第21話 差し入れ

 栗須くりすさんは極度の緊張にさらされたことによる貧血のような症状だった。

 頭をどこかにぶつけたわけではないので、ひとまず一日病院で安静に過ごせばすぐに退院できるとのこと。大事には至らなくてほっと胸を撫で下ろした。


 すやすやと寝息を立てる栗須くりすさんの顔はラブホとは結び付かないくらい幼い。自分達が治安の悪いラブホ街に行ったのは夢だったんじゃないかと思ってしまうくらいだ。


「今は寝ているみたいですのでお静かにお願いしますね」


「わかりました。ありがとうございます」


 声の方に視線を向けるとスーツを着た背の高い男性と小柄で可愛らしい雰囲気の女性がいた。

 二人ともマスクをしているので顔はハッキリとは見えないけど、それゆえに栗須くりすさんに似ている目元が強調されている。


 面会時間はもうとっくに過ぎている時間帯であることも考えるとすぐに栗須くりすさんの両親だとわかった。


「あの、この度は……」


 まずは何から謝罪すべきか頭の中で整理が付かないまま勢いよくイスから立ち上がると、すぐそばで栗須くりすさんが寝ているにも関わらず声量が大きくなってしまった。

 そんな僕をたしなめるようにお父さんが言葉を遮った。


「ありがとね。君が救急車を呼んでくれたんだって?」


「えと……はい」


「知ってる人がそばに居てくれて良かったわ。あ、私は兎の母で、こちらが父です」


 透き通るような白い肌は外見の若さとは不釣り合いな色気を醸し出している。言うなればもなさんのような、年齢的には熟女の部類だけど見た目だけなら若者に引けを取らないという印象だ。


 僕の一個下。まだ16歳の栗須くりすさんの両親なんだからどんなに若くても30代半ばくらい。だけどその言葉や態度からにじみ出る落ち着きは外見よりも大人のように感じた。


「看護師さんから聞いたよ。明日には退院できるって。これも君が……えーっと」


小亀こがめです。小亀こがめ礼音です。栗須くりすさんと同じ吹奏楽に入ってます」


小亀こがめくんがすぐに救急車を呼んでくれたおかげだ。改めてありがとう」


「いえ、そんな褒められたことでは」


 これが普通の部活の帰り道だったら素直に感謝の言葉を受け入れられた。ラブホ街でチンピラに絡まれて、しかもその原因は僕がAV出演していたから。僕が居なければそもそもこんな事態には陥っていなかった。


 栗須くりすさんの容体は安定しているし、僕もチンピラに殴られたりはしていない。

 この結果だけ見れば無事に済んで良かったと思えるのに病室の空気は思い。


 きっと栗須くりすさんの両親は全てを知っている。それについて言及されることを考えると胃酸が逆流しそうになった。


「それでね小亀こがめくん。これも看護師さんから聞いたんだけど、通報があった場所が」


「あやめ、それは俺から話すよ。その前にまずは移動しようか。兎を起こしたら可哀想だ」


「はい」


 まだ消灯時間ではないので明かりは点いているものの廊下はひっそりと静まり返っていて足音が反響する。

 消毒液の独特な臭いも学校の廊下とは違う雰囲気を演出していた。


「ここなら平気かな。本来はもう帰らないといけないんだけど。大目に見てもらおう」


「あの、今回は本当にすみませんでした!」


「まあまあ小亀こがめくん。ひとまず座って。何か飲むかい?」


 ラウンジのような場所に辿り着くなり僕は頭を深く下げた。お父さんは何か謝られることでもあるのかと言わんばかりの軽い口調で自販機の前に立つ。


「私はココアがいいな。ちょっと冷房で冷えちゃった」


「あやめは昔から子供舌だからね。兎に完全に遺伝してるよ」


「そういうあなただって昔は背伸びしてブラック飲んでたくせに」


「今では普通に飲めるんだからいいじゃないか。何事もチャレンジが大切なんだよ」


 まるで新婚のようにいちゃつく二人の空気にこっちの方が恥ずかしくなる。この場に栗須くりすさんがいたらきっと顔を真っ赤にして両親を止めたに違いない。

 早くに母親を亡くしている僕にとっては未体験の感情でちょっと新鮮だった。


「お茶でいいかい? 後輩の両親に挟まれるなんて緊張して喉が渇くだろう」


「あ、はい。いただきます」


 遠慮するのを見越してかお父さんは半ば強引に小さなペットボトルを僕の前に置いた。

 実際、喉はカラカラだったのと一口も飲まないのは失礼だと思い蓋を開けた。


「あまりここに長居もできないから単刀直入に聞くよ。小亀こがめくんは娘と付き合ってるのかい?」


 その質問に僕は首を横に振った。

 付き合っていればラブホに行っていいわけではない。僕は成人したと言っても高校生、ましてや栗須くりすさんは未成年だ。


「ふむ。そういうのに興味がある年齢というのは理解しているんだ。あやめは……妻は俺の家庭教師だったんだ」


「は、はあ?」


 ラブホの話から急に家庭教師の話に変わって混乱する。

 その話題の転換もそうだし、なによりお母さんがお父さんの家庭教師、つまり年上というのが意外だった。


「妻は娘同様……いや、逆か。とにかく童顔でね。初めてうちに来た時は中学生が来たんじゃないかと思ったんだ」


「まったく失礼な話よね。こっちはちゃんと面接も試験も通って家庭教師に登録してるのに」


 ぷくっと頬を膨らませて怒りを表現しているようだけど、お父さんよりも年齢が上という情報を知るとそのギャップが大きくなって可愛らしい。


「まあまあ。最初こそ誤解はあったけど勉強はちゃんと教えてくれるし礼儀正しいからうちの両親も気に入ってね。ついでに俺も恋心を抱いてしまったんだ」


「そうなんですね」


 一体なんの話をされているんだろう。それが率直な感想だった。

付き合ってもいない娘をラブホに連れて行ったことを謝罪させてもらえない。怒鳴られるよりも地獄と言えば地獄ではあった。


「私も幸太郎と過ごす時間が楽しくてね。家庭教師以上の感情を抱いてたの。でも子供扱いされることも多くて、私が大人だっていうのを証明するために覚悟を決めたのね」


「両親が留守にしたタイミングで急に脱ぎだした時は頭がおかしくなったのかと思ったよ。同時に、舞い上がっちゃったね」


「ふふ。あの時の幸太郎、目が血走ってて可愛かったな。盛りのついた兎みたいで」


「あやめだって初めてのクセに大人ぶってリードしようとしてたじゃないか。いやいや、お互いに若かった」


「本当に。ああいうぎこちなさも振り返ってみると可愛く思えるわ」


 思い出話に花を咲かせる二人に置いてけぼりをくらってもはや相槌も打てなくなっていた。そして、自分の股間が固くなっていることに嫌悪する。

 ご両親が二人とも若々しいので家庭教師モノみたいなシチュエーションがすぐに想像できてしまう。


 後輩の両親をそんな目で見てしまうなんて最悪だ。これから栗須くりすさんと話す時にも脳裏をよぎるかもしれない。


 二人はなんでこんな話を僕にしたんだ。理由がさっぱりわからずいろいろなモヤモヤが頭の中で膨らんでいく。


「ふふ。急に生々しい馴れ初めを聞かされて困っている顔だね。何を伝えたかったかというと、愛し合う二人がそういう場所を求めるのは仕方ないということだ」


小亀こがめくん、彼女はいないのよね?」


「はい」


「大方、兎が強引に小亀こがめくんにお願いしたんだろう。18歳から成人だからとか言って」


「…………」


 栗須くりすさんに罪を擦り付けるような気がして口を噤んでしまう。

 お父さんの言ったことは合っている。さすがは父親と言ったところだ。だけど、それで全てを説明できるわけではない。


 僕のAV出演がなければ絡まれることはなかったし、栗須くりすさんがショックを受けることもなかったんだから。


「高校生でセックスすることを俺達は責められない。自分達の過去がそうだからね。ただ、今は感染症が心配なんだ。人間同士の一番の濃厚接触だかね。もし感染して学校を休むことになって、後遺症で苦しんだら、成人したキミが責任を取らなければならない」


「……はい」


「だけど小亀こがめくんはまだ高校生だ。きっとそこまでの責任を負わされることもないだろう。でも、キミはきっとその責任を感じる。少ししか話してないけど、そんな風に評価している」


 これがきっと本物の大人なんだろう。ある一定の年齢を超えたら大人になれるわけじゃない。今まで禁止されていたことをすれば大人になれるわけでもない。

 きちんと経験を積んで、それを活かせるのが大人なんだ。


「もし小亀こがめくんが良ければ、娘の恋人になってほしい。ただの体目当てなら殴ってやろうかと思っていたけどキミになら任せられる」


 ポキポキと指の骨を鳴らす仕草が妙に滑らかで瞳の奥が笑っていない。体格の大きさも相まってその威圧感が凄まじい。

 下手にウソをついたり誤魔化したりしないで良かった。


「これからも娘のことをよろしくね。見た目は子供っぽいけど、ちゃんとオトナに育ってるみたいだから」


「はい」


 今回の一件で栗須くりすさん本人に嫌われてしまったかもしれない。たとえ嫌われたとしても部活の引退まではちゃんと先輩として接しよう。それが僕にできる唯一の贖罪だ。


「そうだ。これは二人の明るい未来に差し入れだよ。いろいろ寛容になっているとはいえ妊娠や出産は学業に支障が出るからね」


「え?」


 お父さんは小さな紙袋を差し出した。今の発言とこのサイズから察するに中身は……。


「お互いにワクチンを打って。安心できる状況になったら使いなさい。それじゃあ僕らは看護師さんの所に行くけど、小亀こがめくん、送って行かなくて大丈夫かい?」


「はい。家は近いので」


「そうか。兎が恋焦がれる先輩に会えて良かったよ。できれば末永くよろしくな」


 お父さんは背中を向けたままひらひらと手を振って去っていった。その少し後ろを続くようにお母さんも歩いていく。

 後ろ姿だけを見れば大学生のカップルみたいだ。でもその雰囲気はとても落ち着いていて、僕と栗須くりすさんが私服であんな風に並んでも大人には見られないだろう。


 それがもしもなさんだとしても親子扱いされるに違いない。

 大人の背中の大きさを実感して、自分があんな風になれるのか不安になった。


「大人になるって大変なんだな」


 答えはわかりきっていたけど一応袋の中身を確認した。

 案の定、コンドームだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る