第31話 すれ違い

「ハァ……ハァ……」


 勢いよく教室を飛び出すと空調の効いていない蒸し暑い廊下が出迎えてくれた。丹生うにゅうさんの面談があるから蟹谷先生が追いかけてくるはずはないのに一刻も早く教室から離れたくて廊下を走る。


 面談が行われるのは放課後なのでその行為を咎める先生もいないし、下級生はすでに部活が始まっているので幸いなことに誰とも会わずに済んだ。


 さすがにこの暑さに相棒はすっかり萎えていた。じんわりと汗をかいている以外は誰に会っても恥ずかしく恰好を整えることができている。


 カツ、カツ、カツ、カツ


 階段の下から足音が聞こえる。ローファーではなかなか出ない鋭い音はその持ち主が生徒ではないと教えてくれている。


 僕の次に面談をするのは丹生うにゅうさんだ。ただ、それは僕のクラスの話であってもちろん他のクラスだって同じように面談をやっている。

 全然知らない同級生とその保護者の可能性だって大いにあるのに、もしかしたらという期待がヒールの音にリンクするように鼓動を早くした。


「あ、小亀こがめくん。もう面談終わったの?」


「うん。父さんはアメリカにいるからオンライン参加だし」


「きゃはは。小亀こがめくん成績良いから先生に怒られるようなこともないか」


 萌え袖をきゅっと握った右手で口元を隠しながら丹生うにゅうさんは楽しそうに笑った。その笑顔では反対に僕は一切笑えなかった。

 

 憧れの人にもう一度会えた喜びよりも、どんな顔をすればいいのかわからないという感情が大きすぎて笑顔を取り繕うこともできない。


 それはきっともなさんも同じはず。AVで共演した娘のクラスメイトなんて気まずいに決まってる。再会に浮かれていたけど絶対に会ってはいけなかった。僕は教室を飛び出てあと、丹生うにゅうさんの面談時間になるまで人が来ない場所に隠れるべきだったんだ。


「娘がいつもお世話になってます。桃香ももかの母です」


 もなさん……丹生うにゅうさんのお母さんはぺこりと頭を下げた。それに釣られるように僕も会釈をする。


 羽織ったカーディガンの隙間からチラリと見える肉感的な腋。そこから綺麗な曲線を描く胸の膨らみは何度も映像で見て、そして数か月前に実際に触れたものだ。


 だけど、そこには七咲ななさきもなではなく、丹生うにゅうさんの母親がいた。マスクをしているからとか外的な要因ではなく、どの作品でも見たことのない娘に向ける優しい眼差し。

 初めてのAV撮影。僕の初体験。あの日、僕のママになってくれたもなさんは目の前にはいない。


「お父さんが単身赴任なんですって? 一人暮らしで成績も良いって偉いわね。桃香ももかにも見習わせたいわ」


「ママ、そういうことを娘の前で言うとモチベーション下がるんだよ?」


「ごめんね。桃香ももか。でも、受験生なんだからママを見返すくらい頑張ってもらわないと」


「え~? 私、進学するの? 就職でも全然いいんだけど」


「とりあえず大学……っていう考えは現代にはそぐわないかもしれない。だけどね、少し先の未来の可能性を残すには大切なことなのよ」


「は~い」


 子供は性行為の結果生まれてくる。だからもなさんじゃなくても、もう死んでしまった僕の母さんだってエッチしてるし、過去には父さん以外の人とも体を重ねているかもしれない。


 初体験の相手と結婚して、それ以外の人とは一切関係を持ったことがないなんてものすごく珍しいケースだ。


 だから、丹生うにゅうさんを生んでるもなさんがAVでいろいろな男と交わっているのだって、映像として誰かに見せる仕事かどうかの違いだけで普通のことだ。

 七咲ななさきもなではない母親の顔。自分が知らない優しい本物の母性。

 どんなに手を伸ばしてもあの顔には届かない。


「ごめんなさいね。クラスメイトの前で恥ずかしい。あたし達、これから三者面談があるから。これからも娘をよろしくね」


「あ、はい」


「きゃはは。バイバイ」


 もなさんは一切母親の顔を崩すことなく僕の前から去っていった。丹生うにゅうさんはそんなもなさんの隣を歩き教室へと向かう。

 

 後ろ姿もとても綺麗だ。あのさらさらと流れる髪に触れてお互いに求め合った。先生の足が股間をまさぐった時よりも相棒は充血し固くなっている。


 僕はこんなにももなさんを好きなのに、本当に好きな顔は、僕が求めていたものは絶対に手に入らない。

 それは実の娘である丹生うにゅうさんに向けられているものだから。


「だけど……」


もし丹生うにゅうさんと結婚したら、義理の息子として母親の眼差しを僕に向けてくれるんじゃないか。

そんな最低の考えが頭をよぎり自己嫌悪に陥る。


丹生うにゅうさんが提案したこととは言え、母親目的で娘と付き合うなんて……。


 間違っているとわかっているのに、自分の中でむくむくと大きくなるこの感情を僕は抑えきれなくなっていた。

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