第25話 堂々と

 栗須くりすさんが登校したのは退院してから二日経ってからだった。すぐに既読だけ付いたLINEの返信も今日になってようやく届いたくらいで簡潔に『ご心配おかけしました』と綴られている。


「部活で顔を合わせるの気まずいな……」


 ぽろりと本音がこぼれ落ちた。できれば部活前に話を付けて、以前みたいにとはいかないまでも僕が引退するまでは付かず離れずの距離感を保ってもらう。

 完全にこちらの要求を飲んでもらう形になるけど、まだ二年生の栗須くりすさんの高校生活を守るためにも最善の選択だと考えた。


『練習の前に時間いいかな?』


 LINEの画面を開いたままなのか一瞬で既読が付き、そして返事もすぐに来た。

 顔も見たくないなんて言われたらどうしようかと思っていたのでひとまず第一関門はクリアだ。


 栗須くりすさんのご両親は僕を妙に気に入ってくれていた。その温度差にどう耐えていたんだろう。あるいは全て話してすでに評価は地に落ちているのかもしれない。


 短い文字のやり取りでは何もわからず不安だけが募っていく。こうやって焦らさせるのは苦手だ。

 すぐに答えが欲しい。間違えていたらすぐに直したい。それが叶わず何もできない状況というのは実にもどかしい。蟹谷先生に与えられた処罰に似たものを感じる。


小亀こがめ先輩」


「あ」


「この前はすみませんでした。クリスはすっかり元気です!」


 サラサラのツインテールをなびかせながらドンと胸を張る。マスクで顔が半分隠れているからこそ強調される目元は自信に満ち溢れていて、休んでいた間の体力の衰えを感じさせなかった。


 

「あー、ごめんね。すぐ近くに居たのにLINEしちゃって」


「いえいえ。クリスが先輩を発見して急いできただけですから」


 朝のホームルームまであと15分。時間に余裕を持って登校する生徒が一番正面玄関をくぐる時間帯だ。たくさんの朝の挨拶が飛び交い活気に溢れている。

 傍から見れば僕らも先輩と後輩が挨拶を交わしているだけだ。だけどその視線の中には様々な感情が入り混じっている。


「何かお話があるなら今でも大丈夫ですよ」


「そう、だね。ちょっと移動しようか」


「はい」


 朝の時間帯に人気ひとけがない場所。体育館くらいしか思い浮かばずカバンを持ったまま教室とは別の方向に歩いていく。

 案の定、ホームルーム前から体育館に向かう生徒は誰もおらず、すぐに周りから人はいなくなった。


「体調はもう良さそうなの?」


「おかげ様で元気いっぱいです! 小亀こがめ先輩がすぐに救急車を呼んでくれたからですね」


「いや、元はと言えば僕のせいだから」


「えぇ? 先輩のせいじゃないですよ。悪いのはあのいかにも悪人面の二人です。小亀こがめ先輩と一緒じゃなかったらどんな目に遭っていたか……」


「そもそも僕らみたいな高校生はああいう場所に行くべきじゃなかったんだ。……いや、済んだことは仕方ない。栗須くりすさんも無事だったんだし」


 僕が言いたいのはラブホ街に後輩を連れて行って、危険な目に遭わせてしまったことじゃない。もちろんそれも悪いとは思っている。でも、ご両親にも謝罪しているし、本人も元気に登校している。


 誰にもバレないように高校生活を終えようと抱えていた秘密を自分の口からさらけ出す。あの映像が本物だっと自ら答え合わせをする。

 何事もなかったかのように振る舞ってくれる後輩の気遣いを無駄にするかもしれない行為を、僕は今からしなければならない。


「あのね、栗須くりすさん」


「映像のことですよね」


 僕の言葉を遮るように栗須くりすさんの方から話題を出した。丹生うにゅうさんと違って言葉を濁してくれているが、念のため周りに誰も居ないことを確認する。

 

「サンプルだとモザイク掛かってるんですね。あの人達、ちゃんとお金を払ってるんだと思ったらちょっとおかしかったです」


「あはは……」


 サンプルで満足したり違法ダウンロードが横行する中、きちんと購入履歴からAVを再生していた。僕らにちょっかいを掛けた以外は案外まともなやつらなのかもしれない。

 僕と同じ感想を栗須くりすさんも抱いていたことに乾いた笑いがこぼれた。


「クリスの知らない小亀こがめ先輩がいました。あ、念のため確認ですけど、小亀こがめ先輩でいいんですよね?」


 後輩からの問い掛けに無言で頷いた。腹を決めてAV出演の件を話そうと考えていたのに、全て栗須くりすさんにリードされてしまった。丹生うにゅうさんの言う通り僕は流されやすい男なんだと実感する。


「AVで童貞を卒業した男なんて気持ち悪いだろ? 僕と一緒に居たらまたああいう輩に絡まれるかもしれないし、僕が引退するまでもうちょっと距離を」


「誰にも知られたくないですよね? 小亀こがめ先輩、お父さんが海外出張で居ないからああいうことができたんですよね?」


「うん。父さんには何も言ってない。勝手に応募して、当選して、結果は栗須くりすさんが見た通り」


「クリスは小亀こがめ先輩の秘密を握ってるんです。だから先輩の言うことは聞けません。恋人になれなんて言いません。でもせめて、今まで通りの先輩と後輩でいさせてください!」


 栗須くりすさんの目は兎のように真っ赤に充血している。涙を堪えるその瞳からは言葉以上の想いが伝わってきて、その重さに僕は何も言い返せない。


「あの、本当はもっと言いたいことがあるんですけど、もうすぐホームルームなので教室に行きましょう。クリス、小亀こがめ先輩の攻略法がわかりましたから。だからひとまず、今日の部活は先輩後輩でいてください。急によそよそしくなったらそれこそ疑われちゃいますよ」


 ツインテールを揺らしながら栗須くりすさんは小走りで去っていった。

 ホームルームまであと5分。ちょっと早歩きすれば全然間に合う。


それに蟹谷先生はチャイムが鳴ってから1分後くらいに教室に入ってくる。ギリギリ遅刻の生徒をセーフにしてくれる寛大な先生だ。


 まだ栗須くりすさんの先輩でいられる。ちょっとだけ普通の学生生活を取り戻せそうな雰囲気に自然と足取りも軽くなった。


「……僕の攻略法ってなんだ?」


 ふと、栗須くりすさんが最後に言った言葉が引っ掛かった。後輩が何か企んでいるとしても、それを受け流すのが先輩の務め。ラブホ街に行くよりも危険なことはないだろう。そんな風に高を括っていたのが間違いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る