第35話 私も大人

「ママ!」


 受付で名前を告げるとすぐに病室に案内してくれた。付き合って一日の彼氏が家族同様に病室に向かうのは違和感があったけど、動揺する丹生うにゅうさんを一人にするのはあまりにも心配で同伴してしまった。


 もなさんはベッドの上ですやすやと寝息を立てている。ドラマで見るような人工呼吸器や点滴は一切付けられていないからパッと見の印象だとそこまで重症ではないように感じた。


「えーっとキミは」


丹生うにゅう桃香。娘です」


 ベッドの傍らにはスーツ姿の一人の男性が座っていた。一度しか会ってないのによく覚えている。AV業界は恐い人ばかりだという勝手なイメージを払拭してくれたあの人はやっぱり礼儀正しく挨拶をする。


「あー、キミが。わたくし、ソフトオンドミニオンの深澤と申します。お母さんの職業についてはご存知なんですよね?」


「はい」


「お母さんとは古い付き合いでね、ずっと第一線でうちの作品に出演してもらっているんだ。今日も特に不調な様子は感じなかったんだけど……家ではどうでしたか?」


「ママ……母は今日も元気でした。激しい撮影になりそうだから気合入れなきゃって朝ごはんもしっかり食べて」


「なるほど。我々としても年齢を考慮して無理のないスケジュールを組んでいたつもりなんですが、七咲ななさきがどうしても本数を増やしたいと言うので……いや、これは言い訳になってしまいますね。申し訳ない」


「私のせいだ……私の学費のためにママは無理して」


 丹生うにゅうさんの言葉に胸がチクリと痛くなった。学費のために仕事を増やした結果があの素人企画なのだとしたら、僕だってもなさんの無理に加担した一人ということになってしまう。


 毎年新しいアイドルみたいな若い女優さんがデビューする中、もなさんは二十年近く業界の第一線で活躍している。

 年齢を重ねたからこそ醸し出る妖艶さを持ちながら、若い女優さんにも引けを取らない瑞々しさを持つ七咲ななさきもなというAV女優も体力の衰えがあったようだ。


「おや、キミはたしか」


「あ、もしかして覚えててくれたんですか? 四月に撮影してもらった小亀こがめです」


「覚えていますよ。とても生々しいもなへの憧れと欲望が撮れて、今でも順調に売り上げを伸ばしてます」


「はは。嬉しいような恥ずかしいような。……でも、順調ならそんなに無理しなくても」


七咲ななさきは娘さんにお金のことで心配を掛けたくなかったようです。わたくしも七咲ななさきのバイタリティや若々しさを過信していた部分もありました。監督不行き届きです。本当に申し訳ございません」


 深澤さんは高校生相手とは思えないほどに深く頭を下げた。女優を使い捨てにせず、一人の人間として大切にしているのが伝わってくる。


「……容体はどうなんですか? 今は寝てるみたいに見えますけど」


「医者でないわたくしが説明するのもどうかと思いますが、さっき聞いた限りだと、この仕事を続けるのは難しいだろうと」


「え……過労で倒れたんじゃ」


「倒れた原因は過労です。ただ、いろいろ検査をするうちに子宮に問題があったみたいで……わたくしも詳しくは聞いていないのでこれ以上は」


「そんな……ママ、AVの仕事が大好きなのに、私だってママの仕事を誇りに思ってたのに」


 丹生うにゅうさんの目からぽろぽろとしずくがこぼれる。

 今までの彼女の言葉に嘘がないと確信することができた。冗談で母親との結婚を持ち掛けたのではない。


 本当に心の底から母親を尊敬し、愛し、幸せになってほしいと願っている。


 もなさんがAVに出演することで一体誰に迷惑が掛かったというのだろう。娘はこんなに真っすぐに育って、僕は寂しさを埋めることができた。

 世界に神様がいるのだとしたらあまりにも残酷過ぎる仕打ちだ。


「……ママが撮影できないと会社も困るんですよね?」


「まあ、そうですね。ただ他にも女優はいますし会社が潰れたりはしませんよ」


「私がママの代わりにAVに出たいって言ったら出れますか?」


「きちんと契約書を読んで、その内容に納得してサインしていただければ問題ありませんが……出たいんですか?」


「ママの入院費だって必要になるし、頑張って私を育ててくれたママの期待に応えるために大学に進学します。そのためにはお金が必要なんです。私をAVに出演させてください!」


 鼻声になりながらもその言葉には強い意志が込められていた。憧れの人とエッチして童貞を卒業したいという欲望まみれの動機ではなく、職業としてのAVに足を踏み入れようとしている。


「待って丹生うにゅうさん。落ち着こう。竿役の素人として出るのとメインの女優として出るのじゃ意味合いが」


「ママだって十八でデビューしたんだよ。それに前にも言ったじゃん。私、ママのお腹にいる時からAVに出てる超先輩だよ? あ、そうだ。もし良ければなんだけど小亀こがめくんと一緒に出たい。成人を迎えたばかりの高校生同士のAVって前代未聞で超話題になると思いません?」


「なるほど。いいですね」


「深澤さんまで! 勝手に契約したらもなさんに怒られるんじゃ」


「娘さん……桃香さんでしたね。彼女も成人した一人の大人です。小亀こがめ様と同じように」


 礼儀正しくもその瞳の奥には修羅場をくぐり抜けたような凄みがあった。きっとAV業界はイメージ通りの恐い一面もあるんだ。そんな世界で長年生きていた深澤さんはその辺の大人とは一味違う。


 蟹谷先生みたいに脅迫材料を持っているわけではないのに、深澤さんに凄まれたら何も反論できない圧を感じる。


「私、小亀こがめくんが一緒にデビューしてくれるならAVに出ます。実は彼氏なんですよ。彼氏との初体験がAVになるって斬新だからすっごい売れるかも」


「それでなくとも桃香さんは可愛いですから売り上げは見込めますよ。さらに話題性も加われば一躍トップ女優です。しかも七咲ななさきもなの娘となれば親子での共演を望む声も出てくるでしょう……いや、それは不可能ですね。ドクターストップを無視することはわたくしにはできません」


「じゃあ、ママの……七咲ななさきもなの娘っていうのは伏せておきます。これは私自身が選んだ道なので。でも、最終的には彼氏に委ねてるんですけど。きゃはは」


 丹生うにゅうさんはいつもの調子で楽しそうに笑う。僕はとてもじゃないけどそんな気分にはなれない。

 一人の女の子の人生を決める重大な選択だ。出演を拒否するのが正解だとわかっているのに、丹生うにゅう家の家計事情がわからないから即決できない。


 もなさんの幸せを考えるのなら丹生うにゅうさんが大学に進めて、しかも入院費の心配もなくなる出演の道を選んだ方がいい。だけど、娘がAVデビューすることは母親にとっての幸せなんだろうか。


 もなさんの意志を無視してかりそめの彼氏である僕が決めるなんて、これが大人の責任だというのならあまりにも重すぎる。

 今すぐにも子供に戻って逃げ出したい。僕はまだ高校生という免罪符を持っている。


小亀こがめくん、私だってもう大人なんだよ」


 スカートの裾をギュッと掴むその手は震えていた。AVに出るのが恐いんじゃないか。その恐怖を悟られないように深澤さんに出演を打診して、母親のために文字通り体を張ろうとしている。


 あとでもなさんに怒られるかもしれない。だけど、娘は母親の幸せを願って出した答えだ。

 もなさんを一人の女性として愛しているからこそ、意見が食い違った時にちゃんとぶつからないといけない。

 全てを肯定するだけの信者みたいなファンではなく、僕はもなさんと家族になりたい。ママになってほしい!


「わかった。出よう。深澤さん、売り上げが見込めるというならギャラの方はよろしくお願いします。入院費と学費を稼がないといけないので」


「もちろんです。本来こういう考えをビジネスに持ち込のはご法度なのですが、七咲ななさきとは長い付き合いです。七咲ななさきの、そしてその娘さんの力になるのであればボーナスもお約束します。もちろん、きちんとした作品を撮るのが前提ですが」


「はい。頑張ります。きゃはは。初体験が映像として残るって、私もママみたいに自慢できそう。って、小亀こがめくんはもうママとの初体験が配信されてるんだよね。私達すごいカップルだ」


 笑いながら丹生うにゅうさんは涙を流していた。震えるその手を優しく握ると、彼女は僕の胸に顔を埋めて声にならない声と共に泣きじゃくった。まるで赤ちゃんみたいだ。

 誰かの胸の中にいられる安心感は僕が一番よくわかっている。


 もなさん一筋な僕だけど、この時間だけは丹生うにゅうさんを一番にしようと思った。

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