第36話 先輩と先輩

 いかにも怪しい雰囲気のビルの三階がソフトオンドミニオンの撮影スタジオだ。扉を開けるといくつかの部屋があり、ピンク色の照明に照らされたお風呂や三角木馬やムチが置かれた牢屋など見たことのあるシチュエーションが広がっていた。


「おはようございます。本日はよろしくお願いします」


「お願いします」


 キョロキョロとスタジオを見回す僕らに声を掛けてくれたのは深澤さんだった。今日も今日とて礼儀正しい。

もなさんとエッチした時は憧れの女性を前にしてすごく浮かれていたし、欲望をぶつけていいと言われていたから気にならなかったけど、監督である深澤さんの視線を感じながら丹生うにゅうさんとエッチすると考えると途端に緊張してきた。


「緊張されているのが伝わってきます。初々しくて良いですね。作品コンセント的にも演技でガチガチに緊張するのは違いますから安心しています」


「あの……今回は台本とかあるんでしょうか? ママ……母は台本を読む込む時と、ふらっと撮影に出かける日があったので」


「シチュエーション重視の時は台本がありますね。ただ、今回は高校生で成人したばかりの初々しい初体験ですから特に台本らしい台本はありません。一応、セックスまでの流れは指示するかもしれませんが、お二人の気持ちにお任せします」


「だって、撮影の先輩だからリードよろしくね。小亀こがめくん」


丹生うにゅうさんはお腹にいる時からAVに出てる先輩じゃないのかよ」


「お互いにAVの先輩ってこと。でも今日は小亀こがめくんに先輩を譲るよ。よろしくね先輩」


「残念ながら任せろと胸を張って言えないな」


「蟹谷先生と経験を積んでるのに?」


「……っ!」


 深澤さんに気付かれないように耳元でささやかれた言葉は全身を硬直させた。


「あれは……その、言われるがままだから」


「へぇ、先輩ってそういう感じなんだ。今日の撮影大丈夫?」


「全然大丈夫じゃないよ。ある意味、僕も初体験みたいなもんだから」


「そっか……きゃはは」


「笑いごとじゃないって。ちゃんとした作品にならないとギャラが」


「もしギャラが出ないような作品になっても、私は今日のことを一生の思い出にするよ。ママが輝くAVの現場で初体験できるんだもん」


 教室を模したスタジオの中ではスタッフさんがカメラやマイクのセッティングをしている。深澤さんがテキパキと指示を出し、教室なのに教室ではない不思議な空間があっという間に完成した。


「台本はないのですが一応段取りはありまして、まず桃香さん……いえ、ここでは水沢みずさわるりでしたね。小亀こがめ様もくれぐれもるり呼びでお願いします」


「はい! 気を付けます」


 客観的に見て可愛い部類に入る丹生うにゅうさんが新作動画一覧に載っていたら絶対にクリックしてしまう。丹生うにゅうなんて珍しい苗字をうっかり言ってしまったら特定してくれと自分で言っているようなものだ。


 何も違法なことはしていないけど、隠せるなら隠した方がいい。あと数か月、せめて高校を卒業するまでは絶対に正体がバレてほしくない。


「制服はこちらで用意した架空の学校のものになります。小亀こがめ様の場合は素人企画モノということもありご自身の制服を着ていただきましたが、水沢みずさわの場合はそうはいきませんので」


「それでも現役の女子高生って信じてもらえますか? たしかに証拠を出すわけにはいかないですけど」


「肌の瑞々しさや裸を露わにした時の初々しさ、小亀こがめ様と初めて体を重ねる緊張感は間違いなく本物でしょうからユーザーの皆様には届くと思います。どれだけ証拠を出しても疑う人は疑いますから」


「そういうものなんでしょうか」


七咲ななさきの妊娠だって特殊メイクと主張する人がいますからね。本当に妊娠してて、そうして生まれた子が時を経てAVデビューしているわけですが」


「きゃはは。言いたいやつには言わせておけばいいんですね」


「そういうことです。どんな職業でもアンチやクレーマーは付き物ですから。もちろん秘密は厳守するので会社から情報が漏れることはありません。あとは動画を見た人の判断です」


「るり、本当にいいんだね? ソフトオンドミニオンは素人モノの会社じゃないからサンプルにも女優にモザイクは掛からない。プロのAV女優としてネット上に顔が出るんだ。もちろんそっくりさんで押し通すけど、絶対に噂は広まる」


「覚悟の上だよ。別に犯罪じゃないんだし、卒業まで残り数か月なら退学にはならないって。大学受験はテストの点数勝負だし。大丈夫大丈夫」


「……わかった」


 丹生うにゅうさん、水沢みずさわるりの覚悟は僕もわかっていた。最後の最後の分岐点で彼女はAVの道を選んだ。もう止めることはできない。

 彼女の覚悟を無駄にしないように、彼氏として思い出に残る初体験をプレゼントする。もなさんの幸せのために今の僕にできる精一杯だ。


「深澤さん、撮影準備オッケーでーす」


「ありがとう。じゃあ、行こうか。最初はあの机でインタビュー、それから少しずつ服を脱ぎながら自慰行為をしてもらいます。最終的に全裸で果てたところに小亀こがめ様が登場して、そのまま初体験に突入という流れです」


「……はい」


「では、お二人は着替えていただいて十分後にスタートしましょうか。カメラアングルなどはあまり気にしないでください。こちらでいろいろな角度から撮影してあとで編集しますから。彼氏と彼女がお互いに探り探りで初体験を成功させる過程を撮りたいので」


 教室の空気が張り詰める。初々しい反応を撮影するとなれば本当に一発勝負だ。僕だって日に何度も射精はできない。そういう意味でもAV撮影の現場は緊張の連続。そんな中でずっと活躍し続けるもなさんのすごさを肌で感じた。


「それじゃあ、また」


「うん。その……うまくできなかったらごめん」


「きゃはは。そういうのが良いんだよ。きっと。あ、でもこれだけは言っておこう。優しく……してね」


 冗談っぽく笑いながら更衣室へと消えていく彼女の背中が心なしか普段よりも小さく見えた。

 年上の女性にリードされるばかりの僕が、初体験の彼女をリードする。


 あれだけ見境なく臨戦態勢に入ってきた相棒が落ち着いている。このまま撮影に突入してちゃんとできるだろうか。焦りだけ募っていった。

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