第33話 代替

小亀こがめくんから連絡くれるなんて珍しいね」


「ごめん。こんな遅くに」


 罰として課せられている資料室の整理が終わったころにはもう午後八時を回っていた。一応一時間くらいは本当に整理を手伝っているし、帰りがけには他の先生からも助かっていると声を掛けられた。


 あの部屋で何が起きているかも知らずに誉めてくれるのは高校生活で積み上げたものの結果だと思う。


 なんだか期待を裏切ったようで心が痛みつつ、背徳感に心が踊っているのも事実だった。


「きゃはは。小亀こがめくん、先生と仲良くしてるもんね。あ、罰なんだっけ?」


 スマホのライトに照らされた丹生うにゅうさんの小さな顔は今日も笑っている。

 丹生うにゅうさんが誇りに思っていてもAV女優という職業は世間的には白い目で見られがちだ。

 それなのに丹生うにゅうさんは堂々と生きて、母親の幸せを願っている。


「エッチってさ、好きな人とじゃなくても気持ち良いものなんだ?」


「……っ!」


 スマホを見つめたまま問い掛けられて言葉に詰まる。行為自体はとても気持ち良い。蟹谷かにたに先生に対して劣情を抱くことはあっても愛情を抱いたことなんてない。お互いの性欲を処理するための禁断の関係。


「男の子はそうなんだよね。でもそういう欲求があるおかげででママはAVの仕事ができるから私は否定しないよ。むしろ賛成派」


 相変わらず丹生うにゅうさんはスマホを見つめている。やっぱりこんな時間に呼び出しのを怒っているのだろうか。

 告白するなら直接と考えたけど、もう少し時間を配慮すべきだったかもしれない。


 それに担任教師と何度も体を重ねている男と付き合う。常識的に考えればありえないことだ。

 AVだと、彼女がいる男子がヤらせてもらえなくて先生と……みたいなシチュエーションはよくある。でも、僕の場合は順番が逆になっているし、しかも本当の目的はクラスメイトの母親だ。


 本当に最低だと自覚している。だけどこれしか方法ががない。先にもなさんとの結婚を提案したのは丹生うにゅうさんなんだから責任は取ってもらわないと。

 僕らはもうお互いに成人しているんだから。


「それにしても小亀こがめくんが呼び出しなんて、まさか愛の告白だったり? きゃはは」


「…………うん」


 ようやく視線が僕に向けられた。一応、僕の告白はスマホに映し出されているものよりは重要度が高いらしい。


丹生うにゅうさん、僕と付き合ってください。結婚を前提に」


 頭を下げて右手を差し出す。人生最初の告白はまるでプロポーズみたいに重い。

 結婚の先に見据えているのは丹生うにゅうさんの母親であるもなさんだから。


 目の前にいるクラスメイトではなく、その母親に向けて愛の言葉を発している。


「きゃはは。小亀こがめくん、私をママの代わりにするんだ? いいよ。ママの義理の息子になって」


「……いいの?」


「いいもなにも、私から言い出したことじゃん。年齢的にも私と小亀こがめくんが結婚する方が自然だし、ママも可愛い息子ができてハッピー。しかも小亀こがめくんはママのことが大好きで大切に想ってくれる。すごく幸せな家庭だと思わない?」


「だ……だよね! ごめん。なんか意地張っちゃって。昨日廊下ですれ違った時、やっぱり僕はもなさんが好きだって気付いちゃったんだ。本当なら絶対に手が届かない相手なのに、クラスメイトの母親で……これが運命なのかなって」


 つらつらと並べられた言葉を全て受け止めるように丹生うにゅうさんは僕を抱きしめた。制汗剤の匂いがすごく生々しい。AVの世界でもなかなか味わうことができないリアルな女子高生のぬくもりを、今こうして実感している。


「リアルJKよりも小亀こがめくんはママに興奮するんだよね。変態だね。きゃはは」


「そんな変態の彼女になって本当にいいの?」


「うん! だってママを幸せにしてくれるもん」


 彼女の笑顔に心臓をギュッと掴まれる。可愛いからと申し訳ないから。その比率は目まぐるしく変化して自分でも感情の整理が追い付かない。

 

 断れると思っていた。全ての秘密をバラして最低な男に制裁を加えると思っていた。高校生活で積み上げたものが崩れ落ちると思っていた。


 全部違った。理想の形に落ち着いている。それなのに冷や汗が止まらない。最低になりきれていないから割り切れない。

 ズルい大人なら平気なのに、まだ純粋な子供の部分が残っている。


「ねえ、彼氏になった記念にキスしよ。小亀こがめくんの大人のキス、体験してみたいな」


「お、大人のキスって。僕は別に大人じゃ……」


「ママとしたみたいなあつ~いキス。先生ともしてるんでしょ? 彼女の私が未経験なのはおかしくない?」


「大人のキスかわからないけど……」


 優しく彼女の肩を抱き寄せてマスクを外す。顔パンツの異名を持つだけあって、普段隠れている顔の下半分が露わになる瞬間というのは妙に色っぽい。

 数年前までは顔が隠れていないのが普通だったのに、すっかり感覚が変わってしまった。


「ママの唇と比べてどう?」


「こんな時にもなさんを引き合いに出すのやめない?」


「え~? 私の半分はママでできてるんだよ。小亀こがめくん的には嬉しいんじゃないの?」


 舌がうまく絡み合わない。丹生うにゅうさんがリードしてくれるわけもなく、だからといって僕だってうまくリードできるわけじゃない。

 素人同士の下手くそなキスはお互いに探り探りで焦りだけが募っていく。


 だけど、僕が今キスできる相手の中で一番もなさんに近い存在だと思うとこの唇から離れるのが惜しくなる。

 一秒でも長くもなさんを感じていたい。その想いが舌を強気にさせた。


「ん……んぁ」」


 もなさんを求める舌が丹生うにゅうさんの口に強引に攻め込むと、彼女は吐息を漏らしながら僕の背中を抱きしめた。

 押し付けられた胸はもなさんのような柔らかさはなく、抱きしめられても母親のような安心感はない。


 キスしているのはもなさんではなく丹生うにゅうさんだという事実を突き付けられたみたいで一瞬冷静さを取り戻した。


 どこまでいっても丹生うにゅうさんはもなさんの代わりにはなれない。

 僕が愛しているのはもなさんだけだ。このキスは浮気じゃない。もなさんが仕事でいろいろな男と体を重ねるのと同じなんだ。


 七咲ななさきもなの代替。それでも構わないと彼女は態度で示してくれた。

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