・・・」


いつもの境界が、漆黒に染まっていた。うごめく何かを感じる。生き物達の悲鳴と、おぞましいもの同士がお互いを傷つけ合う音。リオナは、両手で耳をふさいだ。

(いつも森で遊んだあの子達も、、漆黒の中にいるの?)

救えなかった事に、涙が頬を流れる。


青年は、ベールの城を目指し、宙を飛ぶように走った。リオナをしっかりと抱きかかえたまま。

彼の左腕も漆黒に染まっていたが、リオナは不思議とその手で触れられる事が、嫌ではなかった。


青年は、城下のすぐ傍に降り立った。

リオナをそっと降ろすと、僕はここまでだから、と言った。

「あのっ、、本当に、ありがとう!あなた、名前は?」

リオナは聞きたいことがたくさんあったが、今にも立ち去ろうとしている青年の背中に、それだけを聞いた。


一瞬、青年は立ち止まり、振り返らずに言った。


「カイル」


風が、巻き起こる。

リオナが目を開いた次の瞬間、あたりに彼の姿は見えなくなっていた。


(彼は、、、カイルは、一体、、)


改めて左手を見る。まるで、先ほど漆黒に呑まれそうになっていたことが嘘のように、いつも通りの自分の左腕だった。

彼の、カイルの深い瞳の色が脳裏から離れない。


(悪意が浸食するこの世界で、彼の瞳は、何を見てきたのかしら・・)


リオナは、その場所を離れることが出来ず、ぼうっと佇んでいた。

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