第34話 彼女ができました

 彼女ができても僕の学校での立ち位置は何も変わらない。今まで特に接点がなかった丹生うにゅうさんと突然付き合うことになったとなれば馴れ初めを問いただされるから、僕らの交際は秘密にすると二人で取り決めた。


 ただ、僕のわがままで後輩、栗須くりすさんにだけは伝えたいと申し出たら丹生うにゅうさんは快く承諾してくれた。

 あまりにも自分にとって都合良く話が進みすぎて恐怖すら覚えている。


 さすがに後輩の帰宅を何度も遅らせるわけにはいかないので部活前に待ち合わせをした。


 丹生うにゅうさんと二人で現れた僕を見て、栗須くりすさんは何かを察したようにため息をつく。たぶん全部伝わった。でも、ちゃんと自分の言葉で説明しないといけない。


「えっと……部活前にごめんね。でも、栗須くりすさんにはちゃんと伝えておこうと思って。僕達、付き合うことになったんだ。だから……」


 隣に立つ丹生うにゅうさんの手をギュッと掴むと、彼女も優しく握り返してくれた。まるで本当の彼女みたいだ。

 この手がもなさんだったら……そんなことを考えていても許してくれる丹生うにゅうさんの心の広さは包容力とは少し違う、歪な優しさだ。


 母親のためにここまで優しくなれる丹生うにゅうさんを僕は利用している。栗須くりすさんは早く目を覚ました方がいい。先輩として慕ってくれる分には構わないけど恋愛感情は抱いちゃいけない。


 これは、かわいい後輩への手向けだ。


「僕のことは諦めてほしい」


「そう……ですか。さすがに彼女さんがいる人にぐいぐい攻めるのは違いますよね。あはは」


 彼女がいるのに熱烈なアプローチを続けられても正直困る。卒業まで先輩と後輩の関係でいられるのが一番だし、彼女もちの男にアピールをするのは周りの女子から見てあまり気分の良いものじゃないだろう。


 吹奏楽部は女子が多いから、かわいい後輩を守る意味でも僕と丹生うにゅうさんの関係はハッキリと伝えた方がいいと判断した。


「うん。ずっと言ってるけど、栗須くりすさんならもっといい彼氏ができるから。同級生とか後輩とか。一年もしないうちに卒業する僕のことなんか忘れて、ね?」


「……イヤです」


「え……さっき彼女がいる人に攻めるのは違うって」


「はい。だから攻めるのはやめます。だって、ぐいぐい攻めるママって小亀こがめ先輩が求めるママじゃないですよね? 疲れた時、辛い時に帰ってきたくなる母性。そういうのが好きなんですよね?」


「きゃはは。おもしろい後輩ちゃんだね。でも、ママを悲しませるのだけは許せないよ?」


「え? 先輩、彼女をママって呼んでるんですか?」


「ち、違う。これには複雑な事情が」


 事実は異なるけどそれで栗須くりすさんが引いてくれるなら痛み分けといったところ。だけど現実はそううまくはいかなかった。栗須くりすさんはむしろ前のめりに目を輝かせている。


「きゃはは。そうなんだ。同い年の彼女をママって呼ぶなんて変態さんだよね」


「つまり年下のママもアリってことですよね」


「うわぁ、後輩をママって呼ぶなんてすごい変態。さすがの私の引いちゃうな」


「呼ばないよ。そもそも丹生うにゅうさんだって」


 丹生うにゅうさんはマスクの上から人差し指を当てて僕の口を塞いだ。このまま彼女をママ呼びする変態になれと無言の圧力を感じる。

 ドン引きさせて栗須くりすさんを諦めさせる作戦なら失敗に終わりそうだから、僕はただ単に歪んだ性癖を持った先輩ということになる。しかも後輩はそれを受け入れてしまいそうな空気だ。


小亀こがめ先輩、もし彼女さんとケンカして辛いことがあったらクリスの胸で泣いていいですよ。クリスママはいつでも先輩を待っています」


「ケンカもしないし栗須くりすさんの胸でも泣かない。はぁ……早く僕を諦めて新しい恋を見つけた方が絶対に幸せなのに」


「幸せになるのだけが恋愛じゃないってことですよ。辛いからこそ燃える恋もあるんです」


「きゃはは。後輩ちゃんはオトナだね」


「クリスは絶対に先輩を諦めませんから! あ、秘密をバラして先輩を追い込むってことはしないので安心してください。そういうのはズルなので。それでは、また部活で」


 機敏に敬礼をしたかと思えば楽器ケースを背負い部室へと小走りで向かっていった。ちょこちょこと動く姿は小動物みたいで可愛らしい。

 あんな姿を目撃したら絶対に一人や二人、いや、もっとたくさんの男子が栗須くりすさんに興味を持つはずだ。


 ろくでもない男でなければその恋を応援したい……って、僕は栗須くりすさんの先輩であってお父さんじゃない。誰を好きになろうと栗須くりすさんの勝手だ。勝手だけど僕はやめておいた方がいいし、できれば素敵な彼氏を見つけてほしいと願うのは本当にわがままな話だと思う。


丹生うにゅうさん、もし栗須くりすさんが僕に引っ付いてても、それは不可抗力みたいなものだから大目に見てほしい。僕の心はずっともなさん一筋だから」


「えー? 先生とエッチしてる身分でそれ言っちゃう?」


「そ、それだって不可抗力なんだ。丹生うにゅうさんは誇りに思っていても、やっぱりAV女優って職業は白い目で見られることが多いわけだし、一応高校生の間は……」


「ごめん。電話だ。……誰だろ。知らない番号だ」


 あとで電話番号を検索して怪しくなければ降り返せばいいのに、丹生うにゅうさんは迷わず電話に出た。

 無防備というかお人好しというか、そんな危ういところがもなさんの母性を育てたのかもしれない。


 子供を見つめる優しい眼差し。もなさんの息子に生まれ直すことはできないけど、義理の息子になることはできる。

 息子役なんかじゃない。堂々と息子だと宣言できる立ち位置。


「はい、もしもし。え……ママが」


 一見すると普通の青春。その裏ではまるでAVみたいな思惑がうずまいている。

 歪んでいるけど表向きは平和な僕と丹生うにゅうさんの関係は、あっという間に崩れ去ることになった。

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